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2015-07-27

「著作物等の利用円滑化のためのニーズ」 テレビ番組を録画して教材として使うこと

2015年7月7日づけ、7月27日しめきりで、文部科学省 文化庁 長官官房 著作権課 企画審議係から「著作物等の利用円滑化のためのニーズの募集」が出ていたことを、しめきりの1週間前くらいに知った。

著作権に関する制度の整備は、本来、人類の知識への貢献が目的のはずなのに、ここ数十年、著作物を商品として売る業者の立場ばかりを考えて進められているように思われる。わたしはこれは二つの面でまずいと思う。ひとつは、知的財産は商業財となるほかに公共財として提供されるものも重要だということ。もうひとつは、著作権にかかわる当事者は商品を売る立場だけでなく、著作物を読む・視聴する立場(不満のある表現だが便宜上「消費者」と呼んでおく)もあること。消費者は市場で商品を選択することによって販売業者を通じて意思表示することはできるが、それでは、知的公共財や、業者がまだ商品としていない知的資源に関する意思は伝わらないのだ。

だから、今回の募集もこの主張を伝える機会にしたかった。しかし、わたしは著作権制度については、10年ほど前に(入門書レベルではあるが)勉強したものの、その後、更新していないしだいぶ忘れている。今の法制度をきちんとふまえて、どこが問題で、どう改善すべきか、という文書を、しめきりまでに作ることはできない。しかしまた考えて、専門知識がこの中途半端なレベルにある人こそ公衆参加では期待されているのではないかとも思う。

それで、思い当たるいくつかの局面のうち、大学の非常勤講師として感じた、テレビ番組の録画を教材として使うことをもう少ししやすくしてほしいという希望(「読書ノート」のシリーズのウェブページでふれたことがある)を書いてメールで送った。

募集のウェブサイトにはExcelPDFのフォームが用意されていた。わたしの手持ちの技術ではPDFに書きこむのはむずかしいので、(公共部門の仕事で特定会社のソフトウェアのフォームを使うことにはとても不満であり、文書を表計算ソフトウェアの枠にはめることにもとても不満なのだが、今回はそれへのもんくは述べず) xlsx形式のファイルに書きこんでeメールで送った。

その内容を下につける。この字体の部分はフォームに書かれていた問いである。

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(1)どのような種類の著作物等をどのような場面,方法で利用するにあたり課題がありますか。現在又は将来想定される課題について具体的に御記入ください。また,そのような利用ができないために,既にビジネスに支障が生じている,又は支障が生じうることが考えられる場合は,それについても具体的に記載をお願いします。

テレビの教育番組ドキュメンタリー番組、報道番組の一部などを録画して、大学の授業の教材に使うことがある。授業時間に見せることは教育用利用で問題ないと思われるが、学生に自習として見ることを勧めるのがむずかしい。大学の現場ごとの判断によるが、図書館業務と考えられた場合、図書館で上映可と明示された製品以外のビデオを保管・用することはむずかしいようである。

(2)(1)で挙げる利用は,現在の著作権法のどの規定(権利に関する規定・権利制限規定)との関係で課題がありますか。

映画の著作物に関する著作権と著作隣接権が、商品化を念頭に置いてつくられており、公共的知識伝達にそぐわないのではないか。ドキュメンタリー番組などはビデオ商品として採算がとれる見通しのないものが多いだろう。著作隣接権者(出演者など)が多すぎて許諾確認が困難なことがあるとも聞く。非商用を前提としたルールづくりが必要と思う。

(3)(1)・(2)で挙げられた課題の解決方法について

仝⇒制限規定の見直しによって解決すべきであるとお考えの場合,具体的にどのような制度を望みますか。また,そのような制度設計が望ましいと思われる理由を述べてください。

教育用の許諾不要の範囲は現実にはファジーだと思うが、大学が授業関連の自習用に提供する場合について、ここまでは許諾なしで合法、その他はどの権利者に許諾申請すること、という指針が明示されるとよいと思う。また権利者の側にこまごました許諾申請を軽くこなす体制を整備することを政策側からも推進してほしい。

