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2015-01-18

軍事研究との距離

【この件についてのわたしの意見は必ずしもまとまっていない。ひとまず資料集のような意味でブログ記事にしておく。今後も書きかえる可能性があり、その場合にいつどこを書きかえたかいちいち明示しないかもしれないことをおことわりしておく。】

2014年1月16日、産経新聞による「東大、軍事研究を解禁 公開前提に一定の歯止め」という見出しが広まり、ネット上ではそれをまにうけて、「とうとう大学も軍国主義に負けたか」のようになげく声もあり、「当然の規制緩和だ」とほめる声もあった。

産経報道は東大からの新しい発表を受けたものではなく、昨年12月に東大の情報理工学研究科大学院生向けの「科学研究ガイドライン」(http://www.i.u-tokyo.ac.jp/edu/others/pdf/guideline_ja.pdf ) が改訂されたこと(旧版はWeb Archiveで閲覧可能 https://web.archive.org/web/20140629064500/http://www.i.u-tokyo.ac.jp/edu/others/pdf/guideline_ja.pdf )を解釈したものだった。東大の広報室も報道を見て驚いたようで、その日に、ウェブサイトに総長による文書「東京大学における軍事研究の禁止について」が出された。その中では、東大は軍事研究を禁止する原則を変えていない、と述べている。また、「学問研究はその扱い方によって平和目的にも軍事目的にも利用される可能性(両義性:デュアル・ユース)が、本質的に存在する。」とも述べている。これを受けて朝日新聞は「東大『軍事研究認めない』 『解禁』の一部報道を否定」という見出しの報道をした。

ガイドライン文書を見比べてみると、旧版では、「軍事研究」という項目で「一切の例外なく、軍事研究を禁止しています」とあったのに対して、新版では、「学問研究の両義性」という項目で、「成果が非公開となる機密性の高い軍事を目的とする研究は行わないこととしています」とある。

新版の文は、「成果が公開となる、機密性の低い、軍事を目的とする研究」はありうるのか、もしありうるならばそれを研究科内で研究してよいのか、などの点で、あいまいなところがあり、ガイドラインとしてはさらに改訂が必要だと思う。

原則は変わっていないという総長のメッセージも合わせて、わたしなりに状況を想像すると、これまでは、軍事研究禁止の原則はあっても何が軍事研究かの合意がなく、判断のくいちがいがあると決定権をもつ者の判断をおしつけることになったが、これからは、「この課題は、両義性があるが、結果が公開となるので、軍事研究とみなさない」というような合意が起こりうるようになったと思う。この事態をどう評価するかはむずかしいことだが、わたしは、いくらかの改善だと思う。ただし、公開性は確かに重要だがそれだけで決めるのはまずく、軍事目的に利用された場合の重大性をも考える必要があると思う。

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科学技術の「デュアルユース」(dual use)問題については、日本学術会議が2012年11月30日に「科学・技術のデュアルユース問題に関する検討報告」(http://www.scj.go.jp/ja/info/kohyo/pdf/kohyo-22-h166-1.pdf )を、また、JSTの研究開発戦略センター(CRDS)が2013年3月に、「ライフサイエンス研究の将来性ある発展のためのデュアルユース対策とそのガバナンス体制整備」(http://www.jst.go.jp/crds/pdf/2012/SP/CRDS-FY2012-SP-02.pdf )という提言書を出している。これらは、インフルエンザなどの感染症ウィルス研究の成果が生物兵器テロに利用されるおそれがあるという指摘から始まった議論を受けたもので、学術会議の報告は科学研究にかかわる人々の行動規範を論じており、JST CRDSの提言書はそれを実現するためのガバナンス体制づくりを論じている。

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デュアルユース問題が指摘されたのはこれだけではなかった。東日本大震災のあと、とくに原子力発電所の事故の現場で、放射線などのため人が立ち入れず、しかも地震や爆発事故のあとで通路が障害物だらけになっている状況で、日本のロボットはすぐに役にたたなかった。外国ではそのような状況でも使えるロボットが、おもに軍事関連の研究で開発されていた。日本の研究者はその分野への関心が薄かったことが反省された。それは必ずしも、日本も軍事用ロボットを開発すべきだという意味ではない。2011年ごろ聞いた意見は、軍事関連研究であっても公表される情報があるので、そういうものを参考に研究課題を考えるべきだ、というものだった、と記憶している。

