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日々の糧としての写真 A LIFE LIVED IN FEAR IS A LIFE HALF LIVED

HIRANOYA 平野屋 コンピューティング

2015-12-25

「糖尿病学」宣言

2015年僕は糖尿病合併症で失明すると宣言された。

床に入ると、足の指先は痺れと痛みが激しく、眠るのにも一苦労であった。

この25年間何度も生活を変えてこの病を打ち負かそうとしてきたが、局地的に勝つことはあったが、総合的には負け越しであった。
ついに追いつかれたかというのが正直な感情であった。

もし、この変化が不可逆であってこのまま進む他ないということだったならば死のうと決意した。

運の良いことに会社の経営者である僕は死んだら2千万円の保険金が入ってくる。


語り尽くせない1年が過ぎた。


12月に眼科での検診を受けて、眼底網膜症が即座に失明するものではないと診断された。足のしびれが軽くなるストレッチをプールでのレッスンで知った。僕の今の状態は可逆的なのだと確信できた。

なので、僕は生き続けることにした。


友人への手紙にこんなことを書いた

今年一年は、本当に辛かったけど、この企画を生み出す為の苦しみだったような気がします。

「傷ついた物語の語り手―身体・病い・倫理」アーサー・W.フランクと言う本の中で「慢性の病に侵された時、人生の目標とそこに至る海図を見つけ直すことが必要だ」ということが書かれていました。なんとも感慨深いものです。



2016年は、「糖尿病学」を始めることにした。

諸学問の知見を統合して、この病といかに共に生きていくかを考えていくことにした。



これが、僕の新たな目的地である。

そして海図はまだない。









友人の医師からの助言、バーンスタイン博士の著作から、自己血糖測定を行い、自分の体を知ることにした。

そして、僕の生活の何が血糖値を上げて何が下げるのかを知るようになってきた。

やがて、運動が血糖値を下げること、食事が上げることを知った。

同時に様々な学問分野で役に立つ情報を集め始めた。

また、栄養学、生物学の最近の知見は、僕に様々な仮説を考えさせた。

僕は医師ではない、しかし、システムエンジニアである。

現実の問題に仮説を立て、本当の原因を探り、「新しいあり方」を作り出すことが仕事である。







医師は基本的に保守的である。

患者の命を預かるのであるから当たり前である。それを責めようとは思わない。

最終的には患者が学び、自分自身で乗り越える他ないのである。

病は自分自身の問題である、「慢性の病は切り取リ捨て、いいとこだけ残す」訳にはいかない。



誰かの小説で「悪いところだけ切り捨てていった時、残るものはただの凡庸な抜け殻にしかならない」と言う意味のことを読んだことがある。

誰の小説だろうか。思い出せない。







「傷ついた物語の語り手」の中で、依存症の回復期と並んで糖尿病と言う病名が出てくる。

実に面白い、


そして、医学の保守性が新しい知見と対立する場合がある。

糖尿病の治療についての昨今の混乱はそれを如実に表している。

医学は病を打ち負かす敵とみなす。

しかし、慢性の病を打ち負かそうとすると患者自身を「殺す」事になる。

患者に「病と共に生きる」ことを気が付かせなければならない。

それは、哲学・宗教の範囲である。





糖尿病に対峙した時にいかに困難な問題が横たわっていることだろうか。

困難ではあるが一度は死を決意したのである。

怖いものなどは何もない。


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