権利制限規定の見直しによって解決すべきであるとお考えの場合,(1)に挙げた利用が著作権者等の利益を不当に害さない(著作権者等の正規のビジネスとの競合,衝突の有無や度合いを含む。)と判断する理由は何ですか。

ビデオ商品があって発売中の場合は、それを買うまたは借りる形をとればよいので、ここで問題にしているのは、商品化されなかった番組、またはもし商品化されていても絶版となっている(オンデマンド送信の対象からもはずされている)場合に限るとしてよい。

C作権の集中管理の促進など,ライセンシング体制の充実によって解決すべきとお考えの場合は,具体的にどのような環境整備を望みますか。

許諾使用料を有料とする場合、その支払い手続きが煩雑にならないような制度設計をくふうしてほしい。映像の公開のさまたげとなっているのが出演者などの著作隣接権者の許諾を得ることがむずかしいことであれば、番組の種類、出演者の役割、供用組織の利用条件などに応じて、許諾が得られなくても供用する道を開いたほうがよいのではないか(異議申し立て審査の道も必要となるが)。

い修梁召硫魴菠法について御提案があれば,理由とともに具体的に御記入ください。

NHKのものに限らず、商品化される可能性が乏しい番組について、多くの受益者が広く浅く負担することによって、公共的アーカイブを維持・供用するのがよいのではないか。(この件はささやかながら、著作権制度の枠の中でおさまる問題ではなく、それも人類の知的資源を活用するための手段のひとつという視野が必要な問題の例だと思います。)

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なお、文化庁あてのメールではふれなかったのだが、わたしがテレビ番組を録画してDVDディスクで持っているものは、(VHSで録画してダビングしたものと、チューナーつきパソコンで録画したものがあるが)みんな、アナログ放送の時代のものだ。ディジタル放送を録画するシステムには複製をじゃまするしくみがあり、とくに安いパソコン用製品の場合は録画したそのパソコンで再生することはできるが他の機械に移すことができなかったりする。ビデオ商品となる番組に関して私的複製がでまわるのを防ぎたい意図はわかるのだが、商品とならない番組に関しては、せっかく作った著作物が知られる機会を乏しくしていると思う。

2015-07-17

気候感度についてもう少し広く考える

「気候感度」(climate sensitivity)については、[2015-07-15の記事]で簡単にふれたが、もう少し話題を広げて考えてみる。

「感度」は「敏感さ」であって、定性的なものかもしれないのだが、ここでは定量的な扱いができる場合に限ってみる。

気候に関する話題を広く考えると、「気候感度」は次の2つの違ったことを意味しうる。(日本語の文では、語がさししめす物どうしの関係が格助詞で示されるが、複合語を構成する際には格助詞がはいらない。そこで「気候が敏感」なのか「気候に敏感」なのかの区別が表現されず、内容のほうから推測するしかなくなってしまうのだ。)

  1. Xが気候に影響を与える。入力であるXが変わるのに対して、気候の状態がどれだけ変わるか。(気候がXにどれだけ敏感か。)
  2. 気候がYに影響を与える。入力である気候が変わるのに対して、Yの状態がどれだけ変わるか。(Yが気候にどれだけ敏感か。)

2のほうのYの例としては、たとえば農作物の収量があげられる。

ここからは、1のほうに限って考えてみる。

気候感度を考えるとき、必ずというわけではないが、気候の状態変数としては、全球平均地上気温をとることが多い。(以下「気温」と書き、文字 T であらわすことにする。)

また、これも必ずというわけではないが、定常応答([2015-07-15の記事]参照)を考えることが多い。つまり、入力の値がXであるときの定常状態の気温がTであり、入力の値がX+ΔXであるときの定常状態の気温がT+ΔTであるとき、ΔTをΔXに対する定常応答と考えるわけだ。