ところが2012年に、アメリカ合衆国 国防総省 高等研究計画局(DARPA)による災害対応ロボットのコンテスト「DARPA Robotics Challenge(DRC)」があった。東大の情報理工学研究科でロボットを開発していた研究者が、東大をやめてベンチャー企業に移った、ということが報道された。そのベンチャー企業は、DARPAから資金を出してもらってコンテストに参加し、よい成績を出した。その後、アメリカ資本に買収された。そのいきさつは、たとえば、WIRED Japanの、Katsue Nagakura氏による2013年12月23日の記事「DARPAロボコンで勝利した日本のヴェンチャー企業が、グーグルに買収された理由」http://wired.jp/2013/12/23/schaft-wins-darpa-robotics-challenge/ に書かれている。これを見ただけでは、東大所属のままではコンテストに参加できなかったのかは、よくわからないのだが、東大全体、研究科、専攻のいずれかのレベルに、その道をふさぐようなルールがあったのかもしれない。

おそらく産経新聞は、東大がDARPAなどとかかわりやすくするような規制緩和をすることを期待していたところに、情報理工学研究科のガイドライン改訂があったので、期待どおりの動きがあったと思ったのだろう。しかし、東大の態度は、産経が期待するほど大きく変化してはいないのだろう。

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ところで、東大でアメリカ軍から研究費をもらった研究がすでにおこなわれていることが、2014年に話題になった。

具体例は、ウェブページ http://www.dtic.mil/docs/citations/ADA526495 に報告がある。これは、東大 理学系研究科 物理学専攻の早野龍五教授が、Asian Office of Aerospace Research & Development (AOARD)という事務所から資金をもらって2009年9月から2010年8月までにおこなった「Development of a Charged-Particle Accumulator Using an RF Confinement Method VI」という研究プロジェクトの報告だ。別の年度の類似の報告も見つかるので、おそらく毎年新規課題の形で事実上継続されていてVIは6期めなのだろうと思う。AOARDの説明はhttp://www.wpafb.af.mil/library/factsheets/factsheet.asp?id=9477 にある。アメリカ空軍の中で基礎研究を推進するAir Force Office of Scientific Research (AFOSR)の事務所のひとつで東京(港区六本木7-23-17)にある。報告の始めのほうを読んでみると、CERN (ヨーロッパ原子核研究機構、スイス本拠をおく国際的な研究所)で行なっている反物質(陽電子反陽子)の実験のための、反物質をたくわえる機器の開発だ。CERNでの研究の資金源はたくさんあるので、早野教授の側から見れば、その小さな部分がアメリカ軍の資金によっているということだろう。他方アメリカ軍の側では、これは基礎研究なので短期的に役だつことは期待されないが、長期的には軍の目的に役だちうる研究であるという説明がされていると思う。どう役だつことが期待されているのかについて憶測をのべるのはやめておく。これも、純粋科学を「平和目的」に含めるとすれば、東大総長メッセージのいう意味で「デュアルユース」の研究にちがいない。

軍事研究をしないという原則があっても、具体的な課題がその軍事研究に含まれるかどうかの判断はむずかしい。わたしは、東大は形式的に資金が軍から出ているかどうかで判断していると思い、ロボットの件ではDARPAから資金を受け取ることがそのルールに反すると判断されたのだと思った。しかしCERNの件で空軍の資金を受け取ることが違反とされなかったとすると、わたしの想像は正確でなかったようだ。東大の中でも部署によって判断が違うことはありうるのだが、そうだとすると、物理で比較的ゆるいというのはわたしには意外だった。

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第二次世界大戦後の日本の物理学者コミュニティは、科学者のうちでもとくに、軍事とかかわることをきびしく抑制する特徴があったと思う。日本物理学会は、1967年9月、臨時総会で「日本物理学会は今後内外を問わず、一切の軍隊から援助、その他一切の協力関係をもたない」という決議を採択した。このことは現在、日本物理学会のウェブサイトの「行動規範」のページ http://www.jps.or.jp/outline/koudoukihan.html に書かれている。ただし、このページのうちの「日本物理学会行動規範」 (2007年7月10日制定) という文章には軍事との関連について明示されておらず、それには含まれないらしい「第33回臨時総会の決議3について」という文章に書かれている。その文章は、「本会会員はこの決議を尊重されるようお願いします。なお、決議3の具体的取り扱いについては、第522回委員会議(1995.7.8)で下記のように決定されました。...」と続く。

