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macroscope

2009-11-19

ガソリン税を引き下げず、社会の持続可能性を高める使いみちを

わたしは2008年1月20日にウェブ上(別のところ)にガソリン税についての意見を書いた。その意見は今も基本的に変わっていない。ただしそれ以後に道路特定財源という制度がなくなったので、それを反映して部分的に書きなおしたものをここに置く。道路建設の費用はガソリン税との直接の関連は薄れたが、それをどうまかなうべきかという社会の課題は残っているので、わたしの議論からははずさないことにする。

日本のガソリン税(「揮発油税」とそれに関連するもの)には標準的税率に加えて暫定税率がかかっている。暫定税率はもともと道路整備の需要があるとして決められたものであり、道路特定財源制度の廃止とともに標準に戻すべきだという理屈はもっともだ。

しかし、今後数十年の見通しを考えて政策を考えるならば、あとに述べる理由で、ガソリンを含むエネルギー資源に関する税制の見直しをすぐにも始める必要があり、その結果としてガソリンの税率はおそらく現在の暫定税率以上に高くなると思う。短期的に税率を下げてまた上げることは短期的に自動車の利用を奨励してその後に抑制することに等しく、望ましくない。筋からははずれるが現実的判断として、長期的税制が決まるまで、まさに暫定的に暫定税率を維持するべきだと思う。

税金をどうすべきかに関する自明の規則はない。国民が議会を通じてどう意思決定するかの問題である。しかし、いくつかのもっともな原則はある。公共の資源を基本的人権と考えられる水準以上に消費する場合は、利用する人が費用を負担すべきだと言える。社会に迷惑をかけている人は、それをつぐなう費用、あるいはその害を減らすために公共部門が働く費用を負担すべきだと言える。また、税は補助金とともに人々の活動の選択を誘導する役割もする。公共資源を大量に消費したり社会に迷惑をかけたりしながらそれに対応する税を払わないですむことは、補助金に相当する働きをしてしまう。

自動車を走らせる人は道路を利用してもいる。道路にかかる経費を国民一般の税金による負担と道路を使う人の負担をどのように組み合わせてまかなうかは、上に述べたように、政策の選択によるが、少なくとも一部を利用者に負担させることは合理的だろう。有料道路という形で道路の利用を直接つかまえて費用を回収する方法もあるが、あまり多くの場所には適用できない。自動車購入の際に税金をとる方法もあるし、実際使われているが、自動車でどれだけの距離走ったかを自動車税の額に反映させるのはむずかしい。その代わりとして、燃料であるガソリンに税金をかけるのはもっともなことだと思う。

しかし、自動車を走らせる人が消費する公共の資源は道路だけではない。排気ガス中の窒素酸化物、浮遊粒子状物質、(燃え残りの)炭化水素などを原因とする大気汚染が(日本ではひところよりも改善はされたものの) 人や生物に害を与えている。道路の周辺の人に与える騒音もある。交通事故の直接の害に関しては加害者の責任で賠償がなされているはずだが、警察の交通安全関係のサービスの費用は地方自治体一般財源でまかなわれている。このように、自動車を走らせることに伴う社会的費用は、道路(建設・補修)の費用だけではない。

さらに、最近明らかになってきた要因が2つある(この2つは自動車よりもむしろ化石燃料の消費に関するものだ)。石油が有限の天然資源であることはあたりまえだが、最近、世界の石油需要がふえてきたにもかかわらず、産出量のほうはいよいよ増加が望めなくなってきたようだ(いわゆるオイルピーク)。また、石油などの化石燃料を燃やすことによる二酸化炭素が、百年の時間スケールで地球の気候を変える主要な要因になっている。単純に他の化石燃料から石油に代わるものをつくったのでは、石油の場合よりもさらに二酸化炭素排出量がふえてしまう。どちらの要因を主に考えても、輸送を含む社会のしくみを化石燃料に頼るところが少なくなるように変えていく政策をとることが必要である。そのために、一方で化石燃料に税金をかけてその消費をおさえるとともに、その税収を、エネルギー資源の消費量を減らすことや、エネルギー資源の内わけを化石燃料以外のものに変えることのための手段の開発と普及に使うべきだと思う。考えてみれば、石油を使うことの社会的費用には、将来の人が使える可能性のある地下資源の損失も、公共財である気候の状態を変えることによる損失もあるのだ。

もしいま単純に暫定税率を廃止すると、ガソリンの値段は下がる。すると自動車を動かす需要はふえ、石油の消費はふえるだろう。そうすると、いよいよ石油が不足したとき、あるいは温暖化抑制のために規制しなければならなくなったとき、ショックが大きくなってしまう。また、自動車を動かす需要がふえると、道路建設の需要もふえるだろう。道路特定財源はなくなったから、一般財源つまり国民全体の負担になる。しかし需要増加は一時的であり、建設は長期的にはむだの多いものになるだろう。

今後二十年くらいの見通しとして、ガソリン車、ディーゼル車だけでなく電気自動車燃料電池車の可能性も考えたとしても、日本では、自動車交通の需要がふえ続けることはないと思う。人々の生活の改善のために必要な新規の道路建設も多少はあるかもしれないが、大筋として道路の総量をふやす必要はないはずだ。道路関係の支出は今後も必要だと思うが、それは、利用されたり自然災害にあったりしていたんだ道路の補修、事故の危険や騒音・大気汚染被害などを減らすための改造などの費用が主だと思う。それに加えて、これから石油に大きく頼れない時代がくることに備えて、比較的少ないエネルギー資源で多くの人・物資を運べる公共交通機関を整備し、さらには、都市を、徒歩や自転車での移動に便利なものに改造していく政策が必要ではないだろうか。

社会的費用にかかわる税のうち、環境に関するものは、ガソリンに限らず環境へのインパクトが大きい物を消費すると税がかかるような制度にするべきだ。特定の財の消費を不当に奨励しないように、さまざまな財に対する税率のバランスをとる必要があるので、実施前に1年程度の調査と議論の期間をとるべきだろう。その間のつなぎとしては、ガソリンの消費を奨励するというメッセージを送らないために、まさに暫定的に、これまでの暫定税率とほぼ同じ水準を維持するべきだろう。

環境へのインパクトは、二酸化炭素排出を含む。しかし二酸化炭素排出だけでつきるものではない。したがって、環境税炭素税を含むべきだが、炭素税だけにするべきではない。

わたしの意見を形成するにあたって本・新聞・ウェブページなどで読んだいろいろな情報・意見を参考にしたが、残念ながら個別に覚えていないものが多い。この文章(の旧版)を書き終えてから読んだ上岡(2003)の本は賛同するところが多かった。その参考文献としてあげられていた宇沢(1974)、西村(1976)、田中(1977)はわたしが学生時代に読んで影響を受けた本でもある。読みかえす時間がとれないが、宇沢(1974)は道路のほか交通事故の費用、西村(1976)は大気汚染と騒音、田中(1977)は家計やライフスタイルに及ぼす影響を問題にしていた。

* 宇沢 弘文, 1974: 自動車の社会的費用。岩波新書

* 上岡 直見, 2003: 持続可能な交通へ -- シナリオ・政策・運動。 緑風出版。

* 西村 肇, 1976: 裁かれる自動車。中公新書

* 田中 公雄, 1977: クルマを捨てた人たち。日経新書。

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