Hatena::ブログ(Diary)

日々の糧としての写真 A LIFE LIVED IN FEAR IS A LIFE HALF LIVED

HIRANOYA 平野屋 コンピューティング

2017-07-06

遺言である 僕は胃瘻を望まない。何歳であっても、余計な延命も介護は必要ない。

間もなく90歳になる父は元気である。

毎日、隣り合っている実家からうちに来て食事をする。

作ってある夕食に1.5合の酒を飲んで、家に帰る。

夜半におきて、持ち帰った小皿のおかずをつまみに1合の酒を飲みながら眠る。

朝昼は僕が持っていくことも有るが夕食は必ず来て食べる。






とにかくタンパク質と脂質を十分に取ることを念頭に献立を考えて、食べてもらう。

僕より血糖値はいい(笑)。

何よりも、心が大事なので、食卓では一切の小言や注意はしない。

どんなに遅く来ても怒らないし、むやみに褒めたりもしない。

いくら年取って、ボケ始めていると思っても、空気を読む力は決して衰えない。

一緒に話をしながら食事をしていると、敏感に心が反応していることが分かる。

昨日は、仕事が一段落したので久しぶりに一緒に飲んだ(最近は僕は酒を飲んでいない:プロジェクトの一環であるが....)。

妻と話をしながら3人で食事をした。

母がいないことがやっと自然に感じられるようになった。

父も僕も妻も、傷は癒えつつある。






老人の食事がどうあるべきかという厚生省のガイドライン(実ははっきりしたものは打ち出されていない)は間違えていると思う。


いま、少し大掛かりなプロジェクトが始まりつつある。

2冊めの本と、介護施設の食事の指針に関するコンサルティングである。


僕が、年老いて、誰かのお世話になる時に間に合うかなあ(笑)?


f:id:masaya50:20170706112855j:image:w300:left

f:id:masaya50:20170706112854j:image:w300:left

f:id:masaya50:20170706112853j:image:w300:left

f:id:masaya50:20170706112852j:image:w300:left

f:id:masaya50:20170706112851j:image:w300:left

f:id:masaya50:20170706112850j:image:w300:left

f:id:masaya50:20170706112849j:image:w300:left

f:id:masaya50:20170706112848j:image:w300:left

f:id:masaya50:20170706112847j:image:w300:left

f:id:masaya50:20170706112846j:image:w300:left

f:id:masaya50:20170706112845j:image:w300:left

この食事で明らかに父は元気である。

母がなくなった直後の状態と比べると格段に違う。

僕の食事もほぼ父と同じである。

僕がその歳になった時に元気だろうかという実験でもある。

そして同じ遺伝子の親とともに生きることの価値を確認している。


医師の世界からも行動を起こす人はいるが、もう少しである。

カロリーという概念から抜け出せないのは致命的である。

おいしい病院食は、患者を救う

おいしい病院食は、患者を救う







介護施設に20年務めているご夫婦の方と知り合いである。

いとこのkさんは公的に運用されている介護施設で働いている。

彼らとときおり議論する。

彼らも問題を肌で感じている。しかし、変えることができない。

僕の友人で、父親を病院でなくした人がいる。

胃瘻が必要になったのだが、結局、しなかったそうだ。

人は様々である。

生きていてもらわなければ年金も入ってこない。

僕の年金は微々たるものだ。考えてみれば、幸いである(笑)。







遺言である。


ぼくには胃瘻延命も必要ない。

もう随分前だが、母は、友人の死を看取り、体中に管をつけて生きさせられているのを悲しそうに語った。

無くなる直前に管を引きちぎったことをぼくに話した。

その時に、延命をしないでほしいと僕に話した。

父も同じ意見だったので3人で(当時見たことの有る雑誌の宣言文を使い)お互いの意思を確認した。

僕は胃瘻延命措置にいれる。

無論、意識があるならば違うという考えもあるだろう。

f:id:masaya50:20170706112843j:image:w640

父にも確認した。

f:id:masaya50:20170706112842j:image:w640






直子さん、頼んだよ(笑)。

やっぱ君が最後だろうな。







forever youngが望みであるが、かなわないことが肝心である。

D








日経メディカルの記事

「親父は胃瘻を望んではいない」と思う

胃瘻がある方が介護しやすいですよ」と医師

2017/6/20 郷堀 妙子(メッセンジャーナース)

 新しくできたばかりの介護施設で看護師兼相談業務をしていた時、私は看護師人生の中で忘れられない出来事と遭遇した。その施設は、他と比べて比較的医療依存度が高い人達が多いのが特徴だった。

