2013-04-30
縄文海進
【これまで、古気候の話題を便宜上「気象むらの方言」のカテゴリーで扱ってきた。[2012-04-24の記事「氷河時代、氷期、小氷期」][2013-04-22の記事「最終氷期、『ウルム氷期』(?)」] 今回の話題もそれと関係あるのだが、古気候よりも広い古環境の話題なのと、古環境の専門家が使う意味をひとつ説明するだけではすまず、意味の多様性を説明する必要があるので、「バベルの塔の職人長屋」のカテゴリーに入れることにする。】
「縄文海進」というものがときどき話題になる。地球温暖化の話題で比較対象とされるようだ。それに関する専門家による説明は、日本第四紀学会のウェブサイトhttp://quaternary.jp の「Q & A」の中の「縄文海進の原因について」http://quaternary.jp/QA/answer/ans010.html というページにある。(前にはwwwsoc.nii.ac.jpの下にあったが、国立情報学研究所が学会のウェブサイト提供をやめたので移動した。) しかし、もう少し問題を分解して説明しないとわかりにくいかもしれない。
海進・海退という表現は、次のような複数の意味づけができる。
- (1) 地図のような水平分布で海陸分布を見たときに、海の領域が広がるか狭まるか。
- (2) 各地でローカルに陸に対して海水面が上がるか下がるか。(陸のほうが動くと考えれば「沈降・隆起」と表現される。)
- (3) 全地球平均で陸に対して海水面が上がるか下がるか。
また、「海進」の時期とは海の領域が広い状態にある時期なのか、広がるという動きのある時期なのかという問題もある。ここでは、必要なときには前者を「海進の状態にある」、後者を「海進が進行している」のように区別することにする。
7千年前ごろの日本列島の多くの地域で、(1)あるいは(2)の意味で、現在と比べて「海進」の状態にあったことは事実と言ってよい。
しかし、(3)の意味では、1980年代以後の研究によって、当時の全地球平均の海水面は現在よりもやや低く、南極氷床の氷の量が現在よりもやや多かったと考えられている。約2万年前から現在までの時期全体を(速さは一定ではないが)海水面が上がり続けているという意味で「海進が進行した時期」と言うことはできるし、約1万年前から現在を大まかに「海進の状態の時期」と言うこともできるが、そのうちの今から7千年前は現在に比べて「海進の状態の時期」ではない。
海水面変動の原因を、(3)のほうから考えていく。(ここで「変動」と「変化」という用語は意味を区別しないで使っている。)
- (3) 全地球平均の海水面変動は、海水の総体積の変動に対応すると考えられる。(海底のほうが変形して海水が押し上げられたり下がったりすることも考えられ、数千万年以上の時間スケールを考える場合には無視できないだろうが、数十万年ぐらいまでの全地球平均では相対的に無視できると思う。)
- 海水の体積の変化の一部は、海水の温度と塩分の変化による密度の変化である。基本的には熱膨張と考えてよい。(淡水と違って、海水程度に塩分を含んだ水では、氷点付近の温度での密度と温度の関係の逆転はない。) 温度が高いほど体積が大きいので海水面を上げることになる。
- 海水の体積の変化の一部は、海水の質量の変化である。数十万年ぐらいまでの時間スケールでは地球表層のH2Oの総質量は一定とみなすことができ、雪氷が多いときにそのぶんだけ海水が少ない。ここで問題になる雪氷の主要な部分は陸上の氷河(大陸氷床と山岳氷河を含む)である。大まかに見ればこの要因も温度が高いほど海水面が高いことになるが、温度と氷河の質量との関係は単純でない。
- (2) ローカルな海水面変動には、(3)に加えて、次の要因がある。
- 地殻変動 (隆起・沈降)。その大部分は、気候変動とは無関係に、地球内部の原因によって起こる。空間スケール数十kmのうちでも変動の向きや大きさが異なることが多い。
