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2012-01-02(Monday) 「一般意志2.0」読後 このエントリーを含むブックマーク

 年末から読んでいた「一般意志2.0」をようやく読み終えて、書評ならぬ、読後感想を書く気になった。

 さて、ネット界ではけっこう読まれているような本書だが、霞ヶ関内でも密かに読まれているのではないだろうか、と思う。だが、小生もある席で「グーグルが政治決定をするという間違った内容」と評されているのを聞いたように、その内容が的確に理解されていない場合も多いのだろうと思っている。


■小生の読み方

 小生の読む限り、本書の主張は極めてシンプルである。全体は<分析>と<提案>に分けられると思うが、まず<分析>の主眼は①(ルソーの言う)「一般意思」とは社会の「無意識」のようなものであって、言語によって練られた意志決定の結果というより、個々の情念総合化のようなものであること、②その「一般意思」は情報技術により可視化できる(一般意志2.0)のではないか、ということである。そのシンプルな主張を、東(以下、敬称略。すんません)は何度も、様々な既存の議論を引きながら変奏曲のように繰り返していく。

 次いで<提案>は、従来型の「選良」による熟議的プロセス(統治1.0)の価値を認めつつ、①統治1.0の各過程リアルタイム情報公開させること、②情報公開から生じた一般意志2.0を統治1.0の議論過程リアルタイムに伝えることで、統治(1.0)と一般意志(2.0)をダイナミックにコミュニケートさせることで「統治2.0」を実現し、それにより民主主義そのもののあり方を民主主義2.0に進化させられるのではないか、としている。と思う。


■なぜ誤読が多いのだろう?

 正直に言って、この通りで大きな間違いがないのであれば、あまり誤読を惹起する点は、本書には見当たらないと小生には思われる。

 しかし、Twitterを見る限り、誤解や誤読は後を絶たない。東はその誤読について自覚的であって、想定される反論に対して、説明を重ねていく*1。ここにおいて、東の議論は面白いほどぶれていないし、むしろわかりやすくすらある。

 それでも「誤読」が多いのは、東の切り込み方がはっきりしすぎているからというのと、いくつかの刺激的な固有名詞を使っているからだろう。彼が前提としている世界観は我々には当たり前すぎて、そこで持ち出す固有名詞も我々にはなじみがありすぎて、それだけに、それを用いて政治論に切り込まれるとドキッとするだけだ。むしろそれは、本来もっと早く起きるはずだった議論を看過していたことに自分で気づいてしまうからかもしれない。いずれにせよ、切り込まれた側の方が脊髄反射してしまっているように思える。そういう意味では、本書から誤読が生まれやすいとしても、それは東本人のせいではないような気がする。*2


■統治2.0の現状と系譜について

 さて、そんなことはさておき、自分に関心があるのは「統治2.0」の方である。東自身がこの書物は今進んでいる様々な事象に基づいて書いていることを認めているのだが、これを別の側面から言えば、実際に政府現場でもこうした動きはまさに進んでいるのである

 多くの審議会研究会ニコ生などによる公開は進んでいるし、いわゆるtsudaる行為を禁止している審議会はそう多くない。すでに経済産業省商務情報政策局長の正式な研究会がまさにニコ生を舞台に行われている(小生自身が参加したニコ生「経産省新時代IT政策尖端研究会」)。

 そもそもこうした動きは今に始まったことではなく、90年代後半に相次いで各省に導入された「政策評価広報課」というセクション設計にもその断片が見て取れる。これは当時の通商産業省最初に導入されたものだが、いかにも奇妙なネーミングである。だが、このネーミングに実は狙いが隠されている。

 小生も若干議論に与ったところがあるが、この奇妙な名前の基礎には、政策評価の基礎は社会的評価であり、それは広報に対するほぼリアルタイム社会的反応(当時の状況では、ニュース番組情報バラエティなどの場を使い、マスメディアを介したものを想定していたのだが)で決まるから政策評価=<社会政府>の情報流と、広報=<政府社会>の情報流は一組のものであるという思想があった。そのため、従来の「広報課」は、所詮記者クラブの世話しかしてないだろうと言わんばかりに「報道室」に格下げになってしまったほどだ。不幸にして、その後、政策評価の中心は政策評価審議会(現・政策評価懇談会・研究会)に移ってしまい、当初の設計思想が今どの程度残っているかはアレなところだが、しかし、こういう「会話的政策決定」とでもいうアイデアはけっこう古くからあったような気がする*3


■統治2.0論と代議制民主主義

 さて、東が提案する統治2.0について論評する際、なかなか難しいのは、おそらく、その視点は自身の置かれているポジションで大きく異なるだろうということだ。一般市民にとっては政治参加の形態論だろうし、その意味選挙権を持っている人と、選挙権を持たない人では大きく変わってくるだろう。そして政治家や、ジャーナリストとなるとまた違う。

 その中で、自分政府現場にいるので、まさに統治1.0を担っている者として、この提案をどう受け止めるのか、といった見方をせざるを得ない。

 まず、「選民」民主主義*4という東の指摘は極めて真っ当で、奇異感はない。「選良」の代表とされる代議制民主主義について、政治学、中でも憲法論的な意味でのそれは、統治のコスト論という制限の中で、直接民主主義と間接民主主義という二つの理想、二つの悪夢の間で揺れ動いている。しかしながら、我が国では一般的に憲法の議論、特に統治編の議論は既存の政治に対する配慮からか論じられる傾向が少なく、それゆえ、今現在起きている事象を議論に導入する動きが弱い。敢えて言うと、選挙活動へのネット利用の是非くらいのものだろうか。そんな中で近年情報技術を上手く使って低コストオープンコミュニケーションを統治1.0の接合面で誘発するアイデアは合理的であると同時に時宜を得たものであって、その提案自体を歓迎したい。

 東はいわゆる憲法論や憲法ベース政治学専門家ではない。だが、情報社会学専門家の一人として政治論に対して対して果敢になされたこの提案について、憲法統治編の議論が今後無自覚であってはならないのではないだろうか。

 ただ気になることもある。

 まず、前置きとして、統治2.0民主主義2.0この中で、まさに「社会」と政治決定の間を調停する役目を負わされていた「議員」のあり方は大いに変わる。そもそも「代議員」は、「間接民主制」主義から大衆要請を上手く止揚して合理的な決定を導く「選良であることを期待されつつ、「直接民主制」主義からは統治コストの問題ゆえにやむなく措定されたという、両者の妥協産物という側面がある。

 一般意志と統治の間に新しいI/Fが措定された以上、例えば監視の中で議論する「選良」は案件毎に当該案件専門家であればよい、という読み方もまた可能ではないか。言い換えれば、「選良」は必要であるが、それが「代議員である必要はない、とも読めるし、そういう思考実験もまた可能だと思う。もちろん、統治の「正当性の契機」という議論において、「代議員」を廃することは無理だろうとも思うのではあるが。

 そして、東はあくまで一般意志2.0を、政治決定がそれに従う対象ではなく、むしろそれを自覚して決定を行うレファレンスとすることを*5前提に統治1.0をより高めるための装置として採用することを唱えているのだが、「選挙で勝つ」方法としてこれを曲解する政治家は必ず出るだろう。仮に一般意思2.0に従うことをナチスよろしく自らの政権の「目的」とするなら、その基本的性質故に、個別論では相互に矛盾をきたし、おそらくそれに従う具体的政策体系そのものが不能解であろうとは思うのだが。