【[2015-07-24補足] 感度ということばから人々が直観的に考えるものは、定常状態の差ではなく、むしろ応答の速さのような、時間軸上の量の変化であることがふつうだと思う。外部条件が変わるにつれての時間を追ったシステムの応答(いわゆる過渡応答 transient response)を扱う研究例はいろいろあるのだが、それぞれに違う数量を扱うので、「(過渡応答の)感度」といえばこれこれの数量を表わすという共通概念はできていない、と、わたしは認識している。】

そこで、気候感度の数値表現としては、まず ΔT/ΔX が考えられる。

実際、Xとして放射強制[力] ([2012-06-06の記事]参照、単位 W m-2)をとった場合は、感度をΔT/ΔX [単位 K/(W m-2)]であらわすことがある。

また、ΔXをXの代表値で割って相対変化の形にすることもある。

阿部・増田(1993)の1.3節ではRamanathan and Coakley (1978)による気候感度を紹介したが、この場合、Xにあたるのはいわゆる太陽定数([2012-04-29の記事]参照、単位 W m-2)である。そして気候感度はΔT / (ΔX / X) あるいは X ΔT/ΔX のような形で定義されている。この場合、XとΔXの次元が打ち消しあうので、気候感度の次元はΔTの次元[単位 K]となる。ただし、この意味での気候感度の値が、(たとえば) 120 Kになるとすれば、「太陽定数が(その)1%だけふえると、気温が1.2℃だけ上がる」のような表現のほうが感覚的にわかりやすいだろう。

二酸化炭素濃度に対する感度を考える場合には、ふつう、二酸化炭素濃度倍増に対する定常応答をとりあげる。つまり、二酸化炭素濃度がXであるときの定常状態の気温がTであり、二酸化炭素濃度が2Xであるときの定常状態の気温がT+ΔTであるとき、ΔTを気候感度という。これは、これまでの詳しいモデル計算による経験から、定常応答は二酸化炭素濃度の対数にほぼ比例することがわかっているからだ。これが比例するという近似のもとでは、出発点の濃度Xが何であっても、倍増に対する応答は同じになるのだ。ΔTは温度差なので、単位は K としても℃としても同じことである。

地球温暖化文脈では、おそらく2000年ごろ以後、「気候感度」といえば二酸化炭素倍増に対する定常応答をさすのがふつうになった。ただし、現実の地球の気候について言う場合と、気候モデルについて言う場合がある。

気候感度と地球システム感度

二酸化炭素濃度倍増に対して応答するシステムには何が含まれるのか、という問題がある。

気候感度を論じる場合は、ふつう、大気・海洋の温度とともに、水蒸気、雲、積雪、海氷なども変化しうるシステムを考える。水蒸気の温室効果や、雪氷のアルベド効果は、それぞれ正のフィードバックとなり、それがない場合に比べて感度を高めることになる。

他方、氷床や植生(森林・草原など)の変化は含めないのがふつうである。これらは、水蒸気・雲・積雪・海氷に比べて変化が遅いサブシステムなので、ひとまず固定して考えるのだ。これらの変化も含めたときの定常応答を、気候感度と区別して「地球システム感度」のように言う人もいる。

しかし、氷床や植生の変化を考えるべき状況では、現実には二酸化炭素濃度も変化するだろう。「地球システム感度」を評価するうえでは、これをどう考慮に入れるかがむずかしい。[これが従来の研究でどのように扱われているか、わたしはまだおさえていない。]

文献

  • 阿部 彩子, 増田 耕一, 1993: 氷床と気候感度 - モデルによる研究のレビュ−。気象研究ノート, 177号, 183-222.
  • V. Ramanathan and J.A. Coakley Jr., 1978: Climate modeling through radiative-convective models. Reviews of Geophysics and Space Physics, 16:465-489.