- (広い意味では地殻変動に含むこともあるが) 海水と雪氷の間の質量の移動に伴ってその重みがかかる地殻の下のマントル上部が変形することによる上下動。雪氷の重みによるものを氷河性アイソスタシー glacial isostacy、海水の重みによるものをハイドロアイソスタシー hydro-isostacyと呼ぶことが多い。(アイソスタシー isostacy という用語は本来は重みにつりあって安定した状態をさすのだが、それに向かう変化をもさすように意味が拡張されている。) これには遅れがある。たとえば、約1万年前まで氷床に覆われていたスカンジナビアは今も隆起(陸を基準としてみれば海退)が続いている。
- 地盤沈下。地殻変動と区別した意味では、地層の圧密によって地面が下がること(陸を基準としてみれば海進)をさす。人間による地下水のくみ上げによって進行した。それより遅いプロセスだが自然にもある。
- 海洋循環の変動に伴う海水面変動。海水面の高さと流れとは、数日以上の時間スケールで、ほぼ地衡流の関係(大気の場合の地衡風と同様、[2012-06-12の記事参照])にある。たとえば、北半球で上から見て時計まわりの循環が強まればその中央付近の水面が高く、周辺が低くなる。
- (1) 水平的に見て海の領域が広がるか狭まるかには、(2)に加えて、次の要因がある。
- 川による土砂の侵食・運搬・堆積。この活動が活発ならば、河口付近では陸の領域が広がる(海退となる)。
- 海水の運動(沿岸流)による土砂の侵食・運搬・堆積。とくにこのうち侵食が活発なところでは、海の領域が広がる(海進となる)。
縄文海進では、(2)のうちのハイドロアイソスタシーの効果が重要だと考えられている。1万年前ごろには北アメリカとヨーロッパの氷床はすでに大部分とけていたが、その質量の移動に対してマントル上部はまだ充分応答していなかった。そこで、氷床から遠いところのうち日本付近では、海底があまり上昇しないのに海水の量がふえて、海面が上昇したと考えられる。
それに加えて、当時と今の海岸線の位置の違いには、(1)で述べた侵食・堆積、とくに(縄文海進と呼ばれる時期よりもあとに)川が運んだ土砂によって平野が拡大した((1)の観点での海退の進行に寄与した)ことが効いている。
なお、縄文海進の時期は気候が温暖な時期でもあったと言われる。これも場所によって一様ではないが、日本列島のスケールで大局的に見て温暖期だったとは言えると思う(ただしわたしは証拠を直接確認していない)。地球全体で総合するのは、証拠が残っていない地域もあるのでむずかしいが、理屈のほうから北半球規模で温暖だったと期待され、証拠もそれとつじつまが合うようだ。南半球まで含めた全地球では、たぶん、北半球の特徴が薄められながらも効いて、やや温暖だったと考えられる。(ただし、推定される平均温度の現在との差は、二酸化炭素濃度倍増の結果として予想される規模よりも小さい。)
理屈というのは、地球の公転と自転の関係による、緯度別・季節別の地球に達する太陽放射エネルギーの変化による説明だ。約1万年前には、地球の公転軌道の近日点が北半球の夏にあったので、北半球の夏の日射量が現在よりも多かった。北半球の冬の日射量は逆に少なかったのだが、雪氷を含む気候システムが夏の日射量に敏感だとすれば、年間を通じた平均気温を上げる要因になりうる。なお、温度の極大が夏の日射量の極大よりも数千年遅れたことについては、1万年前にはまだ氷床が一部残っていたので地球全体で見ても太陽光反射率(アルベド)がやや高かったことで説明できる。
さらに、ローカルな気候の変化には、全地球規模の気候の変化以外の要因もある。たとえば、上でふれた日本第四紀学会のウェブ記事では、日本で約7千年前に温暖だった要因として、黒潮の流路の変化をあげている。海流がエネルギー(熱)を運ぶのでその下流の海面水温が高くなり、それが大気にエネルギーを与えるので気温が高くなるということだと思う。(海面変動の要因として(2)のうちにあげた海流の件とは別の因果関係である。)
まとめると、縄文海進期は、日本列島スケールでは海進期とも温暖期とも言えるし、北半球スケールで温暖期とも言えるが、北半球あるいは全地球スケールの海進期ではない。この時期の日本についての知見を単純に使って温度と海水位を関係づけて将来を予想することはできない。
2013-04-22
最終氷期、「ウルム氷期」(?)
