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macroscope

2015-08-27

グラフのまちがいもあるが、むしろ論旨に対してデータの選択が不適切 (気候の話題で)

文部科学省が編集した高校生向け教材の中で、人の妊娠しやすさに関するグラフが不正確に引用されていたことと、さらにそのグラフが示す情報がそれを使った本文の記述に合っていないのではないかという疑いについて、見聞きしている。この教材は少子化対策の政策に関連すると位置づけられたので、内閣府の少子化対策担当の人が持ちこんだ材料があり、そこに情報の質の低下、あるいはもしかすると意図的なプロパガンダがはいりこんだ可能性があるようだ。この件はわたしにはむずかしいので、とうぶん立ち入った議論はしないことにする。】

気候の分野でも、人々の判断に影響しうる科学的データの選択と提示のしかたが不適切だった、という現象が起きていたのを思い出した。ただし政府機関は直接関与していない。この件は、共著者としてかかわった明日香ほか(2009)の文書中でもふれているが、それ以後に知ったこともあるので、今のわたしの認識としてまとめておく。

直接には、Keigwin (1996)による海底堆積物に基づく過去3千年の海水温復元推定のデータが使われた際に起きた事件だ。

使われた文脈は、いわゆる「ホッケースティック論争」([別記事]参照)と一連のもので、いま起きている温暖化が人間活動起源かどうかの判断に関連する。産業革命前の気温変動は人間活動起源ではなく自然に起こった変動だろう。西暦1000年前後の数百年(仮に「中世」と呼ぶ)は最近と同等あるいはそれ以上に温暖だったのではないかという考えがある。「人間活動起源の二酸化炭素の気温に対する影響は小さく、二酸化炭素排出を削減する必要はない」と考える人たち(仮に「地球温暖化懐疑論者」と呼ぶ)が、この考えを正しい事実として主張することが多くあった。

明日香ほか(2009)の第3章3.1節「議論6」では、赤祖父(2008)および武田(2008)によるKeigwin (1996)のデータの扱いを問題にした。なお武田(2008)は出典を「S. Akasofu, Feb.27,2008」としている。あとで述べるように、主張の根拠としてこのデータが適切かが主要な問題なのだが、むしろ副次的な問題である、データを図にする際のまちがいの件を先にとりあげる。その図はKeigwinの論文に印刷された図をそのままトレースしたものではなく、そのデータをだれかが作図しなおしたもので、その過程でまちがいがはいりこんでいるのだが、明日香ほか(2009)の文章を書いた時点では、赤祖父氏のオリジナルなのかだれか別の人のしわざなのかはわからなかった。

他方、明日香ほか(2009)の第1章「議論1」で、Oregon Petition (明日香ほかでは「オレゴン嘆願書」と訳した)という温暖化懐疑論の活動について述べた。これはもともと1998年に、アメリカ合衆国連邦議会に対して、1997年12月の気候変動枠組み条約締約国会議で合意された京都議定書を批准しないように求めるものだったが、その後も同じ趣旨で続けられた。ウェブサイト http://petitionproject.org/ は今もある。呼びかけの主導者はOregon Institute of Science and Medicineという私立の研究機関代表者のArthur B. Robinsonだったが、署名よびかけの文書にはGeorge Marshall InstituteのFrederick Seitzの手紙が「もと科学アカデミー会長」という肩書きつきで含まれ、またレビュー論文のようなものが科学アカデミーが出している学術雑誌とまぎらわしい形で含まれていた。(科学アカデミー理事会はこれはアカデミーとは無関係であるという声明(NAS, 1998)を出した。)

この「レビュー論文のようなもの」はRobinson, Robinson, Baliunas, Soon (1998)であり、当時は未出版だったのだが、1998年のうちにJournal of American Physicians and Surgeons (JPandS) という雑誌に出版されたそうだ。ただしJPandSのウェブサイトで公開されている論文は2003年以後のものでこれは含まれていない。ここではネット検索で見つかった雑誌名のないPDFファイルが署名呼びかけで配られた本物だと推測しておく。2007年にふたたび署名呼びかけがあり、このときにはRobinson, Robinson, Soon (2007)のレビュー論文が、今度はJPandSに出版されたもののコピーの形で含まれた。こちらはJPandSのサイトにある。なおArthur Robinsonとその息子のNoah Robinsonの専門は生化学、Soonの専門は天体物理学である。

これを見ると、赤祖父(2008)、武田(2008)が使った図は、Robinsonほか(2007)のFigure 1と同じものにちがいない。(といっても、Robinsonほかの文書が直接の出典だとは限らないが。) そして、それは、Robinsonほか(1998)のFig. 2に、「2006」の点を書きくわえたものにちがいない。もとのKeigwin (1996)の論文でこれに対応するのは、Fig. 4(B)である。

Robinsonほか(2007)の論述について気候科学者からいろいろな批評があったが、まとまったものとしてはMacCracken (2008)のものがある。とくにKeigwin (1996)のデータの扱いについては、Boslough と Keigwin自身が2010年にアメリカ地質学会(GSA)の会合で発表した内容が、Olson (2011)がネット上に置いたファイル中で紹介されていた。

Robinsonほかの図は、Keigwinの論文の図とは、見かけが明らかに違うが、これは図をトレースせず数値データをプロットしたからにちがいない。(とくに、時間軸をあらわす左右が反転しているが、同類の文献でも時間が右に進むものと左に進むものがあるので、引用する人が自分の流儀にそろえたくなるのはもっともなのだ。)

