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古書ますく堂のなまけもの日記

2017-04-18

ポエカフェ「山村暮鳥 甘夏篇」

13時から押上の甘夏書店でスタートしたポエカフェ。本日は山村暮鳥。この詩人さえも変換しないうちのPCはどないなってんねん。
1884年1月10日群馬の農家で長男として誕生。本名は志村八九十。その後、7人もの弟妹が生まれる。
暮鳥は幼少期から苦労する。父と祖父が不仲で父が出奔。母はその後を追い、暮鳥だけ前橋の伯父夫妻宅へ。11歳の時は父が繭の仲買で失敗。夜逃げ同然で千葉佐倉へ。花園高等小学校を中退し、この年齢で働きにでることを余儀なくされる。11歳って今の小学5年生くらいだからね。親の手伝いとかならまだしも社会にだからね。

1899年、年齢をごまかして15歳で堤ケ丘尋常小学校臨時雇いの教師に。
この年譜の暮鳥は若干、岡崎さんに似てるような気がするのだがそれでも15歳で教師って・・・よく採用されたなあ。ふけてたのか、暮鳥さん(おいっ)採用する方もわかってて雇ったのかもなあ。
1901年高崎聖公会日曜学校でミス・ウォールにも英語を学び、次第にキリスト教へ心惹かれていく。

翌年18歳で前橋の聖マッテア教会にて洗礼受ける。ミス・ウォールが青森の教会へ赴任となるや、教師の職をなげうって(ごまかしてまで雇われたのに)彼女の手伝いをせんがために青森へ。
情熱の人、暮鳥さんなのだ。こうと決めたら一途なのだ。

1903年19歳、東京築地・聖三一神学校入学。翌年、木暮流星の名で「白百合」に短歌を発表。この在学中に詩や短歌の創作を開始した。

1905年21歳、日露戦争徴兵され満州に渡る。
22歳、復学。
23歳、雑誌「文庫」に新体詩「白樫よ」発表。短歌から新体詩明治になってから西洋の詩の形式を取り入れた詩)に興味うつり、蒲原有明三木露風前田夕暮らに近づく。前田も1906年に洗礼をうけクリスチャンに。
1908年 聖三一神学校卒業。秋田キリスト教伝道師(牧師)として赴任。赴任早々、「秋田魁新報」へ文語詩発表。その数か月後からは口語自由詩を発表(1年で70篇)
25歳、「40日間、吹雪の御嶽山瞑想。神の声を聴き、天上に十字架を見た」
この頃より、山村暮鳥の筆名を使いだす。
28歳あたりまで仙台福島茨城と教会を転々とする。

1913年、29歳。ボードレール詩篇を「詩歌」に発表。ニーチェなどの哲学ウパニシャッドなどの古代神秘思想に傾倒。
この年、結婚もされとりまする、暮鳥はん。
1914年 文通で進行を深めていた萩原朔太郎室生犀星人魚詩社設立。なんて豪華なメンバーでしょうね。
長女誕生。福島農民詩人、三野混沌と知り合い、生涯の親友となる。
1915年 甘夏さんの御父上が古本屋で入手したという「聖三稜玻璃」刊行。会場でこの大事な蔵書を拝見しました。
うかつにさわれない、貴重な思い出の詩集。グラシンをかけたい本とはこういう本を指しまする。
1916年この「聖三稜玻璃」は実験的であまりに前衛、尖鋭的で一部には共感を得たものの、悪評が多かった。そんなこともあり、朔太郎と犀星が創刊した詩誌「感情」に誘われず。
ボードレール散文詩十四章」訳詩などを「感情」へ発表。がよくないことは重なるもので「上毛新聞」に山崎晴治より誤訳の指摘、批判が掲載され、卒倒。
1917年、暮鳥、平明な表現に転向。自伝で自分はよみがえったと。
1918年次女誕生。大喀血、病気保養で暮鳥、千葉北条町へ。
1919年、治癒せんとクビやでと茨城の転任先の聖公会からいわれるほど、体調悪いのに4日間で「ちるちる・みちる」を完成させる。あの名作を4日で!
1920年 暮鳥への経済援助を目的とした「鉄の靴」会、発足。当時、結核は不治の病。山に三野混沌と住もうとしていたが麓の住民から下山要求もでたことがある。
39歳になると病臥の日が年に半分以上にもなる。
1924年、40歳。草野心平が訪問。12月8日永眠。

さ、この詩を誰が読まされるのか。一番注目をあびたであろう最も読みづらい詩がそう、「風景 純銀もざいく」
だがGさんがこれを心に染み入るようにじっくりと朗読をして下さいました。
この詩は3連からなりますがいちめんのなのはなというフレーズが24回でてきます。これだけ同じ表現が続くと読むほうも
大変です・・・これはビジュアル詩だとも思うのです。この3連の詩を目にすると毎回、なのはながせまってくる。とてつも
ない圧迫感なのです。その緊迫感をふっとゆるめるかのように各1連に1行だけ違うフレーズになっていて、このへんが上手いというか、面白い。こういう詩を思いつくというのがすでにすごい。

「春」では表現のきれいなこと。よくこんな表現できるなと感嘆するしかない。特に2行目
木目のやうな水の夢

最後の2行もすてきなので
夢と影とのかたらひよ、
みあかぬ色のうす浅黄。

こういう詩は口ずさみたい詩ですね。

なのはなの詩とは違う意味で朗読泣かせともいえるのが「囈語」
これはすごくリズムがよく、そういう意味では朗読向き。

窃盗金魚 に始まり
誘拐かすてえら
で終わるこの詩は犯罪用語の熟語にらっぱやらひばりやら林檎やら全然関係なさそうな言葉をくっつけている

なぜ窃盗に金魚なのかとこれ、全部、意味を考えていくのも面白いかも

「人間の勝利」最初と最後の各4行くらいがとてもいい
人間はみな苦んでゐる
何がそんなに君たちをくるしめるのか
しっかりしろ
人間の強さにあれ
人間の強さに生きろ

これでもかと
重いくるしみ
重いのが何であるか
息絶えるとも否と言へ
頑固であれ
それでこそ人間だ

詩集「梢の巣にて」のあとがきでなにより、目に飛び込んでくる1行
暮鳥、汝のかく詩は拙い、だがそれでいい。

技巧をもてあそぶな、真実であることを何よりもまづ求めろと。

もうひとつ詩集「雲」の「序」抄もすっとばすわけにはいかん。前回の暮鳥の時も書いたけどやはりこの一文が忘れられない。
詩が書けなくなればなるほど、いよいよ、詩人詩人になる。

暮鳥で好きなのが「雲」
おうい雲よ
いういうと
馬鹿にのんきさうぢやないか


暮鳥さんは同じタイトルでいくつも詩を書いている。最後にこれも気に入ったので。
「林檎」
ふみつぶされたら
ふみつぶされたところで
光つてゐる林檎さ

これが今回、一番、胸に突き刺さった。最後の最後で。

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