[2012-04-24の記事「氷河時代、氷期、小氷期」]に続く話題。そのときと同様に、「気象」の用語ではなく、「古気候」の用語だが、便宜上「気象むらの方言」のカテゴリーに含めておく。
「ウルム氷期」は「ヴュルム(Würm)氷期」
日本語で1950-70年代に書かれた本に「ウルム氷期」という語がたびたび見られる。自分では1970年代前半の高校生のころは使っていたがその後は使っていないので忘れていたのだが、近ごろ、ドイツに旅行に行く人がこれはウルム(Ulm)という町にちなむ名前だと思っていたのを聞いて、注意が必要だと思った。ドイツの、しかもドナウ川流域の地名にはちがいないのだが、Würmなのだ。これは川の名まえで、Amper → Isar → Donauと合流していくのだそうだ。
19世紀に、過去に氷期というものがあったことが認識された過程で、南ドイツの河岸段丘や氷河末端のモレーンなどの地形が指標として使われ、Günz, Mindel, Riss, Würmの4つの時期が「氷期」として認識されたのだ。(記憶が薄れているが、小林・阪口(1981)の本に具体的な記述があったと思う。) しかし、1970年代ごろから、河川地形では氷期・間氷期を通じた時間的に連続な変遷を示せず、また南ドイツの地形発達に関する解釈が変わったところがあったので、Würmなどは標識地には適さないとされ、それを時代名に使うことはすたれた、とわたしは理解している。(アメリカのWisconsinのほうは今も時代名に使われることがある。大陸氷床の末端にあたるところの広域の地名なので代表性が疑われることはないのだと思う。)
日本語で外国の地名の発音を正確に伝えることはできないので、日本語の学術用語を作る際に、Würm氷期を「ウルム氷期」のように日本語にある音で受けることはふつうなら悪くないと思う。しかしこの場合、Ulmにちなんだと思われやすい点が困る。もはや学術用語としては過去のものだが、もし使うならば「ヴュルム氷期」としたい。(記憶によればこれは阪口先生から授業の中で受けた注意でもある。)
「最終氷期」
「Würm氷期」と呼ばれたのと同じ時代は「最終氷期」とも呼ばれ、こちらは今も使われる用語だ。ただし、これも要注意だ。英語ではthe last glacial periodだが、これまで経験したうちでいちばん新しい氷期だというだけのことであり、これから将来に氷期は来ないという含みはない。(なお、Weartの「温暖化の発見とは何か」日本語版にあるこの件の注は、原本にはなく、わたしが追加したものである。日本語の「最終」は英語のlastよりも誤解しやすいと思ったのだ。)
MIS (marine isotope stage)
今では氷期・間氷期サイクルの時代名は、番号で呼ばれることが多い。番号は、海底堆積物の有孔虫の殻の炭酸カルシウムの酸素同位体比のグラフから、その値の極大期(氷床が拡大した時期、つまり氷期)と極小期(氷床が縮小した時期、つまり間氷期)に、新しいほうからつけられている。英語ではmarine isotope stageを略してMISと書かれる。日本語では「酸素同位体ステージ」という表現がふつうのようだ。現在の間氷期(そのあとに氷期が知られていないから「後氷期」とも言われる)が「MIS 1」である。ところがいきなり不規則性がある。「MIS 3」の氷床縮小期は間氷期のレベルに達しておらず、「MIS 4+3+2」を合わせたものが「最終氷期」に相当するのだ。ひとつ前の間氷期は「MIS 5」である。
MISには細分がある。細分は数字で「5,1」のように示されたこともあるが、多く使われるのはアルファベット小文字を添えた「5a」のような形だ。ひとつ前の間氷期のうちでいちばん間氷期らしい時期は「5e」である。
文献
2013-03-30
公的機関の研究事業の事情
【この記事はまだよく整理されていません。しばらく書きかえを続けます。】
労働契約法2012年改定の問題に関する3月28日の記事についてTwitterで発言したらいくつか反応があった。多くは賛同だったと思う。ただし、強い批判として「国の事業だけ特別扱いを要求するのでなく、民間と同一条件であるべきだ」というのがあった。28日の記事でも予告したようにこれから特別扱いが必要と考える事情の説明を書く。ただしこれについては、異論がいろいろあるかもしれない。
