MCR『逆光、影見えず』









《演劇》MCR+三鷹市芸術文化センターPresents




太宰治作品をモチーフにした演劇 第13回



タイトル:  『逆光、影見えず』



作・演出: 櫻井智也


■■出演


川島潤哉


小野ゆたか(パラドックス定数)


後藤飛鳥五反田団


川村紗也


堀靖明


日栄洋祐(キリンバズウカ)


道田里羽


北島広貴


伊達香苗


櫻井智也


おがわじゅんや



■■スタッフ


舞台監督:川田崇
美術:袴田長武
照明: 久保田つばさ
音響:平井隆史
撮影:保坂萌
演出助手:山本裕子
当日制作:田中のり子



■■日程・場所


2016年6月24日(金)〜 7月3日(日)@三鷹市芸術文化センター 星ホール






 《感想文:巡り逢い》





「櫻井さん、もう死んでもいいんじゃない?」





不謹慎な言い方だけど、「これだけの作品を作れたならば、もう死んでもいいだろ」って心底思った。





素晴らしかった!





太宰治を読んだことがない人も、演劇を観たことがない人も、MCRを観たことがない人も、出演している俳優たちを知らない人も、「観てよかった」と感じるだろう。そして、太宰治をずっと読んできた僕も、演劇をずっと観てきた僕も、MCRをずっと観てきた僕も、出演している俳優たちをずっと観てきた僕も「嗚呼、観てよかった」と、心の奥底からぶぅわぁあああーーーと湧き出る喜びの感情を噛み締めながら、そう思った。





ホントに面白くて、素晴らしい作品だった!!





どのように説明したらいいのだろうか? 「何十年も解けなかった数学の難問が解けた!」という瞬間に立ち会ったと言うべきだろうか? そんな難問を解いたことがないから分からないけれど、おそらく、そういう難問っていきなり解ける訳ではなくて、すでにもう99%は解けていて、事実上、解けているのだけど、あと一歩が分からない。その一歩が訪れるのか?訪れないのか? あした訪れるかもしれないし、何十年費やしても訪れないかもしれない。それは分からない。そういうものだと思う。その一歩が、今回訪れた、ようだ。





あるいは、こう言った方がいいかもしれない。きょうは6月26日だけど、7月7日におりひめとひこぼしが一年に一度巡り逢う。引き寄せの法則っていうのだろうか? 何か宇宙規模の星の運行というのがあって、星に限らず、人の動きも宇宙規模の運行に従っていて、でも個々人の動きだけを見ているとランダムに動いているようにしか見えないのだけど、そのバラバラな人々の運行が同期する時がある。今回の作品で、様々な人々の運行がピタッと一致した、ようだ。





奇蹟!!!









 《巡り逢い》


(1) 櫻井智也太宰治




MCRを何作品か観るうちに、「櫻井さんは太宰治を読み解けるはず!」と僕も思っていた。ふたりの間にシンパシーを感じていた。そして、ようやく巡ってきたかー、《太宰治作品をモチーフにした演劇シリーズ》、第13回目にして満を持して櫻井智也登場!!



これを機に、太宰治の『晩年』をちびちび読み進めていたのだけど、「晩年」というタイトルではあるのだけど、これは太宰の初期作品集であって、まだ青臭さはあるのだけど、太宰文学がこの時点ですでに完成されているというか、読んでいても他の作品以上に太宰を感じられて、思っていた以上にストンと僕のなかに入ってきた。



今回取り上げられたのは『晩年』のなかの「逆行」という作品なのだけど、この「逆行」自体が一つの作品というのではなくて、4つの断片から成り立っていて、そのまま読んでもよく分からない。ただ、これらが出鱈目に並べられているのではなくて、この4つの断片が太宰文学の全体像を描いている。



だから、これを作品化する際には一字一句そのまま立ち上げるのではなく、意訳が必要になるし、構成も新たに考え出さねばならない。が、『逆光、影見えず』はこれが恐ろしいほどにうまくハマっていた。おそらく、これ以上の解法はないというくらい、うまく読み解けていた。



櫻井智也さんが太宰治に迎合した感じはまったくなかった。むしろ、『逆光、影見えず』は、まんま櫻井智也であり、まんまMCRであった。さらに太宰作品をモチーフにしているというよりも、 櫻井さんの近作、劇ラヂ『あさはかな魂よ、慈悲の雨となれ』や『奴らの影踏む千葉』がモチーフになっているとさえ感じられた。にもかかわらず、これは太宰であった。




太宰治なのか? いやむしろ櫻井智也だろ!