 入院在院日数がオーバーしそうになると家庭の事情で在宅介護が難しい患者が、「入所者」となって介護施設に移られてきた。

 当時80歳代後半の男性Aさんは、経腸栄養剤(エンシュアリキッド)に増粘剤を加えて摂取できていた。だが、徐々に嚥下機能が低下し誤嚥性肺炎を発症した。医師から意思疎通が図れないAさんの代わりに、長男に胃瘻造設について説明が行われた。胃瘻のメリットとデメリット、胃瘻という手段をとることで生命維持できること、胃瘻があることで施設入所が可能なこと……。話を進めていくなかで、長男の表情が一瞬にして変わったのが分かった。医師は足早に診察を終えて病院へ帰って行った。

 医師の診察が終わり、私は長男に声をかけた。

「先生のお話をどのようにお感じになられましたか?」

「親父はそんなこと(胃瘻)は望んでいないと思う。親父は、腹に穴を開けて管から食事したいなんて思っていないと思う。この年になって 身体を傷つけるのはかわいそうだ」

 長男の怒りと葛藤の矛先が 私に向けられているのが分かった。「納得のいかない治療は受けて欲しくない。その一心で、私は主治医の元を訪ねた。

「Aさんの長男さんが、胃瘻造設について疑問を感じておられます。他の手段はないのでしょうか。もう一度お話しする時間を作って頂けないでしょうか?」

「時間を作ってもいいけど 何度話をしても変わらないと思うよ。だって家で介護できないんでしょ。施設に行くなら胃瘻があったほうが受け入れてくれるし」

 外来受診の日 再度、長男と主治医との面談が行われた。

 

「この年になって管をお腹に入れるなんて、本人にしっかりとした意思があればやらないと思う。他に手段はないのでしょうか」

「食事ができなければ、点滴をしなければいけません。入院するにしても何の治療もしないのに、ずっと入院しておくことは難しい。特別に長期入院というのも難しいのです。在宅介護はどうですか? 在宅介護をするにしても、胃瘻がある方が介護しやすいですよ。まずは胃瘻ができるかどうか検査したいのですが、よろしいですか?」

 医師の答えに 長男は為す術がない様子だった。

 どうしようもない状態に、私は誰かの救いが欲しかった。納得のいく治療をしていただきたいのに、何か不完全燃焼。とても後味が悪い。そして病院師長の元を訪ねる。

 私は、師長に今までの経緯を話した。

胃瘻を拒否されているのね。でもね 今の医学では(胃瘻は)当たり前のことよね。私の両親が同じ状況になったら 先生にお願いすると思う」

 医学の当たり前って何、医学が中心の治療なの? 私はどうすることもできず落胆した。

 胃瘻造設をめぐり、Aさん家族は話し合った。看護師である県外にいる娘達も集まり、治療の方向性を話し合った。その答えは胃瘻を造設することだった。

 胃瘻造設を終え、Aさんは施設に戻って来られた。面会に来られる長男の表情からは、父が望んでいるであろうことを実行できなかった申し訳なさや、親父らしさが消えた姿に寂しさを感じているのが分かった。

 かつて、延命治療に関して医師に聞いたことがある。

 医師の答えはこうだった。

「医師になる教育の学びは治療をすることだ。看取りのように、見守る治療は職務を放棄したような気がして、罪悪感にとらわれるんだ」

 医師は、医師としてベストを尽くしているのだ。

 医療現場の現状を踏まえ、日本老年医学会は人工栄養などの延命処置を高齢者の治療に用いる際のガイドラインを公表、近年は胃瘻を造設する患者が少しずつ減っているとの報告もある。しかし反対に、経鼻栄養をしている患者は増えているという病院もある。

 今は食事が食べられなくなった時の対応は、私が勤務する病院ではほとんどが家族に聞いているのが現状である。治療の選択は、本人の意思によるのが望ましいと思う。今の団塊の世代の方達が高齢者となり介護が必要になったとき、胃瘻選択という課題は変化しているかもしれない。でも、衰退していく身体を予測して、治療の方向性を家族で話し合っておくのも大切だと感じる。

 これから超高齢化社会となり、病院のお世話になる方も増えてくる。病気があっても、年を重ねて衰退していく身体であっても、それぞれの価値観、人生観、死生観に応じた治療の選択ができる世の中であって欲しいと切に願う。