ひとことでいうと、公的部門(国や地方自治体の予算による事業)であること、研究事業であることが複合して、解決がむずかしい問題が生じている。
本筋として特別扱いしてもらわないと困るのだと言いたい件と、本筋は国の大きなしくみを変えるべきだが当面は国のしくみに現場が適応するのを許してほしいと言いたい件が混ざっている。
わたしの述べることが正確であるかどうかには自信がない。わたしは独立行政法人に雇われて働いていたが、管理運営にはかかわっておらず、そのしくみを研究してきたわけでもない。独立行政法人内で、(わたしよりいくらかは組織のしくみに詳しいと思われる)人々がそれぞれ個人的に話していたことの記憶をわたしなりに組みたてなおした議論にすぎない。組み立てなおしているので、だれかの議論の受け売りではない。証拠としての信頼度はいわゆる「ソース(source)おれ(俺)」のレベルだ。ただしそのレベルの記述の内では、よく考えているという自負はある。【ここまで前置き。】
【ここから複数の論点を列挙する。論点どうしの関係はまだ整理されていない。公共部門一般の特徴、研究事業一般の特徴、現代日本の公共部門に限った特徴が混ざっている。】
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公的部門の仕事には、営利企業の経営の理屈がそのままでは成り立たないことがある。費用は金銭の尺度ではかれるが、効果(業績・成績)は金銭の尺度で適切な評価ができない。費用と効果の比率が定量的に出ないので、費用に無頓着になるか、逆に費用ばかりを気にすることになりがちだ。
現代日本の世論(セロン) 【「輿論」(よろん)と同じ意味とはとてもいえない。マスメディアやネットメディアで増幅されがちな議論】では、「税金は安いほうがよい。公務員は少ないほうがよい。公務員の給料は安いほうがよい」という主張が出てくると増幅されやすい傾向がある。実際のむだの指摘もあることはあるが、欧米諸国に比べて少ないのにさらに減らせというのは不合理なこともある。公務員の待遇を悪くすれば民間で求められる能力のある人から抜けていき、税金の節約を上まわるサービス低下になる可能性が高いと思う。
世論は公益を私益に向けていると見える例にきびしい。それは筋としてはもっともだが、そのきびしさが税金を効率的に使うという目標から見て合理的なレベルを越えることがある。順法ルールやコンピュータじかけがふえて、それに対応するための手間が、本来の仕事(研究事業ならば研究)に向けられる労働時間を奪うのだ。
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さて、公共部門の予算は、義務的経費と裁量可能経費に分けられる。国民に対して長期の約束をした社会保障や義務教育などが義務的経費で、それ以外(長期の約束への追加を含む)が裁量可能経費だ。厳密な義務的経費は少ないが、事実上の義務的経費はかなり多い。ところが研究の予算は基本的に裁量可能経費だ。学術研究予算全体としては事実上義務的になった部分もあるとも言えるが、その中で何の研究を推進するかは行政の裁量になる。
そして、政治家も官僚もそれぞれ、裁量可能経費の使い道を変えたことで、特徴を出したがる。政治家には改選があり、中央官僚には頻繁に異動がある。そのたびに、従来の事業にとっては打ちきりの危機がくる。ゆりもどしもあるが、もとにもどったほうが落ち着く立場の人もいれば、また変わるのはかなわんという人もいる。
財務省にとっては事業予算額を削ることが手がらになる。そのほかの省の各課にとっては新事業を始めることが手がらになる。非常に長い伝統のある旧事業をまもることも手がらになりうるが、少し前に始めた事業に関しては、廃止されるのは困るが減額はやむをえない、となりがちだ。そこで、必要以上に多数の事業がならび立つことになる。各事業の経費はしだいに減額されていくという経験則が生じる。