 敢えて言うなら、こうした間違った選択をどう抑止するのか、という点についてははっきり書き切れていない気もする。


■統治2.0民主主義官僚

 一般意志2.0の登場によって、様々な局面で、代議員の頭越しに具体的な政策現場特に審議会その他の準意志決定機関と一般社会が直接にコミュニケートする場面が増える。そして、こういう接合面が膨らめば膨らむほど、そこで専門的な議論を行う「選良」の役割皮肉なことに強まるだろう。東の想像力はそこまで及んでいる。

 だがしかし、実際に統治1.0の現場に居る者としては、そこでこの「選良」の議論の場をプロデュースする官僚機構挙動は統治2.0の対象として充分に対象化されてないように感じることが歯がゆい

 現時点において、準意志決定機関の委員選定とアジェンダ設定は官僚機構の手にまかされている。したがって、如何に準意志決定機関を統治2.0システムに組み込むとしても、そこで委員の自由度は充分に働かないのではないか、とも懸念するのだ。

 では、官僚機構の内部におけるあらゆる議論を統治2.0のしくみに委ねればいいのか?小生自身の感想を言えば、それは無理そうである。もちろん、官僚機構内の重要会議について統治2.0のしくみを導入することは出来るだろう。しかし、それが適切ではないアジェンダもあり、全てにおいて公開をというのは無理がある。そして、おそらく一般意志2.0あざ笑うように恣意的になされる決定は、そうした非公開が認められた場所に遷移していくのである

 小生は、官僚機構が自らに対する評価を第三者がすることを喜んで受け入れた例を見たことがない。

 そういう意味では、役所流に言えば、タマは「選良」の側に投げられているのだ。一般意志2.0に対して「選良」の端くれとして、或いは(もし自分は「選良」なんかじゃないと自任するなら)「選良」を支えるものとして、どれだけ誠実たれるか、「選良」と直接「選良」を支える者の側に、どう答えるかと東は問うているのである

 もちろん、「選良」を支える者として、小生もその問いの対象になっていると自覚している。


最後

 東の議論は粗い。というのは簡単である。彼自身が「本書はエッセイである」とする中で認めているようにも思う。しかし、東の指摘は意義深い、と、少なくとも小生は思っている。

 国会や官僚機構現場において、東の議論は無視されるかもしれない。いや、それ以上に、東を賞賛しながら現実には背を向ける行動をする者も少なくないだろう。

 佐々木俊尚さんの言ではないが、東浩紀ネットの中、本のむこうに留まっている人物ではない。もっとフロントに出てくるべき人物である。だが、同時に、それだけにつらい思いをすること*6もあろうかとは思う(充分タフになっているので、心配しているわけではないのだが)。だが、それらを乗り越えながら、果敢な言論を期待するものである

 そして、長々書いてきたのは結局これを言うためだったのだけど、一言で言うなら「面白かった。今、読むべき本を読めたと思う。ありがとう」ということなのだ




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*1ちょっとこの言い方は奇異かもしれない。だが、小生にはそう思える。というのも、誤解を恐れずに言うなら、この<想定問答>で彼の議論はダイナミックに発展しているわけではないように思えるからだ。東の回答は、東が当初から予定していたものであり、当初から語っていたことと何ら矛盾してはいない。いや、むしろ予想される通りのものだ。つまり、彼は語りたい答を最初から頭に描いて本稿を書いていたことになり、言い換えれば「想定された問い」は彼の<分析><提案>に対するビーンボールであるからだ。東はそれをトリガーとして利用しながら、また同じ事(或いはその延長)を別の言い方で語っていくのみである

*2:もちろん、そもそも文体から言葉の選び方から著者の責任であるので、東の責任でないというのは言い過ぎだ、という指摘もあるとは思う。だが、小生は、明かなミスリードがない限り、誤読責任は、書き手と読み手の双方にあると思っているのだ。

*3:しばしばマスコミにこれから仕掛ける政策をリークしてその反応を見る、というようなこともその一環であろう。

*4:「選良」には、抽象的に「選ばれた者」「知見者」「エリート」と読む説と、「選挙で選ばれた代議員」と読む説とがある。東は前者を採用しているのではないか、と小生は読んでいる。

*5:本当はもう少しダイナミックに捉えているので、これ以上の含意が東にはあると思うが。

*6:例えば、ネット界の論者として若手では双璧とも言える津田大介氏は、文化審議会著作権部会の委員になった時に経験した様々な経験が、今の政治的にアクティブ生き方に良くも悪くも影響していると小生は思っている。

2011-12-16(Friday) 大きな組織だと改革が難しいのなら このエントリーを含むブックマーク

 いつもはTwitterを使うのですが、これは大事なことなのでブログの方に書いておきたいと思います。

 お題は「アップル既存技術組み合わせ製品化、ファブレスで組み立て、カルチャー香りでファン増殖戦略から、他メーカーの追い上げに悩まされることは必然。日本メーカーも、そろそろ目覚めてほしい。」という問いに、小生が「わかってできない日本メーカー」と答えた理由です。

 端的に言うと、日本の家電メーカーは自身の企業戦略を変えようと思っていないから、というのが答えです。

 どんな企業も「生き残る」ために新たな手を打ちます。ただ、問題は「生き残る」とはどういうことかということです。資本家の目から見れば、同じ資本の下にある事業の連続対が継続すればいいわけで、極端なことをいうと商品も入れ替わり、人的構成も入れ替わり、名前も変わっても構わないということになります。けれども、小生の見る限り、日本の家電メーカーはこういう割り切りを持っていない。その結果として、商品も変えず、人的構成も変えず、名前ブランド)も変えずに頑張りたいと思っているようです。その結果として、戦略の自由度が低くなります。だからアップルのような戦略には曲がれないのです。アップル戦略をとるには人的構成も変えなくてはならないし、商品レイヤーも変えなくてはならない(その内数として既存工場放棄レイオフという鬼門にもぶち当たりかねない)し、ブランドだって変えなくてはならないかもしれない(ブランド無しでやってきた経験はないでしょうし)。

 もちろん、これはちょっと言い過ぎで、大胆な戦略の転換をしようとする人もいます。

 こういう方々の貴重な試みは、しかし、本体を温存しつつ行われるので「新規事業」となります。そして、会社資源も充分に配分されず、さらに他の事業との「絡み」で様々な縛りを科せられ、オマケにその人達は、その新しい変革で、既存会社全体を救うような未来約束することを迫られるわけです。まあ、(かなり嘘をつかないとw)あり得ないです。

 小生の感ずるところ、日本の家電メーカーは、新しいアクションには経営側の管理が極めて厳しい。それでいて、従来路線を続けるという判断には、圧倒的に甘い。

 なんだか、日本の家電メーカーに残された改革の選択肢は外国事業者との深い融合であるような気がしてくるほどです。産業革新機構が発行した社債日銀が大量に買い取り(円を増発して)、それでパナソニックサムスン電子を買収させて、新会社CEOにイ・ゴンヒを迎えたいくらいですw。本社だけ東京に移せばいいでしょw

 それか、一度、既存の事業部毎に完全分割してほしい。「シナジー」とか「連携」とかは同系他部門から戦略干渉を正当化し、頑張りたい部門の戦略オプションを減らす悪魔のような言葉なので、そんなものなくていい。その上で、ダウンサイジングされて、身軽になったチームの中から成長株が生まれればいいと思います。

