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macroscope

2011-04-03

汚染物質あるいは放射能の輸送シミュレーションによる情報提供のむずかしさ(もう一度)

前回(3月26日)の記事で書いたことの実質くりかえしになりますが、日本気象学会理事長の学会員向け声明(前回の記事中にリンクをつけました)をめぐって「気象学者が責任を果たしていない」という批判が聞こえるので、筋道をたてた弁解を試みます。(なお「放射能」という用語については3月26日のもうひとつの記事参照。) 個人としての意見です。気象学会を代表するものではありませんが学会員という立場をいくらか意識しています。

本論にはいる前に、気象学会理事長は気象学者を支配しているボスではありません。シミュレーション能力のある気象学者たちの多くが結果を公表しなかったのは、理事長から強制されたからではなく、自発的意思によるものです。

そのうちには、社会にかかわることに消極的だったにすぎない人もいるでしょう。しかし、専門家として、また税金で仕事をしている者として、情報を発信する責任を感じながらも、制御できないパニックの源を作ることを避ける責任のほうが重大だと考えて、発信しないと決断した人もいます。(危険があるのに警告しないことによる損失もありますが、危険がないのに避難行動をとることによって交通事故を起こしたり病気が悪化したりする損失もありえます。今の事態に対して大まかな警告はすでに出ているのであり、シミュレーションは残念ながら警告のレベルをきめ細かく変更するのに役立つ情報を提供できないという判断なのです。)

各地の放射線量の予測にとって、大気による放射性物質の輸送(移流・拡散)の予測は確かに必要な部分ですが、すべてではありません。現地で人が体験する、あるいは線量計が検知する放射線のうち、一部は大気中から来ますが、むしろ多くは、地上に落ちた放射性物質から来ます。地上に落ちたものが表面にとどまるか土壌にしみこんでいくかなどの過程の定量的評価が、人間に対する影響を評価するためにも、また線量計による観測値によってシミュレーションを検証するうえでも必要です。ところがその過程についての知識があるのは気象学者ではなく、土壌あるいは放射性物質の専門家です。SPEEDIを開発した原子力安全技術センターを別として、その他の学者は、このような専門にまたがる課題にとりくんでおらず、いざというときにだれと組んだらよいかもわからない、あるいは相手がわかってもお互いの言うことがわかるまでに手間がかかるのですぐには計算ができないのです。

また、定量的意味のある線量の予測をするためには、放射性物質の核種別の放出量を与える必要がありますが、今回の事故では発生源付近の線量計あるいはその情報を伝える通信系の故障が多く、その後あらためて観測網ができてきたものの、過去の重要な時刻の放出量の数値がわかりません。できるのは、放出量を仮想的に与えたシミュレーションに限られます。

ところが、最近の日本社会での情報伝達は、ツイッター(twitter)をはじめとして、短いメッセージが早く広まるような形に偏って発達してしまいました。そして、危険側、安全側いずれにしても極端な予測情報は広まりやすいですが、中庸の情報は広まりにくいです。発信者はどのような仮定に基づいて何を求めたシミュレーションであるかを正確に述べたとしても、なん段階かを経て伝わるうちに、現実の各地の線量あるいは放射性物質量の予測値であるかのように化けて広まり、訂正メッセージはその広がりのうち狭い部分にしか伝わらない、ということが起きる確率は、とても残念ながら、1に近いでしょう。

空間分布をもつシミュレーションをすれば、結果は空間分布をもつ形で示され、地図に重ねることができます。それを地図を読める人が見れば、自分のいる狭い地域に注目して見るでしょう。しかし、輸送シミュレーションの結果をあまり細かく見てはいけないのです。

シミュレーションでは空間を格子に切って計算しますが、升目の大きさには限りがあります。升目の内側は平均化した扱いをするしかありません(その部分にもいろいろなくふうがされていますが)。さらに、升目のひとつひとつの計算値に意味があるわけではなく、縦横にそれぞれ数個をまとめて見るべきなのです。サインカーブを例にとると、1波長に升目が2つではまったく表現できないことがあります。形の再現には6つくらいほしいです。格子間隔が1kmだとすれば、実質表現できる最小スケールは約6km四方くらいなのです。

さらに、流体の流れは非線形現象です。(地上に固定した座標系で運動方程式つまり速度の時間変化の式をかくと、速度に比例する運動量が速度によって流されるので、速度の2乗の項がはいってきます。) 初期状態について観測誤差の範囲で違いを与えて複数回シミュレーションをしてみると、濃度の高く出るところが一致しないこともあるでしょう。1回のシミュレーションである地区の濃度がまわりより高いという結果になっても、その地区がまわりの地区より危険だと予測されたと言ってよいとは限らないのです。

