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古書ますく堂のなまけもの日記

2017-03-27

ポエカフェ 尾形亀之助篇

冬に逆戻りした寒い雨をひき連れてのポエカフェは4回目の尾形亀之助。今回は女性が多い。亀ちゃん人気やで!
亀ちゃんの生まれた年は明治33年つまりは1900年なので覚えやすい。
宮城県柴田郡大河原町8でお生まれ。県内屈指の資産家のぼんぼん。曾祖父が酒造業をやっており、梅香というお酒を瓶詰販売し、一発当てたのだ。
11歳の時、喘息の療養の為、鎌倉へ。祖母宅へ預けられる。
18歳の頃、トルストイツルゲーネフドストエフスキー啄木にふれ、短歌、絵、詩をはじめる。学内の同人誌東北文学」に作品を発表。
19歳、仙台の友人らと文芸同人誌「FUMIE」創刊。その後「仙台芸術倶楽部」に所属。この年の春より学業放棄
20歳、東北学院中学を5年で落第、退学。「玄土」へ短歌発表。
21歳、福島開業医、森禄三の長女、タケ(18歳)と結婚。本郷に新居構え、生家の莫大な仕送りで生計まかなう。自立してくれ・・・
1920年未来派の影響を受けて「未来派美術協会」が結成され、そこにいたのが普門暁やタケの親戚の木下秀一郎。木下の影響を受けた亀之助もこの協会に入っている。この頃の亀之助は画家を目指していたんだなあ。
23歳、この春、新宿区に転居。近所の村山知義を知る。7月、柳瀬正夢、村山らと新興美術家の集団「MAVO」を結成。
24歳、長女、泉誕生。7月雑誌「Mavo」創刊されるも後に、メンバーに違和感を感じて、絵画制作休止。
25歳、絵筆を捨て、詩作に専念。第一詩集「色ガラスの街」恵風館より刊行。高村光太郎草野心平を知る。横光利一を好んで読む。
26歳(大正15年・昭和元年)随筆雑誌「月曜」創刊。藤村、足穂、宮沢賢治、サトウハチロウ、草野心平など豪華な顔ぶれが寄稿する。亀之助はこの雑誌を2万部売ろうとしていた。当時、売れてる「文藝春秋」がせいぜい3000部の時代にだよ。この雑誌でもって詩人を食べさせようと考えていたのだったが、そんなに売れるわけもなく3号までしか続かなかった。
この頃、上落合でバーをしていた吉行あぐり吉行エイスケ夫人)に恋に落ちる。が連続テレビドラマ小説「あぐり」が大好きだった私も知っている。あぐりは亀之助になんか興味なく、旦那さんにぞっこんなのであったとさ。このバーには辻潤だの、村山知義だの、まあすんごい人ばかりきてたわけさ。あのドラマは名作です、うん。
12月に長男の猟、生まれる。
28歳、大鹿卓(金子光晴の弟)と連名で「全詩人聯合」発足。(規約書1000部作成、発送)これも親の仕送りかよ・・・
3月に女性問題、生活観念の希薄さなどで妻と不和。5月にタケと協議離婚し、子供二人は自分が引き取る。12月にはもう他の女、芳本優(詩人あぐりのバーにきとった、18歳)と同棲。って展開早いなあ。
このタケは後に大鹿卓と結婚したというから世間は狭いというか・・・
29歳、第二詩集「雨になる朝」刊行。
30歳、この頃より、飢餓自殺ほのめかす。8月、私家版、第三詩集「障子のある家」刊行。これ、たった70部。同月、家財一切売り払い、妻と詩友、矢橋丈吉、小橋盛と上諏訪へ赴く。自殺旅行かと高村光太郎が蔵書を売り払い、心平に説得に行かせる。パリにゆけと説得するも亀之助、自殺するつもりもパリに行くつもりもないと断る。亀之助は日本なんかよりヨーロッパのほうが生きていけたんじゃないかとポエカフェ同人からも意見がでた。でも亀之助にはその気はなかったってことなんだろうね。
32歳、実家からの信頼なくし、仕送りへる。仙台に帰郷。
33〜37歳、無為の日々。詩作はする。祖父、父、亀之助と三代で放蕩三昧で実家からの仕送りは現物支給に。
38歳、父のコネで仙台市役所税務課に臨時雇い。初の就職。5年間は机の引き出しにウィスキーを忍ばせたりしながらもそれなりに働いたらしい。が家にお金すら入れない亀之助に愛想をつかした妻は幾度も家出を繰り返す。
42歳、喘息悪化。最後は誰にも看取られずに(ちょっと家族が離れた間に)仙台市木町末無の家で死亡。

私が朗読したのはこの二つ。短いので両方ねと命令下る。

「昼」
太陽には魚のやうにまぶたがない

「昼」
昼の時計は明るい

短すぎてどうにもならん・・・意味など考えずに感じればいいのではという意見があった。考えないほうがいいかもしれない。
ただ、この二つの詩にどきゅんとさせられるかというと、しない。まだ超いいねボタンを押すほどでもない。
亀之助の詩は短いものが多くて、読んだ瞬間「ん?」と不思議に包まれる。

子供の心のまま大人になったような亀之助は俳句を作るとこうなる

1935年 
ふとんほして留守にしてゐる隣家かな

葉桜や眼を病む人の美しき

春雷や雲たひらかに湖(みづ)の上


なんか俳句も素敵なんだよなあ。絵も描けて詩も書けて財産もたんまりあったのにねぇ、このぼんぼんと憎まれ口を
叩きたくなるわ、このぼっちゃんは。

亀之助の文章で一番、心をもっていかれたのは「美しい街」(夏葉社)にも掲載されている
{後記}泉ちゃんと猟坊への最後の2行あたり。全文は上記の本でじっくりと読んで頂きたい。

相手がいやになつたら注射一本かなんかで相手と同性になればそれまでのこと、
お前達は自由に女にも男にもなれるのだ。

あの時代にもうこんな先を見据えたことを言ってる人がいたんだ。こんな自由な心を持った人がいたんだ。
人間そのものをつかんでいた亀之助にしたら、書きたいことすら書けない世の中なんてちゃんちゃらおかしい
だろうね。今の世の中も「なってないなあ」なんて笑ってるかもしれないね。


尾形亀之助といえばつい最近、夏葉社から「美しい街」が刊行されております。絵は松本俊介。
ますく堂でも売っております。現代詩文庫も亀之助となるとなかなかないんで、ひとつ、宜しくお願いします

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