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2006-12-05(Tuesday) 著作権で三題書くのこと

腰を壊した。原稿がたまった。そんなわけで、心を入れ替えて再度始めたブログ更新が2週間以上も止まった。参った。でも、腰もよくなってきたし、喫緊の原稿も第一稿はあげたし、なにより書かないわけにはいかなくなったので、更新する。うへー。

著作権に関する動きが相次いでいる。

少し前からの動きとしては、著作権法の保護期間延長を巡る議論がある。この件では「著作権保護期間の延長問題を考える国民会議」というのができていて、私は発起人に名を連ねている*1

先週の動きとしては、毎日新聞が、海賊版をオークションに出品することの規制を著作権法に盛り込む改正をする方針を知財本部が打ち出したと報じている。

その一方で、総務省はコンテンツのP2P型配信にまつわる権利問題を補償金方式で解決しようと考えていると日経は報じている。

他にも山ほど動きがあるが、とりあえず、この三点についてコメントしよう。


さて、と。

著作権の延長問題について

 著作権についていうと、権利保護イコール産業振興だという考えは、栗原潔さんではないが、早くやめて欲しい。それはもう大前提

 著作権法に書いてあるので議論の対象として適当かどうかわからないが、まず、著作権は神聖なる人権であるという議論を少し冷静に見直す必要があるだろう*2。イデオロジカルに叫んでもあんまり意味はない。重要なことは、著作権法によってどのような効果を期待するかということにつきるのだと、僕は思う。当たり前だけど。

 んで、著作権法で保護期間を延長するというとき、問題にされるべきなのは、要はそれによって何が起きるかということだ。権利者の総収入増加?ふんふん。しかし、それは利用者が許諾を得るという手間の意味でも、対価を(しばしばお金)を払うという財産意味でも、利用コストを負担するということの裏返しである。そうだよね。

 で、突然だが、私は、知財本部でも繰り返し論じられている創造立国という考え方を強く支持する。それ故、再創造活動の重要性を特に強調する*3。それゆえ、「ゼロからの創造」とみなされる再創造と、「他の著作物の複製」とみなされる再創造の間を明確にしておかないことには、新たな創造を疎外する結果になると考えている*4。これは著作権法理論的には何らかの形での権利の限界設定と考えられるだろう。ただし、近年の契約理論と基礎とする権利論にたてば、権利者が自ら権利の行使方法について宣言することでも同様の効果が得られる*5

 正直言って、これが担保されるなら、法政大学の白田助教授*6がしばしば冗談めかして言う、「いっそのこと著作権は永久にこれを保護すると言っちゃっていいよ」という言葉に激しく同意する*7。だって、創造の単なる受益者を保護する必要はないし、わけてもデッドコピーを転用する権利なんて認めちゃういわれはあんまりないと思うわけです。だから、「再創作の自由」だけはきちんと自由圏を設定しろ!ということ。ハイ。

海賊版アップロードの非親告罪化について

 みなさん誤解されているかもしれませんが、僕は、プロ知財派です。ええ、ええ、相当の事業者寄りです。よろしいですね?それを前提に言います。

 海賊版、さらに言えばアップロード型流通の取り締まり非親告罪化は、論理的に間違いです。これはいかん。

 こういうと、「おまい日経著作権侵害は非親告罪化せいというとるくせに(藁」とツッコミを受けそうですが、これには理由があります。

 理由は、コンテンツの拡散は、すでにプロモーション戦略の一貫として、ビジネスプロセスに組み込まれているからです。けして私的利用の範囲が云々、もっとイデオロギー的に利用者の自由が云々なんて言いたいわけじゃない。単純に、ビジネスバリエーションを縛るから、そんな十把一絡げに非親告罪化してもらうのはありがた迷惑だということです。

 そういうと、いやいや、商品コンテンツはデジタルで拡散されることを期待していないと推測するのです、なんていう人がいるかもしれない。本当にそうか?それに百歩ゆずってそうらしいとしても、あーたね、タイーホなんて重要なことであれば、その法的根拠が推測だなんて言っちゃいけませんことよ。

 ですから、もし非親告罪化するのであれば、うちのコンテンツがアップされたらもう無条件に取り締まっちゃってください、という権利者の意思をコンテンツ毎に事前に表明することが少なくとも必要です。登録制度とワンセットで非親告罪化を規定しようというなら問題が少ないのですけどね*8。もちろん、そんなケツの穴のこまい作品なんか買うちゃるもんかい!という反応がお客様から出ても、僕は知ったこっちゃないわけですが。(お店の事情も分かっちゃりーや、と説得するくらいはしますけど。)

