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日々の糧としての写真 A LIFE LIVED IN FEAR IS A LIFE HALF LIVED

HIRANOYA 平野屋 コンピューティング

2016-05-25

飲酒からの体重の変化

飲んだ後の体重の変化に関しての研究

ケトン体体質の時間当たりの体重推移を記録する事で基礎代謝がいかにケトン体を燃料としているかがわかる様な気がする。


時間
経緯
体重脂肪
増減イベントコメント
52518:00-81.7 - 飲む前の体重
52520:00084.7 +3食事500ml*3
5262:00683.6 -1.1トイレ(大小)少しのど乾いて起床
風呂・仕事
5268:00685.721-1.1  
5262:00   -1.1トイレ(小) 
5268:00683.2520.9-1.1 これから朝食
52718:00    夕食、揚げ物酒抜き
5274:00 84.723.1-1.1 朝起きた
52811:44 82.820.0

体重に関しての神話というべき根拠なき信念がある。

動物の脂肪を食べるから、脂肪がつくという盲目的な信念(?)である。

確かに一面では当たっている。

炭水化物食べながら脂肪を摂るとブースターの様なもので、ガンガン脂肪がつくのである。

しかし、炭水化物食べないで脂肪を摂ると吸収された脂肪は脂肪細胞の中で固定化されないのである。

脂肪(脂肪酸)は生物にとっての共通の通貨なのである。




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酒は体に悪いが、心にはいい。飲むかなおまないかは自分で決める。

いい加減、食べ物や運動を体に「良い・悪い」と採点するのはやめることにしたい。

テレビを見ても、雑誌を読んでも、どこかの偉い先生が良い悪いといったところで、その人が責任持ってくれるわけじゃない。

5/15日で酒をやめて、体重が5kg減った。

明日は飲むのであるが、9日間で5kgである。

今朝の測定で81.5kgであった。

そもそも、「中毒」というのは、「自己治療」である

深く悩み、酒がやめられなくなったのが5月に入ってからである、

母の納骨や、幾つかの仕事、自分の体の事、心が酒を欲しているのである。

しかし、色々あったが、今は心晴れやかである。

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いつか土砂降りが来るだろうが、それまでは傘は仕舞っておこう。



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2016-01-21

わが禁酒の記 -2-

「わが禁酒の記」の続き。

糖質制限では蒸留酒は許されている。これ幸いとばかり、飲酒量は増えていった。

どうしても辞められなかった。

2015年の11月以降3日でウイスキー1本を開け、毎日糖質0ビールを1リットルは呑んでいた。

これって落とし穴だった。

酒を飲んだ日はやはりナッツとか食べるから、糖質がアップするのだろう。

飲酒(糖質0酒)時には一時的には、血糖値は低くなるが、糖新生が阻害されるためと言われている(どうもよくわからない)。



そして、母が亡くなって、毎日父と夕食を一緒するようになった。
父も、飲むのである。おおよそ1.5合(コップ3杯)である。
そして、オヤジが来ることが別な言い訳になっていった。
かなりまずい状況であった。





父の状態を見ていると、飲酒をやめてもらいたいと思いだしたのだが、僕が飲んでいては説得力がない。

酒を飲んでいる家族の事を思う家族の心がわかったのかもしれない。
依存症人間関係の中でしか解消できない。



なんとなく飲まなくなって、6日目である。

12/30に体重が90kgになっていたのが、今日は82kgである。
来月の眼科検診が楽しみである。少しは良くなっているだろうか。



足の状態は快方に向かうだろうか。
少し軽くなったような気もするし、まるで駄目のような気もする。




やっぱ、酒は程々が良いのだろう。

飲みたい時には飲もうと思っている。

しかし、飲んでない日は、なんか調子はいいのである。

それはそうである(笑)。



毎日、どのくらい飲んでいたかの記録をつけていた。全く効果なしである(笑)。

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この酒瓶も捨てることにした。



はてさて、どうなることやら、なんとも分からないが、まずは一旦ストップなのである。


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2015-12-26

足のケア 痺れに関しての新たな知見

僕はプールに通っている。

水泳が健康に良いことは既に何度も書いている。

もちろん、水泳だけではなく、あらゆるスポーツは良い(僕に合っていたということである)

