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2016-02-29

ソ連空母建造前史2〜航空戦艦/プロジェクト71/プロジェクト72

23:57 | ソ連空母建造前史2〜航空戦艦/プロジェクト71/プロジェクト72を含むブックマーク

ソ連空母建造前史1

 イズマイル改造案からコムソモーレツ改造案に至るまでの最初期の一連の空母建造計画の次に訪れた空母保有の機運は、1930年代海軍力増強計画の策定であった。

 1938年〜1942年の第3次五カ年計画と関連して1930年代ソ連海軍力増強のため赤色海軍参謀オルロフ・ウラジミール・ミトロファーノヴィチルディー・イワン・マルティノーヴィチの主導で大規模外洋艦隊整備計画を画策したが、その計画では赤色海軍は重点的に戦艦重巡洋艦を整備する一方で空母も導入することになっており、6隻の空母を建造して4隻を太平洋艦隊・2隻を北方艦隊へ配備することや正規空母4隻と軽空母8隻の合計12隻を建造すること等が想定された。しかし最終的に空母は2隻(北方艦隊1隻、太平洋艦隊1隻)のみ建造に修正されることになる。根本的には1940年に大規模外洋艦隊整備計画が縮小されたことが原因だが、他の理由としては赤軍(陸軍)重視のソ連において空母が”洋上劇場”とみなされまたスターリン空母より戦艦重巡洋艦を重視した事と、赤色海軍空母護衛艦艦載機を必要としており多数の空母建造はそれらの整備に支障をきたすと考えられた事が挙げられる。それでも1937年には国防人民委員部によって空母建造が承認され、第3次五カ年計画に従った1930年代中頃からの空母建造計画はこの枠組の中で実施されることになる。

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(↑航空戦艦1935年案)

 この頃のソ連航空母艦戦艦ハイブリッド型―いわゆる航空戦艦(あるいは航空巡洋艦)―を構想しており、その第一弾として1935年に航空戦艦の暫定計画が策定された。この航空戦艦は29,800トンの排水量を持ち、21万馬力の機関出力で35〜39ノット(!)を発揮するとされた。砲熕兵器として9門の305mm砲と16門の130mm砲および18門の45mm機関砲を有し、60機の艦載機を搭載できる。側面装甲は最大200mm、水平装甲は最大125mmとされた。しかしこれらの要求性能は明らかに過酷なものであり、特に装甲と速力の両立は極めて困難と言っても過言ではない。ソ連造船業界がこの様な艦船を建造することが不可能であることはすぐに明らかになった。

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(↑プロジェクト10581 C案)

 1937年からアメリカソ連のための航空戦艦が開発された。これは駐米ソ連大使の求めに応じて行われたものだとされる。アメリカで設計されたもののうち最も興味深いのがプロジェクト10581で、A・B・Cの3つの設計案が存在した。プロジェクト10581はギブス・アンド・コックス社が設計したものだが、この会社はこの種の艦船―おそらく空母―を設計した経験がなかった。このプロジェクト10581はとても贅沢な艦で、なんと排水量は7万3千トンに達し約30万馬力の機関出力で34ノットを発揮した。主砲も8門の457mm砲ないし12門の406mm砲を装備するといった具合で、副砲の類に至っては28門の127mm砲と32基の28mm機関銃を有するという壮大な計画である。艦載機は各種合計36機と水上機4機を搭載し、発艦の為に飛行甲板前方に2基のカタパルトを設置する予定だった。

 しかしこの設計は主砲塔や上部構造物が飛行甲板と空気的に干渉して大きな乱流を発生させて発着艦に支障をきたすことが明白であり、しかも最も現実的なC案でもその性能や規模は赤色海軍が導入するのに適当であるとは言いがたかった。それでもソ連技術者達はプロジェクト10581の航空力学的に最適な飛行甲板の設計を発見するために中央流体力学研究所(ツアギ・TsAGI・ЦАГИ)の風洞を使用して研究を重ねていたそうで、一見珍妙に見えるこの設計案ではあるが大真面目に空母(の代替品としての航空戦艦)保有の為に行っていた研究の産物の一つと言える。

 しかし最終的にソ連は航空戦艦の導入を断念することになった。この種の設計はそれが計画であるうちは優れているように見えるが、実際に建造することを考える段階になると上述の乱流の問題や費用の問題そして戦闘時の安定性の問題(空母と違い航空戦艦は最前線で戦わないと意味が無いがそうすると飛行甲板の機能を喪失する可能性が高くなる...発見されると高価値目標なので優先的に攻撃される...などと言った点)が存在していることが判明し、あまり賢明ではないと考えられるようになった為である。

 