2015-07-15

二酸化炭素濃度に対する気温の定常応答(平衡応答)と過渡応答、気候感度

[別ブログ2010-01-20の記事]から、それを書いた当時の時事的話題を取り除いて、ひとまず再録して、改訂を加えています。「気候感度」という表現のいろいろな使われかたは別記事にしました。】

定常応答 (steady-state response)

気候システムにとっての外部条件が一定ならば、気候システムにはいるエネルギーと出るエネルギーの量はつりあい、気候システムの保有するエネルギー量は一定値をとると考えられます。気候システムの状態量、たとえば気温は、季節変化、日周期変化、毎日の天気に伴う変化をしていますが、そういう変化を平均してしまえば、(近似としてですが)時間とともに変化しない定常状態にあると考えられます。

気候の変化を理屈から考えていくときは、まず、違った外部条件がそれぞれ長期間持続している場合に気候システムがどういう定常状態に落ち着くかを考え、その定常状態の差を与えた外部条件の違いに対する応答と考えます。現実には外部条件は時間とともに変化しますが、まず話が簡単になる定常状態から考え始めるのです。

ここでは、大気中の二酸化炭素濃度は外部条件とみなすことにします。それが与えられたとき、温度・速度・圧力・大気中の水蒸気量・海洋中の塩分などがどうなるかが気候システムの応答ですが、その代表として全球平均地上気温に注目します。真鍋さんとWetherald (ウェザラルド)さんが1967年に発表した鉛直1次元モデル実験と1975年に発表した3次元大気大循環モデル実験以来、二酸化炭素濃度「2倍」と「1倍」の条件をそれぞれ与えて気候の定常状態を求め、その全球平均地上気温の差を見ることがよく行なわれます。この数値は「二酸化炭素濃度倍増に対する定常応答」です。このような計算が数多くされた結果わかってきたことですが、全球平均地上気温の増加分はほぼ二酸化炭素濃度の対数に比例するので、「1倍」の濃度がたとえば280 ppmであっても350 ppmであっても「倍増」に対する応答の大きさはあまり変わりません。1979年に、乏しい情報から、この数値は1.5℃と4.5℃の間にあると推測されました。たまたまですが、その後の研究の進展によってもこの数値範囲は修正の必要がなさそうです。(ただしここで、水蒸気以外の大気成分、大陸氷床、植生分布は、気候システム内の変数ではなく外部条件とみなしています。)

ここで「定常応答」と表現しましたが、むしろ「平衡応答」(英語ではequilibrium response)のほうがよく使われる用語です。この「平衡」は気候システムのエネルギーの出入りがつりあっていることであって、エネルギー保存の式の時間変化項が0であることとも言えますが、熱力学用語で言えば、熱平衡(熱力学的平衡)ではなく、非平衡定常状態です。わたしは熱平衡とまぎれるのを避けるために「定常」という表現をしますが、世の中で「平衡応答」という用語が使われている場合は、熱力学から見てまちがいだと怒ったりしないで、気象学を勉強してきた人の方言のようなものとして読みかえて理解してくださるようお願いします ([2012-03-29の記事「いろいろな平衡」]参照)。

過渡応答 (transient response)

実際には外部条件が時間とともに変化します。それに対する気候システムの応答を過渡応答といいます。もし気候システムが外部条件の変化に即時に応じるのならば、過渡応答は各時点の定常応答をつないだものになります。しかし実際には遅れがあります。二酸化炭素濃度の変化に対して、気温の変化は定常応答をつないだものより遅れて変化するのです。それは、[別ブログ2010-11-10の「ふろおけモデル」の記事]で述べたように、二酸化炭素濃度の変化に伴って変化するのはエネルギーの流れであるのに対して、平均気温はエネルギーのたまりに伴う量だからです。気候システムの中で大気と海洋は常にエネルギーを交換しており、海洋のほうが質量が桁違いに大きいので、ここで重要になるたまりは海洋の内部エネルギーです。

二酸化炭素濃度に対する過渡応答の古典的な数値実験として、Spelman (スペルマン)さんと真鍋さんが1984年に発表したものがあります。大気海洋結合大循環モデルを理想化した海陸分布のもとで動かしました。まず二酸化炭素濃度「1倍」と「4倍」を与えてそれぞれの定常状態を計算します。二酸化炭素濃度4倍増に対する定常応答がわかります。次に、現実にはありえないことですが、「1倍」の実験の途中で突然二酸化炭素濃度を4倍にしてそのまま固定し、その後の大気・海洋の経過を追います。すると気温は、陸と海では陸のほうがやや早く変化しますが、平均して30年後に定常応答の約70%に達します。大気の対流圏と、海洋の表面から深さ約500メートルくらいまでがほぼ同じように定常応答に近づきます。海洋のもっと深いところの暖まりかたはずっとゆっくりしていて、千年くらいかかって定常応答に近づくようです。

