ポエカフェ還暦の石川啄木篇

記念すべき60回目は神保町の「伯剌西爾」にて、2年半ぶりの石川啄木である。
前回、女性陣にけちょんけちょんにされた啄木。今回もなんだか女性が多いような気がするのは気のせいなのか。ぴっぽさんの兄上とその奥様となんとぴっぽさんの母上も参加。ぴっぽファミリー集結の夜でもある。
1885年に岩手で生れた日本を代表する歌人である。書き残した短歌はなんと4100首以上!借金の手紙をもうちょっと書かずにすませたら5000首くらいはいってたんじゃなかろうか。
さて啄木は7歳にして神童。そして過保護。あぁやだやだ(笑)夜中にゆべし饅頭を食べたいと言ってまた周囲が用意にしに走るとかありえへん。何回聞いてもこのエピソードは突っ込まずにはおれん。
この神童に盛岡中学で出会ったのが良かったのかどうか、聞いてみたいのが金田一京助君である。彼がいなかったら、啄木はどうなっていたか考えるに恐ろしい。
金田一君の影響を受けて与謝野鉄幹主宰「明星」に電撃を受け、短歌と詩の創作を開始。その翌年の与謝野晶子の「みだれ髪」に驚嘆。
17歳の時にカンニングが二回連続でばれ中学退学。同級生とかの間で衝撃が走ったのだろうか。「あの神童が!」とか。
その後に上京するも病気で父母とともに故郷へ。ベビーフェイスで病弱で手紙が上手くて・・・こういう奴にお金かしたらあきまへんよ、皆さん。
18歳の頃からたっくん(ますく堂命名のすこぶるマイナーなペンネーム)は啄木と名乗りだしたようです。いい名前つけるよなあ。でももうちょっとお金が増えるような名前にすればよかったのに。金太郎とか。(おい)そうか、金田一って「金」ってつく。だから啄木に背後霊のようにとりつかれたんだ(笑)
前回は啄木の貧乏生活をみっちりと学習したので、今回はサラリと流して、短歌をメインに。それが良かったのか、過激派がいないというのも良かったのか、借金王啄木の会は終始、穏やかに進んでいく。だが、過激派の野次を楽しみにしてきた人たちも中にはいたようで、過激派の人気は実はすごいのであった。
啄木の第一詩集「あこがれ」は20歳。しかも序文が上田敏先生。詩人としての名声を得る、わずかはたちにしてだよ。成人式の年だよ。そう考えるとすごいよなあ。まるで自分の寿命を知っていたかのように急ぎ足で歌を制作していった啄木。この年に結婚式を挙げるが当の本人はおらんかったとかとんでもない話が常についてまわるのが啄木。
教員になったはいいが、学校を私物化する校長と対立し、結局、喧嘩両成敗的に辞職。その後、釧路新聞に採用されるも長くは続かず、創作活動に専念することを決意したのが22歳。
その後、金田一君と二人で本郷に下宿。「スバル」の編集・発行人となる。小説創作に全力を傾けるも文壇から黙殺され、得意の短歌などの創作では金にならず生活窮乏。ロマン調の作風が生活困窮によって生活の詩を作るようになっていく。
貧乏というのはかくも悲しきことなり。お金がないって楽しいことしてても頭から離れないようになっていったりする。そういう自分の窮地を詩や短歌へと昇華させた啄木はすごい。ま、その前に借金して遊ぶなよって話やねんけど。
朝日新聞に勤めていた25歳の時、大逆事件が起こり、社会主義に傾倒していく。この年「一握の砂」刊行され、「朝日歌壇」の選者にもなり、歌人、思想人としての自己を初めて確立する。
26歳。まず母が結核に。啄木の家族にも感染していき、この年永眠。翌年妻も結核で死去。
啄木は秘密の日記をローマ字で書いていた。妻の節子はんはローマ字が読めないからだ。でも節子はんはピアノやバイオリンを演奏できる才女というではないか。この日記、啄木は妻に僕が死んだら燃やせというたらしいけど、奥さんはちゃんと残していたのだ。だからこそ、今日、ぴっぽさんのテキストでローマ字日記の一部が読めるのである。
3行書きを確立させた啄木。リズムがよくてこれなんかもすごくしみるんだよね。これは「一握の砂」より

かの時に言ひそびれたる
大切の言葉は今も
胸にのこれど

シンプルでストレートでいい。どんな言葉なんだろう。想像せずにはおれない切なさがここにはある。
啄木は自分のことを他人事のように書く。客観的にもう一人の自分がみつめている。その二重構造が素直な歌なのに、だからこそ、惹きつけるのか。
例えばこれ。
その膝に枕しつつも
我がこころ
思ひしはみな我のことなり

なんでしょうね、これ。膝枕してるけど、お前のこと考えてるわけちゃうでという自己中心的な歌にしかきこえないのに気になる(笑)。
果たしてこんなストレートに言えるかというと、難しい。変に小細工してないのがいいというべきか、のろけの歌じゃないのがいいというべきか。

地図の上朝鮮国にくろぐろと墨をぬりつつ秋風を聴く

これ朗読したんだけど、色々と考えさせられる歌である。
他の方が教えてくれたのだが、朝鮮併合で赤く塗られたのを哀れんで黒くと。こういう時代背景がわかるとこの歌が一段としみてくる。
いつもはずれのないポエカフェフード。今回のコニャックショコラもあぁ、なんて上品なケーキなんざんしょ。美味でした。

前回の啄木篇はコチラ→
http://d.hatena.ne.jp/mask94421139/20120227/1330337238