 航空戦艦が芳しくない結果を残した一方で1939年4月28日に海軍人民委員就任したニコライ・クズネツォフは大いに空母導入を支持していた。また1939年1940年に行われた対外貿易人民委員によるドイツ視察では空母グラーフ・ツェッペリンの建造現場を訪問し、ドイツ側に拒否されたもののグラーフ・ツェッペリン購入もしくは同型艦ソ連売却の打診を行っており、ソ連空母保有の機運は決して衰えてはなかった。しかしスターリンはソビエツキー・ソユーズ級の様な大型戦艦の整備に意欲を燃やしておりクズネツォフは彼の方針対立しながら空母導入を目指さなければならなかった。それでも冒頭で述べたとおり1940年以降においても空母2隻(北方艦隊1隻、太平洋艦隊1隻)の建造は健在であり、クズネツォフは北方造船所にプロジェクト71と呼ばれる空母の設計を命じた。

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(↑プロジェクト71A)

 アメリカで航空戦艦の設計が行われると同時に、ソ連では航空戦艦に懐疑的であった国内の造船業界によって1935年から従来型の空母の開発が進められていた。1938年6月27日に赤色海軍は北方造船所に対して軽空母プロジェクト71Aの設計案に対する戦術的・技術的要求を出し、1939年半ばには予備設計が完了した。これは赤色海軍ソ連造船業界にとって適切な規模と性能のものだった。排水量は約11,300トンで、、KV-68式重油専焼水管缶とTV-7式ギヤード・タービンを組み合わせた機関は12万6千馬力の出力を持ち33ノットの速力を出すことが出来る。船体と機関はチャパエフ級軽巡洋艦(プロジェクト68)のものを流用することで設計の手間を省いていた。武装は8門の100mm両用砲と4連装37mm機関砲を4基そして20基の12.7mm機関銃である。艦載機として20機の戦闘機と10機の雷爆撃機の合計30機(32機説もある)を搭載し、空気式カタパルトを2基備えるがカタパルトは悪天候か最大ペイロード付近で発艦する場合などのみ使用する。航空戦艦プロジェクト10581の様な事態を招かないために外見は航空力学観点から最適化されていた。

 プロジェクト71Aはコムソモリスク・ナ・アムーレの第199造船所で1番艦が建造されることが決定し1942年には起工されるはずであったが、大祖国戦争に突入したため計画は実行されなかった。ちなみに1938年〜1939年版のジェーン海軍年鑑ではプロジェクト71Aとほぼ同諸元の艦を空母クラースナヤ・ズナーミャと紹介し、1939年1940年レニングラードで2隻が起工されると記載していたとのこと。他に北方艦隊向けは艦名クラースナヤ・ズヴィズダ、太平洋艦隊向けが艦名チカロフだとする資料もあるが、命名の規則性に疑問点があり信頼性は今ひとつな話である。

 プロジェクト71には71・71A・71Bの3つの設計案があり、プロジェクト71は1936年〜37年に設計されていた1万1千トン級の艦載機40機〜45機という案で、プロジェクト71Bは1938年〜39年設計のより大型で排水量3万トン・艦載機70機を搭載できる案であり、このうち最も適当とされたプロジェクト71Aが採用されたとも言われるが、いかんせんプロジェクト71と71Aを区別していない資料もありこの辺りの経緯を詳しく解説した資料が見当たらなかったので詳細はご容赦願いたい。あるいはプロジェクト71Bは空母建造数削減以前に想定された正規空母の設計案という考え方もできるが実態は不明である。

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(↑プロジェクト72)

 大祖国戦争中の1944年に大戦の戦訓を反映した艦艇の設計をするように政府要求を出し、1945年にはクズネツォフ主導のもと海軍人民委員部が設置した特別委員会で空母建造を盛り込んだ10ヶ年艦隊整備計画(1946年1955年)がまとめられたことで再び空母保有のチャンスが訪れた。この計画においてクズネツォフは正規空母および軽空母を合計6隻建造することを提案したが、スターリンは北方艦隊向けの軽空母2隻のみを承認した。この動きに伴い大祖国戦争中にも続けられていた空母研究の成果は1944年にЦНИИ-45で纏められたプロジェクト72という設計案に結実することになる。しかし赤色海軍空母の必要性を一応は認めていたものの(この時点に限ったことではなく戦前もそうであったが)空母に関する上層部の意思統一が図れず、最大の空母支持者であったニコライ・クズネツォフも1947年に失脚してしまい結局プロジェクト72は建造されなかった。

 プロジェクト72には2つの設計案があるとされ、1つはイギリス空母イラストリアス級とほぼ同規模の基準排水量約2万3千トン・満載2万8千トンで艦載機30機搭載というものであり、もう一方は排水量3万トン以上(満載排水量満載排水量37,390トン?)で艦載機62機搭載というより大型のものだった。最終的には前者が正式案とされたようである。特殊な航空関連艤装としてカタパルトやスタビライザーそして着艦表示灯を装備する。航空燃料の保管と航空機への燃料供給については研究が重ねられており、燃料タンクは周囲を注水区画で囲むことで他の区画から隔離しタンク内部には不燃性ガスが充填される。また燃料パイプラインも同じく不燃ガスによる対策がなされている。