 他は消えればいい(そんなに簡単に消えないですって)。

 その際、仕事がなくなる部門が出るかもしれませんし、身軽になっていいというなら工場とかが閉鎖され製造業雇用が減るかもしれませんが、それでいいじゃないですか。お役人の顔を見て仕事するより、商品やサービスを買ってくれるお客の顔を見る方が健全ですよ。それに、製造業雇用サービス業雇用より「悪い」ということは全くの偏見で、正直、そういう見解には同意できませんな。

 と思っている次第です。

 けっこう、本気ですよ。


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2011-01-02(Sunday) 「標準化」に関してブログで呻く件 このエントリーを含むブックマーク

 年末ブログに関して、初音ミクを世に出されたクリプトン伊藤社長から丹念なコメントTwitter上でいただきました。嬉しい限り。Twitterの140字の限界はつとに指摘されるところで、言葉たらず、紋切り型不快感から喧嘩になることも多いのだけど、ちゃんとしたやりとりになるのはいいことです。ただ、やはり140字ではすまないので、往々にして連投になりますが。

 で、だいたいはTwitter上(の連投(>_<))でお返事したのですが、その中で「標準化」についてどう考えてるかという質問があって、これは別のTweetでも指摘されていたところだったので、ちょっとまとめて今の自分の考えを書いておこうと思いまして、急遽ブログにアップしました。


 出発点として、これまた年初にいただいた @y_shigenari さんの「日本の行政標準化すること自体に価値を見い出している。」というTweetを置きたいと思います


 これはその通りなんです。別に「日本の」と限定しなくてもいいけどw


 考え方の出発点は、技術が世になす「貢献」は、一制作当たりの効果を大きくすることと、一制作当たりの「品質」を向上させることのセットだと考えることだと思います。たとえて言うと、映像技術でいうと、ある作品の鑑賞方法が多様化すると一つの制作の「貢献」は上がる、と前者は言っています。そして、後者で言いたいことは、作品そのものがもっと感動的*1なものになることでも「貢献」は上がるということです。

 両者は独立ではないと思っています

 すなわち、前者が後者を促し、後者が前者を促す関係にあると。例えば、映像動画)の効果はすごいと思うからこそ、生活のもっといろんなところに映像を埋め込みたいと思う気持ちが起きます映画館からテレビへ、ビデオという方法へ、ネット化以降はさらに加速して映像配信へ、webコンテンツへの埋め込み手法へ。さらにワンセグ、サイネージ、あーもうどうでもいいくらい。

 こうして僕たちの生活は映像で満ちあふれてくると、映像作りをする人も増えてきます。そこでよい競争が起きれば、品質の向上が起きる、と考えます。ここの構造はそうとう入り組んでいます。ただ、敢えて紋切り型で言っちゃうと、制作技術クリエイタの能力の二つに集約されるかなとも思っています

 ここで重要なことは、往々にして行政中の人開発者ではない。だから後者次元でこうしたらもっといいものができるよ、という具体的プランはない*2。これが前者の次元、すなわち、一つの技術を様々な生活シーンに埋め込むことを促したいという考えに行政が入れ込みやすい原因だと思います

 前者を推し進めると言うこと、その一つの表現が「標準化」だと思います年末ブログで書いたように、それは一つの技術がいろいろな領域に作用するということだけを含意しているので、今風に言えば、APIプラグインデータコンバートなんかの概念を含むもので、「連携」とか「共通化」と表現する方が本当はいいんでしょうね。


 ただ、ここで一つ問題になるのは、APIでもプラグインでもデータコンバートでもいいし、「標準化」でもいいんですが、それをしたからといってクリエイタの裾野が広がるかというと、疑問です。ここは語り出すときりがないですが、原因の一つとしては、本当は作りやすい環境=開発ツールの存在重要で、それはそれ自体が開発の領域にあるので、行政中の人には手が及ばない所だという事情もあります。だいたい国が手を出したコンテンツソフトの開発ツールで使いやすい!なんていうものを僕はまだ聞いたことがないです(不勉強かもしれませんが)。

 年末ブログでも書いたのですが、よって何より、関係者とよく議論して、うまく協力し合えるような「連携」や「共通化」、あるいは「標準化」みたいなものができるならそれがいいんじゃないかと思います行政側はすでに述べたような理由でそれをしたいと思うんだろうけど、無理矢理横から変なことをしても徒労に終わり、或いは業界を混乱させるだけですからやめた方がよい。逆に、仮に「標準化」であっても、従来からツールを作ってきた人達と納得ずくでできるなら、そうした既存の良いツールに組み込んでもらえるでしょう。そうしないと効果は上がりにくいと思います


 ソフトウェアコンテンツの「標準化」に関する一般論としては、こんなことを考えています




 さて、伊藤さんからはお題として「VOCALOIDMMDについて技術の『標準化』をどういった政策なり経済的効果にリンクして行きたいのか」という質問をいただいたので、上記説明を前提として、ここから回答していきたいと思います

 まず、年末ブログに書いたように、こと初音ミクライブイベントについて自分は一観客、或いは関連産業研究者としてこういう動きが広まったらいいなぁと考えている人なので、その出発点において「政策」とは全く無関係です。もし「政策」とリンクしている部分があるとすれば、自分コンテンツ産業メカニズムと関連政策を研究している人なので、そういう視点が浸みだしているかもしれない。これを自覚的に書いてみた、ということになります

 ただ、もう一度精一杯留保しておきたいことは、僕は自分の属する組織が行っている「クールジャパン」政策については全く関与していないですし、コンテンツ関連政策にも部分的にしか関与していないので、経済産業省を代表して考えることも、コメントすることもできないということです。それがお望みであれば、経済産業省の関連部署に確認されることをお勧めしま*3


 経済的効果の議論は、冒頭の説明に尽きると思うんです。

 MMD*4が、出力としては様々なブラウザマッシュアップされ、入力が開放されて他のアプリケーションから(できればリアルタイムで!)モーション操作されたり、他のアプリケーション3Dデータを共有できるようになること、これが「連携」「共通化」、そして「標準化」のイメージです。それによって、MMDベースにした楽しいコンテンツ(と、正確にはそれによる楽しい体験)が増えること、それが「貢献」の増加です。

 ここで「貢献」と敢えて文学的に表現している理由は、それを経済効果としてどう把握するかという議論が欠落しているからです。

 これはさらに視点をどこに設定するかで議論が分かれています


 第一に、事業者の視点に立つなら、「貢献」と事業者の収入増の間をどう結ぶかという、コンテンツ産業論の中で中核的なビジネスモデルの議論だと思います

 直線的には、著作権オーサリングソフトライセンス契約などを使って単位利用当たり使用料を取るという考えもあります。あまり喜ばれないけど。

 もう少し普通なものとしては、仮にデータフォーマットオープン化される*5としても、オーサリングソフト/サービスとしてのビジネスを追求すればいいというものがあります。例えば、OOXMLができてもMSオフィスを出し続けるでしょう。その場合の商品力は、使いやすさとかそういうことになると思います

 もっと間接的には、MMDの交流空間(ファンクラブとかコンテンツマーケットプレイスとか)を運営するとかいう考え方もありますMMDの話をしているので何ですが、仮にクリプトンさんがということになれば、初音ミク他の自社展開キャラクターに関するキャラクタービジネス収入増加を見込むこともあるでしょう。そういえば、クリプトンさんは「ピアプロ」もなさっていたはずで、その効果とかそこらへんのご経験については、むしろお聞きしたいです。