学会のルールは、学会という法人事業に関する判断であるものと、それに限らず学会員の行動に関する規範であるものがありうる。続きを読んでみると、この決議の主要な趣旨は、学会という組織として軍との協力関係をもたないというものだ。少なくとも1995年の委員会議決定以後は、学会員の研究活動を直接的に規制してはいない。ただし明白な軍事研究であると判断された場合に物理学会の場を使って発表できないという形で、その種類の研究活動を抑制する動機を与えているとは言えるだろう。また1995年の決定の「決議3の具体的取り扱い」には次のような注がついている。「明白な軍事研究、および軍関係団体の範囲については、理事会の判断事項とし、拒否例が出た場合には代議員に報告する。この判断基準は国際常識に従い、研究費の出所のみで判断することはしない。」 これ以前に、軍から研究費が出ているものは軍事研究だという形式的な判断をしたことがあって、会員から不満が出たため、議論のすえに方針を変更した、ということなのだろうと思う。

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遠くから見た印象だが、1980年代の物理学会は、日本の自衛隊とかかわることにもきびしかったと思う。気象学会では、防衛大学校所属の人が会員として研究発表をし、ときには学会事業でも重要な役割を果たしているのだが、そういう気象学会が(当時の)物理学会と共同行動をとるのはむずかしいだろうと思った。

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気象を含む地球物理の分野の研究活動は、軍の資金をもらわないというルールは可能だと思うが、もし軍とはいっさいかかわらないというルールがきびしく運用されると、たちゆかなくなることもある。国によっては気象庁相当の機関が軍の中にあって、その国のデータを得るためにはその機関との交渉が必要なことがある。(イギリス気象庁は、2011年7月18日にビジネス・イノベーション・職業技能省に移管される前は、軍ではない行政組織ではあるものの、国防省の下にあった。) また、観測現場に行くのに軍の力を借りる必要がある場合もある。(日本の南極観測事業も、軍と称してはいないが、自衛隊が輸送の機能をになっている。)

地球物理の研究課題についておおざっぱに考えてみると、現実ばなれした想定の話は別として、現実の地球と照合できる結果が出るもののうちで、ごくローカルなものを別にすれば、軍事への応用の可能性がないものを考えるほうがむずかしいと思う。この分野では、デュアルユース性は昔からあるのだ。ところが、地球物理の研究者のうちにはそれに敏感になっている人もいくらかいるが、鈍感な人が多いと思う。それはひとつには、次に述べるデータ公開主義があって、軍事機密にふれる可能性があるデータを扱う少数の人は敏感になるが、公開(または公開予定)のデータだけを扱う多数の人は鈍感になるのだと思う。また、もし「軍事目的に利用された場合の重大性」を問われても、直接地球物理を応用した軍事作戦はあまりなく(たとえば、人工降雨はあまり有効でないことがわかっており、意図的な広域気候改変は資金面から現実的でない)、それ以外の地球物理の軍事への貢献は軍事でなくてもありうる運輸や土木工事などへの支援なので、なんとも答えようがない、とも思う。

地球物理研究者は、データ公開を重視してきた。1950年代の国際地球観測年(International Geophysical Year = IGY)に伴ってWorld Data Center (WDC)というしくみをつくり(今はWorld Data Systemに移行している)、世界の研究者がデータを共有できるようにした。1970年代の全球大気研究計画(Global Atmospheric Research Program = GARP、当時の日本の公式名は「地球大気開発計画」であったが今から見ると奇妙に感じるので英語から直訳しておく)でもデータはWDCを通じて共有された。今から考えてみると、この努力に向けられた熱意は、おもに、情報を秘密にしがちな傾向があった共産圏の国家からデータを引き出したいという欲求からきていたのかもしれない。しかし自由主義圏の国家でも、軍がかかわることに伴って起こりがちな秘密指向への歯止めになっていただろう。

【ただし、地球物理の分野で発達してきたのは、共通基準に従って整理された観測データ(および共有需要のあるモデル出力データ)の公開・共有であって、研究活動のすべての段階のデータを公開・共有することではない。「なまデータ」は、膨大で流通が困難なこともある。また、空間規模が細かくなると個人が特定可能になりうるため人権への配慮から流通を制限するのが適切と考えられることもある。】