ところが、最近の情報伝達の発達のもうひとつの特徴として、画像、とくに動画によるものが好まれます。個別の回のシミュレーションで高濃度のかたまりが動いていくのは一見わかりやすいです。多数回のシミュレーションの結果を表現する画像をつくるのはこれよりむずかしく、できたとしてもあまり見ばえがよくありません。しかし、個別の回でどこどこの濃度がいつ高くなるということは、一見特徴に見えても、科学的には計算上のノイズにすぎない可能性が高いのです。(残念ながら、それが有意な結果であるかを検証するには時間がかかり、緊急の目的には間に合わないかもしれません。)

流体力学過程に加えて雲・降水過程の問題があります。水蒸気・気温・風の分布が与えられれば数十kmの地域の平均的な降水活動の予想はつくものの、そのうちどこに雨が集中して降るかの予測は原理的に困難です。放射性物質が雨によって落ちて地上にたまるとき、地域のうちでどの地区に多くたまるかは、たぶんシミュレーションのとおりにはならず、実際どこに雨が降ったかを知って推定する必要があります。

このような状況で、シミュレーションによって印象深い画像を提供することは、罪作りなことなのだと思います。

このままでよいと思っているわけではありません。今回の災害には間に合いませんが、平時に、関連しあう複数の専門分科の人が必要に応じて組んで仕事ができるような準備や、複雑なシミュレーションの結果を多くの人に不確かさに関する事情を含めて偏りなく理解してもらえるようなくふうを進めるべきだと思います。

ajitaajita 2011/04/04 20:33 なんというか…Twitter論まで持ち出して「できない理由」「出さない理由」を延々と書き連ねてらっしゃいますが、要するに国民を信用していないということではないですか?

satowsatow 2011/04/04 20:49 何であんた達に制御できないパニックの源を作ることを避ける責任があるんだよ。制御できないものと分かっているものを何で制御しようとしてんだ?(笑)そういうのは「リスクの大小が判断できなくて、おろおろしただけ」と言うんだ。

くるむほるんくるむほるん 2011/04/04 21:33 Scientistの責任感、よく分かります。

DocSeriDocSeri 2011/04/05 08:54 現実に飲料水の僅かなヨウ素131検出ごときでパニックになってるわけでなぁ……そりゃ公表を躊躇いもするでしょうよ。
とはいえ、公表しないならしないで「ヤバいから公表できなかったに違いない」などと勘繰られるわけで、パニックを起こそうがなんだろうが全部馬鹿正直に公表しちゃう方が結果的には適正なのではないかという気もしますが。

motesakumotesaku 2011/04/05 14:36 精度が悪い情報の公表によって生じうるリスク(混乱、誤判断)が、例え精度が悪い情報だとしても公表によって得られる利益(透明性?)より明らかに大きいと判断したならば、一科学者として公表しないという行為はごく当然の良識だと思います。精度の悪い情報を無責任に公表する科学者がどこかにいる可能性もゼロではありませんが、一国民として、そういう方がいないことを強く願います。必要とされ、公表されるべくして公表されている最も精度の高い情報は、現状において、放射線量の実測値であり、それに従って的確な判断を続けて欲しいと思います。公表=善、というような短絡的な図式で精度の低い情報をその判断材料にむやみにまぎれこませるようなことは避けるべきだと思います。ただし、公表による誤判断がおこるリスクを最小化できるという認識を持つならば、大いに公表すべきと思います。

motesakumotesaku 2011/04/05 14:45 前の投稿の補足です。
精度の悪い情報も、事後においては、研究・検証・反省材料としての価値は大いにあり、精度が悪いからといってその情報に価値がないとはもちろん思っていません。失敗は将来の成功のためには価値があります。しかし、現在においては、失敗は失敗なのであって、それを闇雲に現在の状況に役立てようとしても無理がある、ということです。

訳知り君訳知り君 2011/04/06 19:33 要するに、完全にシミュレーションができるまで、すべての原子力発電や核開発施設(世界中の)を廃止すれば良いわけだ。さすが増田先生、目の付け所が違いますね。ちなみに私は根っからの核廃絶論者です>

おおくぼおおくぼ 2011/04/14 23:50 使い物になるレベルには、ほど遠いし、風評被害を起こす可能性が高いから、実測でやります・・・ということではないでしょうか?

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