1990年代以後、古気候学の分野では、研究成果の数値データを、世界の研究者が共同利用できるように、データセンターに提供する慣習ができてきた。古気候学の世界データセンター(のひとつ)は、アメリカの海洋大気庁(NOAA)の下にある。NOAAのうち、かつてはNational Geophysical Data Center (NGDC)の中の部門だったが、その後、組織上はNational Climatic Data Center (NCDC)の中に移った。2015年になって、NCDC, NGDC, National Oceanographic Data Center (NODC)が再編成されてNational Centers for Environmental Information (NCEI) http://www.ncei.noaa.gov/ となったが、その傘下のウェブサイトはまだ旧組織名を使っており、古気候データの入り口はhttp://www.ncdc.noaa.gov/paleo/ である。そこの目録データベースを検索すると、Keigwin (1996)の論文に対応するデータは、https://www.ncdc.noaa.gov/paleo/study/2519 にある。

論文の図を引用する代わりに、論文の著者が提供したディジタルデータを使うことは、複数のデータの軸を合わせやすいことなど、いろいろな利点がある。わたしも第四紀の気候の解説(増田・阿部 1996)を書いたときに、当時NGDCの古気候データセンターから公開されていたデータを、自分で作図しなおして使った([教材ページ]の図24, 25など)。見かけがいくらか変わっても、データの意味を変えなければ、改ざんではなく、正当な引用であるはずだ。

ところが、Robinsonほかは、作図の際に、時間軸をyears BP (before present)つまり「今から何年前」から「西暦何年」に変えた。ここでまちがいがはいりこんでしまった。Keigwinの論文で「present」は西暦1950年だったのだ。わたしは、「炭素14年代」を示すときは1950年を原点とするルールがあることを知っていたのだが、この論文の場合は、較正をすませた暦年代(calendar year)なので、だれかの指摘で読むまでは原点がどう定義されているかわからなかった。今ではNCEIのサイトのこのデータの説明にはよく見えるところにpresentは1950年だと書いてあるが、1998年には明示されていなかったと思う。RobinsonほかはKeigwinのデータセットの最新のデータ点が1975年にあたると認識しているが、データセット自体には 25 yr BPとある。Robinsonたちは、presentを論文執筆時点での「現在」だと考え、概算で西暦2000年とみなしたのだろう。これだけならば、確かにまちがいだが、グラフ全体が時間軸上で50年ずれるだけだし、原因もおそらく、引用者が原著者の分野の習慣を知らなかっただけで、意図的ではないだろう。(もしわたしが2008年以前に作図したらRobinsonたちと同様にまちがえただろう。)

Keigwin (1996)の図4(B)のグラフには、堆積物の酸素同位体比からの復元推定水温のほかに、対象時期のうち比較的新しい時期に、観測定点「S」での機器観測による毎年の年平均の水温を重ねて示していた。ただしこれは横軸の狭い範囲で縦に変動するのが曲線としては読めず黒い帯になってしまい、帯の太さから変動の幅がわかるだけだ。Keigwinとしては、この変動の幅を見せたかったらしい。しかしこの機器観測データは、Keigwinのオリジナルではないので、古気候データセンターに置かれたKeigwinのデータセットには含まれなかった。Robinsonほかのグラフにこれが含まれないのはなりゆき上当然で、意図的に消したのではないだろう。

Robinsonほか(2007)は、このグラフに、現在の水温をあわせて示そうとした。彼らはこのグラフの最後のデータ点を1975年の水温だと思っており(上記の約束を知って読めば1925年とすべきところなのだが)、「この水域では2006年の水温は1975年よりも0.25℃だけ高くなった」という情報を持っていたので、最後のデータ点の水温に0.25℃をたした値を「2006年の水温」として表示してしまった。このことはFigure 1の説明文(caption)に述べてあり、しかもそれはKeigwinの論文への参照をしたあとの別の文なので、Keigwinの成果を勝手に改ざんしたとは言いがたい。しかし、結果として、図は、「西暦1000年ごろの温度が2006年よりもかなり高い」という、Keigwinの論文の正しい解釈からは出てこない情報を伝えるものになってしまった。さらに(これはRobinsonたちの責任ではないが)、赤祖父(2008)などによる引用では図の説明文が単純化され、追加された点もKeigwinに由来するように読める。

なお、Robinsonほか(1998, 2007とも)には、Keigwin (1996)の図にない、3000年間の平均温度を示す水平線もひかれている。これはたぶんKeigwinのディジタルデータから計算したもので、その限りで作為はないのだと思う。ところが、2007年版では、「2006」とかかれた点がこの線より下にきたので(上記の検討からこれは正しくないのだが)、「現在の温度は3000年間の平均値よりも低い」という(おそらく正しくない)主張の材料を提供することになってしまった。結果としてKeigwinの意図に反する改変になってしまったと思う。

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さて、この図がどのように使われたかという観点で考えてみると、これまでながながと書いてしまったこの図自体の問題よりも、それを使って議論する本文の問題のほうが大きいと思う。Robinsonほか(2007)のFigure 1の説明文には、これがSargasso Seaの海面水温であることが明示されている。(1998年版のFig. 2も、つづりがSargasoとなっているが、同様だ。) ところが、これを参照する本文の段落は「地球の平均温度は過去三千年間に約3℃の範囲の内で変動してきた」という文で始まり、グラフが示すのが特定の場所の温度であって地球全体の平均温度(の推定値)でないことをことわっていないのだ。(この点では、1998年版は、例として「Sargaso Sea」の水温を示した、と述べ、このデータに見られる変化傾向は歴史記録から読み取れる同様な特徴と対応する、と言っているので、空間代表性の問題をいちおう考慮したようだ。しかし実際に何をあわせて考慮して世界全体の変化傾向についての主張に至ったかはわからない。)