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まだ詳しく調べていないのだが、中谷宇吉郎が1950年代にアメリカ軍からの研究費をもらおうとして、日本国内で反対されたことがあったそうだ。(所属機関のルールに反するとされたのかは確認していない。研究課題は雪に関するものだったにちがいないがそれ以上は知らない。) おそらく、研究者側から見れば純粋科学的価値があり、軍から見れば将来軍事に有用になる可能性がある、今の用語でいう両義性のある基礎研究だったのだろうと思う。

それで思いあたる背景として、1950年代、地球物理分野では、アメリカ軍、とくに海軍が、軍事研究とは考えがたいような基礎研究にも多くのお金を出していた。アメリカ合衆国は国全体の政策として基礎科学を推進しようとしたが、その手段として戦時にできた軍事研究のためのしくみが使われたとも見られる。NSF, NASA, NOAA, Department of Energy (DoE)が確立するにつれて、多くの課題がそちらの担当に移り、(この分野での)研究費提供機関としての軍の役割は相対的に小さくなったと思う。(一例としてWeart『温暖化の発見ウェブ版のうちの、Keelingによる二酸化炭素濃度継続観測の資金源の話 http://www.aip.org/history/climate/Kfunds.htm ) (ただし、DoEは核兵器にもかかわっている。また、軍に属する研究機関の仕事は今も無視できない重みがある。) DARPAがおもな対象とした工学系の分野とは事情がだいぶ違うかもしれない。

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軍事が避けられないとしても、科学研究が軍事にとりこまれることの歯止めは必要だ。そこでは公開性が重要なのだが、それだけでなく、内容に立ち入った価値判断も必要になってくるだろう。軍事研究とそうでないものの区別をする必要があると思うが、境は自明ではなく、判断が大学ごとや学会ごとに分かれるのは当然で、むしろ多様性があるほうが健全だと思う。

2015-01-15

(勧めたくない用語) hiatus (ハイエイタス) ... 地球温暖化の温度上昇の停滞

ブログ気候変動・千夜一話」の2013-10-17の記事「地球温暖化は止まった?」または「hiatus」に書いたことのくりかえしになりますが、おもに用語の話題として、こちらにも書いておきます。】

最近の20年ほどの全球平均地上気温の変化は、その前の20年ほどの上昇と比べて、だいぶ小さいです。もし「地球温暖化」を「全球平均地上気温の上昇」で定義するとすれば、「地球温暖化は止まっている」という記述は(おおざっぱには)正しいということができると思います。しかし、「地球温暖化」という考えかたは(この単語の表現がそのまま定義というわけではなく)、気候変化を因果関係のほうから考えてできたもので、地球(のうち気候システムと呼ばれている部分、実質的におもにきくのは海洋)のエネルギー収支が収入超過になること、そして、たまっているエネルギー量がふえていることのほうが、温度上昇よりも基本なのです。収入超過を起こす原因は止まっていませんし、(上にあげたリンク先の別ブログ記事で紹介したように)海洋にたまっているエネルギー量もふえ続けています。この意味では「地球温暖化は止まっていない」のです。なお、全球平均地上気温が「止まっている」のも一時的な現象であり温度上昇は再開するだろうと予想しています。

近ごろ気候変化の専門家のあいだで、この「温度上昇の停滞」をさして「hiatus」という表現が使われています。これはラテン語で「ヒアトゥス」ですが、英語の中では「ハイエイタス」と読むのだそうです。(ただし、次の例にある「全球平均地上気温上昇の」のようなことわりをつけて使われます。単に hiatus と言うことは、この問題を追いかけている人どうしのあいだではあるかもしれませんが、たとえば気象学会のような専門家集団全体に広まってはいないと思います。)

IPCC第5次報告書(AR5)の第1部会の部 http://www.ipcc.ch/report/ar5/wg1/ の技術的要約(TS)では、囲み記事の題名として「Box TS.3: Climate Models and the Hiatus in Global-Mean Surface Warming of the Past 15 years」(TSの囲み3番: 気候モデルと、最近15年間の全球平均地上気温上昇のhiatus) [題名の日本語訳はわたしが仮につけたもの] という形で使われています。(なお、AR5の第1部会の部の部分的な日本語訳が気象庁のサイトhttp://www.data.jma.go.jp/cpdinfo/ipcc/ar5/ にあるのですが、TSはまだ見あたりません。)