P2P流通の補償金問題について

 う〜ん、経済学からのアプローチをしているものとして、これは評価が難しいのねん。

 著作権法の経済学的な側面から見た根本的な問題は、許諾権方式の是非にあります。許諾権方式が正当化されるのは、価格という条件を調整するための市場を設定するには必要だからです。もちろんこれは交渉という一種のコストを生みますから、それを回避したい利用者の視点からは、報酬請求権への移行という議論がされるわけですが、この請求できる報酬レベルを決めるためには市場が要るという話になると、結論が許諾権へ帰る、という矛盾が起きる。

 価格の決定というメカニズムについて市場調整力を使おうというのは、パレート最適の考えに基づく(今の)正統派経済学立場からはごく真っ当な考えです。しかし、現実に目をやると、当のパレート最適が前提にしている純粋経済人による理想市場の考え方はずれているわけで、すごく激しく否定されている*9。はっきり言って、僕がこの市場論に依拠しているのは、僕をはぐくんでくれた経済産業省の規制緩和論のテーゼだったという経緯的理由だし、百歩譲ればそれを越えるメカニズムを個人として全き形で提示できないという力弱さのゆえです。白状します。

 そうすると、どうせ許諾権方式も理論的に問題が多いとするなら、もういっそのこと全部報酬請求権にするんだ、という考え方が起きてもいい。音楽JASRACがやってることなんてまさにそうだもんね。許諾権制度と報酬請求権制度とを二重化しようという僕の理論はこの矛盾を真面目に止揚しようとしているわけですが、それをさらに越えて、全部報酬請求権でいいんだという考え方もありうるのかもしれない。うん。

 その場合は、その報酬水準の決め方に論点が移るわけだな。かつて作った二階建て法制素案に含まれていた報酬水準決定方法では、主務大臣が命令で決めて、それを関係者の意見を聞きつつ数年に一度更改するっていう伝統的な方式にしていたが、さてさて、総務省はどんな案を出してくるのだろうか?


 でも、まぁ、現状に問題があることは事実だと思うから、議論が始まっただけでも、とりあえず前進!である。

 あ、そうそう、ホームページを作りました。個人ポータルというようなレベルですが。アドレスwww.sakaimasayoshi.com です。とりあえず開いたという感じですが、それもとりあえず前進!なのだな。

 前進する限り、自転車は倒れないのだ。



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*1法政大学の白田助教授には発起人になっていただくべきである、とSさんは思う。

*2:別に僕のように法実証主義に立たなくても、憲法上認められた天賦人権ではあっても、具体的な保護の態様は他のタイプ人権や他者の権利との調整という観点からいろいろ制約を受けることはあるわけで、天賦人権だから著作権は不可侵というわけではないことは法律やってた人ならわかるわな。

*3:私はボードリヤールのシュミラークル理論に強く共感し、「ゼロからの創造」という考え方を私は強く批判する立場に立つ。

*4:「その音楽の作者とは誰か」とかを書かれている増田聡さんが小論「パクリ再考」(2005)の中で指摘したところに拠れば、客観的なパクリの基準は作れないということである。それは渡辺慧さんが「認識とパタン」(1978,岩波書店)で明らかにしたということなのだ。それが正しいとしても、法的には「決め」を打つことはできる。これは、いわゆる「決めの議論」、或いは「えいやっ」なのだが、ないよりはあった方がましなので、僕は「えいやっ」だろうがなんだろうがセーフゾーンを作ることに賛成する。

*5:禁反言の法理がここでは機能するという前提にたっている。日本の民法学では禁反言の法理の適用は抑制的であるというのが定説のようなので、具体的には、この権利者の宣言が権利法法典の規定に権利の限界として盛り込まれるか、同じ内容が司法の場で権利の限界として採用されることになるということかもしれない。また、電子商取引の対象としてのデジタルコンテンツについては、契約法理上の準則として採用されることもあるだろう(経済産業省は電子商取引上の準則を定める権能を持っている)。

*6:私が尊敬する学者の一人。ただ、パフォーマンスマニアックすぎるよなー。でも、あのくらいやりたいな、と心私にあこがれているのですよ、僕は。

*7:これは、延長論の度に繰り返される政治運動を見ての言葉だと思う。白田さん本人は、権利保護に賛成できないことは既に別稿で表明しているので、この言葉が彼一流のギャグであることくらいわかるわな。

*8:わかるでしょ?利用者の自由云々ということを言うなら、何が何でも非親告罪化は問題になるけど、僕は条件付賛成なわけ。

*9:大きく分けると、批判の方向は三つあると思う。一つは、伝統的ミクロ経済学からの意見で、市場の条件が理想的でないというもの。それと、ゲーム理論に代表される意思決定理論的な方向からの、意思決定の傾向に関する実験結果をベースにした批判(いわゆる行動経済学)。さらに社会学的に、そもそも主体の意思決定の中で経済的モチベーションは全体の一部に過ぎないという批判もある。ま、どれをとっても、パレート最適は机上の空論、ってことになる。