(その2)川島潤哉と小野ゆたか




今回の『逆光、影見えず』では、主人公のオサムが、ダブルキャストで演じられていた。この意図は、太宰のなかに混在する「ニヒルな太宰」と「ダンディな、あるいはダンディたらんとする太宰」との両面を描くことであろう。現在のオサム、死期を悟ったオサムを川島潤哉さんが演じ、過去のオサム、それなりに挫折は味わっているのだが、まだまだロマンチストの毛色が濃いオサムを小野ゆたかさんが演じた。



川島潤哉さんと小野ゆたかさんとでは、同じセリフを発しても全然違う。当然と言えば、当然だけれども、俳優という生き物は、アジャスト能力が異常に高いので、何でも、いかようにでも演じられてしまう。だからすごく際どいところなのだけど、それでも「神は細部に宿る」というか、俳優の個性というのが細部に残る。俳優の俳優たる所以である。俳優はロボットではないし、ロボットは俳優ではない。



この細部の面白さに気づいたのが、実は前作、『奴らの影踏む千葉』であった。この時にも、主人公の千葉という人物を川島潤哉さんと小野ゆたかさんがダブルキャストで演じるということが行われていた。今回、このダブルキャストがたまたま成功したのではなく、布石はすでに打たれていたのだ。




たぶん左が川島潤哉さんで右が小野ゆたかさん


(その3)後藤飛鳥と妻




今回、オサムの妻を後藤飛鳥さんが演じていた。飛鳥さんと言えば、五反田団五反田団と言えば、後藤飛鳥さんにしろ、望月志津子さんにしろ、西田麻耶さんにしろ、少女性の強い女優(あっ、ごめんなさい、西田さんは少女性云々ではなく、見た感じそのまんま強いです 汗、、、)、で、名作『いやむしろわすれて草』を観た人は、あの四姉妹のイメージが脳裏に焼きついて、なかなか消えないと思う。特にスチュワーデスのお人形の腕をありえない方向に曲げられてしまう姉妹喧嘩のシーンなんかは長く語り継がれることであろう。





それで、後藤飛鳥さん=少女というイメージをずっと持ち続けていたのだけど、これも前作になるのだけど、『奴らの影踏む千葉』の時に、はっとする一瞬があった。この時も飛鳥さんは、千葉の幼い娘の役を演じていたのだけど、可愛らしい少女の表情に、一瞬なにかビックリするくらい大人の女性、それも物凄く苦労した女性の相がふぅっと湧き上がってきたので、ぞくっとした。



そして、今回、飛鳥さんが演じたのは少女ではなく、妻という大人の女性であった。これまでのイメージは、後藤飛鳥=ドロシー(「オズの魔法使い」)だったのだけど、きょうは、後藤飛鳥=田中裕子だった。




田中裕子さん


(その4)後藤飛鳥と川村紗也




オサムの妻を後藤飛鳥さんが演じ、彼女と同一人物ではないけれども、過去のオサムが恋した女性を川村紗也さんが演じた。櫻井智也太宰治川島潤哉と小野ゆたかと同様に、後藤飛鳥と川村紗也にも強いシンパシーを感じる。紗也さんは、飛鳥さんと同様にものすごく少女性が強いのだけど、一瞬で場を凍てつかせる、女性の強靭さ、恐ろしさを併せ持っている。



紗也さんは、すごく可愛らしい女性だから言ったら失礼だけど、奈良美智が描く少女のイメージ。




奈良美智が描く少女


(その5)伊達香苗と太宰治




オサムの妻を演じた後藤飛鳥さん、過去のオサムが恋した女性を演じた川村紗也さんを観ているうちに、この作品は実はオサムはどうでもよくて、オサム以上に、オサムに連なる人物、特に女性が重要なのではないかと感じ出した。太宰、太宰というけれども、太宰作品においても、重要なのは太宰ではなく、太宰と共にいると決意した女性なのだろう。太宰作品から主人公の男性を完全に消してしまって、女性の描写だけを読んでみても面白いかもしれない。



そんななか、飛鳥さんや紗也さんとは違った女性を演じたのが伊達香苗さんだった。オサムの友人であり、オサムが愛したかどうかは定かではない。どちらかと言えば、おそらく愛していない。が、彼女のあのいやらしい目線。かなり作為的に仕向けられたシーンであり、あからさまにいやらしいのだけど、あの目力は馬鹿にできない。夢に出てきそうで、ぞくぞくする...