地点によって温度の変動はさまざまだ。たとえば、明日香ほか(2009)の「議論6」でも紹介したが、同じKeigwinがかかわったKeigwin and Pickart (1999)の論文によれば、同じ北大西洋でも違う緯度の地点では、「中世」よりもそのあとの(Sargasso Seaでは低温だった)時代のほうが温度が高かったという結果が出ている。

個別地点の温度の時系列が全地球平均の温度変化であるかのようにものを言うことは無理がある。全地球平均の温度変化を知るのは、とてもてまがかかることなのだ。

ところが、たとえば赤祖父(2008)は、図の説明文で「北大西洋の海底堆積物質の酸素同位体(O18)から推定した気温」であると、水温と気温の混同はともかくローカルなものであると認識しながらも、本文ではRobinsonほか(2007)の本文と同様に、これを世界を代表する温度変化とみなして議論を進めてしまっている。赤祖父氏は、気候が専門ではないものの、気候を主要課題とする研究所の所長をしていたことがあり、同じ本の別のところでも北極圏の気候変動を世界平均と区別して論じているのだが。おそらく、希望する結論があって、図で示された情報がそれに合っていると、ローカルとグローバルの区別といった注意事項に関する感覚がにぶってしまう、ということが、赤祖父氏に限らず多くの人に起こるのだろう。

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アメリカ合衆国・カナダなどの英語圏での地球温暖化懐疑論の論説のうちには、意図的にうそをついていると思われるものもある。今回紹介した件は、おそらくそうではなく、うっかり誤解してまちがいがはいりこんでしまったのだろう(とわたしは推測する)。ただし、温暖化懐疑論に限らず、「自分が主張したい結論があってその材料を探す態度であるために結論に合っている情報に対するチェックが甘くなる」ことと、「専門用語による記述を自己流に解釈してまちがえる」ことはありがちで、これもその事例なのだろうと思う。

文献

2015-08-08

地球温暖化の認識の発達にかかわる山本義一の業績

山本義一 (1909-1980) (大先生であるがここでは歴史上の人物扱いという意味で敬称略)は、1946年から1973年まで東北大学教授をつとめた気象学者で、大気乱流と大気放射の両方にわたって世界の気象学に貢献した。その業績の概略は田中(1980)に紹介されている。(ここでは、大気乱流に関する話題には深入りしない。一例としていわゆる「KEYPSの式」の論文(Yamamoto, 1959)をあげておく。)

わたしは[2013-08-31の記事「温暖化の発見」原書出版から10年、残された問題]で、地球温暖化に関する認識の発達にとって、日本で仕事をした人についても、もっと世界に知られてほしいと思う、と述べた。そのときいちばん念頭にあったのは山本の業績だった。

わたしは近ごろまで、地球温暖化(温室効果の強化による気候変化)の認識に対する山本の貢献は、真鍋のモデルに対して大気放射とその計算方法に対する基礎的知見を提供したことである、というふうに認識していた。

1950-60年代の山本とその弟子たちの研究(関原 1970に論文リストがつけられている)は、放射伝達のうちでも太陽放射(短波放射)と地球放射(長波放射)の両方にわたっている。放射と対流を含む鉛直1次元モデルによる研究のManabe & Strickler (1964)の論文には参考文献としてYamamoto (1952, 1955, 1962)、Manabe & Wetherald (1967)にはYamamoto & Sasamori (1958)があげられている。ひとつあげるならば、山本の放射図(Yamamoto, 1952)だろう。それ以前に水蒸気と二酸化炭素の一方による地球放射の吸収・射出の研究はあったのだが、両方が共存した状況での計算は新規の課題だったのだ。式をたてることができるが、式の形できれいな解はない。数値解を求めることになるが、当時はまだ計算機を利用できる機会は少なかったので、数値解を図上の曲線でかこまれた面積の形で得る計算図表を作ったのだ。アメリカにいた真鍋たちはその理屈を計算機プログラムに書きかえてモデルの一部に組みこんだ。

【なお、山本たちの論文は、アメリカ気象学会Journal of Meteorology, のち改編されてJournal of the Atmospheric Sciencesや、日本気象学会のJournal of the Meteorological Society of Japan (「気象集誌 第2輯」と同じ)などの学術雑誌にのったものもあるが、放射図の論文を含めてかなりだいじなものが、東北大学理学部の英文紀要であるScientific Reports of Tohoku Universityにのっている。博物学的性格のある専門分野では基礎的事例の記載に今でも紀要が重要な場合があるが、20世紀なかばには物理学的な分野でもそうだったのだ。】

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ところが最近、山本の直接・間接の弟子にあたる中澤・青木・森本(2015)の本が出た。その記述によれば、山本は1957年(大気中の二酸化炭素濃度の増加を明瞭に示したKeelingたちの観測が始まる前)に、二酸化炭素の増加による温暖化が起こるだろうと考えて、その数量を求める計算を始めていたのだ。中澤ほか(2015)の1.3節(15ページ)から引用する。

わが国における地球温暖化に関する専門的な研究は、大気放射学を専門としていた東北大学の山本義一(故人)が初めて行ったと思われる (1957年7月14日の朝日新聞への投稿記事「暖かくなる地球 -- 工業の発展で炭酸ガスがふえる--」)。彼は、H2Oの効果も考慮に入れてCO2を2倍に増やし、鉛直方向の気温がどのように変化するか緯度別に計算して、1957年5月に名古屋で開催された気象学会年会において発表した. その結果は、地表気温は赤道(0.3℃)よりも極域(2〜3℃)で大きく上昇し、成層圏では逆に冷却が起こることを示している。また、朝日新聞の記事において、彼は地球温暖化問題に対して警鐘を鳴らしており、いずれ近い将来に人間活動に伴うCO2排出を削減する必要があることを訴えている。

