ショパンとドビュッシー

最近YouTubeドビュッシーとかショパンとか聞きながら作業するのがマイブーム。


ショパンは母親が買ってきたCDで中学生のときによく聞いてた。ドビュッシーは映画『リリイ・シュシュのすべて』とかの影響で高校生のとき好きだったし、

中学生のとき「好きなアーティストは?」みたいな話になったときに

ショパンショパンすげーよ」

とか答えて周りの度肝を抜いてやったことがあった。

周りがラルクだとかミスチルだとか、ミッシェルガンエレファントとか言ってる中で、AKY(圧倒的に空気読めてない)発言である。まぁ中学生の俺はあえてそう答えたんだよ、たぶん。


ショパンドビュッシーは同じ19世紀のピアノ作曲家だけど、上の2つの曲をちょっと聴き比べてみても明らかにそこに音楽とか芸術に対する思想、哲学の変化が感じ取られる。ドビュッシーショパンなどそれ以前の作曲家とは全く違った発想で作曲に挑んでることがわかる。音楽界では印象主義とか呼ばれてるそうだ。

クロード・ドビュッシー - Wikipedia

ドビュッシーの音楽は印象主義音楽と俗に呼ばれている。印象派(ないし印象主義)という表現はもともと、1874年に最初の展覧会を開催した新進画家グループ(モネ、ドガセザンヌら)に共通していた表現様式に対する揶揄表現が定着したものであり、音楽における《印象主義》も、若手作曲家の作品への揶揄の意味合いを込めて用いられた表現である。ドビュッシー自身も、出版社のデュランに宛てた書簡(1908年3月)の中で、この用語に対して否定的な見解を示した」

印象派の絵は当時の画家たちに「絵の具の無駄!」とか言われたらしいけど、ドビュッシーも「音響の無駄!」とか言われたりしたのだろうか。
いつの時代も新しいことをしようとすると批判や抵抗が起こるのだなぁ。