基本的には、筋肉を動かすことで、GULIT4がインスリンの指示を受けなくとも血中内から「ブドウ糖」を取り込み血糖値を下げるからである。脂肪細胞との比率も適切なもの煮るのである。


しかし、問題は、末端神経症(足のしびれ)に対しての対応である。


壊疽は恐ろしい。世界では30秒に1本ずつの足が切断されているそうである。うち半分が糖尿病に起因する。



この手紙の中にも書いているが「壊疽」に対しては適切な治療法がない。カテーテルなどで血管を拡張しても駄目に決まっている。

若い頃から、足がしびれないような状態を維持しなければならない。




もし、壊疽になった時に生き残れるとしたら、唯一、マゴットセラピーが治療法である。

実に嬉しいことに、うちから30分位の病院(豊栄病院)で受けられるのである。




当初、筋力のアップを指導してもらうつもりでレッスンを受けた。

「***********」と言うのは水中で使う筋力トレーニングのギアである。商品名なので伏せ時になっている。

しかし、足のしびれが軽くなったのである。

驚きである。

来年、パート2でもと詳しく習うのである。

レポートを書いたのである。





多くの糖尿病患者の場合、「目」「足」「肝臓」「腎臓」の老化が早く来ます。

私の場合は目と足でした。

2015年4月以降食事を変え、運動を頻繁に行い、血糖値は薬なしで日常血糖は「境界線型=初期糖尿病」程度までの回復、A1cは良好なコントロールの領域に入っています。定期的に**先生に診察いただいて、ご意見いただいています。

目の方は、2015/4/8に緊急に手術しなければ失明すると診断されましたが、2015/12/6の診察で良好な方向(緊急の手術の必要はない)に向かっているのが確認、一安心でした。

しかし、問題は足でした。足の指先の痺れ(痛みと言ってもいいかと思います)はとれなかったのです。

以前から親指は軽くしびれていたのですが、5月くらいから5本の指全体に痺れが広がったのです。血糖値の改善期に見られる現象ということだったのですがかなり不安な材料でした。

記録を見ると4月くらいから痛みが広がり始めています。強めになって、水泳での血糖値降下が続いていた時期に一旦弱くなり(この頃から壁につかまらないでズボンが履けるようになりました)、その後(9-10月の国体出張や多忙でプールから離れた頃に)、また強まっています。

11月に入ってから(もっと血糖値を短時間で下げられないかと考えて)ウオーキングを始めます。時間あたりの血糖値の降下量=運動で使われている筋肉の負荷はウオーキングのほうが効率的だと感じています(僕にとっては)。楽しさは泳ぐ方かなあ。

ランジを組み合わせて、負荷が面白いようにかかる(血糖値の下降量が大)ようになってきたのですが「足のしびれ」が激しくなってきたのです。

腿と脛の前面に全体的な痛み(筋肉痛?)が激しく、階段の登り降りも苦労するようになってきていました。

ストレッチ・ウオームアップ・クールダウンも行っていたつもりでしたが、前側の筋肉の強化と釣り合いが取れなかったのではないかと思っています(そんなこと有るのかどうか分かりませんが?)

そこで、なんとかならないかと思いながら、昨日のプライベートレッスンを受講しました。 


まず血糖値に対しての***********の効果は絶大です。

おそらく150m程度の***********使用のウオーキングで600mのランジウオーキングと同じくらいの下降量です。無論、今回のレッスンの中では、ウオーミングアップなども有るので単純な比較はできないでしょうが........

面白いのは、ギア使用のほうが運動を止めた後でも下がり続けているところです。

この時間経過後の下降は時々起こるのですが、何が原因かは分かりません。

日付 内容開始時終了時30分後下降量
12/18ハンドタオル+ランジ600m154 40分111107(116)47
12/24ギア使用 150m156 30分11810848

(この運動による血糖値の下降は一般の人でも起こるものです)




さて、もっと面白いことが有ったのです。

レッスンの中で、足の後ろ側のストレッチ、そしてウオーミングアップで足の踏ん張りの練習をしたと思います。すり足と、膝上げの水の流れを感じるようにして50mくらい歩きました。その時に足の指を開いて神経を集中させました。その歩き方でギアを付けて歩いたと思います。それまでの僕の歩き方は腰を沈め、前後ろ後ろの足を折り足の平を底から離していました。