その結果が論文になっていないかと思ったが、関原(1970)のリストで論文題名を見た限りでは見あたらないので、英語の論文になったものはないようだ。日本語で発表される場としては、まず日本気象学会の雑誌『天気』がありそうだが、その目録を著者名「山本義一」で検索しても、対応する内容のものは見あたらない。1957年5月に名古屋で開催された気象学会年会のプログラムは『天気』の1957年4月号にあるが(日本気象学会, 1957a)、そこに出てくる山本による発表は

58.山本義一,笹森 享(東北大学地球物理学教室):圧力及び温度の影響を考慮に入れた大気輻射の一つの計算方式 1. 炭酸ガスの場合

であり、Yamamoto & Sasamori (1958)の論文になった基礎的な仕事にちがいない。

1957年5月の気象学会では「大気汚染に関するシンポジウム」が開かれており、その内容は『天気』の1957年9月号から12月号まで連載で紹介されている。目次上は、第2部以降は講演者が著者になった形になっているが、9月号にのった第1部は著者名のない形になっている(日本気象学会, 1957b)。山本の報告はこの第1部の後半(270ページ以降)の「大気汚染と輻射」という節にあった。講演の速記か録音からの書きおこしのようだ。その中から抜き書きで引用する。

...炭酸ガスによる大気の保温の問題と,もう1つは塵埃やエアロゾルといったようなものに大気の保温の効果があるかないかという2つの問題についてお話ししたいと思います.

...最近...カリフォルニア大学のカプラン教授が,今後60〜70年ぐらいたったらニューヨークなんか海の底になってしまうだろうということを発表されました.おそらく今後炭酸ガスが加速度的に多くなって,そのために地球上の温度が高くなって,北極の氷がとけるという論法だと思います.

...一番初めに炭酸ガスの保温効果を力説されたのは,有名な化学者のアルレニュース...

...プラスの精密な計算によりますと炭酸ガスの量が2倍になれば地表の温度は3.6度昇温する.

...プラスの研究を発展させて緯度効果,高度効果をみたい...

...彼は炭酸ガスの効果だけを扱っている.ところが大気中には赤外輻射を吸収する物質として,もう一つ非常に重要な水蒸気がある....違った吸収物質が共存する場合には,その影響はそれぞれの積でもって与えられる...

...大気輻射図によって,大ざっぱに計算した結果だけをご報告します.

...

...炭酸ガス倍増の効果は,矢張りプラスの評価より小さく,多分地表附近で2〜3℃の昇温,上層大気は同程度の冷却ということになるのではないかと想像します.

...全体としてみれぱ下層も上層も,温度の子午線方向の勾配が小さくなるということで,すなわち炭酸ガスが増加すると大気の大循環が弱まる傾向になるということであります.

...

...都会の塵埃の効果は太陽輻射と赤外輻射の両方を全体としてみると,想像されるような保温作用をしておらず,むしろ塵埃があるために都会は冷されていることになる.

この講演の内容は確かに中澤ほか(2015)が紹介しているものと対応している。ただし『天気』に収録された講演では、将来CO2排出削減が必要になるだろうといったことは述べていない。【[2015-08-27補足] 朝日新聞記事のほうでは、「私たちは遠からずバイ煙とか炭酸ガスとかの増加を防ぐことを真剣に考慮せねばならぬ時期のくることを覚悟せねばならぬ。」と述べている。】

講演の話題はCO2とエーロゾルにわたっている。

CO2の効果に関しては、全地球規模の温暖化をもたらすだろうがその量はよくわからないという仮説的な認識から出発している。

Plassによる計算はCO2の放射吸収・射出だけを考えたものであり、山本の最大のオリジナリティはCO2とH2Oが共存する状況について評価したところにある。また、地表の温暖化と同時に成層圏が寒冷化することも示されている。温度変化の数値を得た理屈はよくわからないが、1955年の論文の表題に「放射平衡」にあたることばがあるので、CO2濃度が現在の値の場合と2倍の値の場合についてそれぞれ放射伝達を計算し(対流熱輸送は計算に入れず)、大気を高さによって分けた各層のエネルギー収支がつりあうような定常状態を求めようとしたのだろう。ただし、当時の計算能力では、Manabe & Stricklerのように非現実的な初期条件からモデル内の自発的時間発展で定常状態に近づくような計算はできなかっただろうから、初めから定常を仮定してその状態の満たすべき条件を考えたのか、現在見られる温度分布のまわりで考えたのか、いずれにしても大づかみな近似が必要だったと推測する。

さらに、大気大循環がどう変わるかという問題意識も持って、緯度帯別の計算もしている。ただし、現実の緯度帯別の大気のエネルギー収支には放射過程と大気循環による移流とが同時にきいており、一方を与えて他方が従属的に決まるような理屈は現実とあわない。このような困難が認識されていたために、この研究は論文に至らなかったのかもしれない。

なお、エーロゾルの話題は、おもに都市の大気汚染は(ローカルな)温暖化をもたらすか寒冷化をもたらすかという話になっている。太陽放射と地球放射の両方に関する効果の大きさを評価して、太陽放射の散乱による寒冷化が主になると述べている。ただし、都市の気候を変化させる要因には、エーロゾルのほかに、人工熱と、地表面状態の変化に伴う熱収支の変化もあり、これらが温暖化をもたらしうることも指摘している。