【参考】

ソ連の空母〜歴史と戦闘での使用

戦前のソ連空母〜実現しなかった計画たち

ソ連の空母プロジェクト〜海のフライング・ダッチマン

ソ連の空母開発1925年〜1955年

ソ連空母プロジェクト71とプロジェクト72

2016-02-20

ソ連空母建造前史1〜イズマイル/ポルタヴァ/コムソモーレツ

| 20:08 | ソ連空母建造前史1〜イズマイル/ポルタヴァ/コムソモーレツを含むブックマーク

 ソ連空母建造についてはモスクワ級からウリヤノフスク級に至るまでの経緯は比較的知られていますが、曲がりなりにも一種の空母としてモスクワ級が結実するまでに生まれた有象無象の計画についてはあまり知られていないようです。時代的にも自分の趣味対象からはやや外れていますが、一応記事にまとめる目処が立ち始めたので一連の経緯を認めてみることにしました。そこまで大層なものではありませんが完走し切るかもわかりませんし、資料の読み間違いや事実誤認もどこかにきっとあると思いますがどうかお付き合い下さい。

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 ソ連初の具体的な空母建造計画は、1925年に発案された建造途中の巡洋戦艦イズマイル(イシュマエル・Измаил)を改造するというものであった。

 イズマイルは巡洋戦艦としてアドミラルティ造船所で建造されていたが、クロンシュタットの反乱における反乱軍と赤軍交戦でドックが損傷し、イズマイル自身も右舷中部甲板の後部にダメージを受けた。1921年9月3日にイズマイルは未完成のままドックから搬出されクロンシュタット軍港の外れの桟橋に係留され、最低限の整備は施されたものの1920年代の前半はそこで放置されることになる。1925年6月14日に軍事造船プログラムに関する会議が開催され、そこでイズマイルの空母への改造が発表された。1925年7月にソ連革命評議会が採択した”赤色海軍強化五カ年計画”ではソ連初となる空母1隻の建造が予定され、これはイズマイルを空母に改造することで達成されることになっていた。ただし1925年3月には既にイズマイルの改造について決定されていたとする資料もある。イズマイルの改装は1926年2月から1928年8月1日の間に行われることになり、総工費は14,334,000ルーブル(造船費用10,600,000ルーブルと各種兵装3,734,000ルーブル)と見積もられた予備設計プランも作成されたが、1926年3月16日にイズマイルの空母改造は資金不足を理由に中止されてしまった。これは予算配分で陸軍(赤軍)が重視されたためである。計画中止に伴い、イズマイルはスクラップにされることになった。しかし機関の据え付けや全ての水平装甲と垂直装甲の2/3の取り付けが完了している巨大な巡洋戦艦を廃棄するのはあまりに無駄であるということで、1930年代初めにイズマイルを使用して艦船の装甲や防御構造及び戦闘について実験を行う計画が立てられた。異なる距離や角度から砲弾を発射しどの様な場合に装甲を貫通することが出来るのかという実験が行われた。また120kg、250kg、500kgのTNT火薬を詰めた弾頭を持つ魚雷に近接信管を取り付けて発射する雷撃実験も行われ新たな知見を得ることに貢献した。赤色空軍はイズマイルを標的にして爆撃を繰り返し、対艦爆撃の失敗率に関する経験を得ることが出来た。これら全ての広範な実験は赤色海軍や赤色空軍あるいはその他の数多くの当事者たちと予定をすり合わせて実施しなければならないほど頻繁に行われたが、1930年秋には予算の都合で実験は終了しイズマイルは今度こそスクラップにされた。1931年から解体が始まり、1932年4月の時点でイズマイルは喫水線より上の構造物を失っていたが、興味深いことにこの時点でもなお喫水線下への攻撃を行う実験が計画されていたという。

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(↑イズマイルの進水式)

 赤色海軍科学技術委員会が行った将来空母に関する決定よれば、空母バルト海での行動が想定され、敵基地攻撃への従事や外洋での艦隊戦で制空権確保・敵艦船攻撃を行うことが求められた。艦隊に所属する艦艇としては継続的な空中哨戒・航空偵察の役割を担うことが期待された。

 空母イズマイルの排水量は22000トンと見積もられ、巡洋戦艦からの改造ではあるが、(初期のフューリアスなどとは異なり)飛行甲板は艦の全長及び全幅一杯まで切れ目なく続く全通式となっており、その艦首部分には2基のカタパルトを装備することになっていた。艦載機は50機の搭載を予定し、内訳は戦闘機27機・雷爆撃機12機・偵察機6機・観測機5機であった。これら艦載機のための格納庫は上甲板と飛行甲板の間に設けられ、艦載機の移動に必要な高さが確保されていた。敵の軽巡洋艦や航空攻撃から身を守るために、空母はそれぞれ8基の7.2mm機関銃と100mm〜127mmクラスの艦砲及び2基の40mm機関砲を搭載したが、魚雷発射管は装備されなかった。装甲については2つの案が提案され、1つ目は巡洋戦艦時代の側面装甲の代わりに喫水線部分に75mmの装甲を施すという案で、2つ目は装甲を廃止するという案であった。推進機関は巡洋戦艦時代のものをそのまま流用しており、重い艦砲を撤去したため速力は27〜30ノットに達すると考えられている。航続距離は全速で1000マイル、経済巡航速度で3000マイルとされている。