ときには次のような事情もあるようだ。異動の激しい中央官僚は内容のプロではなく、初歩から専門に追いつくまで勉強するほどの時間もないので、考えがたりないまま事業計画を決定してしまうこともある。次の代は正面からそれを失敗だと言って廃止するのをはばかり、減額したうえで、他の事業を始める。
定型サービスならば、慣れれば効率化して安くできるようになるという理屈があるが、研究はそうではない。設備は事業の初年度にそろえるべきだという理屈も、事業計画の中に設備設計が含まれる場合にはあてはまらないし、事業時限が実質的に連続した学問の進展を人工的に切り取ったにすぎない場合も実情に合わない。
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労働行政は、近ごろになって、日本社会全体があまりに短期的雇用に頼る傾向があると認識し、雇用の継続性を求めるようになった。ところが、労働契約法の2012年改定の際に、科学技術の現場を知っている人が関与しなかった。(大学の法学の教員は関与したはずだが、たまたま、研究費による雇用の現場をよく知らない人だったようだ。)
科学技術行政も「人材育成」を言うが、それは将来頂点に立つ少数の人を育てるという趣旨になりがちだ。科学の現場で雇われる、頂点よりもずっと数の多い人々のキャリアの継続は考えてこなかった。しかし現実に研究をするのは人間であり、事業の切れ目(多くは5年)ごとに発生したり消滅したりはしない。アメリカ合衆国を中心とする巨大な科学技術人材プールとの人の入れかえを想定しているならば、労働力を増減可能な資源とみなすのもそれなりに合理的かもしれない。ところが、日本の入国管理行政が、期限つき雇用ではなかなか永住権を出さないので、日本の職場は外国人の科学技術労働者にとって魅力的になりにくい。
労働行政が科学技術行政のことを知る必要がある反面、科学技術行政も労働行政からの指摘をまともに受けとめて、雇用の持続性を高めることを考えるべきだ。ただし、研究者については無期限化よりも期限の更新のほうが雇用の持続性が高まるのだと主張して、労働法の例外規定をかちとるべきだと思う。(毎年1割の整理解雇の心配をしながらの無期限雇用よりは、5年に一度更新確率5割の関門がある期限つき雇用のほうが、落ち着いて仕事ができると思う。)
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行政サービスについては、「公設民営型」(と仮に呼んでおく)、つまり、政府が目標を設定し、営利企業がそれを請け負うという形がある。企業にとっては、同じ効用を安い費用で達成すれば利益が上がる。
研究の場合も企業への委託はありうるが、目標設定も、達成されたものの評価も、形式的にはできても実質的な中身に立ち入ってすることはむずかしいだろう。また、研究事業では、予定しない成果が出ることもあるし、予定した成果が出ないのは失敗とは言えるが必ずしも過失でも能力不足でもない。
研究論文による業績評価は、研究者が個人単位に目標設定し研究をして著作をする場合には適切かもしれないが、テーマがトップダウンに決まって組織でやる研究に適用すると精度が悪い。
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さて、現代日本の独立行政法人は、世界的に見て変な制度だと思う。役所ではないが、民間会社の特徴がない。実質「独立」ではなく、役所の子会社のようなものだ。わたしは英語で自分の所属組織を説明するとき、日本のなになに省のsubsidiary (子会社)だと言うことにしている。日本の法律上の意味で「子会社」ではない理由は、親会社から資本金が出ていないことだ。独立行政法人には資本金そのものがない。【資産はあるが、使われている設備だけであり、使わないなら国に返せと言われる。くりこしは可能ではあるが、貯蓄があると交付金が減るので、実際くりこされるのは、予算執行の詳細が決まらない年度初めに末端で事業を継続するためのバッファーのぶんにすぎない。】親会社から来るのは資本ではなく毎年の運転資金だ。そこで、子会社としては、親会社の長期的意志でなく、今の親会社の担当者の意向に合わせないといけない。それができる人が子会社内で実質権力をもつ。