文献

  • (Manabe & Strickler 1964, Manabe & Wetherald 1967 は[2015-07-15の記事]参照)
  • 中澤 高清、青木 周司、森本 真司, 2015: 地球環境システム -- 温室効果気体と地球温暖化 (現代地球科学入門シリーズ 5)。共立出版, 277 pp. ISBN 978-4-320-04713-6. [読書メモ] (準備中).
  • (日本気象学会), 1957a: 1957年度春季日本気象学会総会及び大会。天気 (日本気象学会), 4: 129-138. http://www.metsoc.jp/tenki/pdf/1957/1957_04_0129.pdf
  • (日本気象学会), 1957b: 大気汚染に関するシンポジウム (その1)。天気 (日本気象学会), 4: 267-272. http://www.metsoc.jp/tenki/pdf/1957/1957_09_0267.pdf
  • 関原 彊, 1970: 山本義一教授の「大気放射の研究」に対し学士院賞が与えられたことについて。天気 (日本気象学会), 17: 203-206. http://www.metsoc.jp/tenki/pdf/1970/1970_05_0203.pdf
  • 田中 正之, 1980: 故 山本義一先生の御逝去を悼む。天気 (日本気象学会), 27: 380-382. http://www.metsoc.jp/tenki/pdf/1980/1980_05_0380.pdf
  • Giichi Yamamoto, 1952:On a radiation chart. Scientific Reports of Tohoku University, Series 5,Geophysics, 4: 9−23. http://hdl.handle.net/10097/44477
  • Giichi Yamamoto, 1955: Radiative equilibrium of the Earth's atmosphere. II. The use of Rosseland's and Chandrasekhar's means in the line absorbing case. Scientific Reports of Tohoku University, Series 5,Geophysics, 6: 127-136. http://hdl.handle.net/10097/44527
  • Giichi Yamamoto, 1959: Theory of turbulent transfer in non-neutral conditions. Journal of the Meteorological Society of Japan, Series 2, 57: 60-70. https://www.jstage.jst.go.jp/article/jmsj1923/37/2/37_2_60/_article
  • Giichi Yamamoto, 1962: Direct absorption of solar radiation by atmospheric water vapour, carbon dioxide and molecular oxygen. Journal of the Atmospheric Sciences (American Meteorological Society), 19: 182-188. doi:10.1175/1520-0469(1962)019<0182:DAOSRB>2.0.CO;2
  • Giichi Yamamoto & Gaishi Onishi, 1952: Absorption of solar radiation by water vapor in the atmosphere. Journal of Meteorology (American Meteorolgical Society), 9: 415−421. doi:10.1175/1520-0469(1952)009<0415:AOSRBW>2.0.CO;2
  • Giichi Yamamoto & Takashi Sasamori, 1958: Calculation of the absorption of the 15 μ carbon-dioxide band. Scientific Reports of Tohoku University, Series 5,Geophysics, 10: 37-58. http://hdl.handle.net/10097/44589

2015-07-27

「著作物等の利用円滑化のためのニーズ」 テレビ番組を録画して教材として使うこと

2015年7月7日づけ、7月27日しめきりで、文部科学省 文化庁 長官官房 著作権課 企画審議係から「著作物等の利用円滑化のためのニーズの募集」が出ていたことを、しめきりの1週間前くらいに知った。

著作権に関する制度の整備は、本来、人類の知識への貢献が目的のはずなのに、ここ数十年、著作物を商品として売る業者の立場ばかりを考えて進められているように思われる。わたしはこれは二つの面でまずいと思う。ひとつは、知的財産は商業財となるほかに公共財として提供されるものも重要だということ。もうひとつは、著作権にかかわる当事者は商品を売る立場だけでなく、著作物を読む・視聴する立場(不満のある表現だが便宜上「消費者」と呼んでおく)もあること。消費者は市場で商品を選択することによって販売業者を通じて意思表示することはできるが、それでは、知的公共財や、業者がまだ商品としていない知的資源に関する意思は伝わらないのだ。

だから、今回の募集もこの主張を伝える機会にしたかった。しかし、わたしは著作権制度については、10年ほど前に(入門書レベルではあるが)勉強したものの、その後、更新していないしだいぶ忘れている。今の法制度をきちんとふまえて、どこが問題で、どう改善すべきか、という文書を、しめきりまでに作ることはできない。しかしまた考えて、専門知識がこの中途半端なレベルにある人こそ公衆参加では期待されているのではないかとも思う。

それで、思い当たるいくつかの局面のうち、大学の非常勤講師として感じた、テレビ番組の録画を教材として使うことをもう少ししやすくしてほしいという希望(「読書ノート」のシリーズのウェブページでふれたことがある)を書いてメールで送った。

募集のウェブサイトにはExcelPDFのフォームが用意されていた。わたしの手持ちの技術ではPDFに書きこむのはむずかしいので、(公共部門の仕事で特定会社のソフトウェアのフォームを使うことにはとても不満であり、文書を表計算ソフトウェアの枠にはめることにもとても不満なのだが、今回はそれへのもんくは述べず) xlsx形式のファイルに書きこんでeメールで送った。

その内容を下につける。この字体の部分はフォームに書かれていた問いである。

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(1)どのような種類の著作物等をどのような場面,方法で利用するにあたり課題がありますか。現在又は将来想定される課題について具体的に御記入ください。また,そのような利用ができないために,既にビジネスに支障が生じている,又は支障が生じうることが考えられる場合は,それについても具体的に記載をお願いします。

テレビの教育番組ドキュメンタリー番組、報道番組の一部などを録画して、大学の授業の教材に使うことがある。授業時間に見せることは教育用利用で問題ないと思われるが、学生に自習として見ることを勧めるのがむずかしい。大学の現場ごとの判断によるが、図書館業務と考えられた場合、図書館で上映可と明示された製品以外のビデオを保管・用することはむずかしいようである。