終わって、家に帰った頃から気がついたのですが、足の前面の痛みがウソのように軽くなったのです。家に入るところの階段を上がっても痛みません。

そして、もっと驚いたのは、寝るときに横になったら、足の指の痺れが大きくとれていました。前日までは寝ようとした時に、足が痺れて眠れなかったのが、意識しないで眠れたのです。

自己流でウオーキングをしていた時に、どんどん悪化していたものが一回のレッスンでこの効果はちょっと信じられません。

足の後ろ側のストレッチは血行を良くする(足全体の調和を取り戻す)のかもしれないです。

僕の足は70歳です(笑)。年をとると誰でも足先が痺れたり冷たくなったりします。そういう悩みに効くのかなあと思いました。足の裏側を通って血管が足の裏側(壊疽の発生が多い場所)に血と神経を送っているのが上手く機能しなくなる状態なのかなと思っています。


1月7日にPART2を申し込みました。その時は

  1)引き続き***********をお願いしたいのと、

  2)足全体の調和というか、後ろ側の「コリ」を解消する事

    をお願いしたいのです。


私の叔父は死ぬ直前に壊疽で足を切断する所でした(切断する直前に亡くなりました)若いころは糖尿病などと言われたことはなかったのが70くらいからどんどん進んだのでした。今のところ、壊疽に対しての適切な治療法は有りません(最近カテーテルで血管を広げると言う乱暴な事やり始めたところがありますが、老人には死より苦痛だと思います)。ただ腐っていくのを見ているだけなのです。体全体が調和とれた状態で年取っていけるといいですね。僕の足が可逆的な状態なのか少し試してみたいと思っています。切断しない治療法としては、マゴットセラピー(ウジ虫治療)というのは有ります。もし壊疽になったら、それをしてもらうつもりです。



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2015-12-25

「糖尿病学」宣言

2015年僕は糖尿病の合併症で失明すると宣言された。

床に入ると、足の指先は痺れと痛みが激しく、眠るのにも一苦労であった。

この25年間何度も生活を変えてこの病を打ち負かそうとしてきたが、局地的に勝つことはあったが、総合的には負け越しであった。
ついに追いつかれたかというのが正直な感情であった。

もし、この変化が不可逆であってこのまま進む他ないということだったならば死のうと決意した。

運の良いことに会社の経営者である僕は死んだら2千万円の保険金が入ってくる。


語り尽くせない1年が過ぎた。


12月に眼科での検診を受けて、眼底網膜症が即座に失明するものではないと診断された。足のしびれが軽くなるストレッチをプールでのレッスンで知った。僕の今の状態は可逆的なのだと確信できた。

なので、僕は生き続けることにした。


友人への手紙にこんなことを書いた

今年一年は、本当に辛かったけど、この企画を生み出す為の苦しみだったような気がします。

「傷ついた物語の語り手―身体・病い・倫理」アーサー・W.フランクと言う本の中で「慢性の病に侵された時、人生の目標とそこに至る海図を見つけ直すことが必要だ」ということが書かれていました。なんとも感慨深いものです。