890871



もう母のこれは必要ない。

眠りながら逝った母は幸せだったと思えるようになってきた。

f:id:masaya50:20170706112844j:image:w640

2016-12-06

父と暮らす フレッシュな果物とヨーグルト

母は便秘がひどく、苦しんだ。

通じの良い僕はその気持がわからなかった。

亡くなる一年位前からあの白いやつが大好きと言っていた。

大きな椀に二人分を盛って毎食持っていった。

皆母が食べて少し父が食べた。

一緒に食事をすると、母はみんな俺が食うんだと言ってあははと笑ったものだ。

ここ2年の間に、数回ひどい便意で悩んだ。

母は、毎日、精神安定剤便秘薬を沢山のんだ。

どう考えても、両方共に問題があった。

便秘薬は、同じものが市販されていたので厄介だった。


ヨーグルトが功を奏したのだろうなあ。

良かった。

缶詰をたくさん使っていたのが、心残りだ。

甘くていいかと思っていたのだが、フレッシュな果物をもっと使ってやればよかったと思う。

今、父の食事に缶詰を使わないのは、その頃の思いだ。



キウイはあまり好きではないようだ。

りんごは大好きだ。

今のイチゴはあまり甘くないので好まない。

バナナはそこそこ好きだ。

オレンジも気に入っている。

グレープフルーツもいい。

種のあるものはバラすのが難しい。




もうなくなってから一年がたとうとしているのに、忘れられない。

母は仕事をしていると、2時位にドアを開けてくるのだった。

右手は入口の椅子に捕まって、左手を軽く上げて「ヨッ」と言うのだった。

「忙しいだろうからすぐ帰る」と言って、マユに餌をやってイスに座る。

お茶を出すし、時々ユーグルトを持ってあげた。

お茶は、友達と一緒に京都から取り寄せていた。

もう、その友達もいない。



10歳年上の父の叔父のところに行ってきた。

車で20分位のところの施設に入っている。

この施設は良い施設で、精神安定剤を飲ませたりしていない。
というか、おじさんが問題行動を起こさないのだろう。
介護施設に働く友人によれば、問題のある利用者には安定剤を飲ませるそうだ。彼は、薬物によるロボトミーだと言っていた。
東京にいた叔父を見舞いに行った時まさにその状態だった。施設から外に歩いて出て転んで肋骨を折った後から処方されたのだろう。
それを見て恐ろしくなって、本を読んで自分は入りたくないと思い、父母を守ろうと決心した。
兄夫婦には母は認知症だから早く施設に入れて治療を始めろと提案された。私も父母が色々なものを失いながら代わっていく姿は恐ろしかった。何とか頑張れた。そいして、母は安らかに逝った。

何が有っても父を守ると誓っている。共に生きて、元気で暮らしてもらう。いつか父は母の所に行く。私も後を追う

おじさんは、お元気だった。


f:id:masaya50:20161206060732j:image:w400

87歳と97歳である。

二人は仲の良い兄弟である。

一緒に小一時間話をした。

楽しかった。

いろいろな話が聞けた。

今生きている兄弟の話や昔の話、健康の話や毎日の生活




母のことは葬式で忘れることにしたのが、兄と兄嫁と叔父の3人の裏切りのために忘れられなくなった。

何度も悪夢を見ていた。

悪夢を見るのは、精神がおかしいのではない。

現実に対して、解決の道を求めているから、その苦しみの中で、悪夢を見るのだ。


今の仕事が一段落してきた。

これからの人生が見えてきた。



私はもう兄を許さないことにした。

総決心したら、悪夢から開放された。

母の死がまだ辛い。


あの3人には落とし前付けてやる事にした。



808587

2016-12-05

父と暮す 御飯の量

先日、少しご飯がボソボソになった。

なにせ、僕も妻もほとんど「ご飯」を食べない。

子供達も、弁当には食べるが、食事で食べる量は本当に少ない。

父は食べるのだが、電子ジャーに少しだけ残っていることが多い。

そうすると、乾いてボソボソになるのである。

f:id:masaya50:20161206033639j:image:w300 f:id:masaya50:20161206033638j:image:w300

なので、使う分を予想して冷凍したらどうかと思っている。

通常は、ジャーの中からもって行く。

麦飯は、保温すると色が悪くなるから、明らかに劣化していると思う。


おおよそ80gが一回の食事の量である。

できるだけタンパク質と脂質を摂るように組み立てるのである。

父はこの量に満足している。



おやつなども食べるが、その量は少ない。




母が、次第に「ごはんを炊く」のを失敗するようになっていった事を思い出す。

ある時はご飯がまが壊れたと言われて行ってみたらまさに満杯のご飯がたけているのである。

何合炊けば、上蓋までいっぱいに炊けるのかわからない。

辛かっただろうなあ。

思い出すと波が出てくる。「本当だ、壊れたかもねえ」と言って、水加減を僕がするようになっていった。

その後、時折自分でも炊けるくらいまで戻っていった。

しかし、時々失敗していた。

そして、失敗したこともすぐに忘れるのだ。

2014年位からだと思う。

808587

2016-07-25

もう直ぐ新盆である。先日から父がベッドで眠り出している。

いつも、仏間で布団を敷いて寝ていた。

先日から表の部屋のベッドに寝ている。

ベッドだと体が楽だという。何度も、ベッドの方がいいと言ったのだが、どうしても仏間から移動しようとしなかった。仏壇の前に寝ていないと寂しがると思っていたのであろうか?やはり何かあるのだろうなあ。