伊達香苗さん


(その6)道田里羽とMCR




オサムが愛した女性ではない女性で、伊達香苗さんともうひとり、道田里羽さんがいる。彼女に秘められた計り知れないパワーを感じた観客は少なくないと思う。里羽さんがMCRの作品に出たのは今回が初めてということだけど、ずっと以前から出ていたような気がしてならない。MCRはハイテンションで真正面からぶつかり合うシーンが必ずあるのだけど、そんなシーンであっても全く物怖じしない。それに、『逆光、影見えず』は太宰作品をモチーフにしているから時代的には昔の作品と言えるのだけど、現代風にアレンジもされていて、その過去と現在を結びつけるキーパーソンが里羽さんだった。里羽さんの醸し出すダルな感じがすごくよかった。そして、里羽さんとシンパシーを感じるのは女優の幸田尚子さん。ふたりとも日本人というよりもラテン系。しかも、里羽さんって、まだ20歳? えっ!




幸田尚子さん


(その7)北島広貴とおがわじゅんや




言わずと知れたMCR劇団員。櫻井智也さんと北島広貴さんとおがわじゅんやさんは、もう一心同体。櫻井智也さんのことを知ろうと思ったら、櫻井さん本人よりも、北島広貴さんとおがわじゅんやさんをじっと観察していた方がわかるように思う。つまり、このふたりって、イメージがどうこうではなく、MCRそのもの。今回の作品における、このふたりのオサムとの関わり合い、関わりの濃度は薄いのだけど、そして、MCRそのものなのだけど、にもかかわらず、太宰をみごとに映しだしている。鏡のなかの太宰。




おがわじゅんやさん


(その8)日栄洋祐と三瓶大介




日栄洋祐さんと三瓶大介さんの演技を観るのは初めて。ただ櫻井智也さんとは以前から親交が深いようで、北島広貴さんやおがわじゅんやさんと同様、MCRそのもの。日栄洋祐さんと三瓶大介さんが演じたのは、オサムの高校時代の同級生で、演じているのは、太宰作品云々ではなく、やはりMCRそのもの 笑。日栄さん=どこか感覚がズレていてボケボケな男と、三瓶さん=ついてない男、競馬やパチンコや麻雀をやったらもう絶対ダメなのにハマってしまうような男。こういう奴、かわいそうだけど絶対いる! こういう人物ってMCRには毎回必ず出てくるのだけど、でも、やっぱりそれが太宰作品にすっぽりハマるし、太宰が求めていたけれどもそばにいなかった人、太宰が描きたかったけれども描けなかった人、そんな人物であり、それはまた太宰の心のなかを映しだしているように思う。




三瓶さん「えっ!嘘だろう?」


(その9)堀靖明と堀靖明




堀靖明さんはやっぱり堀靖明さんであった。



毎度毎度、ハードワーク、お疲れ様です!!



太宰治にホント見せてあげたい 笑




堀靖明さん




『逆光、影見えず』は、今日こうやって上演されて日の目を見た訳だけど、この作品は、今、ここで、できたのではなく、すでにできていたように思う。様々な巡り逢いを考察したように、すでに様々な伏線が張り巡らされていて、それぞれはこの作品のためにやっていた訳ではないのだけど、今日こうやって、この作品ができ上がったのを観てみると、もう、この作品を作り上げるためにやっていたとしか思えないのだ。何もかもが!!





人と人との巡り逢い





僕にとっても、忘れられない作品となった。





そして、誰が一番喜んでいるかって?





ズバリ太宰治だと思う。





最後のシーン、オサムが死に去ってゆくというのに、僕のこころのなかで流れたのは、この曲だった。太宰治の魂が、『逆光、影見えず』が上演されたことによって、ようやく成仏したように思う。





合掌












晩年 (新潮文庫)

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