この実験はいろいろな点で現実と違いますが、現実にも、「海洋表層の熱容量のために過渡応答は定常応答よりも数十年遅れる」ということが成り立っていると考えられています。なお、流れとたまりの関係を考えればわかると思いますが、遅れると言っても、二酸化炭素濃度の時系列の形が一定の時間だけ遅れて気温に現われるわけではなく、時間軸上でなめらかにされたような形で効いてきます。(また、気温の時系列にはそれに関係のない変動も混ざるでしょう。)

今では多くの研究機関が共通の濃度シナリオに対する過渡応答の計算をしています。たとえば、IPCC第4次報告書第1部会の巻の図10.26 [IPCCサイトへのリンク]には、複数のシナリオについて、上のほうに与えた二酸化炭素その他の濃度、下のほうに得られた全球平均地上気温(複数の数値モデルを使っていることによる幅をもつ)が示されています。気候影響評価には、定常応答の数値をそのまま使うのではなく、このような過渡応答の計算結果(この図という意味ではなくもっと詳しい情報)から、評価したい対象の時期について10年間をまとめたぐらいの時間分解能で読み取って使うべきです。

気候感度 (climate sensitivity)

さて、「気候感度」ということばもよく使われます。本来は、気候システムが外部条件の変化に対してどれだけ敏感に変化するかという意味です。

今では、とくにことわらなければ、二酸化炭素倍増に対する定常応答をさすことが多くなっています。

昔はそうではありませんでした。わたしが書いて1993年に発表した文章 (阿部彩子さんと共著で日本気象学会の「気象研究ノート」に出た文章の一部)では、気候感度の数値は、太陽が出す放射の強さ(いわゆる太陽定数)の変化に対する全球平均気温の定常応答をさしています。これはRamanathanさんとCoakleyさんが1978年に出した解説の表現にならったものです(「気象研究ノート」には違う文献をあげてしまいましたが)。

今でも、「二酸化炭素濃度に対する気候感度は太陽定数に対する気候感度とほぼ同じであるはずだ」といった議論をすることがありますが、その場合の気候感度は、「放射強制(力)」(radiative forcing) [2012-06-06の記事]に対する全球平均地上気温の定常応答をさします。

文献

  • 阿部 彩子, 増田 耕一, 1993: 氷床と気候感度 - モデルによる研究のレビュ−。気象研究ノート, 177号, 183-222.
  • Syukuro Manabe and Robert F. Strickler, 1964: Thermal equilibrium of the atmosphere with convective adjustment. Journal of the Atmospheric Sciences, 21:361-385. [出版元で無料公開となった原論文へのリンク]
  • Syukuro Manabe and Richard T. Wetherald, 1967: Thermal equilibrium of the atmosphere with a given distribution of relative humidity. Journal of the Atmospheric Sciences, 24:241-258. [出版元で無料公開となった原論文へのリンク]
  • V. Ramanathan and J.A. Coakley Jr., 1978: Climate modeling through radiative-convective models. Reviews of Geophysics and Space Physics, 16:465-489.
  • M.J. Spelman and S. Manabe, 1984: Influence of oceanic heat transport upon the sensitivity of a model climate. Journal of Geophysical Research, 89:571-586.