毎日一緒に食事しているが、楽しそうである。

f:id:masaya50:20160726062556j:image:w300 f:id:masaya50:20160726062555j:image:w300

自分もあんな風に年取っていけるのかなあと考えることしきりである。


f:id:masaya50:20160726062557j:image:w300

僕が作れるときはだいたい僕が作っている。

大きなさらにおかずを並べる。多彩なタンパク質を取るためである。

ヨーグルトを食べるたびに、母が大好きだったという。

フレッシュな果物と一緒に毎食作っている。

キャベツの千切りは大好物である。

母がよく作っていた。

皿には、必ず刺身と細かい箸休めを入れる。

汁が一番大事だと思っている。キノコと野菜を大量に取る事ができる。

たんぱく質もなんらかのものを入れる。鶏肉のダシがきいているのとニンニクが大量に入っているのでとてもいい。


酒はおおよそ1.7杯1.5合、夜半少し飲むようだが、そう多くはない。



761620

2016-07-06

今年も庭にはホウヅキが生えている。

D

昔の歌の様である。

撮影は2015年だった。

ちょうど、今の頃のことである。

753228

2016-07-05

母が亡くなって6ヶ月が経った

今日は、半年目の月命日である。




朝食は、子供の弁当と一緒に作って持って行っている。

ヨーグルトをうまいうまいと食べてくれる。

f:id:masaya50:20160705184028j:image:w300

前はうちに来ていたが、着替えてくるのが面倒らしいので、赤いカゴに入れて持っていく。

新聞を読んで、テレビを見て、食べたらまたすぐ寝るのである。

夕方起きて1時間散歩に行く。

f:id:masaya50:20160705184030j:image:w300 f:id:masaya50:20160705184029j:image:w300

このカゴは、2015年の初めに、母が何も作れなくなった時に買った。お盆を入れると2段重ねになる。

毎日持って行ったものである。

気がついたのだが、父の下唇の中央に「口内炎の様なもの」が出来ていて、いつも軟膏を塗っていた。

最近はその軟膏をつけている気配がないので訊いてみたら、治ったそうである。

やっぱ、食事だ。





f:id:masaya50:20160705182129j:image:w300

母の父親のお墓に行った。

ネコやネコやと仲のいい親子であった。


母のお墓は納骨以来である。

f:id:masaya50:20160705182130j:image:w300 f:id:masaya50:20160705182131j:image:w300


菩提寺の入り口である。いいお寺に出会ったものである。

f:id:masaya50:20160705182132j:image:w300




毎日父と一緒に夕食を食べている。

f:id:masaya50:20160705184031j:image:w500

今日は、お寿司を買ってきた。

ヨーグルトは、キウイとオレンジともう一つなんだったけなあ〜。とにかく果物が満杯である。これははいいものだろう。母が生きていた頃は缶詰めを使っていたが、今考えればフレッシュフルーツを使ってあげればよかった。

僕は汁が重点である、この倍の量を3杯は食べる。今日のお汁は豚のひき肉と舞茸をフライパンで炒めてオイスターソースと醤油で味行けて、白菜とか色々と野菜入れて、最後にイカを湯どうししたものと豆腐を入れて味を整えるのである。