 

 同時期の未成艦の空母転用計画としては他に戦艦ポルタヴァ改造計画(あるいはミハイル・フルンゼ改造計画)があり、これがソ連で2番目の空母建造計画になる。

 戦艦ポルタワはガングート級戦艦3番艦としてアドミラルティ造船所で建造中だった1919年11月25日に第一ボイラー室から出火し12〜15時間後に消化されたものの、2基の蒸気ボイラー・中央の砲塔関連施設・電気配線や発電機を焼失してしまった。修復が試みられたものの財政面から断念され、資材は他の姉妹艦に転用された。1924年9月2日に艦砲はポルタヴァから完全に撤去され、1926年1月7日に艦名がミハイル・フルンゼに変更された。艦の処遇については単純に元の状態に復元することが考えられたが、空母に改造した上で黒海艦隊に編入する案も挙げられた。しかし1927年8月5日に結局ミハイル・フルンゼは新型の機関を搭載したガングート級戦艦として完成させることが決定され空母への改造は行われなかった。なおその後もミハイル・フルンゼの建造は資金の問題などから遅々として進まず、大祖国戦争ではドイツ空軍に対する囮として未完成のままクロンシュタットに係留されるという一応の活躍をしたが1946年に解体された。

 空母としてのポルタヴァ/ミハイル・フルンゼは2基の76mm砲と10基の対空砲を有し4基の魚雷発射管を装備することになっていた。元が戦艦であるため側面で最大250mm・水平面で最大100mmという空母イズマイルと較べても堅牢な装甲を持ちながら見積もりでは全速で30ノットを発揮できたという。航続距離は全速で1800マイル、経済巡航速度で3800マイル。艦載機を50機搭載できる。


 これらに続いて提案されたのが、3番目の改造計画になるコムソモーレツ改造案である。

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(↑練習艦コムソモーレツ)

 コムソモーレツは客船を原型とした練習艦で、1903年3月5日に就役していた。1927年共和国革命軍事会議はコムソモーレツを練習空母として改造する決定を下し、SHON(ШОН)と呼ばれる攻撃機も試作されたが技術設計及び船体の近代化の資金が不足したため計画は中止されてしまう。陸軍(赤軍)を重視する当時のソ連の”小さな海軍”コンセプトは空母と相容れないものであったのもその要因と考えられる。そしてこのコムソモーレツ改造計画以降しばらくは空母建造計画が立案されることは無く、ソ連空母保有計画は1930年代半ばの大規模な艦隊拡張まで待たなければならなかった。

 空母コムソモーレツの排水量は1万2千トンで、航空機を42機(戦闘機26機・攻撃機16機)搭載し、砲熕兵器として102mm連装両用砲と40mm対空砲を備える。速力は客船ベースの艦であるからか15ノットと低速である。ただし下の図を見ればよくわかると思うがどう見てもまともな方法ではコムソモーレツの大きさで42機も航空機が載るとは思えないので、これはおそらく最大限運搬可能な機数という程度の意味合いだと思われる。

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(↑コムソモーレツ空母改造案)

 

 コムソモーレツで艦載機として考えられたのは戦闘機И-5К(I-5K)と攻撃機ШОН(ShON)で、これらはソ連最初期の空母艦載機であり、言い換えればイズマイルあるいは同時期のミハイル・フルンゼが改造計画の俎上に上がっていた当時はロシア国内に艦載機は存在して居なかったということになる。イズマイルの時には外国機の輸入を考えていたようだが、政府は輸入を断ったという。

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(↑主翼を折りたたんだШОН)

 ШОНはЦКБが開発していた陸上襲撃機のТШ-2(TSh-2)艦載機化したもので、1930年4月末から開発が開始され1931年に初飛行した。ドイツBMW VIエンジンを単発で搭載し、680馬力の出力を有する。主翼は木製布張りで空母での運用の為に主翼は折りたためるようになっている。武装は5丁の7.62mm機関銃と爆弾である。元々が陸上襲撃機だったШОНの機関銃は自衛用で旋回式の1丁を除く4丁が斜め下向きに取り付けられており、飛行しながら地上に機銃掃射するのに便利なようになっていた。しかし運用試験を重ねるに連れてこの機銃の配置は艦載機としては不適切であることが判明したため改良が加えられることになった。また様々な作戦が予想される一方で空母に搭載できる機体の数には限界が有るため、艦載襲撃機は容易に装備転換できる多用途なものでなければならないと考えられた。

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(↑改良型ШОН。上から機体正面・機関銃コンテナ装備・爆弾装備・燃料タンク装備)