独立行政法人といえば、世論(セロン)は退役官僚の「天下り」への非難になりがちだ。しかし、研究機関に関する限り、天下りがむだづかいのもとという非難があたることは少ない。退役官僚であっても専門家として招かれた場合もある。また、官僚的能力が高い人の場合は、現役出向組よりも広い範囲の行政ビジョンを提供でき、現時点の親会社(特定の役所)との一方的な力関係を少し対等に近づける、という意義がある。ただし長期的な存在である親会社(特定の役所)への従属意識を強めるという欠点もあり、その部分では天下り批判はあたっている面もある。わたしは、退役官僚の存在はかまわないが特定官庁からばかり来るのはよくないと思う。
日本の独立行政法人は制度設計を誤ったと思う。イギリスなどを手本にした行政サービスのagency化ならば、公設民営型にすべきだった。それならば、請け負い企業内の雇用は民間企業ルールになる。国の事業の長期的変化に対する労働者解雇などの衝撃緩和能力を民間資本(資本があることが重要)に期待することになる。請け負うのが大資本・金持ちに偏るのはまずいと思うので、資本形成も支援する必要があるかもしれない。
研究事業をする独立行政法人には、はえぬきの人もいるが、その多くは技術屋で、人事異動で管理部門にまわされることもあるが、管理の主導権をとるのは彼らではなく、親会社(本省)から出向の人だ。(企業から出向の人もいるが、特定企業に依存しないような人事がおこなわれるので、まとまった勢力になっていないと思う。) 彼らの文化は順法第一であり、成果を出すことよりも不正を防ぐことを優先する傾向がある。労働契約法問題に即して言えば、5年後に「雇用無期限化の権利をもつ労働者が生じてその給料を払う財源がない」となるリスクをかかえることのほうが、いい人が応募しない、あるいはいい人がいても4年で追い出さないといけない制度を作ることによって、それまで5年間の研究業績が低くなることよりも、こわいのだ。(営利企業ならば、利益をあげることに貢献する人を確保することを優先するだろう。ただし、前に述べたように、公的事業では利益に基づく判断ができるとは限らない。)
法人は、法人のidentityにかかわる仕事については、法人がなくならない限り死守すると言うかもしれない。それは多くの場合、独立行政法人になる前から続いている事業だ。これを「譜代部門」と呼ぶことにする。法人の経営者は、譜代部門の期限つき職員については無期限化してよいと考えるかもしれない。1990年代終わりごろからの科学技術政策でふくらんだ事業は「外様部門」だ。親会社の意向で存在し、親会社の意向が変われば消滅する。ここでいう「部門」は必ずしも研究対象による分割でなく、技能の種類による分割かもしれない。法人の管理者は、譜代部門については意地を張ることもあるが、外様部門については、第一に順法、第二に親会社の現在の担当者の意向にさからわないこと。(もちろん成果を上げることは「意向」の内にあるが、何が成果であるかの判定が親会社しだいになり、「世論」に依存する。) そして政府の意向が変わったら外様部門を切り捨てて譜代部門が生き残れるようにする。この差別は外様部門に雇われた立場から見れば理不尽だが、半自然発生的組織の原理としてはもっともだ。純粋人工的組織よりもうまく働きそうだ。
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国には科学技術基本計画、法人には中期計画という5か年計画はあるが、長期計画はない (法人によって「長期ビジョン」を作りはじめたところはあるが)。中期計画は親会社によって毎回変わりばえを求められ、scarp and buildしないと法人として成績が悪いと見られる。中期計画の始まりの時点で次の中期計画はかげも形もない。いま元気のよい部門でも、10年先に無期限雇用ができるという保証はできない。科学技術政策も、世論(セロン)によって、そして予算編成時の競争によって、変わりばえが求められ、同じものが続くのは成績が悪い扱いをされる。おかげで、実質的継続事業でも新事業とされて担当機関の選抜から始めたため開始が年度の後半になり、労働者が数か月失業する事態になりかけたこともある(実際失業したか、別の事業との間でやりくりして雇用を続けることができたか、わたしは確認できていない)。