鳥のレバーのキノコとオイル焼き(アダージョ)と、細々としたものを食べる。

おおよそ、2.5合の日本酒を毎日飲んでいる。

「母のことはもういい」と父は言う、僕はまだダメだ、思い出すと平常心を失ってしまう。

難しいものである。

もしかしたら一生、忘れられないかもしれない。






僕は13日が眼科検診なので、酒は飲んでいない

752932

2016-06-07

庭を眺める 梅、井戸、紅葉

母は庭を眺めるのが好きだった。

2015年9月、国体の出張前に庭を眺めている母の隣に座ってたわいもない話をした事を覚えている。

その年の5-6月には精神安定剤の過剰摂取からもうダメかと思ったが、なんとか持ち直して少し落ち着いていた。

母の心臓は疲れ、すでに庭の草取りもままならぬほどではあった。

3ヶ月後に亡くなる原因だった心不全の兆候はあった様な気がする。

すでに病院に行きたいとは言わなくなっていた。

あれだけ、病院が好きだった母が、もう行きたいとは言わなくなっていた。

少し話してはケラケラ笑い、また少し話しては思いだす事を話していた。

みなたわいもない話であった。

中毒からの回復期は、諍いとなる事が多かった母との会話であったが、ようやく落ち着き、穏やかであった。

「もう行くよ」と言って立ち上がろうとすると、「もうすこしいいがね」と言われ、庭の鯉を眺めていた。

f:id:masaya50:20160517213451j:image:w640

納骨の朝の庭である。あの時と同じ穏やかな晴天であった。

10月にもう一回嵐が来るのだが、この時は穏やかな午後であった。






庭をいじる事は楽しいものだ。

様々な思い出が思い出され、草を取り、鉢の植木を地に下ろす。

古くなった枝を見ては昔を懐かしみ、新しく伸びる枝に驚く。

f:id:masaya50:20160608031351j:image:w300 f:id:masaya50:20160608031352j:image:w300

この梅は家ができた時からある、3本の実生の親である。3つ又になっているのだが、すでに腐り、触るとゆさゆさと揺れるのだが、梅はたくさん実をつけている。

f:id:masaya50:20160608031353j:image:w300 f:id:masaya50:20160608031354j:image:w300

f:id:masaya50:20160608031355j:image:w300

夕食の時に、この梅の話を父とした。あんなに折れそうなのに、「実がなるんだからなあ」と感慨深げである。

そのあとに、「俺の葬式の費用は年金から積み立てておいてくれよ」という。





昨日の日記に書いた紅葉の跡に実生の椿を植えた。庭にはたくさんの実生の椿があるのだが、親の椿はすでにない。そういうものだ。

f:id:masaya50:20160608031356j:image:w300 f:id:masaya50:20160608031358j:image:w300

f:id:masaya50:20160608031359j:image:w300

井戸と言っているが実際は、セメントで固めて、水道の水を溢れる様に流す仕掛けであった。

底のセメントをハツって土を入れて、離れたところにある紅葉を持ってこようかと思っている。

なんとも、感慨である。





742516

5回目の母の月命日 記憶している事、思い出す事

おそらく、父の状態は良くなってきている。

何年も前から、「認知症だから施設にれて治療するべきだ」という輩はいる。

僕も、怒りやすいのは「認知症」だからだそうだ(笑)。


実家の庭には、紅葉の木があった。

大きな木で、池に被さる等に枝をつけて、庭にはたくさんの実生がある。

数年前に折れてしまい、根元から切った。

母が亡くなってすぐの頃、この紅葉の事を、父は忘れていた。

f:id:masaya50:20160607103803j:image:w300 f:id:masaya50:20160607103801j:image:w300


ちょっとショックだった。

先日、紅葉の事を話したら、覚えていた。

思い出したのだろうか。

母の父親(笹川三作さん)が島潟のお宮から譲り受けてきたそうだ、

この話は初耳であった。



母が大好きだった「1つ違いの弟」と「母の母」と一緒に写っている写真である。

f:id:masaya50:20160607103802j:image:w640

一緒に出てきた。

三人で極楽で、何を話しているだろうか。




宗教などいらないと思っていたが、今はそうは思っていない。

誰かと死別した時の空虚感はいつ癒される?

自分の人生で許してもらいたい人が死んでしまっている時、自分の心はいつ癒される?

すでに、謝罪も、和解も届かないところに行ってしまったのだ。

梅雨の頃、毎日たゆまなく降る雨の様に、自分を責めるのはいつ止むのだろうか。

極楽があり、そこで全ての人々と和解しあい、心が安らげると思う事は愚かなのだろうか。

母に謝りたい事や、話したかった事、伝えたかった感謝、どれだけあるだろうか。

時とともに、風化するかと思っていたが、ますます募るばかりである。




夕食をともにすると、父はこれから、十年生きると言う。

今日も楽しかった、明日も楽しいだろうという。

これから十年で、父に伝えられるだろうか。



数日前にちょっとショック状態(バーンアウト)になり、危なくなってから、情緒不安定である。

糖尿病の自己治療というのは、雨の中、小さな傘に頼りながらぬかるみの道を先も見えないままに歩く様なものである。

医者の言う通りにインシュリン打って、眼底をレーザーで破壊的治療して、医者が検査値見て「毎月褒められ、叱られ」ながら安心していくのは楽だろうなあ。

父と、家族がいなかったらこの道は歩めなかった。

感謝している。


742086