 これらを反映した改良型ШОНが1932年春に登場し、エンジンもBMW VIソ連ライセンス生産したミクーリン M-17に変更された。問題となった機関銃の配置は、コンテナに2丁の7.62mm機関銃を収めたものを両主翼下に1つずつ合計4丁装備することになった。このコンテナは簡単に取り外すことができ、機関銃の代わりに100kgまでの爆弾1つもしくは90kgの燃料タンク2つを取り付けることが可能で、つまり容易に装備転換が出来る。胴体下には250kgまでの爆弾を懸架可能で、さらにこれとは別に100kg爆弾を搭載できるハードポイントを有していた。機関銃コンテナを装備した場合は最大300kg、機関銃コンテナを撤去した場合は最大500kgまで爆弾を搭載できる。また機関銃コンテナを撤去して燃料タンクを装備した場合は航続距離は800kmであった。

 ШОНの飛行性能は優秀であったがコムソモーレツの空母改造計画が中止されたため艦載機としての道は閉ざされてしまった。一方で30機程度が生産されたようで練習攻撃機として1930年代末まで使用されていたとされる。

 И-5Кはポリカルポフの陸上戦闘機И-5(I-5)を艦載機化したものだが、詳細は不明である。オリジナルのИ-5の初飛行が1930年4月29日で赤色空軍への採用が1931年なので、ШОНと同世代の機体になる。1936年には後継機И-15К(I-15K)が用意されるが、こちらもポリカルポフの陸上戦闘機И-15(I-15)の艦載機型である。

 同じく1936年には陸上機襲撃機R-5を改設計して雷撃機化したR-5Tが登場し、これも艦載機として目されていた。R-5Tはイタリアから導入した450mm魚雷”фиумскую”を使用する。これは国産魚雷でR-5Tに搭載できる適当な性能のものが無かったためである。しかしR-5Tは単座機であり、また7.62mm機関銃を2門有しているものの単座であるため自衛も難しいことから1937年には新たな雷撃機の開発が始まることになる。

ソ連空母建造前史2

【参考】

ソ連の空母〜歴史と戦闘での使用

戦前のソ連空母〜実現しなかった計画たち

Библиотека ВМФ 「巡洋戦艦イズマイル」

istmat.info

Альтернативная История

2016-02-16

ゼレノドリスク工場は黒海艦隊向けにプロジェクト22160コルベットの3番艦を建造する

| 12:07 | ゼレノドリスク工場は黒海艦隊向けにプロジェクト22160コルベットの3番艦を建造するを含むブックマーク

(FLOTPROMより)

 プロジェクト22160は領海の防衛・排他的経済水域のパトロール・密輸や海賊の取り締まり・海難事故被害者の捜索及び支援・環境モニタリングの為に設計いる。排水量1300トンという小型の艦船であるにも関わらず、プロジェクト22160は80人の乗組員が搭乗した状態で2ヶ月の自律行動が可能になっている。動力は2機のエンジンを組み合わせたCODAG方式で、発電能力は25000kWになる。CODAG方式では、経済速度で航行する場合は1機のディーゼルエンジンのみを稼働させ長い航続距離を実現させ、30ノットでの全力航行を行う場合はディーゼルエンジンに加えてガスタービンも同時に使用する。捜索能力拡充や捜索救難任務の為に、12トン級ヘリコプターを搭載することが出来る。標準的な武装としては巡航ミサイル"カリブル"を搭載する。

 プロジェクト22160の1番艦"ワシーリー・ビコフ"は2014年2月26日に起工された。2番艦は2014年7月25日に"ドミトリー・ロガチェフ"と命名された。3番艦は、ソ連海軍で最も栄誉ある艦長でもある大祖国戦争ソビエト連邦英雄パーヴェル・イヴァノヴィッチ・デルジャーヴィンの名を冠する。彼は大祖国戦争当時にドナウ小艦隊で旅団長を務めていた。

【以上】

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(↑プロジェクト22160)

 プロジェクト22160はコルベット哨戒艦クラスの艦ですが、2ヶ月にも及ぶ長い行動期間を持ちその航続距離は約6000海里にも及びます。より大型のステレグシュチイ級の航続距離が3500海里で行動期間が15日でしかないのと比べると、長期間の作戦行動が可能であり十分に大洋ゾーン艦を名乗れることがわかります。一方でその排水量は1300トンでしかなく、搭載できる兵装やセンサーには限界が有るために決してより大型の艦船を置き換えることは出来ません。小型であるため大洋ゾーン艦と言ってもその行動には海面状況など一定の制限が掛かることも想像できます。遠距離進出して長期間に渡り哨戒を中心にした多様な任務を遂行できるコルベットというのがプロジェクト22160の本質でしょう。