 さらにもっともっと間接的になると、自社にブランド効果があがればいいやと割り切るという考え方もあるかもしれません。

 ここら辺は各々の事業者の経営スタイルに属することなので、僕からは何も言えません。


 さて、これで本当に収益は増えるか、どのくらい増えるか。

 いや、まぁ現時点で算盤を弾いているわけではないですし、各ビジネスモデル収益性も違うので、定量的な答えはご勘弁ください。

 定性的ということだともう少しマシで、競合社がでることによる収益減とオープン化のための追加費用しかマイナス要素がない。一般的には、上記の戦略次第ですが、それほど破滅的マイナスにはならないかと思っています

 もちろん、このマイナスを避けるためオープン化しないという戦略*6も当然あります。けしてオープンにしろと責め立てているわけではない(だってそんな権限ないしw)ので、そこは誤解なさらないでください。


 第二に、視点を市場規模という漠然としたものさしにしても見ることはできます

 基本的には、今のwebアニメ絵系(動画、静止画含め)を一定程度リプレイスできるかと思っていますが、あくまでリプレイスで、そこにはあまり市場規模増加という夢はありません。ただ、MMDの出力先が増えることで、3Dデータの共通化を通じて、よいキャラクターが生まれる可能性は高まると思っていて、キャラクタービジネスには正の効果があると考えています

 実は一番注目しているのがここです。


 お前が見たい未来は何か、と問われれば、「好きなキャラで、僕たちが楽しめるリアル空間体験」と言いたい。これを言い換えれば、生身の芸能人でやっている産業空間に、アニメ的なキャラクターによる同種の、ひょっとしたらもっと面白い体験を載せるということです。そういう意味で、何度でも繰り返しますが、初音ミクライブイベントは衝撃的で、アイドル産業研究している者としても、この方向があったかと膝を叩いた感があります

 こういう一種のAR的動きは、これまでもいくらもありました。リアルタレントバーチャルなもので置き換えようという動きはいくつもあり*7ほとんどがリアルの代替としてどれだけ表現リアルにできるかという面からアプローチして、「不気味の谷」に引っかかったり、うまくいってもリアル感に拘りすぎて、映像制作過程が不必要に重たくなったりした*8と考えています

 逆にアニメ表現からの接近はなかなかうまい成功例が出ませんでした。個人的には、ずーっと「トゥーンシェード」とかに興味があって見ていたのですが、それほど流行っているようには思えないし。プリキュアエンディングはこの二年でずいぶん進化してきて、とても注目していますが、制作過程は少し重い気がする。

 MMD杯を見ていると、これならかなり制作過程の重さは軽減されてきたのではないかと思っていました。もちろん、ボーカロイドでも、パラメータ調整をするのではなくWAVに書き出してから波形加工する方がいるように、MMDで作った映像を別のソフトでイフェクト処理して仕上げる方も多いだろうから、そう簡単に言うわけにはいかないのですが*9


 初音ミクライブイベントのようなシステムを前提にした非実在アイドル消費市場。これは、アイドル産業の外延ではありますが単純なリアルタレントの置き換えではないですし、今あるキャラ市場に単なる一つの出口が追加されたわけでもないと思っています*10。よって、これが生み出す市場は、純増だと考えています

 そしてこれを垂直に立ち上げていくとすると、現在MMDの動きとかを見ると、ユーザーにいろんなキャラを立ち上げてもらうプロセスがよいのではないかと思いました。もちろん、そういうオープンプレイスにいろんなプロフェッショナルも作品を投じてよいわけですから、その力を使わない手はない、と。

 もちろん、こんな面白い話を国内に閉じる必要もまったくないし、市場は広く構えた方がよい。だからこそ、「連携」「共通化」「標準化」という技術的な入り口から入っていき、またオープンプレイスとして世界中からファンを受け入れられるようになったらいいなぁと考えていたわけです。

 もちろんその時に、汗をかき、侠気を見せてオープン化する関係者がどう受益するかということは大きな問題ですが、それは第一の「事業者の経済効果」に帰っていきますので、重ねてはあまり触れません。


 因みに、敢えて煽りに乗ってみると、ここでこういう「キャラの国・ニッポン」的な意味で「クールジャパン」とシンクロするのではないかという見方もあると思います年末ブログでも書きましたが、そういう可能性(危険性)はあるだろうと考えていて、その場合、まぁイベントくらいなら双方WinWinになるかなぁと感じているのも事実です。ですが、それもあくまで「キャラの国・ニッポン」が立った上で、その波及効果として日本の付加価値が上がるということであって、メカニズムを逆にしてはいけないと強く思っています(だからこそ「危険性」なのです。*11)。だからあまり「クールジャパン」との牽連性は強調したくないところです(まぁ、実際、遠いところの話ですし)。


 この新しい市場市場規模を算定することは、多分、現時点では不可能です。もちろん皮算用でもやってみろというリクエストがあればやってみますが、時間が要ります


 ただ、書いておきたかったこと、それはこう言うことです。

 私はクリエイタではない。だからこそ、クリエイタがもっと頑張って、もっといい作品が出るような環境作りにしか目が向き得ない。その中で、もっと競争的に作品が作られたり、もっと作品が鑑賞しやすくなるために、ある技術が他の技術、事業者と「連携」「共通化」すること、すなわち「標準化」をすることを促すような思考の枠組みがあることは事実である

 それが当の技術を生み出した人達利益になるか、と問われれば、はっきりしない。それはその人達スタイル戦略とも大いに関わるので、客観的にこうだと言える解は存在しない(だからこそ、年末ブログでも書いたように、関係者との議論が大前提になるのですが)。

 それらを踏まえてMMDの「標準化」に、個人的嗜好を越えてどういう「政策」「経済効果」を見いだすかと問われれば、キャラ産業の拡大を念頭に置いている。また、そこからの波及効果もあるだろう。

 ということです。


 すいません。いただいたお題の中で「政策」という言葉に強い違和感があった(元はといえば、Tweetの中で政府に懸念を表明するために「政府」という言葉を使ったことからくる混乱なのですが。そこの真意は年末ブログで明らかにしていると思ったので、もう一度重ねて「政策」と言われたため、強く意識してみました)ので、あえて長文でお返ししました。


 それにしても「標準化」という言葉は、自分も間接的に仕事でこれ(別分野ですけど)に関わっちゃったりしているので、いろいろ嵐を呼びやすい言葉だなぁと感じています。「連携強化」とかい表現に全部切り替えたいくらいです。「標準」には権力とか強制的という感じが強いですからね。個人的にもあまり好きではない。注意しないといけないなぁと感じた年初であります



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*1:別に感動でなくてもいいんですが、より「見たい」「見て良かった」と思わせるような、ということです。

*2:その評価はいろいろあるでしょう。自分は時としてもっと具体的提案をしたくなる時があります。が、例えば第五世代コンピュータみたいな例もあるので、慎重にやるべきだと思いますし、少なくとも権力行為としてはすべきではないな、と思っていますソフト的なことなら自分で書いてみればいいし、あるいは開発者に耳打ちして納得してもらえるというプロセスでもいいんだし。