2015-07-05

日射量、全天日射、直達日射、散乱日射、日照時間

日射」と「日照」はどちらも、気象の話題によく出てくるが、(k述べるように)それから派生した数量はしっかり定義されているものの、それ自体はあまりしっかり定義されていないことばだ。どちらも、放射 ([2012-07-05の記事]参照) のうち、太陽放射、別名「短波放射」(この用語については [2012-04-24の記事]参照)に関連していることは確かだ。英語で「日射」と「太陽放射」にあたるのは同じ solar radiation だ。

日射量」といえば、太陽放射の単位面積・単位時間あたりの量、つまりエネルギーフラックス密度 ([2012-04-27の記事]参照) をさす(と言いきってよいとわたしは思う)。(専門用語では「放射照度」(irradiance)と書かれており、これとエネルギーフラックス密度の概念を区別して述べようとするとやっかいだが。) SI単位はW/m2 (ワット毎平方メートル)だ。

ただし、瞬間値ばかりでなく、1日とか1か月とかの期間で集計した量を示したいことがある。それも単位時間あたりの平均値と考えればW/m2で表現できるのだが(わたしはそうしているが)、時間に関しては累積量として示されることもある。そうすると量の次元が放射照度やエネルギーフラックス密度とは違うものになってしまう。その場合の単位はSIならばJ /m2だ(桁数を適当にするためにメガやギガをつけた形をとることが多い。またJの代わりにcalやkWhなどのSIでない単位が使われたのも見られる。) どういう期間での累積値であるかをあわせて示さないと意味がない。この事情は、降水量([2012-04-27の記事]参照)の場合とほぼ同様だ。

日射量という用語が使われるおもな文脈は、大きく分けて、地表に達する量をさす場合と、「大気上端」(この用語も説明を要するが、ひとまず、「これより上には放射の吸収・散乱に関与する大気成分はないとみなせる高さ」と考えておく)に入射する量をさす場合がある。

大気上端に入射する日射量(英語で insolation ということばはこれをさすことが多い)は、いわゆる「太陽定数」([2012-04-29の記事]参照)をひとまず定数とみなせば、地球の公転と自転に関する基本的数値をもとに幾何学的計算で数値を得ることができる。その主要な変化は、日変化、年変化と、地球の公転・自転の軌道要素の変化に伴う2万年から10万年の周期帯の変化(いわゆるMilankovitch forcing)である。

地表に達する日射量は、大きくは大気上端に入射する日射量に支配されるが、大気中の雲やエーロゾルによって複雑に変化する。この数値はおもに観測によって得られるもので、その観測機器が日射計と呼ばれる。水平面に対して上側の半空間からくる太陽放射の放射照度(単位面積・単位時間あたりのエネルギー量)が全天日射量であり(英語ではglobal solar radiation、このglobalは半空間の全方向を含むということであって、全地球規模という意味ではないことに注意)、それを測定する機器が全天日射計である。

日射(全天日射)は直達日射(direct solar radiationまたはsolar beam)と散乱日射(diffuse solar radiationまたはsky radiation)に分けることができる。直達日射は、太陽のほうからの方向を保って伝わってきた光である。輪郭のはっきりした日影ができるのは直達日射がある場合だ。散乱日射方向性が明確でない光である。「空が青い」「雲が白い」と認識されるのは散乱日射によるものだ。方向性が明確でないのは、光が大気分子や雲・エーロゾル粒子による散乱(scattering)を受けた結果なので、散乱日射という表現はもっともだが、「散乱を受けた」ことが定義ではない。全天日射は直達日射と散乱日射を合わせたものである。ただし、数量としては、直達日射量は(水平面ではなく)太陽と観測点を結ぶ線に垂直な面の面積あたりで考えるので、「全天日射量 = 直達日射量×cos(太陽天頂角) + 散乱日射量」という関係になる。

日照(英語では sunshine)ということばがさすものは、ほぼ直達日射に対応する。ただしエネルギーフラックス密度などの物理量として定義されておらず、定性的なものとしてとらえられているようだ。【人にとっての明るさを考える専門分野では、(放射照度ではない)「照度」(単位はルクス)による定量的扱いがあるかもしれないが、わたしは知らない。】

気象観測機器のひとつとして、日照の有無を記録する機器が作られ、日照計(sunshine recorder)と呼ばれた。日本では感光紙を使ったJordan型、他の多くのアジア諸国では紙をこがす方法によるCampbell-Stokes型が使われてきた。最近は、太陽電池を使うものや、焦電素子を使うものがある。日照計は日射計よりもメインテナンスがしやすいので、多数の地点に配置されてきた。