(2)(1)で挙げる利用は,現在の著作権法のどの規定(権利に関する規定・権利制限規定)との関係で課題がありますか。

映画の著作物に関する著作権と著作隣接権が、商品化を念頭に置いてつくられており、公共的知識伝達にそぐわないのではないか。ドキュメンタリー番組などはビデオ商品として採算がとれる見通しのないものが多いだろう。著作隣接権者(出演者など)が多すぎて許諾確認が困難なことがあるとも聞く。非商用を前提としたルールづくりが必要と思う。

(3)(1)・(2)で挙げられた課題の解決方法について

仝⇒制限規定の見直しによって解決すべきであるとお考えの場合,具体的にどのような制度を望みますか。また,そのような制度設計が望ましいと思われる理由を述べてください。

教育用の許諾不要の範囲は現実にはファジーだと思うが、大学が授業関連の自習用に提供する場合について、ここまでは許諾なしで合法、その他はどの権利者に許諾申請すること、という指針が明示されるとよいと思う。また権利者の側にこまごました許諾申請を軽くこなす体制を整備することを政策側からも推進してほしい。

権利制限規定の見直しによって解決すべきであるとお考えの場合,(1)に挙げた利用が著作権者等の利益を不当に害さない(著作権者等の正規のビジネスとの競合,衝突の有無や度合いを含む。)と判断する理由は何ですか。

ビデオ商品があって発売中の場合は、それを買うまたは借りる形をとればよいので、ここで問題にしているのは、商品化されなかった番組、またはもし商品化されていても絶版となっている(オンデマンド送信の対象からもはずされている)場合に限るとしてよい。

C作権の集中管理の促進など,ライセンシング体制の充実によって解決すべきとお考えの場合は,具体的にどのような環境整備を望みますか。

許諾使用料を有料とする場合、その支払い手続きが煩雑にならないような制度設計をくふうしてほしい。映像の公開のさまたげとなっているのが出演者などの著作隣接権者の許諾を得ることがむずかしいことであれば、番組の種類、出演者の役割、供用組織の利用条件などに応じて、許諾が得られなくても供用する道を開いたほうがよいのではないか(異議申し立て審査の道も必要となるが)。

い修梁召硫魴菠法について御提案があれば,理由とともに具体的に御記入ください。

NHKのものに限らず、商品化される可能性が乏しい番組について、多くの受益者が広く浅く負担することによって、公共的アーカイブを維持・供用するのがよいのではないか。(この件はささやかながら、著作権制度の枠の中でおさまる問題ではなく、それも人類の知的資源を活用するための手段のひとつという視野が必要な問題の例だと思います。)

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なお、文化庁あてのメールではふれなかったのだが、わたしがテレビ番組を録画してDVDディスクで持っているものは、(VHSで録画してダビングしたものと、チューナーつきパソコンで録画したものがあるが)みんな、アナログ放送の時代のものだ。ディジタル放送を録画するシステムには複製をじゃまするしくみがあり、とくに安いパソコン用製品の場合は録画したそのパソコンで再生することはできるが他の機械に移すことができなかったりする。ビデオ商品となる番組に関して私的複製がでまわるのを防ぎたい意図はわかるのだが、商品とならない番組に関しては、せっかく作った著作物が知られる機会を乏しくしていると思う。

2015-07-17

気候感度についてもう少し広く考える

「気候感度」(climate sensitivity)については、[2015-07-15の記事]で簡単にふれたが、もう少し話題を広げて考えてみる。

「感度」は「敏感さ」であって、定性的なものかもしれないのだが、ここでは定量的な扱いができる場合に限ってみる。

気候に関する話題を広く考えると、「気候感度」は次の2つの違ったことを意味しうる。(日本語の文では、語がさししめす物どうしの関係が格助詞で示されるが、複合語を構成する際には格助詞がはいらない。そこで「気候が敏感」なのか「気候に敏感」なのかの区別が表現されず、内容のほうから推測するしかなくなってしまうのだ。)

  1. Xが気候に影響を与える。入力であるXが変わるのに対して、気候の状態がどれだけ変わるか。(気候がXにどれだけ敏感か。)
  2. 気候がYに影響を与える。入力である気候が変わるのに対して、Yの状態がどれだけ変わるか。(Yが気候にどれだけ敏感か。)

2のほうのYの例としては、たとえば農作物の収量があげられる。

ここからは、1のほうに限って考えてみる。

気候感度を考えるとき、必ずというわけではないが、気候の状態変数としては、全球平均地上気温をとることが多い。(以下「気温」と書き、文字 T であらわすことにする。)

また、これも必ずというわけではないが、定常応答([2015-07-15の記事]参照)を考えることが多い。つまり、入力の値がXであるときの定常状態の気温がTであり、入力の値がX+ΔXであるときの定常状態の気温がT+ΔTであるとき、ΔTをΔXに対する定常応答と考えるわけだ。

【[2015-07-24補足] 感度ということばから人々が直観的に考えるものは、定常状態の差ではなく、むしろ応答の速さのような、時間軸上の量の変化であることがふつうだと思う。外部条件が変わるにつれての時間を追ったシステムの応答(いわゆる過渡応答 transient response)を扱う研究例はいろいろあるのだが、それぞれに違う数量を扱うので、「(過渡応答の)感度」といえばこれこれの数量を表わすという共通概念はできていない、と、わたしは認識している。】