2016年は、「糖尿病学」を始めることにした。

諸学問の知見を統合して、この病といかに共に生きていくかを考えていくことにした。



これが、僕の新たな目的地である。

そして海図はまだない。









友人の医師からの助言、バーンスタイン博士の著作から、自己血糖測定を行い、自分の体を知ることにした。

そして、僕の生活の何が血糖値を上げて何が下げるのかを知るようになってきた。

やがて、運動が血糖値を下げること、食事が上げることを知った。

同時に様々な学問分野で役に立つ情報を集め始めた。

また、栄養学、生物学の最近の知見は、僕に様々な仮説を考えさせた。

僕は医師ではない、しかし、システムエンジニアである。

現実の問題に仮説を立て、本当の原因を探り、「新しいあり方」を作り出すことが仕事である。







医師は基本的に保守的である。

患者の命を預かるのであるから当たり前である。それを責めようとは思わない。

最終的には患者が学び、自分自身で乗り越える他ないのである。

病は自分自身の問題である、「慢性の病は切り取リ捨て、いいとこだけ残す」訳にはいかない。



誰かの小説で「悪いところだけ切り捨てていった時、残るものはただの凡庸な抜け殻にしかならない」と言う意味のことを読んだことがある。

誰の小説だろうか。思い出せない。







「傷ついた物語の語り手」の中で、依存症の回復期と並んで糖尿病と言う病名が出てくる。

実に面白い、


そして、医学の保守性が新しい知見と対立する場合がある。

糖尿病の治療についての昨今の混乱はそれを如実に表している。

医学は病を打ち負かす敵とみなす。

しかし、慢性の病を打ち負かそうとすると患者自身を「殺す」事になる。

患者に「病と共に生きる」ことを気が付かせなければならない。

それは、哲学・宗教の範囲である。





糖尿病に対峙した時にいかに困難な問題が横たわっていることだろうか。

困難ではあるが一度は死を決意したのである。

怖いものなどは何もない。


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2015-12-23

アーサー・クライマン「病の語り」、アーサー・W・フランク「傷ついた物語の語り手」

気になって、買った。

届いて一読、かなり凄い。

色々と、考えていたことがドンピシャであった。

専門家の独占している医療と呼ばれる権益領域の問題を考えねばならない。

D

素晴らしい、今年は哲学者になるのが目標だった。

年始に父母との関係が新しくなり、僕は少し成長した。

4月に糖尿病に追いつかれたことを知り、一度は死を決意した。

10月に糖尿病とともに生きる道を知り、もう少し生きることにした。

12月に又素晴らしい本とであった。


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2015-12-22

足のケア、歯のケア、パブリカのオイル煮

以前に足のケアに関して書いた。

この時の、カサビタは消えたようなのだが、昨晩なんか痛むなあと思ったら、またカサビタができていた。

出来たきっかけが何であるかはわからないのである。

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カサブタが、化膿して化膿出来なくて壊疽が生まれ、切断するほかなくなるのでが恐ろしい現象である。

世界では30秒に一本ずつの足が切断されているそうである。(半分が糖尿病由来)

何とも、憂鬱になる話である。

憂鬱で、今日はプールお休みである。






『豚毛ブラシ』を買って、歯を磨きだしたのだが、血糖値の落ち方が大きくなったような気がする。

歯磨きと血糖値の剣系っって有るのだろうか?





近くのスーパーで赤ピーマンを見切り品価格で売っていたので思わずかてしまった。

オリーブオイルで煮込んだ、美味かった。

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スペイン料理なのだそうだ。

牡蠣のアダージョや白子のアダージョ、鳥のレバーのアダージョも作ったのだが、皆美味しい。

嬉しいものである。

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2015-12-04

皿洗器(食洗機)と付き合う

最初は、東京で高田馬場から中井に引っ越した時に買った。

27−28歳の頃だと思う。

この写真を見ると、今でも使っている鍋や道具類がある。

何とも懐かしいものである。

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この時の食洗機の宣伝のコピーをよく覚えている。
皿洗い機を買ったのではなく「二人の時間を買った」というようなものだった。
当然のことながら、彼女はついてこなかった。

7=8万円だったような気がする。

もしかしたら、物置に有るかもしれない。明日探してみよう。


食洗機というと、『レイチェルの結婚』と言う映画を思い出す。

アンハサウエイ様の出ている映画で、ワクワクしながらDVD借りて、憂鬱な内容に悲しい思いをしたのである。

パーティで、食洗機にどれだけ皿を入れられるかを競うシーンが有ったような気がする。




僕も最近まで、「沢山詰め込む派」だったのだが、今では『綺麗に洗える事が最低条件の最大挑戦派』とでも言うべきものとなった。

皿洗い機に関しては、妻と何度も離婚寸前の喧嘩になった。

僕が入れて、綺麗になっていないと、怒るのであった。

僕は『なんどでも洗えばいいじゃないか』と言うのである。

洗えない機械が悪いという考え方である。

妻は、この食洗機の限界なのだから、洗える量を少しだけ入れて、何度かに分けて洗えばいいという。

彼女が正しかった。








継続的に、台所仕事を行うには、効率性を重視しなければならない。

そちらにしても、汚れ物はなくならないのだから、どれだけ維持するべきかをポリシーとして決めていけば良いのである。

そしてマニュアル化すれば良いのだ。



マニュアルは変更可能だが、信念は変更できない。

思い込みは変更できないが、仮説に基づいた手順はトライアルで確認していける。


自分を変えることは困難であるが、世界で変えられるのは唯一自分自身だけである。






ところで、「プラダを着た悪魔」が見たくなった。

アンハサウエイって大好きである。


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