日照計の記録で、日照があると判定された時間(典型的には、それぞれの日(day)のうちで何時間(hour)か)が日照時間(sunshine duration)として報告された。現在有効な、WMO (世界気象機関)による日照時間の定義は、2003年に改訂されたもので、「直達日射量が 120 W/m2をこえる時間区間の合計」である(WMO, 2008/2010, 8.1.1節)。従来の日照計による日照時間も、近似的にこのようなものだと考えてよさそうだが、詳しくみると、機種や読み取り技法によって少しずつ違った感度をもった測定値である。

日照計の詳しい観測記録が残っていれば、その機器の時間分解能の限りで、各時刻の日照の有無を論じることも可能ではある。しかしそのような日照のデータをつくることは気象現業の仕事になっておらず、特別な研究の場合に限られる。したがって「日照時間」でない「日照」は標準化された気象要素名になっていない。

文献

2015-07-01

渦、vortex、eddy

渦(うず)ということばは、気象学では、大きく言えば二つの違った意味に使われる。英語で言えば、一方は vortex、他方は eddy である。どちらも、気象に限らず、流体の運動にかかわる多くの分野で使われることばであり、ここで述べることの多くは気象以外の分野にも共通だろうと思うが、ここでは気象での使いかたに即して述べる。Eddyのほうについて[教材ページ]を書いたので、あわせて見ていただきたい。

日常語の「渦」に近いのは vortex のほうだろう。こちらはふつう、連続した流体の一部分で、流れが明確な環状をなしているような構造をさす。渦は、変形したり、流されて移動したりしてもよいのだが、流れが渦をひとまわりする時間に比べて桁違いに長いあいだ持続するだろう (そうでないと、渦として認識されないだろう)。

たとえば、台風はこの意味の渦である。(単なる渦ではなく、積雲対流と結合して相互に強めあうような構造であるが。) たつまきもこの意味での渦である。

なお、vortex はこれと関係はあるが少し違った意味に使われることがある。「渦度」ということばがある。(音読みで「かど」という人もいることはいるが、「うずど」のほうがふつうだ。) 英語では vorticity で、vortexと同じ系列のことばだ。実際、上の意味のvortexがもつ性質に対応する数量とも言えるのだが、空間について局所的に(速度の空間座標による微分によって)定義された量であり、空間的に広がりをもった環状の構造があることを指定するものではない。そして、文脈によっては、渦度をもつ運動をすべて渦(vortex)と呼ぶこともある。

Eddyのほうは、流体の運動を時間または空間の規模で大まかなものとこまかいものに分けたときに、こまかいほうのあらゆる運動をさす。環状をなしていることも、渦度があることも必要としない。

数量を扱う文脈で eddy が出てくるとき、それは、流速やそのほかの物理量を、時間または空間のある区間で平均した量と、そこからのずれ(偏差)に分けたときに、その ずれ のほうをさしている。ずれ自体は deviation であり eddy とは言わないのがふつうだが、平均量の変化を説明する方程式のうえで、ずれどうしの積の平均を含むような項を、eddy term(s)という。

これは、こまかい運動を乱流とみなして扱うときによく使われる。運動方程式で、流速の平均からのずれどうしの積の項は、粘性項に似た働きをするので、eddy viscosity (渦粘性)ということばがある。微量成分の濃度の変化の式で、流速と濃度とのそれぞれの平均からのずれの積の項は、拡散に似た働きをするので、eddy diffusion (渦拡散)ということばがある。

気象では、大気の循環のうち、いちばん大まかな、時間平均・かつ・東西全経度平均(zonal平均)で表現できるものだけを平均場とみなし、それ以外をすべて eddy とみなすような扱いをすることもある。その観点では、北半球の夏のモンスーン循環や、北半球の冬の中高緯度に定常的に存在する波長1万kmほどの「プラネタリー波」なども、eddyのほうに分類される。このような用語の使いかたは気象以外の分野の人にはわかりにくいかもしれない。