*3:といって、本当に照会されたら、僕に話が回ってきたりしてw。組織というのは往々にしてそういうもので、権限がない人間に限っていいように使われるものだからw

*4ブログコメントにもありましたが、MMDの進化については、MMD杯を僕も見てますからよくわかります。制作環境は今いろいろ調べてますが、データコンバータとか簡易ツールを使い倒すやり方のようですね。コミPo!とかもっと他のデータとのコンバータが充実したらいいとか、後で本文でも触れますが、僕のようなヘタレのためには統合環境がもっと進化したらいいとか思ったりはします。

*5:なお、ここではあまり触れないが、オープン化は無料化ではないので、それを使う人、事業者から直線的に対価を回収するという考え方もあり得ます

*6:こういう場合勝手コンバータを誰かが作ることもあることは事実です。MMDの領域で様々なデータのコンバータが出ているように、ベンダーが動かない場合、世の中にニーズがあれば、勝手にそのニーズを埋めるように周りが動くというのは、よくあるメカニズムです。

*7:好例としては、ホリプロさんの伊達杏子を挙げれば十分ではないでしょうか。

*8リアルバーチャルで置き換えるなら、結局、単にリアルを記録してちょびっと加工する方がよほど費用対効果がよい。映画ファイナルファンタジー」が陥った罠です。

*9:これが皮膚感としてわかるためには作らなくちゃいけないと思うのが僕の性分なので、新年の手習いはMMDで作品を作る!ということにしようと思っているくらいです。まぁ家にはWinPCが一つもないので、Mac+Fusionでやるしかないと思ってるんですが…。ただ、こう考えているからこそ、データの可搬性とか、或いは加工ツールやコンバータがバラバラある現状よりももう少し統合環境があったらなぁとか、考えるわけです。まぁここはヘタレの戯言かもしれませんが

*10:もしそうだとすると、消費者の可処分所得は一定なので、出口=コンテンツ間でゼロサムになってしまます

*11:仮に今の日本政府が支援する場合、目立つなというと、ヘソを曲げたり、支援をやめたりすることもありますから。支援事業は最終効果のためにするものですが、組織政府や特定省庁や特定部局)内で自分仕事をしていることの証明としてやる人もいますので。ここら辺は永遠課題で、愚痴しかないですからあまり長々書きませんけど。

避難所民避難所民 2011/01/02 17:42 すでにMMD Agentなど、リアルタイムにモーションを入力するソフトウェアはありますし、MMD本体がkinectや3D VISIONに対応しています。
外部アプリケーションとの連携は割と活発かと思います。
MMDで使用するモデルデータも(権利的に黒いものも多いですが)無数にあります。
現状で金銭とは無関係に広がりを見せていて、問題点を挙げるとすればMMD本体の代替アプリケーションがない事でしょうか。

みくみくにされたオヤジみくみくにされたオヤジ 2011/01/03 10:14  長文ですがどうしても発言させていただきたくご容赦ください。前回認証ではじかれてしまって・・・

 初音ミク文化(現象)はニコニコ動画やクリプトン社のピアプロ等を媒介として、それまで自己表現の場が少なくは埋もれていたクリエイター(作曲家、作詞家、絵師、MMDを含むアニメーター 等)間で作品のコラボレーションや2次創作集を可能(非営利著作権フリー)とし、それを受け手側が仮想ではあるがインタラクティブに評価・共有するという新たなCGMの形態です。
 そして私の考えるその本質ははやぶさや刀などの道具はたまた非実在の物に魂を込めたり命名・人格化したりすることができる日本人特有の職人気質を持ち、創造性にとんだ人達の自己表現と見返りを求めない『無償の愛』の集積だと捉えています。 
 初音ミクさんは音声合成ソフト(擬似声の楽器)から出発してクリエイターの素晴らしい楽曲に独創的な絵や、漫画、アニメーション、写真等を加えてPV化して創られ、その作品の主人公となって物語りや世界観を映画のように表現する事ができます。
 また特徴として彼女の声はシンセサイザーであるがゆえに、商業音楽レベルでは人間が出せない音域や表現を超えて広く表現する事ができ。彼女のビジュアルがアニメティックであるが故に天使にもスーパーマンにもなって空を飛び回ったりオリンピックの金メダリストさえ凌駕してみたり。あり得ないツインテールの髪型であるがゆえにデフォルメされてかわいい小動物をはじめ人間以外のありとあらゆる物へと創造の限界まで表現者の挑戦を受けて立ちます。。
それによって出来た作品を聞き手は視覚と聴覚をフルに使って視聴する事で中枢神経を深く刺激させるのですから、人間の本能に訴えてくるような秀逸な作品には自然と泪が溢れたり、言語の壁すら簡単に乗り越えて外国の人まで魅了してしまいます。

 今までになかった形態であるCGMのスタイルのもとでキャラクターの持つビジュアルと声のかわいらしさ、そして自由な表現によって作られた草の根に潜在する独創的な作品が奇跡的に重なって様々なものを竜巻のように巻き込み周囲に伝播し、果てはするどい嗅覚をを持つ海外のオタク層を中心にして日本のクールな文化として広がっていると考えています。
 そうした初音ミクムーブメントを受けてSEGAとクリプトンがメインとなりファンサービスのLIVEコンサートが行われるにまで至ったわけですが、MMDユーザーさんもおっしゃっている通り、ミクの日大感謝祭ではSEGAさん独自の3DCG技術(MMDではない)で陰影をつけ、2Dの透明スクリーンに投射してあたかもホログラムのように実在しているかのごとくに見せ、全てにおいて愛のこもった最高の演出によってライブコンサートが行われ、ミク愛に溢れているクリエイターとファンがプロのスーパー生バンドを通じてひとつになっているわけですから興奮しないはずはありません。まちがいなく歓喜の泪が溢れていたでしょう。
 これを傍で見る人には新手の新興宗教とか気持ち悪いと勘違いされてもおかしくない位です。日本の大手マスコミは某広告代理店やタレント事務所等との利害関係を恐れてか日テレ以外は取材に来ても放送すらされませんでしたが・・・。 まずはお膝元の日本の業界による既得権益を脅かしそうな新たなものを良しとしない閉鎖的な実情を把握して下さい。新たに現れる起業家には大資本を投じて後追いで真似をして潰すか、それが叶わなければ良くないイメージを与えるか徹底して無視をするのと全く同じです。大げさに言うと実社会での弱いものイジメの構造そのものです。これが過去のTBSによるオタク偏向放送をはじめとして、その後の大手マスメディアの完全無視状態のやり方がボーカロイド界隈にマスコミへの強烈な不信感としてに植えつけさせたと思います。これだけ紅白のトリをとっても不思議ではないほどのインパクトと楽曲と映像のクオリティを持っていても、国営のはずのNHKですら利権を優先させ韓国人タレントやさほど売れてもいない大手事務所のタレントは推しても、国内で着実に成長しているこの新たな文化を一部のオタク現象として扱い見向きすらしない。悲しいことにこれが今の日本の現状です。
 さて今後はあの大感謝祭の模様をユーチューブ等で見た海外からの需要が増えるのは想像に難くありません。初音ミクさんを知らないごく普通の外国人にとっては、先ずはバーチャル・アイドルの存在とホログラム的な最新技術の再現性の質の高さがアイキャッチとして目に留まり、次に光り輝くネギの存在、観客の驚くほどの興奮度とバラード曲での静けさのギャップ、ミクさんとの掛け合い、統一のとれた応援の動きに目を奪われ日本人に強烈な関心と畏敬の念を抱かせたことでしょう。そして何としても自分のこの目で見てみたい参加してみたいという欲求に駆られることでしょう。
2011.3.9のLIVEには確実に多くの海外からの取材が入り出来れば撮影の許可や放映権まで買取たいと言ってくる可能性も大です。そして海外でそれが放送されたとしても日本のTV局は相変わらず我関せずを通し何も起きていないように対応するでしょう。これは知らせないことによる情報操作なのです。
 初音ミクLIVEの海外展開を考える時に大事なことはホログラムのように見えるハードの技術に焦点を当てるのか、先の初音バーチャルアイドルのLIVEというコンテンツそのものごと輸出しようと考えるかで大きく違います。
 前者であればクオリティの違いこそあれやる気にさえなればハード的にはモーションキャプチャー技術、3DCG、超高輝度プロジェクター、3M社のトランスペアレントスクリーンフィルム、大型のアクリル板さえ揃えれば先進国であればそれなりに自前でできるでしょう。その技術を使って既に亡くなっているエルビス・プレスリー、ビートルズ、マイケルジャクソン、マリリンモンローといった超大型コンテンツライブ等の開催やディズニーの3D化などがすぐに連想されます。少なくとも欧米では数年前にゴリラズという作品が日本より低レベルではあっても、似たような投射システムと人間の音声によってライブ撮影済みのTV放送が実際に行われています。この場合撮影後に画像を実物より本物っぽく見せられるよう加工・編集が可能ですから、その後ビジネス化できないところを見ると生LIVEとしてのクオリティや訴求性もしくは費用対効果の問題があるとしか思われません。だから実際に日本のミクさんの生LIVEを自分の目で見てみないことにはどの位訴求性があるのかわからないから日本に来たいはずです。
 後者の場合は文化振興として、LIVEそのものを日本の主催者が海外で開きやすいよう資金面、言語、商習慣などをJETRO、現地の大使館、大手商社の力を借りるか世界的なエージェントと組んで支援するしかありません。
 後進国に限ればハードを含めたライブと相手国のニーズにあった新たなビジネスコンテンツの用途開発等の請負とのパッケージで輸出し、新たなビジネスチャンスとして先鞭をきり優位な立場に立つことができるかもしれません。

