Hatena::ブログ(Diary)

macroscope

2010-02-15

「温暖化懐疑派」「温暖化論者」などの表現をめぐって

[この文章は急いで書いたのでよく練られていない。ことわりなしに修正するかもしれない。]

[注意: ここでいう「懐疑論」はすべていわゆる地球温暖化懐疑論をさし、一般的な意味での懐疑主義を意味しない。また、わたしは温暖化懐疑論と温暖化否定論を区別することもあるが、ここではその議論には立ち入らずに、便宜上「懐疑論」にまとめておく。]

(Wikipediaの、地球温暖化問題に関係のある、あるページに、「懐疑派」ということばが使われていた。その文章に加筆しようとした人が「温暖化派」ということばを使い、他の編集者が「そんなものはない」と言って、書きかえてはもどすという編集合戦になりかけてしまい、「ノート」ページで議論が続いていた。そこで議論を整理しようとしてわたしもいくらか発言したのだが、自分の個人的見解を述べないわけにいかない。Wikipediaは記事本文だけでなくノートページも個人の見解を述べる場所でないとされているので、そこでできる議論には限界がある。わたしの見解はブログで述べることにしたい。)

地球温暖化の見通しに関して懐疑的な意見はさまざまなものがある。その分類は増田ほか(2006)の評論で試みた。そこでは明示的に論じなかったものの、相互に矛盾する主張さえ含まれている。ひとつの名前でくくる意義があるとすれば、結果として温暖化に関する対策の政策をさまたげる(遅らせる)効果があるという共通性だと思う。英語では最近「delayers」という表現も見る。しかしこれに対応する日本語がすぐに出てこない。何かラベルが必要ならば、すでに使われている「温暖化懐疑論者」(英語ならば(anthropogenic) global warming skeptics)を使っても、まずまずよいのではないかと思う。

ただし、ここで「派」という表現を使うと、一枚岩の団結があるような気がする。それは少なくとも日本で見る現実には対応していないと思う。アメリカ合衆国カナダでは化石燃料産業が多くの温暖化懐疑論者のスポンサーになっており、議論は支離滅裂であるにもかかわらず、勢力としてはまとまりがあるので[Hoggan (2009)の本の読書ノート参照。わたしがこの本の主張のすべてに賛成するとは限らない。]、それをさすならば「派」という表現もおかしくないかもしれない。(ただし、温暖化懐疑論者がみんな化石燃料産業と親しいとは限らないことにも注意。)

(わたしが「懐疑派バスターズ」のメンバーであると報道されたことがある。そういう名前のメーリングリストがあってわたしがその一員であることは事実だ。しかし、このメーリングリストはメンバーがお互いに情報を交換するものであり、リストの名前はうちわの符丁にすぎない。対外的にこの名前を名のるのは避けたいと思っている。そう呼ばれそうになったが相談する機会があった場合は表現を変えてもらった。たとえば「温暖化懐疑論を整理する有志のグループ」としてもらったことがある。)

「懐疑派」と対立する人々をさして「温暖化派」という表現を使おうとした人は、温暖化に関する論争を政治的意見の対立ととらえて、二大勢力の対立という構造をもっているにちがいないと考えたようだ。

「温暖化派などというものはない」と言った人は、温暖化懐疑論者の主張の中核は、IPCC報告書に代表される温暖化に関する科学的認識を疑うことであると考え、懐疑論者に対立するものはIPCCに知見が結集されている多くの科学者(気候変化専門家)だと考えたようだ。確かに、懐疑論者と専門科学者とを対比するのが適した文脈もある。

しかし、温暖化が起きる可能性が高いと思い、温暖化は人間社会が取り組むべき重要な課題だと認識する人たち(そのすべてではない)が、科学者とかジャーナリストとかいう職種を越えて、団結というほどではないとしても協調した行動をとることもときにはある。とくに懐疑論者と呼ばれる人たちが協調行動をとっているときには、それに対抗する協調行動が見られることがある。この状況を説明するのに、自発的に協調している人の集団に名前が必要だとすれば、たとえば「温暖化論者」でもよいかもしれない。ただし、継続して使う術語ではなく臨時に定義して使うラベルとしてに限っての判断だ。「懐疑派」について述べたのと同じ理由で、「派」という表現は不適切だと思う。また「温暖化論者」などの表現はすなおに考えれば温暖化を望ましいと思っている人をさすように思われるという欠点もある。

温暖化懐疑論者と目される人から見ると、前から温暖化論者は団結して政治的に動いていたように見えるようだ。わたしから見ると、わりあい最近まで、温暖化論者という表現をしたくなるような協調行動があるようには感じられなかった。ただし、わたしも参加した「地球温暖化懐疑論批判」の冊子づくり[読書ノート参照]などは、温暖化懐疑論者への対抗活動なので「温暖化論者の活動」というラベルを貼られるならばそれももっともだと思う。最近(2009年末以来)、いわゆるClimategate事件およびIPCCのまちがいの指摘があり、温暖化懐疑論者が勢いづいているので、及ばずながらそれに対抗する(いわば)「温暖化論者の活動」もいくらか活発になっているようだ。IPCCという組織を代表する人の動きも、社会現象の記述としてそれに含められるかもしれない。しかし、IPCCに参加した多くの科学者は、IPCCに知識を提供することに関して協調行動をとったのであって、懐疑論者に対抗する協調行動をとっている人はその小部分だ。大部分の専門科学者を「温暖化論者」に含めるのはふさわしくないとわたしは思う。