2007年に出たIPCC第4次報告書では(出てきそうなところを見た限りでは)この用語は使われていません。わたしが見落としている可能性はありますが、そのころ、気候変化専門家は、だれもhiatusという用語を使っていなかったと思います。温度上昇の停滞はすでに認識されはじめていたのですが、とくに現象の名まえはつけられていなかったのです。

わたしはたまたま学生のころ(1970年代)にhiatusという語を本で読んだことはありました。(日本語の文章中にわざわざ原語つづりで書いてあったと思います。耳から聞いたことはなかったので書き手がどう発音していたのか知りませんが、わたしはヒアトゥスと読んでいました。)

ひとつは、言語学のうちの発音に関する話題で、母音が子音をはさまずにならび、それぞれ独立に発音されることをさします。わたしのかんちがいでなければ、hiatusという語自体の「ia」の部分がその例になっています。「iha」のように中間に子音がはいるのでも、「ヤ」のようにくっついて発音されるのでもなく、「イア」のように発音されるのです。【日本語の「適応」(てきおう)という(気候変化の対策の話では欠かせない)ことばの場合について[2014-12-13の記事]で話題にしたところでした。】このような発音をする際には、iとaの間に何かをはさもうとしながら実際には何もはさまない、というような意識が働いている、と考えられたので、このような用語が使われたのだろうとわたしは推測しています。これと気候の変化の停滞とでは、連想を働かせる手がかりがないほど意味が遠いと思います。

もうひとつは、地質学(細分すれば堆積学)で、水の底での泥などの堆積が一時的に止まることをさします。「不整合」と似た概念ですが、不整合は、その場所が水域ではなく陸になって侵食が進むといった大きな変化の結果であるのに対して、hiatusは、水域のままなのに泥の供給が止まったり水底の泥流で泥が乱されたりするような小さな変化の結果をさすようです。(わたしは地質学を専門的に勉強していないので、理解が正確でないかもしれません。)

もし堆積物を古気候の記録として見るならば、このhiatusは、データの欠損であって、気候の変化が止まったことを意味しません。むしろ、ローカルには、前後の堆積が続いている状態に対して、違う状態が出現しているわけで、それは気候の変化を反映したものであるかもしれません(そうではないかもしれませんが)。

地質のhiatusは気候変化に関する文脈に出てくる可能性があって、気候変化の停滞を示すものではないのです。こちらのほうが昔から使われてきた意味ですから、「温度上昇の停滞」という新しい意味で「ハイエイタス」という表現を使うのは、なるべく避けたほうがよいと思います。

[補足] (あるメーリングリストの中でご指摘いただいたことを参考にわたしのことばで述べますが) 気候変化の hiatus は、「気候の変化は続いているにもかかわらず、それが表面に現われる働きがとぎれている」というふうにとらえれば、堆積のhiatusと多少は似たところがあるともいえます。用語を使いはじめた人がそう考えたことはありそうだと思います。しかし、聞き手がその考えを追って理解してくれることはあまり期待できないと思います。

2015-01-07

グリッド・グループ論に関する勉強途中の覚え書き(2)

[2014-09-28の記事]への補足。

Douglas and Wildavsky (1982)の本を読んだ。気づいたことは[読書メモ]に書いた。

この本では、grid軸とgroup軸で構成される4象限のうち、次の図に示す3つの象限にあたる類型だけが論じられている。

↑[Grid]
Hierarchy[Group]→
IndividualistSectarian (Egalitarian)

文献

  • Mary DOUGLAS and Aaron WILDAVSKY, 1982: Risk and Culture. University of California Press. [読書メモ]

2014-12-31

ラジオ気象通報と、データの可聴化(聞こえる化)

2014-12-22の記事[データの「可聴化」「聞こえる化」を考えてみる(まだ机上論)]に対して、「データの可聴化には、ラジオ気象通報などもあるのではないか」というコメントをいただいた。そのようなものは、わたしが22日の議論で想定した範囲の外だったのだ。ただし、「可聴化」(あるいは視覚に限らない意味での「可視化」)の意味をそこまで広げてみる立場もありうると思う。また、気象通報というものを、データの可聴化に含めないとしても、それと関連するものとして考えてみる意義はあると思う。