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役所の新事業は、たてまえとしてはトップダウンに企画されるのがよいとされることが多いが、現実にはほんとうのトップダウンによる企画は少ない。役人の人数が少なすぎ、専門を学ぶ間もなく異動するので、企画を書けないせいもあるが、予算は末端からの要求を選考して要求してきたところにつけるものだという伝統のせいもあるらしい。独立行政法人にまかせたい新事業の構想がある場合、役所は役人を独立行政法人に出向させ、法人から計画提案を出させる。公募の場合も、役所には簡単な仕様書を作る人間時間しかない。応募側の提案書が実質内容を決めるが、公募期間は短いので、役所の意向を事前に聞いた法人の勝ちになる。天下りよりもむしろ現役出向組のいるところが強い。今の役所の行政は公務員定員などの制約の外に言うことをきく子会社を持つことで成り立っている。これは不明朗だと思うが、本気でコネなしの公募で政策を進めるには、役所本体に、ねらいを正確に表現する仕様書を作れるだけの人間時間が必要だ。
世論(セロン)には「政府の下に新法人をつくることは悪だ」というのもある。そうすると、新しい事業を始めるには、既存法人に業務を追加するしかない。譜代業務とする法人がない分野にとっては不幸なことだ。むしろ民間企業請け負い型にしたほうがよいと思う。ただしその場合は役所側に公益と不確実性を考慮できる目標設定者が必要だ。
2013-03-28
労働契約法問題、国の予算による研究事業での雇用の持続性を高めるために
2007年に成立した労働契約法が2012年に改定された。その主要な改定点は(厳密ではないが大まかに言えば)、期限つき雇用で同じ法人に5年を越える期間雇われている労働者に、無期限雇用への転換を求める権利が生じることだ。この改定の趣旨は、雇用の持続性を高めたいということにちがいない。しかし、趣旨とは逆に働く可能性が指摘されている。労働者を無期限に雇い続けられるだけの財源の見通しがない使用者の立場になれば、無期限化の権利が生じるのを予防するために、雇用契約をあらかじめ「4年まで、それ以上の更新は絶対にない」という形にしたいと思うのは当然だろう。これを「脱法行為」として非難するだけではものごとは進まないと思う。
この問題は民間企業でも起こりうることではあるが、国(地方自治体も同様だが「国」で代表させて述べる)の予算によって提供される資金で行なわれる研究的業務の場合に、避けがたくなる。(なぜそうなるかについては思いあたる要因が複数あるが、追って別に書くことにしたい。) これにあてはまる使用者は、ほとんどの場合、国自体ではなく(したがって労働者は公務員ではなく)、独立行政法人、国立大学法人、学校法人、公益法人などである。 以下、(一般的でなくここでの仮の用語として)「公的法人」と呼ぶ。資金提供は業務委託の場合と補助金の場合があり、また事業担当者が競争的に選抜される場合と政策的に決められる場合があるが、雇用に関する問題は共通だと思う。
労働契約法改定の説明でたびたび述べられているように、改定された労働契約法18条で求められている無期限雇用は、必ずしも日本の従来の雇用慣行でいう「正社員」にすることを意味しない。「正社員」の雇用契約では職務の変更(配置転換)について使用者側の判断に労働者が従うことが想定されていることが多いが、期限つき雇用の無期限化ではそれが想定されていないことが多い。そこで、使用者の法人が経営危機に至っていなくても職務がなくなったら解雇ができるような整理解雇ルールが必要になる。解雇の条件をあまりきびしくすると予防的に期限の短期化が起こるし、ゆるくすると労働者の権利がそこなわれるので、よく考える必要がある。継続雇用年数は新法施行後だけを数えればよさそうだから、実際に労働者が権利を要求するのは5年後になるはずだが、公的法人の場合、5年後に使用者の義務が生じてそれを果たせないという事態が生じることを予防しようという動機が強く働くので、今から対策が必要なのだ。