(別の文脈では、「温暖化派」は、環境問題の中で何が大事かという意見の対立を示し、それに対抗するものはたとえば「生物多様性派」かもしれない。しかし今そういう議論に直面しているわけではないので深入りしないでおく。)

文献

二回目です二回目です 2010/02/19 21:43 増田先生、別途「はじめまして」と申し上げたものです。
増田先生の真摯なご意見に感銘しております。

今回のメール・ハッキング事件で明らかになった事象がいくつかあろうかと思いますが、私としては以下の2点は重要かと思います。
1.査読制度とは研究結果の正しさを保証するものではない
古気候学でのマイケル・マンらの事象により、査読がきわめて限られたグループでの、相互検証がありえるということが明らかになったと思います。増田先生がおっしゃるように幅広い検証が必要とのご意見に同意します。特に毀誉褒貶はありますが、マッキンタイヤらの役割は価値があると思います。

ちょっと嫌味な言い方ですが、増田先生も依然、気候変動について1970年代でも寒冷化よりも温暖化の方が査読付論文の数が多かったとの事実を紹介なさったHPがありました。おっしゃった意見は事実ですが、あたかも査読付論文が正しいとのバイアスを読み手に与えたのではないかとちょっと懸念します。

2.パチャウリ議長の複数の組織トップの兼務について
前回の拙いコメントでも増田先生はご理解頂けたようです。
この論点についても、IPCCの人的マネジメントにおいて、相応な議論がなされることを期待します。

生意気なコメントのご無礼。ご容赦下さい。

masudakomasudako 2010/02/20 15:18 査読は正しさを保証しないのは当然で、発表されてからの批評のほうが重要です。科学内の論争として見れば、マッキンタイヤの批評はささやかな貢献をしていると思います。困ったことだと思うのは、科学をよく理解しない人が、マッキンタイヤの仕事を実際の価値以上に宣伝し、マッキンタイア自身も居丈高になっていることです。まず温暖化懐疑論を意図的に宣伝する人々を切り離す必要があると思います。次に人間集団間の文化摩擦あるいは用語体系の違いを理解できる人が加わって議論をかみあわせることができれば、先に進むと思います。(実践を伴わない抽象論ですが。)


寒冷化の件、言いたかったことは、ポピュラー出版物のジャンルでは寒冷化論が多かったかもしれないが、研究論文というジャンルでは温暖化を示唆するものが多かった、ということです。英語圏については調査結果の論文のようなものが出ているので、追ってしっかり紹介しようと思っています。

IPCCの件、IPCCは議長をはじめメンバーに給料を出しておらず、メンバーはそれぞれ所属組織から給料をもらっています。つまり、原則としては個人ではなく所属組織によるボランティアで成り立っているのです。この構造である限り、兼任は当然なのです。事実上IPCC専任にしてくれる組織もあるし、そうでないところもあるでしょう。もし専任にするとすれば、各国からお金を集める必要もありますし(国連分担金の一部もあるかもしれませんが)、へたをすると自己目的化した官僚組織になってしまうおそれもあると思います。

TSUNETSUNE 2012/05/07 11:21 少なくとも、読者に対して「科学」上の論説や議論として述べるならば、相反する考えを持つ相手を「懐疑論者」と呼ぶのは、まったく無用な言葉であり、少なくとも科学の心得を持っている人から見れば、そうした言葉を使用することは、科学者として品格を損なうことであることを自覚すべきだと思います。

「科学」として気候変動に関して論説するのなら、観測されている事象の分析、現象が起こるメカニズムに関する説と、それを実証する結果を述べればよい。しかし、気候変動のメカニズムは、きわめて複雑であり、解明されてないことも多く、CO2濃度が上がれば温暖化するなどと単純に言えるものではない。科学者を名乗るなら、そのことをきちんと伝えるべきだと思います。

masudakomasudako 2012/05/07 18:10 気候変動は確かに複雑ですが、問題を限定すると、かなりよくわかっている部分もあるのです。

全球平均気温に数十年から百年の時間スケールで変化を起こす原因は、太陽活動の変化、大気中の赤外線を吸収・射出する物質(温室効果物質)の濃度の変化、大気中の光を散乱する粒子(エーロゾル)の変化にしぼられます。20世紀以来、温室効果物質がふえていることは確かであり、それが地上気温を上げることも、鉛直1次元定常モデルの計算による理屈と、3次元時間発展モデルの現実的な計算の両方から言えます。それに伴って雲がどう変化するかが不確かなので、気温変化量について2倍・2分の1くらいの不確かさはありますが、ゼロやマイナスになることはないでしょう。太陽活動と火山起源エーロゾルの効果も確かに存在し、それが将来どうなるかは予測困難ですが、20世紀に経験したよりもずっと大きな太陽活動の変化あるいは噴火がない限りは、その全球平均気温への効果は温室効果物質の変化の効果に比べて定量的に小さいことも、気象学を基盤として気候にかかわる科学者の大多数が認めていると思います。

それに対する懐疑論はさまざまなものがありますが、わたしが検討したかぎりではいずれも、気象学または(炭素循環にかかわる)地球化学の基本的な理屈を誤解していると思われます。

現実の気候変動には、とくに外部要因がなくても起こる数十年スケールや数年スケールの振動的変動が加わります。こちらは予測困難です。

スパム対策のためのダミーです。もし見えても何も入力しないでください
ゲスト


画像認証