 プロジェクト22160は黒海艦隊と北方艦隊向けに12隻が建造予定です。当初は6隻の予定でしたが、大洋ゾーン艦が不足しているという理由で追加が決定されています合計6隻が2020年までに建造予定です。このクラスの艦に多様な装備を搭載することはコスト高を招くという理由から艦砲とヘリコプターに限定されていましたが、ISILに対してカリブルによる攻撃を実行した頃にプロジェクト22160にもカリブルを搭載することが決定されました。プロジェクト22160はモジュール構造でありカリブルの追加搭載も可能ですが、西側諸国では往々にしてモジュール転換の手間や乗組員の慣熟の都合からモジュールは装備したままあるいは外したままになる傾向があるようなので歓迎すべき決定でしょう。これによってプロジェクト22160は哨戒艦というクラスを超えた火力を手に入れることになります。

 ヘリコプターを搭載可能なことも本艦の価値を高めていることは言うまでもありません。例示されていた密輸のパトロールや捜索救難ではヘリコプターが効率を大きく改善します。12トン級という数字とCGからKa-27シリーズの搭載を想定しているようです。ロシア国防省発表ではKa-27PS搭載とのことです。

高町紫亜高町紫亜 2016/02/17 18:30 以前には、22160を12隻建造するという話も確かに有りましたが、今回のロシア海軍広報部発表でも「2020年までに6隻」としか言っておりませんし、昨年5月に海軍造船管理部長トリャピチニコフ1佐も「6隻」と言っておりますから、現在の所、建造が決まっている(海軍から承認されている)のは6隻のようですね。

masousizukamasousizuka 2016/02/17 19:13 >>高町紫亜様
いま確認しましたが、確かに公式発表の方には2020年までに6隻建造と書かれてありますね。ご指摘ありがとうございます。

高町紫亜高町紫亜 2016/02/17 19:42 22160を12隻建造するというのは2014年4月に「軍事産業企業体の(匿名の)情報提供者」が言っただけであり、ゼレノドリスク造船工場のトップも2015年6月に「契約が締結された6隻」と言っていますからねえ。
2014年に「建造数を12隻に増やすべきだ」という意見が一部から出たのは確かでしょうが、採用には至らなかったのでしょう。

2015-11-22

 改キロ級からの巡航ミサイル攻撃の疑問

| 01:17 |  改キロ級からの巡航ミサイル攻撃の疑問を含むブックマーク

 Flot.comより

専門家ロシアの最新鋭潜水艦ロストフ・ナ・ドヌー”がISILに対して行ったカリブルミサイルの発射について疑問を抱いています。専門家によると、攻撃が行われたとされる日に” ロストフ・ナ・ドヌー”はミサイルをISILが首都と称するラッカに対して発射することは出来なかったはずだということです。

 専門家及びブログ”navy-korabel”の執筆者Александра Шишкинаは” ロストフ・ナ・ドヌー”はクロンシュタットを11月4日に出港し、それ以降は平均約7.5ノットで航行しているのでミサイル攻撃を行ったとされる11月17日にはカリブルの射程外のジブラルタル海峡にたどり着くのが精一杯だと主張しています。Александра Шишкинаは潜水艦の平均航行速度を約7.5ノットと見積り、ミサイル攻撃があったはずの時点で潜水艦地中海の西の端に居たという推測をしています。しかしこの場合でもラッカまでの距離は2300km以上であり、カリブルの射程外です。

 ” ロストフ・ナ・ドヌー”とほぼ同等の潜水艦であるB-261”ノヴォロシースク”艦長を務めるИгорь Курганов中佐は「もし” ロストフ・ナ・ドヌー”が同じ平均速度で浮上航行していたのであれば、11月17日の朝にジブラルタル海峡に差し掛かったといったところでしょう。そして事実そうであったのならミサイル発射は明らかに不可能です。また、巡航ミサイルの飛行経路の観点からしても極めて遠回りであり不便です。もし” ロストフ・ナ・ドヌー”がディーゼルエンジンではなくバッテリーを使用して潜行したのであったとしても(欧米の偵察衛星潜水艦が撮影されていないのでその可能性は高い)地中海の西部に到達するのが精々で、カリブルの射程ギリギリの場所です。」と語っています。

 専門家によれば、浮上航行する潜水艦の最高速度は12ノット以下で平均的には7.5〜8.5ノットです。どれくらい速度が出るかは、シーステートやその他の要素に大きく左右されます。潜行した潜水艦の最高速度は19ノットにもなりますが航続距離は400マイルしか無く、それ以上航行するには浮上してバッテリーを充電する必要があります。潜行と浮上を繰り返した場合の平均速度は約15ノットまで落ちます。クロンシュタットを出港した時点で燃料が満タンであっても、しかしこれでは燃料を節約することは実際にはできません。経済航行速度の3ノットを保てば潜水艦は7000マイルの航続距離を得ることが出来ます。

 メディア報道によれば、潜水艦ロストフ・ナ・ドヌー”は11月17日にISILが首都と称するラッカに対して巡航ミサイル攻撃を行ったとされていますがこれについての公式発表はありません。ただ、” ロストフ・ナ・ドヌー”が11月に補給を受けるためにクロンシュタットに立ち寄り、その際に埠頭の1つは軍によって閉鎖され道路は軍事車両で封鎖されていたというのは注目に値する興味深い出来事です。