なお、法改定の説明によれば、「プロジェクト終了まで」という形の雇用契約の場合には無期限化の権利は生じないと考えてよいそうだ。しかし、わたしの知る限りすべて、公的法人の研究プロジェクトによる雇用は形式的には単年度契約である。予算額が確定するのが年度ごとであり、しかも経験的にほとんどの場合前年度よりも減額されるので、初年度に終了までの契約を約束することができないのだ。単年度ごとに更新がくりかえされるという点では法人本体の予算(独立行政法人では運営費交付金)による期限つき雇用も同じだ。(この場合雇用自体は複数年度契約でもよいはずだが、給料や勤務時間などの雇用条件の確定がむずかしい。) どちらも18条の適用対象外とするのはむずかしいと思う。
研究業務で働いているのは研究者だけではない。
ひとつの端の典型として、研究を主業務とする法人でも、会計などの事務の仕事や、コンピュータネットワークや建物設備の管理などの技術の仕事には、研究業務でもその他の業務でも必要とされる専門能力があまり変わらないものがある。あるいは、研究業務である限りは研究の分野が違っても共通なものがある。そのような職種の場合は、法改定の精神に従って、労働者が希望するならば無期限に切りかえるのが正しい方向なのだろう。実際、ある国立大学では期限つき雇用の事務職員を無期限に切りかえる方針を労働組合に示したと聞く。これが正しい方向だと思う。
反対の端の典型が、オリジナルな研究成果の著作物で勝負する研究者だ。研究者にも無期限雇用もあってもよいのだが、5年なり10年なりごとに関門があって審査に通った場合だけ雇用契約が更新されるというのが妥当なことが多い。(毎年関門があるのはあわただしすぎる。) 関門には他の候補者との競争に勝たなければならない場合もある。審査に通らなかった場合は雇用契約終了となる(現行制度のもとでは解雇ではない)。研究者の側から更新よりも終了(その多くは他の法人による雇用)を希望することもある。このような状況で、同じ法人が同じ人を雇い続ける場合は無期限雇用にしなければならない(労働者があえて期限つきを希望すれば別だが)という条件は、使用者にとってきびしすぎ、結果として研究労働者の雇用の継続性とともに研究自体の継続性をそこなうことになる。研究者は労働契約法のこの条項の適用除外にすべきだと思う。運用ではできず法の再改定が必要であれば、すぐに再改定案づくりを始めるべきだ。そして公的法人が研究者に雇用条件を提示する際には5年以内に再改定の可能性があることを想定するべきだ。
実際には両極端の中間の人が多いと思う。事務職・技術職として雇われている人のうちにも、その研究の学問分野や方法に特有の知識や技能が評価されて働いている人がいる。研究職として雇われている人のうちにも、直接研究成果を出すことよりも、チームの中の役割分担や、共同利用される機器やデータベースなどの維持・更新などで役にたっている人がいる。このような人たちについては、18条を適用して無期限化を進めること(ただし労使ともに納得する整理解雇ルール構築が必要)と、適用除外とすることを、個別に選べるようにするべきだと主張したい。
なお、これは若手研究者の問題でもあるが、若手だけの問題ではない。定年相当の年齢まで期限つき雇用をつないでいくことが想定され民間企業から引く手あまたというわけではない人をおおぜいかかえた専門分野もある。
文献
- 安西 愈(まさる), 2013: 雇用法改正 人事・労務はこう変わる (日経文庫 1273/D38)。 日本経済新聞出版社, 252 pp. ISBN 978-4-532-11273-8. [読書メモ]
- 厚生労働省 労働基準局 労働条件政策課, 2012: 改正労働契約法の概要。季刊労働法 239号 (2012年冬), 2 - 11.
- 水町 勇一郎, 2011: 労働法入門 (岩波新書 新赤版 1329)。 岩波書店, 226+4 pp. ISBN 978-4-00-431329-8. [読書メモ]
- 野川 忍, 2007, 2012: わかりやすい労働契約法 第2版。 商事法務, 255 pp. ISBN 978-4-7857-2018-6. [読書メモ]
- 和田 肇, 2012: 労働契約法改定は有期雇用不安定化法である。労働判例 1054号(2012.11.15), p. 2.