まず、気象通報という具体例にふれる前に、なるべく一般的に、22日の記事を書いたときに暗黙のうちにどのように対象を限定していたかを、ことばにしてみる。限定はふたとおりあり、両者は同じことではないと思うが無関係でもない。

第1に、人がデータのもつ情報を受け取る際に、言語の認識(ことばを聞き取ること、文字を読むこと)を含まない知覚によることができるものに限りたかったのだ。視覚の場合で言えば、データを文章ばかりの文書で伝えることも「可視化」に含める立場もありうるけれども、22日の記事の立場はそうではなく、大きさや形に関する知覚によって数量を認知できるグラフのようなものだけを想定していた。聴覚の場合も、データをことばで伝えることも「可聴化」でありうるけれども、22日の記事では、音の強さや高さなどに関する知覚で受け取れる形で伝えることを考えていた。

もっとも、現実のグラフには、図形のほか、注記の文字がある。その部分を読む作業には文字からの言語の認識の能力を使う。同様に、22日の記事で述べたような音によるデータの表現に、補助的に言語情報がのることは考えられる。声楽のような形のものが考えられるかもしれない。

第2に、22日の記事でいう「可視化」や「可聴化」は、データが示す複雑な内容のなるべく多くの部分を、人が知覚・直観を活用して短時間に受け取れるように、表現することをさしている。もちろん情報をゆがめずに伝えることが望ましいのだが、(情報理論のほうでいうような形式的な意味での)情報を損失なしに正確に伝達することを主眼としているわけではない。

人の話しことばは(ひとまず複数の人が同時に話すことを考えなければ)時間軸上に1次元にならべられる。書きことばも、行の折り返しやページレイアウトはあるものの、標準的な読む順序が決まっていて時間軸上の情報に対応するものだ。また、正確な情報伝達のための技術は、実際には並列に伝達することもあるだろうが、理屈を考えるときには、データを順序のついたひとつの列とみなすことが多いと思う。それに対して、グラフは情報を2次元平面上に表現し、1次元的にならべない。そのことによって受け手にデータが示す内容の構造(の一部)を伝えようとする。音による表現では、時間1次元でないものの実現はむずかしいとは思うが、データが示す内容の構造を直観的に受け取れる形で伝えるくふうはできないだろうか、と考えたのだった。

データの可視化としての天気図

気象通報の話の前に、天気図を説明しておくべきだろう。天気図というのは、気象の状態の、ある時刻での、ある高さ(地上天気図であれば地表面[用語説明参照]付近)での、水平2次元の分布を、地図上に表現したものだ。主役となる変数は、地上天気図の場合、気圧 (詳しくいうと海面気圧[用語説明参照])であり、これを等値線 (気圧の等値線なので「等圧線」という)で表現する。【等値線とは何かの話は別の機会にしたい。】そして、水平面上でみてまわりより気圧が低いところを「低気圧」、高いところを「高気圧」として示す。また、各観測地点の位置に記号や文字による注記で、気温、湿度、風、雲量、降水などの天気現象、の情報を示す。(次に述べるラジオ気象通報で使われる方式では、雲量と降水などの天気現象とをまとめて「天気」としている。また、ここで例示した気象要素のうち、湿度は含まれない。)

これは明らかに、地図を利用したデータの可視化である。各観測地点での観測値や、低気圧の中心気圧などを読み取ろうとするときには、文字の認識も必要となるけれども、少なくとも等圧線による気圧配置の表現に関しては、形の知覚(パタン認識)に訴える情報伝達だと言えると思う。

情報伝達としてのラジオ気象通報

ラジオ気象通報は、天気図の情報を受け手が再現できるようにラジオで伝える放送番組である。地上天気図について、NHKラジオ第2放送で、長い間、1日3回放送されていたのだが、最近、1日1回 (日本時間16時)に減ってしまった。

これは、22日の記事で述べた意味での「データの可聴化」ではなく、ことばによる情報の正確な伝達をねらった活動である。そしてその伝達の目的が天気図というデータの可視化なのだ。