 結論としては縦割りの仕組みの中で経産省ができることは限られ外務省とタッグを組んで後者の調整役のみだと思います。
MMDやCGソフトの規格統一や異なる規格のコンバーターの開発も重要かもしれませんが、利権の調整に骨を折るだけで実際は微々たる効果にすぎず天下り先の大義名分をつくるだけです。本当に日本を強くするための一番重要なことは、この貴重な文化を戦略的に考えて新たな作品を創り作り出しやすい環境の整備につきます。
 先般の都条例のように表現の自由を規制するなどはもってのほかで、たとえそれに関係のないクリエイターにとっても萎縮して発想が狭められこの先魅力的な作品は確実に減っていくでしょう。
 漫画、アニメ、音楽といった日本の武器になるコンテンツを作り出すクリエイターの収入の安定化と支援(流通システムの再構築)とオタク文化と呼ばれる無償の愛の実現者の社会的地位の向上政策と支援、さらには光通信網等のインフラ整備と低価格化の実現こそが重要であり、こうした文化を発展させることが可能な唯一の手段です。
 こうした日本の宝物に気づいていていながら彼らの犠牲の上に成り立つ輸出コンテンツの推進など意味がありません。10年先の日本のあるべき姿を考えて産業を成長させようと考えてくださるはずの官僚の方の考え方だとは到底思えません。ましてや初音ミクさんに日の丸を背負わせて親善大使に起用するなども、使い捨て的に彼女の人気を対外的に利用できないかと考えているようにみなされるのがおちでしょう。現にクリプトンさんがミクさんの公式の漫画化、映画化に首を縦に振らないのは、基本に楽器だというのもあるでしょうが流行り廃りのあるものにこの文化を連動させてたまるものかという方が強いのではないかと思います。常にユーザーであるクリエイターと同じ目線でクリエイターの支援を第一に考え行動するクリプトン社の真摯な姿勢がバックボーンにあったからこそミクさんの文化はここまで成長してきたわけで、YAMAHAのVOCALOID技術だけでは過去のDTM市場とさほど大きな変化はなかったと思われます。

最後に初音ミク文化が成立できくたの決定的なファクターはやはり環境要因にあると思います。
?piapro       クリエイター同士の作品発表・交流の場。コンテストによるビジネスチャンスの機会提供。著作権管理や相互連絡の場
?ニコニコ動画  ユーザーによる2次創作可能による製作意欲加速の役割、ランキング発表と流れるコメントによる作品価値の共有化、閲覧フリーや生放送、コミュニティによる宣伝、拡大の役割
?WEB       WEB2.0の普及とインタラクティブの実現

上記の環境整備により新たな参加の場ができたことによって潜在クリエイターの顕在化、活性化と共有が可能になり、これに初音ミクというスーパーコンテンツがまな板の上に乗ったわけですから一大ムーブメントを引き起こしたtのは不思議ではないかもしれない。

今後、政府やお役人にお願いしたいことがあるとすれば、ダンスやMMDの国際コンテスト開催等ではなく(それはニコニコ動画にまかせればいい)個人では人材や語学能力が不足して確保が難しい通訳、翻訳サービスの国家的支援システムの構築又は自動翻訳開発研究の予算増と強化、新規参入障壁となる規制の緩和(ディレギュレーション)、メディアの既得権益の撤廃、ネットインフラの充実と低価格化、大手広告代理店の解体による公正なサービス競争の実現、C to Cマーケットからのビジネス展開支援、それらが出来ないのであれば是非公務員とその給与削減による所得税減税の実現で、デフォルトが起きるまで自分の保身を優先して戦わない役人どもはこの国から消えてしまえ!という熱いミクさんの声が聞こえてきたような気がします。
 
以上、長々と駄文と失礼の程おわび申し上げます。

2010-12-31(Friday) ボカロとMMDに関して今朝考えてたこと このエントリーを含むブックマーク

 さて、Twitterで、佐々木俊直さんのTweetを踏まえて書いたTweetからクリプトンの社長さんとやりとりがありました。年の瀬、今年の最後ボカロについて考えていることを書いておこうと思います

 長文になってしまって申し訳ないと最初にお詫びしておきます


 まず、大前提ですが、何度もTwitterブログで書いているので今さらだけど、僕は経済産業省という役所に勤めていて、コンテンツ産業の視点も含めていろいろ仕事をしているものの、文化産業戦略とかクールジャパンといったものには一切関与していません。それはクールジャパンという考え方にあまり意味がないと思っているからだし、それを声高に叫ぶことそのものの費用対効果が低いとも感じているからです。そして、事実クールジャパン関連政策については組織外の人達とほぼ変わらない位置にいます。そこは大前提です。


 さて、ボーカロイド(以下、ボカロ)ですが、自分はそれをコンテンツ再生技術表現技術と言ってもいいかもしれない)の一つと理解しています

 コンテンツ再生技術とは、知覚体験をデータ化する技術のことで、この技術の上でいろいろなコンテンツが生まれることになります*1。そういう意味では、ボカロ誕生は、文字と印刷とか、レコードプレイヤー発明と同種の事件だと考えています

 ネットコンピュータの時代になり、webブラウザというコンテンツ再生技術が生まれました。ここからがそれまでのコンテンツ再生技術と違うところだと思うのだけど、このwebブラウザweb2.0への変化の中で、アプリ連携を強く志向し始めました。サービスマッシュアップと言ってもいいかもしれない。