そこで、気候感度の数値表現としては、まず ΔT/ΔX が考えられる。

実際、Xとして放射強制[力] ([2012-06-06の記事]参照、単位 W m-2)をとった場合は、感度をΔT/ΔX [単位 K/(W m-2)]であらわすことがある。

また、ΔXをXの代表値で割って相対変化の形にすることもある。

阿部・増田(1993)の1.3節ではRamanathan and Coakley (1978)による気候感度を紹介したが、この場合、Xにあたるのはいわゆる太陽定数([2012-04-29の記事]参照、単位 W m-2)である。そして気候感度はΔT / (ΔX / X) あるいは X ΔT/ΔX のような形で定義されている。この場合、XとΔXの次元が打ち消しあうので、気候感度の次元はΔTの次元[単位 K]となる。ただし、この意味での気候感度の値が、(たとえば) 120 Kになるとすれば、「太陽定数が(その)1%だけふえると、気温が1.2℃だけ上がる」のような表現のほうが感覚的にわかりやすいだろう。

二酸化炭素濃度に対する感度を考える場合には、ふつう、二酸化炭素濃度倍増に対する定常応答をとりあげる。つまり、二酸化炭素濃度がXであるときの定常状態の気温がTであり、二酸化炭素濃度が2Xであるときの定常状態の気温がT+ΔTであるとき、ΔTを気候感度という。これは、これまでの詳しいモデル計算による経験から、定常応答は二酸化炭素濃度の対数にほぼ比例することがわかっているからだ。これが比例するという近似のもとでは、出発点の濃度Xが何であっても、倍増に対する応答は同じになるのだ。ΔTは温度差なので、単位は K としても℃としても同じことである。

地球温暖化文脈では、おそらく2000年ごろ以後、「気候感度」といえば二酸化炭素倍増に対する定常応答をさすのがふつうになった。ただし、現実の地球の気候について言う場合と、気候モデルについて言う場合がある。

気候感度と地球システム感度

二酸化炭素濃度倍増に対して応答するシステムには何が含まれるのか、という問題がある。

気候感度を論じる場合は、ふつう、大気・海洋の温度とともに、水蒸気、雲、積雪、海氷なども変化しうるシステムを考える。水蒸気の温室効果や、雪氷のアルベド効果は、それぞれ正のフィードバックとなり、それがない場合に比べて感度を高めることになる。

他方、氷床や植生(森林・草原など)の変化は含めないのがふつうである。これらは、水蒸気・雲・積雪・海氷に比べて変化が遅いサブシステムなので、ひとまず固定して考えるのだ。これらの変化も含めたときの定常応答を、気候感度と区別して「地球システム感度」のように言う人もいる。

しかし、氷床や植生の変化を考えるべき状況では、現実には二酸化炭素濃度も変化するだろう。「地球システム感度」を評価するうえでは、これをどう考慮に入れるかがむずかしい。[これが従来の研究でどのように扱われているか、わたしはまだおさえていない。]

文献

  • 阿部 彩子, 増田 耕一, 1993: 氷床と気候感度 - モデルによる研究のレビュ−。気象研究ノート, 177号, 183-222.
  • V. Ramanathan and J.A. Coakley Jr., 1978: Climate modeling through radiative-convective models. Reviews of Geophysics and Space Physics, 16:465-489.

2015-07-15

二酸化炭素濃度に対する気温の定常応答(平衡応答)と過渡応答、気候感度

[別ブログ2010-01-20の記事]から、それを書いた当時の時事的話題を取り除いて、ひとまず再録して、改訂を加えています。「気候感度」という表現のいろいろな使われかたは別記事にしました。】

定常応答 (steady-state response)

気候システムにとっての外部条件が一定ならば、気候システムにはいるエネルギーと出るエネルギーの量はつりあい、気候システムの保有するエネルギー量は一定値をとると考えられます。気候システムの状態量、たとえば気温は、季節変化、日周期変化、毎日の天気に伴う変化をしていますが、そういう変化を平均してしまえば、(近似としてですが)時間とともに変化しない定常状態にあると考えられます。

気候の変化を理屈から考えていくときは、まず、違った外部条件がそれぞれ長期間持続している場合に気候システムがどういう定常状態に落ち着くかを考え、その定常状態の差を与えた外部条件の違いに対する応答と考えます。現実には外部条件は時間とともに変化しますが、まず話が簡単になる定常状態から考え始めるのです。

ここでは、大気中の二酸化炭素濃度は外部条件とみなすことにします。それが与えられたとき、温度・速度・圧力・大気中の水蒸気量・海洋中の塩分などがどうなるかが気候システムの応答ですが、その代表として全球平均地上気温に注目します。真鍋さんとWetherald (ウェザラルド)さんが1967年に発表した鉛直1次元モデル実験と1975年に発表した3次元大気大循環モデル実験以来、二酸化炭素濃度「2倍」と「1倍」の条件をそれぞれ与えて気候の定常状態を求め、その全球平均地上気温の差を見ることがよく行なわれます。この数値は「二酸化炭素濃度倍増に対する定常応答」です。このような計算が数多くされた結果わかってきたことですが、全球平均地上気温の増加分はほぼ二酸化炭素濃度の対数に比例するので、「1倍」の濃度がたとえば280 ppmであっても350 ppmであっても「倍増」に対する応答の大きさはあまり変わりません。1979年に、乏しい情報から、この数値は1.5℃と4.5℃の間にあると推測されました。たまたまですが、その後の研究の進展によってもこの数値範囲は修正の必要がなさそうです。(ただしここで、水蒸気以外の大気成分、大陸氷床、植生分布は、気候システム内の変数ではなく外部条件とみなしています。)