パソコンとインターネットが普及する前、一般の人が天気図を見るおもな媒体は新聞かテレビだったが、新聞は印刷と配達による遅れがあり、テレビは簡単に持ち歩けるものではなく、テレビの映像を録画できたとしても紙などに出すのは簡単ではなかった。そこで、とくに登山などの野外活動をする人にとって、ラジオ気象通報が天気図の情報を得る主要な方法だった。(登山者向けには、日本短波放送(のち「ラジオたんぱ」)で高層天気図の気象通報が放送されたこともあった。) また、気象について勉強しようとする人のための教材として、気象通報を聞いて天気図をかくことが勧められた。なお、もともとラジオ気象通報が想定した主要な受け手は漁船だった。漁船に無線ファクシミリの受信機が普及してからも、ラジオ気象通報は海上の船舶が注意すべきことに重点がおかれた構成が続いている。

気象通報が送りたい情報は、天気図であり、(水平)2次元空間にひろがるものだが、伝達手段が、ラジオの音声なので、時間1次元である。そのため、情報を順序づけしてならべる必要がある。緯度経度の一方を主、他方を従として整列する方法もあるが、気象通報はそうしなかった。

固定した地点での観測値は、緯度経度情報を省略して地名で場所を伝える。受け手が観測地点が書きこまれた地図を持っていることを伝達の前提にする。地点の順序も毎日同じにして、慣れが有利に働くようにする。慣れた人が聞きながら直接地図上に書きこむことを想定して、比較的近い地点が続くような、ひとふでがきの発想でならべる。ただし、おそらく歴史的事情によるとびもある。

移動する船などからの観測値、低気圧中心や霧の広がりなどの自然現象ロケット打ち上げ予定などの注意を必要とする人為現象の通報では、位置は基本的には緯度経度の数値で伝える。緯度経度格子がひいてある地図に記入することが想定されている。緯度経度の前に、大まかな場所(海域)を、たとえば「本州東方の」のように指示する。直接地図に書きこむ人は、地図の上で対象海域に手を動かして緯度経度を待つことになる。

今、耳で聞くことによってこのような作業をする必要性はすたれた。しかし、空間情報を非空間情報の形で伝え、再現するという形の作業はある。その例題として多くの人に共通の材料があるとよいと思う。その意味で、気象通報が続いているのがありがたいと思う。

2014-12-22

データの「可聴化」「聞こえる化」を考えてみる(まだ机上論)

「データの可視化」は、いろいろな需要があるが、とりわけて言えば20世紀以来の自然科学をやっていくためには必須のことであり、そのための技術開発もいろいろされている。データにもいろいろあるが、ここではおもに数量であらわされるものを考える。ただし、性質の違う数量があり(たとえば、長さ、質量、時間、温度は、いずれも物理量であるが、「量の次元」という性質が違う)、それを区別して扱うことも必要になる。また、すべてではないが、多くの数量が、空間の中に分布し、時間に伴って変化するので、空間座標と時間座標の組ごとに違った値をもつ。そういう時空間分布をもつデータをどう可視化するかも課題である。

近ごろ「見える化」ということばが使われる。これと「可視化」と両方使う人はニュアンスの違いを意識するだろうが、個人差も考えると、意味の広がりはだいたい重なっていると思う。

「可視化」にせよ「見える化」にせよ、意味の広がりに二段階を認めることができる。広い意味では、人が知覚によって認識することができない(あるいは簡単でない)情報を、認識できる形に変換することをさしている。狭い意味では、その知覚を視覚(目で見ること)に限る。

そこで、データを視覚以外の知覚で伝えることも考えられるのだが、その技術はあまり発達していない。

聴覚(耳で聞くこと)によって伝えることは、広い意味の「可視化」「見える化」には含まれるのだが、狭い意味では区別して「可聴化」「聞こえる化」などの用語をたてる必要が生じるだろう。

音そのもの以外の自然科学的数量データを解析する手段として、耳で聞けるような形に変換することは、すでにされていると思うが、わたしはよい例を知らない。しかし思いつきを語ったものは思い出せる。寺田寅彦の随筆にあったのだ。 ネット上で検索してみると「青空文庫」に収録されているのが見つかった http://www.aozora.gr.jp/cards/000042/files/2487_10344.html1933年に雑誌にのり、のちに岩波文庫版「寺田寅彦随筆集」に収録された「試験管」という随筆のうち「6.音の世界」という節だった。海の潮汐の水位の時系列を(時間を短縮して)音波におきかえて聞いたらどうか、という話が主で、山脈や人の顔の(断面の)輪郭の曲線を波形にみたてるという考えも述べられていた。