 ボカロは、こういう時代に登場したとても面白いコンテンツ再生技術だと思います

 白状しておきたいのだけど、件のTweetをした段階で、僕の考えには間違いが一つありました。それはボカロMikuMikuDanceを少し混乱していたということです。自分ヤマハ音声合成エンジンを使って歌を歌わせることと、初音ミク鏡音リン、レンの3Dダンス映像との組み合わせをボカロと考えていましたが、それは間違いで、ボカロは前者(歌を歌わせること)のみであり、後者(ダンス映像生成)はMikuMikuDanceの領域だとしなければならないですね。ここは訂正しておきます

 ただ、頭の中には両者が一つになったものがイメージとしてあったのは事実です。そこで、これをボカロと呼ぶことに問題がある以上、とりあえずMikuMikuDance(以下、MMD)と呼んで話を進めようと思います(これでも間違いかもしれないが。違っていたら、どこかでご指摘いただければ)。


 先だって初音ミクライブイベントは、当日その場所にはいなくて、後からネット上のムービーとかDVDで見たのだけど、脳天をぶったたかれるような衝撃を受けたのは間違いないです。件のTweetを書くきっかけになった、佐々木俊尚さん( @sasakitoshinao )の"ボーカロイド世界進出。日本の文化世界市場の中でどのようなモジュールを取ることができるのかを考える時期。" というTweetで参照されていたブログCool Japan: Meine Sacheを見てもそうだし、日々ボカロ話に燃えている朝日の丹治さん( @Tristan_Tristan )から話を聞いても、海外で受けていることはよくわかります

 いろいろな理解の仕方があるでしょうが、何よりも、初音ミクという非実在キャラを対象にして実在の人々が実際に集まり、楽しむ姿の、非実在と実在のコントラストが衝撃的だったことは共通でしょう。

 Meine Sacheにも書かれていたけれど、来年3/9の"初音ミクライブパーティー2011"には海外からも注目が集まっているらしいです。この日本から生まれた存在(こういう言葉しか見つからない言語センスの貧困は口惜しい限り)で、キャラのデザインからしてとても日本的なものが、海外から注目されているのは、やはり面白い

 MMD海外にどう受容され、どのように海外からの参加が生まれてくるのか、そこらへんは、来年、注目され、論じられるところだろうと思っているというのは、こういうわけです。


 さて、しかし、MMDコンテンツ再生技術なのであって、今であればサービスマッシュアップ対応し、様々なサービスコンテンツ再生ソフト連携して、連関して僕らを魅了する体験の一角を担うようになるのではないか。僕はそう考えます

 プログラム間の連携を実現する方法にはいくつかあるけれど、煎じ詰めれば重要なことは、APIを整備し*2、またデータ形式をきちんと決めて公開することだと思う。

 ここで念頭にあったのはコミPo!で、ここでもキャラクターの3Dデータ重要意味を持っていますコミPo!MMDの間でキャラデータが共有できたら面白いことにならないか、とか僕は割と素直に思っている。その方が面白祭りができそうな気がして。


 こうしてMMDと他の3D系のソフトの間でデータを共有できるということを考えると、重要なことはデータ形式の共通化、標準化ということになり。

 だが、データ形式を共通にし、標準化するなんて言ったって、誰がどうやって決める?どこかの団体や、ましてやどこぞの政府がしゃしゃり出たってうまくいくわけない。データ形式なんて無視されたらおわりなんだから。そもそもMMD中の人がそれをやりたくなかったらどうする?逆に、やりたければ自分で進めるでしょうし。

 それに、別に標準化なんていわなくても、データ間のコンバータ作ればいいということもあるし。


 で、"標準化"とかいうと、政府…という言葉が頭に浮かんでしまうのです。ここは仕事柄。

 そもそも、初音ミクのことを政府は気づいていないだろうか?いや、佐々木俊尚さん始め識者は続々と語っているわけですし、例えば経済産業省でいうと北海道局とクリプトンさんはお付き合いもあるわけで、もう十分気づいていると思っています

 しかも、ここまでの思考の中には、「世界への展開」とか「データ形式標準化」とか、嫌なほど脊髄反射で政府が飛びつきそうなキーワードが転がっている。こうした分野で政府自分の都合でいろいろ動くと、失敗することが多いです。使いやすいものができない、(デジュール場合)標準として認めてもらえない、果ては作っても無視される、と。いろいろな失敗のパターンがあります

 もしこうした思考で政府初音ミクボカロMMD触手を伸ばすとしたなら…。そりゃ恐怖です。こんなものに巻き込まれちゃいけない。

 第一、もしMMD中の人(僕は直接コンタクトがありませんから)がそういう連携をしようと思っているなら、それを支援するという方法もあります。あるいは何も能力がないのなら、温かく見守って何もしないのが一番ということもあるでしょう。

 そして、一度政府機関(経済産業省でも総務省でも知財本部でもどこでもいいのですが)がそういうふうに目を付けたとしたら、僕には何もできません。だから、彼らが何をするか。せめて何もしないという選択肢を選んでほしい。そう思っています


 もちろん、一番よいことは、政府の都合で無理なプランを押しつけたりせず、虚心坦懐、関係者パイプを作って話してみることだと思っています。ひょっとしたら、みんなの利益になる方法があるかもしれない。それなら悪くない。けれど、ボカロMMD中の人とちゃんと納得ずくでやらないといけないですよね。

 ただ、ここで気になるのは政府というものの立ち位置です。政府が支援、と聞いただけで萎える人もいますし、怒り出す人もいます。元々、ネット上の人々の支持で生まれたムーブメントですから、そこら辺の読みは大事です。政府は分をわきまえなくてはならない。このことはかつてコミケの米澤代表ともよくよく話したことがありますが、今でも心に浸みて理解しているつもりです。

 それに、初音ミク日の丸を付けるのも余計なイメージを付加してしまい、せっかくのミクを台無しにするようにも思えます。まぁここらへんは「国」と個人の関わり方の問題でもあるので、異論はあるでしょうが、自分はかなりネガティブです。


 つまるところ、初音ミクを日本という国家とは結びつけたくないという想いが、僕にはあります


 そもそも自分はあまり「日本が勝つ」とか「日本が強くなる」とか、そういう主語としての「日本」には本来なじみはないありませんでした。今でも、自分が住んでいるこの経済圏が豊かで、私たちの生活が楽しいものになることには強い関心があります。ですが、それを「日本」という言葉では理解していないのです。時として「東京」だったり、「アジア」だったり、もっと別の言葉で考えた方がしっくりくると思うときもあります

 ただ、仕事では、「日本」という言葉概念と日々格闘しています。いや、一緒に戦っているというべきでしょう。

 そういう意味で、政府目線、つまり自分政府担当になったつもりで考えると、どういうことをするだろうか、と考えてみます

 大々的な初音ミクMMD世界戦略を国が主導して…というのは幾重にもばからしい話なので、絶対やらない、と。標準化戦略とか環境整備も、そりゃボカロMMD中の人連携していい形でできるならともかく、それを提唱はしたくないと。それでもなおかつ「日本」というものがより有利になる施策を考えるとすれば、それは、初音ミクを支えているこの日本のユーザー達の力そのものが世界を巻き込んでいくような構図を作るしかないのかな、と。