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 カスピ小艦隊からのカリブル発射やTu-160・Tu-95SMからの巡航ミサイル攻撃は大々的に発表されているのに対して、行われたとされる潜水艦からのカリブル発射はあくまでも国防省筋の情報としてメディアが伝えているものであり公式発表はされていません。そのため本当に攻撃が有ったのかどうか疑問視されており、簡単な検証を行っているのがこの記事です。ディーゼルエンジンで浮上航行した場合でも水中航行した場合でもカリブルの射程内に” ロストフ・ナ・ドヌー”が到達しえたという確証は得られないと結論づけています。一方でクロンシュタットで補給を受ける際に厳重な警備が敷かれていたというのは興味深いことですが、カリブル自体は平時から積載していた可能性もあるのでクロンシュタットでの補給で新たに積みこんだとは限らないないでしょうし普段の警備体制との違いもあまり良くわからないので判断材料としては微妙なところでしょうか。なお、対地攻撃型カリブルの最大射程は2500kmとされています。

2015-11-20

ロシアがISILに対して実施中の一連の巡航ミサイル攻撃についての雑感

| 23:37 | ロシアがISILに対して実施中の一連の巡航ミサイル攻撃についての雑感を含むブックマーク

 現在ロシア軍は水上戦闘艦潜水艦航空機からISILに対して巡航ミサイル攻撃を行っています。

 一連の攻撃の火蓋を切ったのは、カスピ小艦隊でした。警備艦ダゲスタン(ゲパルト型/プロジェクト11661K)及び麾下の小型ロケット艦ブヤンM3隻の合計4隻が10月7日の早朝にカスピ海からシリア領土に向けて26発のカリブル有翼ミサイルを発射しています。ゲパルト型1番艦タタールスタンがウラン対艦ミサイルによる対水上打撃能力を備えているのに対し、ダゲスタンはSSMに代えて"3S14"VLSを8基搭載することでカリブルによる対地攻撃能力を備えています。これはブヤンM各艦も同様です。この4隻はカスピ小艦隊が有するカリブルを発射可能な全戦力でもあります。

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 カスピ海からシリアを攻撃するに当たって、巡航ミサイルイラクイランの領空を通過する必要があります。攻撃に際してロシア両国に許可を取り付けたとのことです。また、一部ではこの攻撃で発射されたミサイルの一部がイラン領土に落下したという報道も成されましたがロシア当局は否定しています。

 カスピ小艦隊は周囲にはアゼルバイジャンなどの油田地域があるとはいえ今まではあまり戦略上重視されてきたとは言えませんでしたが、ここに来て対中東戦略で新たな巡航ミサイル発射という戦略的役割が付与されたわけです。タルトゥースを通じたシリアへの物資輸送や地中海への部隊展開を通じて黒海艦隊は対中東戦略で大きな役割を担ってきましたが、同艦隊には高度な対地攻撃能力を備えた巡航ミサイルを装備した水上戦闘艦は存在しません。米空母撃沈を目指した冷戦型装備の艦船が殆どを占めており、ポスト冷戦に求められる地域紛争介入のための対地攻撃能力が欠けています。それに対してゲパルト型警備艦や小型ロケット艦ブヤンMなど、現代の軍事行動の目的に対応した装備を有する新鋭艦が配備されたカスピ小艦隊は小勢力ながら有力な艦隊だとも言えます。更に、シリアを攻撃するならカスピ海からならイランイランの領空をミサイルが通過する許可さえ取れば事足ります。黒海から攻撃するにはトルコと交渉する必要がありますし、わざわざ地中海まで出て行くとなると火力投射の周期も変わってくるでしょう。カスピ小艦隊から攻撃を行うのは軍事的にも政治的にも合理的だといえます。

 しばらく間を置いた11月17日にTu-95とTu-160による巡航ミサイル攻撃が行われました。これは11月のパリの自爆テロ及び10月のシナイ半島でのロシア機墜落を受けて行われたISILに対する空爆の一部です。空爆には12機のTu-22M3のほかTu-160・Tu-95MSが投入されており、このうちTu-160とTu-95MSが巡航ミサイル攻撃を行っています。Tu-22M3は目的に適合する通常弾頭巡航ミサイルを発射できないのでラッカやデリゾールへ侵入しての爆撃に徹しているようです。Tu-160やTu-95はカスピ海上から34発の巡航ミサイル攻撃を発射し、その中にはステルス性を持つ最新鋭の巡航ミサイルKh-101が含まれていたことから注目されています。主力のKh-55系列が射程3000kmとされているのに対してKh-101はカリブルの2倍の射程である5000km以上の射程を持つとされ、これはロシア領空から直接シリアを攻撃出来るほどです。以前からロシアはISILへの空爆目的と称してSu-30やSu-34あるいはSu-25など12機をシリアへ送り込んでいましたが、今後は更に大型爆撃機25機・戦闘攻撃機8機・戦闘機4機がロシアを拠点にISIL攻撃を支援する方針であり大幅に戦力が増強されます。