わたしは実際に実行したわけではないが、いくらか本気で考えてみると、この方法が有効なのは、シグナルの(全部でなくてよいが)大きな部分が、周期が同程度の(一定値でなくてもよいが桁ちがいでない範囲に含まれる)振動であり、しかも次のどちらかの場合に限られることになりそうだ。

  • 1. 時系列の継続時間がその周期に比べてじゅうぶん(たとえば千倍以上)長い場合。振動の、振幅の変化(AM変調)、周期の変化(FM変調)、倍音構成などが周期よりも長いスケールの時間の中で変化していくことが認識できるだろう。また、振動的でないノイズが混ざることが認識できることもあるだろう。
  • 2. 時系列の終わりと始めをつないでくりかえす。数量の時間的変化を論じるのをあきらめ、データ期間全体を平均した特性を認識することに目標をしぼる。また、つないだところで周波数特性がゆがむことをがまんする。

回転または振動する部分のある機械を扱う技能者のうちには、機械の音を聞いて機械の動作状況を判断する人がいる。ここでいう「1」が有用だとすれば、それと同様な能力を使うことになるだろう。潮汐は、これが有効と思われる例だ。

氷期サイクルにも使えそうだと思うのだが(地球軌道要素、氷の量、水温、二酸化炭素濃度などの音色を聞きわけられるとおもしろいと思うが)、南極氷床のサンプルが、今後の努力で100万年前までさかのぼれるとしても、約10万年周期の約10回ぶんしかないので、ここで述べた「2」のほうをめざすしかないと思う。

ここまでは、数量の時系列を音波の(空気の圧力なり密度なりの)波形とみなすという考えかたの話だった。

それに対して、時間軸上にデータに対応する音を配置するという考えかたがある。この処理の出力となる音波について、受け取った人は、時間の次元をスケール分割して、時間規模の短いところを音の周波数、長いところを時間として扱う必要があるが、これは音楽を聞く経験をした人ならば身につけている技能に近いだろう。

時間軸上にならべる音の特性として、音の強さと、音の高さ(周波数)が使える。また、倍音や雑音を混ぜることによって音色(ねいろ)を区別することもできるかもしれない。

わたしが数年前にネット上で見たもののうちに、気温の時系列グラフを楽譜に見立てて、つまり気温を音の高さに置きかえて、聞けるようにした例があった。年平均気温が、この百年の間に上昇していることは、音がだんだん高くなっていくことで表現されるが、それだけではあまりおもしろい感じはしなかった。年周期変化(季節変化)や日周期変化も含む気温の時系列を聞くとおもしろいかもしれない。

また、ステレオ音響技術を利用して、時空間分布をもつ情報を音であらわすことも考えられる。ふたつの耳を働かせることができる人は、両耳からの信号を組み合わせることによって、音が出ている位置を認識することができる。

そこで、たとえば、世界の地理的な場所と聞き手のまわりの室内空間内の場所とをあらかじめ関係づけておいて、世界で発生した事件の空間と時間に対応するように、空間座標をもつ時系列として、音を発生させることができるだろう。これは、連続分布する量で有効かどうかは疑問だが、離散的な事件群に使えると思う。事件の規模を音の強さで、種類を音の高さや音色で表現することもできるだろう。「最近百年間のうちどの時代にはどの大陸でどんな災害があったかをふりかえる」といったことに使えそうだと思う(やってみないと有効かどうかわからないが)。

ただし、実際に室内の空間位置を変えて音を出すことができれば、オーケストラをステージに配置して、どの楽器が鳴っているかを認識するような形になり、聞く側のあいまいさは少ないだろうが、音源をたくさん配置するてまがかかってしまう。

ふつう、立体音響といえば、両耳それぞれの位置から聞こえる音を合成して聞かせるものだろう。これで、空間認識を正しく伝えるには、個人ごとの左右の耳の聴力の違いや、前後距離と左右距離の比の認知特性などに対応して、チューニングしないといけないことになりそうだ。

ここまで聴覚だけを考えてきたが、もちろん、視覚との組み合わせも考えられる。