 その一つとして、例えば世界中からMMDキャラが集い、歌い、踊るコンテストみたいなものを日本でできないか、と。ネット上でやるのはもちろんですが、初音ミクライブイベントのようなシステムを定式化できるのであれば、そこでのデータ形式仕様を明らかにしてもらえれば、本戦はライブイベントでということもできるし。何より、日本のファンは一番の目利きですから、日本のファンが認めるものが世界一という文脈も素直に引けるかもしれないし…。

 もちろん、政府が前面に出るのはダメなことはいうまでもないですが。


 もし、自分担当する立場になったら、こういうやり方を考えると思うのです。もちろん、これとても「日本」がテーマになっているような気がして、自分はあまり好きではありませんが。


 こんな想いを140字にしてみたらあんなTweetになったというわけです。


 と、まぁこんなことを考えながら、ボカロMMDが切り拓いているところを、年明けからもっと勉強してみよう、考えてみようと思っているわけです。


 さて、これから年越しそばをゆでなくては。

 0:00の瞬間には、僕はおそばを食べているでしょう。

 そんなわけで、一足早く、年明けのご挨拶を。

 旧年中はお世話になりました(多分)。最悪よりはかなりましな一年だったと思います

 みなさんがもっとハッピーになる一年になりますよう。もちろん、自分ももっとハッピーになるよう頑張りますが。

 メール年賀状Twitterでご挨拶できない方々にも、新年の言祝ぎを。

 フライングですが(w

 あけましておめでとうございます



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*1技術コンテンツの蓄積に先行する。

*2:厳密な意味では違うけど、他のプログラムプラグイン化して入れることも広義にはここに入れていいと思う。

MMDユーザーMMDユーザー 2011/01/01 00:23 初音ミクのコンサートのCGはSEGA謹製でMMDはなんの関係も無いですよ。そりゃミクのゲーム作ってる人に多少は影響与えてるでしょうけど。

一ミクファン一ミクファン 2011/01/01 00:50 マイネザッヘのリンク先の記事では、初音ミクは「反体制の究極かたち」って紹介されてますがw

通りすがりのミクファン通りすがりのミクファン 2011/01/01 08:48 失礼ながら、2~3歩遅れてますね。
MMDはすでにボーカロイドから離れ、独自の道を歩き出しています。本来は「初音ミクの3Dモデルを動かしたい」という欲求で始まったソフトですが、今ではアニメやゲームのキャラ、オリジナルキャラ、果ては戦闘機や戦艦まで動き出してます。MMDの大会も年2回、既に5回行われています。「MMD杯」で検索してみて下さい。

2010-11-16(Tuesday) 広告費の配分効率化と全体のパイの増加戦略と このエントリーを含むブックマーク

Twitterで @kurarix から興味深い主張があったので、コメント。全体としては、書生論に過ぎるかと思い、同意はできないのだが、とてもよい指摘を内包していて、自分意見を書くことは意味があると思うので書いておきます。本当はTwitterでやりたいところだが、連投になるので、blog側に書きます。

 @Kurarix の主張はこちらを参照のことです。

 同意できない理由の最大のポイントは、【脳内検証】の議論は、アイボール広告価値的評価を接触回数評価に単純に還元しているという意味で暴論だから。実際には接触の広告価値としての評価は多様であり得て、決定論的ではないが故に、市場を介して決めるしかない。

 もちろん、それが代理店マスメディアの固定的関係を通して歪んでいるのだという主張はあり得るが、それを証明する物差しがない*1以上、その主張は採り得ない。あくまで現実論でいきたい。

 加えて、注5のマスメディアの過剰レント論*2過大評価のきらいが強い。広告費の流れのうちメディアの「取り分」が多いという理屈だが、その取り分も結局は業界内で循環しており、真水としての「取り分」が如何ほどかは疑問である。こういうと必ず給料が云々という話になりがちなのだが、そもそも社員数はさほど多くはなく、その業界全体の金流に対する圧迫効果はしれたもの。

 ただ、固定的取引関係が多く全体としての非効率性は相当あるのではないかという観測は自分もしている。ネットも交えた広告費配分競争の中で効率化は進むだろうが、その効果くらいか。もちろん、効率化というのは、ネットの方が効率的で、それゆえネットへの広告費の配分変化によって全体の効率性が増すという要因もあるが、そもそもマスメディア生産工程が効率化するという要因もあることを忘れてはならない。

 反対すべき論点はこのくらいだろうが、広告効果指標の進化が大事だという点については全く同感である。ただ、同感である理由は、それが広告費の支出原理を変える可能性があるからだ。

 現状を言えば、広告費の決定方法はプロジェクト全体の費用から丸めで決めている。このため、基本的に企業支出全体の中の一定割合になり、ひいてはGDPの一定割合になるということ。この一定割合が最近変化しているという事実は確認できているが、このかなり乱暴な配分決定論をそれほど変化させているとは確認できない。

 ただし、これが変わるべきではないか、という思いは、個人的には強い。

 もし、広告効果分析がかなり精緻に行えて、個々のプロジェクト毎の収入との関係性を合理的に計測しうるとしたらどうだろうか。期前に広告費を戦略的に割り増しで設定したり、プロジェクト全体の総収入から、広告費を追加支払いする余地が生まれる。これは、広告支出広告産業収入を(減少させる可能性もなくはないが、それ以上に)増加させる可能性があり、これは広告費GDP一定割合の法則を乗り越えて広告産業それ自体としての成長を促す可能性がある。

 もちろん、そんな技術進歩はなくても、単純に広告費の成功報酬は導入できるだろうという指摘はあるだろう。だが、現場的にはこれは企業の慣習とも関連した根深い問題*3であるし、そもそも期前に決める総額決定がえいやっの丸めでは、一定額を成功報酬用に留保しておいて、その中から一部成功報酬を出すということになるだろう。これは結果的に広告費の縮小になるので、企業広告費を収入源とする産業としては絶対歓迎しないだろう。だが、広告効果の評価技術が十分発達すれば、単純に広告費縮小側に振れるのではなく、広告費増加側にも振れ得るので、事情は変わるかもしれないと期待している(ダメかもしれない)。

 一般論として、あくまで成功報酬を目指すのが、「事業」の本質であり、市場におけるイノベーションの根源と考える立場からは、是非こうした仕組みに移行してほしいところであり、それを推し進めるためには、ネットが持っているライフログの料理法高度化には強く期待している。

 以上の理由により、 @Kurarix の論旨には賛成しないが、広告指標の高度化には強く期待するものである。

以上。ぶひっ。


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*1:実はこの議論はマルクス主義市場主義の議論に似ている。個々の単位事象は物差しがない限り等価だと仮定するのは一見合理的に見える。だが、現実はしばしばそうではない。因みに、この仮定は科学の現場ではしばしば前提であり、理系出身の人がマルクス主義に傾倒しがち(小生の周囲数メーター基準)なのはここに原因があるのではないか、と思ったりする。

*2新聞社出版社レコード会社、大手映画配給会社テレビ局などのマスメディアは様々な意味で「マスゴミ」とか言われて嫉妬の対象になる。もちろん非効率性やレントはあるのだが、あるかないか、ゼロイチの議論をしてもしょうがなくて、定量的な議論が要るはず。小生は、本文にあるような理由から、それを業界全体の隠し配分源と見るのは、各省庁の「隠し財源」論に近い誤謬があると思っている。

*3広告費は使い切り前提で動いており、追加支払いが発生するかもしれないという可能性を嫌う。