ここで「定常応答」と表現しましたが、むしろ「平衡応答」(英語ではequilibrium response)のほうがよく使われる用語です。この「平衡」は気候システムのエネルギーの出入りがつりあっていることであって、エネルギー保存の式の時間変化項が0であることとも言えますが、熱力学用語で言えば、熱平衡(熱力学的平衡)ではなく、非平衡定常状態です。わたしは熱平衡とまぎれるのを避けるために「定常」という表現をしますが、世の中で「平衡応答」という用語が使われている場合は、熱力学から見てまちがいだと怒ったりしないで、気象学を勉強してきた人の方言のようなものとして読みかえて理解してくださるようお願いします ([2012-03-29の記事「いろいろな平衡」]参照)。

過渡応答 (transient response)

実際には外部条件が時間とともに変化します。それに対する気候システムの応答を過渡応答といいます。もし気候システムが外部条件の変化に即時に応じるのならば、過渡応答は各時点の定常応答をつないだものになります。しかし実際には遅れがあります。二酸化炭素濃度の変化に対して、気温の変化は定常応答をつないだものより遅れて変化するのです。それは、[別ブログ2010-11-10の「ふろおけモデル」の記事]で述べたように、二酸化炭素濃度の変化に伴って変化するのはエネルギーの流れであるのに対して、平均気温はエネルギーのたまりに伴う量だからです。気候システムの中で大気と海洋は常にエネルギーを交換しており、海洋のほうが質量が桁違いに大きいので、ここで重要になるたまりは海洋の内部エネルギーです。

二酸化炭素濃度に対する過渡応答の古典的な数値実験として、Spelman (スペルマン)さんと真鍋さんが1984年に発表したものがあります。大気海洋結合大循環モデルを理想化した海陸分布のもとで動かしました。まず二酸化炭素濃度「1倍」と「4倍」を与えてそれぞれの定常状態を計算します。二酸化炭素濃度4倍増に対する定常応答がわかります。次に、現実にはありえないことですが、「1倍」の実験の途中で突然二酸化炭素濃度を4倍にしてそのまま固定し、その後の大気・海洋の経過を追います。すると気温は、陸と海では陸のほうがやや早く変化しますが、平均して30年後に定常応答の約70%に達します。大気の対流圏と、海洋の表面から深さ約500メートルくらいまでがほぼ同じように定常応答に近づきます。海洋のもっと深いところの暖まりかたはずっとゆっくりしていて、千年くらいかかって定常応答に近づくようです。

この実験はいろいろな点で現実と違いますが、現実にも、「海洋表層の熱容量のために過渡応答は定常応答よりも数十年遅れる」ということが成り立っていると考えられています。なお、流れとたまりの関係を考えればわかると思いますが、遅れると言っても、二酸化炭素濃度の時系列の形が一定の時間だけ遅れて気温に現われるわけではなく、時間軸上でなめらかにされたような形で効いてきます。(また、気温の時系列にはそれに関係のない変動も混ざるでしょう。)

今では多くの研究機関が共通の濃度シナリオに対する過渡応答の計算をしています。たとえば、IPCC第4次報告書第1部会の巻の図10.26 [IPCCサイトへのリンク]には、複数のシナリオについて、上のほうに与えた二酸化炭素その他の濃度、下のほうに得られた全球平均地上気温(複数の数値モデルを使っていることによる幅をもつ)が示されています。気候影響評価には、定常応答の数値をそのまま使うのではなく、このような過渡応答の計算結果(この図という意味ではなくもっと詳しい情報)から、評価したい対象の時期について10年間をまとめたぐらいの時間分解能で読み取って使うべきです。

気候感度 (climate sensitivity)

さて、「気候感度」ということばもよく使われます。本来は、気候システムが外部条件の変化に対してどれだけ敏感に変化するかという意味です。

今では、とくにことわらなければ、二酸化炭素倍増に対する定常応答をさすことが多くなっています。

昔はそうではありませんでした。わたしが書いて1993年に発表した文章 (阿部彩子さんと共著で日本気象学会の「気象研究ノート」に出た文章の一部)では、気候感度の数値は、太陽が出す放射の強さ(いわゆる太陽定数)の変化に対する全球平均気温の定常応答をさしています。これはRamanathanさんとCoakleyさんが1978年に出した解説の表現にならったものです(「気象研究ノート」には違う文献をあげてしまいましたが)。

今でも、「二酸化炭素濃度に対する気候感度は太陽定数に対する気候感度とほぼ同じであるはずだ」といった議論をすることがありますが、その場合の気候感度は、「放射強制(力)」(radiative forcing) [2012-06-06の記事]に対する全球平均地上気温の定常応答をさします。

文献

  • 阿部 彩子, 増田 耕一, 1993: 氷床と気候感度 - モデルによる研究のレビュ−。気象研究ノート, 177号, 183-222.
  • Syukuro Manabe and Robert F. Strickler, 1964: Thermal equilibrium of the atmosphere with convective adjustment. Journal of the Atmospheric Sciences, 21:361-385. [出版元で無料公開となった原論文へのリンク]
  • Syukuro Manabe and Richard T. Wetherald, 1967: Thermal equilibrium of the atmosphere with a given distribution of relative humidity. Journal of the Atmospheric Sciences, 24:241-258. [出版元で無料公開となった原論文へのリンク]
  • V. Ramanathan and J.A. Coakley Jr., 1978: Climate modeling through radiative-convective models. Reviews of Geophysics and Space Physics, 16:465-489.
  • M.J. Spelman and S. Manabe, 1984: Influence of oceanic heat transport upon the sensitivity of a model climate. Journal of Geophysical Research, 89:571-586.