 さらに航空機による巡航ミサイル攻撃と同日の11月17日に潜水艦からも巡航ミサイルが発射されたとされています。攻撃したのは黒海艦隊所属の改キロ級(プロジェクト636.3)のB-237 ロストフ・ナ・ドヌーで、改キロ級はカリブルシリーズのうち3M14Eを運用する能力があります。ただし、この情報はロシア語一次ソースでも「国防省筋」が伝えたという表現がされており公式な発表では無いようです。



 一連の攻撃でロシア水上戦闘艦航空機潜水艦からの巡航ミサイルによる精密な火力投射能力を有していることを実証しました。ロシアアメリカ湾岸戦争で実施したような「開戦劈頭巡航ミサイル攻撃を行い敵を制圧する」戦術に強い興味を示しており長らく研究を行ってきましたが、それが実を結んだのです。こうした巡航ミサイルによる精密な対地攻撃は従来は主に西側先進諸国の特権的な能力だと考えられていましたがロシアもそういった国々の仲間入りを一応果たしたことになります。一連の攻撃には純粋な軍事的目的以外にも多分にデモンストレーション的目的も含まれているのでしょう。こうした目覚ましい能力発展も南オセチア紛争の戦訓や反省を反映した改革と無関係では無いでしょう。巡航ミサイルによる対地攻撃の困難については改めて説明するまでもないでしょうが、正確な測位システムや地図の整備や目標選定能力などが要求されるためハード面ソフト面共に技術と経験が要求されます。ロシアが高度なECM状況下でも先を行く西側諸国と同等の巡航ミサイル攻撃を行えるかどうかはともかくとして、このISIL攻撃はロシアに西側と同等の巡航ミサイルによる対地攻撃能力が備わっていることが実証された出来事として注目に値すると思います。

 ロシアソ連)と西側の巡航ミサイルと言えば、個人的に真っ先に思い当たるのがP-700とTASM(対艦型トマホーク)です。両者は射程はほぼ同じですが大きさは全く異なっており、トマホークは533mm魚雷発射管から運用できるほど小型であるのに対してP-700は重量が7トンにも達する超大型となっている。飛翔速度や誘導性能ではラムジェットエンジンを搭載し衛星誘導を併用できるなどP-700にも優れた点は有ったし米空母を確実に撃沈するためにあのような巨体が必要とされたとも言われているが、巨大化の一因に当時のソ連エレクトロニクス技術が西側より劣っていたという面もあるとも指摘されています。P-700の就役から約30年後に登場したカリブル(クラブ)有翼ミサイルは最大射程2500km程度とされており、これはトマホークの現行版のタクティカルトマホークの射程3000kmに匹敵するものです。サイズはこれもトマホーク並で、水上戦闘艦なら汎用VLS潜水艦なら魚雷発射管から運用できます。当時と求められる性能や目的あるいは状況(何が何でも米空母を沈めたいわけではない)が違うとはいえ、遂にP-700を生み出したソ連の直系たるロシアもここまで来たかと思うと少し胸が熱くなります。ところで、ロシア海軍は改キロ級を黒海艦隊以外にも配備する意向のようなので、地域紛争介入能力を主要艦隊が備えるのは意外と早くなるかもしれませんね。

 さて、水上戦闘艦からISILへの巡航ミサイル攻撃は前述したとおりダゲスタン及びブヤンMから行われています。どちらも小型艦艇であることは間違いありません。冷戦時代、地域紛争介入と言えばそのシンボルは巨大な米空母だとソ連は考えていたようで、アドミラル・クズネツォフまで本格的な空母を有しなかったソ連スカッドミサイルを装備した巡洋艦プロジェクト1080を設計し地域紛争介入を目論んでいました。結局プロジェクト1080は実現しませんでしたが、地域紛争介入の手段として巡航ミサイルに熱い視線ロシアが注いでいたことは間違いありません。その成果の1つがダゲスタンやブヤンMへのカリブル搭載であり、結果として今のロシア巡航ミサイル攻撃があるわけです。2013年にキーロフ級アドミラル・ナヒーモフは近代化されることが発表されましたが、そこで対艦ミサイルのP-700はP-800オーニクス及びカリブルに交換されることになっています。生まれ変わるアドミラル・ナヒーモフにかつてのプロジェクト1080が重なりますが、ロシアアドミラル・ナヒーモフの近代化を待たず全く対称的な小型艦艇で歴史的な巡航ミサイル攻撃を敢行しました。かつてP-700は大型艦にしか搭載できなかったのに対し、トマホークはその小柄なサイズを生かして駆逐艦潜水艦にも配備されそれまで戦略的存在感の乏しかった艦種に長射程かつ精密な対地火力投射能力を付与するという大仕事をやってのけました。今ロシア海軍ではそれと全く同じことがカリブルを通じて起こっているはずです。スカッドミサイル巡洋艦による地域紛争介入を目論んだソ連の大きな夢を、小さなカリブルミサイルを搭載した小さなコルベットが叶えたというのは何だか面白い話です。