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rate, 率 (2) 死亡率と致死率

「rate、率」について[2014-11-01の記事]に書いたことに関連する話。

人口統計などでいう「死亡率」は、時間軸上の単位期間あたりの死亡数の全人口に対する比率だ。時間については「年あたり」、全人口については「千人あたり」「十万人あたり」のような単位がよく使われる。

ublftboさんのブログ「Interdisciplinary」の[2015-04-07の記事]を見て、保健学などの分野で「〇〇病による死亡率」というときも、「死亡率」は同様に全人口あたりで定義されていることを知った。

しろうとはうっかり、「〇〇病にかかった人のうちで、それが原因で死ぬ人の割合」を「〇〇病による死亡率」と言ってしまいがちだ。わたしもそういう表現をしてしまったことがあるかもしれない。しかしそれをさすことばは、「死亡率」ではなく「致死率」または「致命率」なのだ。
上の記事に関連してNATROMさんがtweetで紹介していた、横浜市衛生研究所の「死亡率・致死率(致命率)・死亡割合について」のウェブページ http://www.city.yokohama.lg.jp/kenko/eiken/health-inf/info/deathrate.html に説明がある。

ただし、わたしの立場で気になるのは、「死亡率」は単位時間あたりの量だが、「致死率」も単位時間あたりの量なのか、ということだ。
横浜市衛生研究所の上記ページには

「ある病気Cの致死率」=「一定期間におけるある病気Cによる死亡者数」/「一定期間におけるある病気Cの患者数」

という表現があり、分子・分母の両方に「一定期間における」がはいっているけれども、「死亡者数」は変化の量であり、「患者数」は状態量なので、これは量の次元の立場では「単位時間あたりの量」になるのだと思う。しかし実際には単位時間あたりとは明示されないだろう。そして

一定期間とは、流行期間に留まらず、ある病気Cによるすべての死亡を見届けるのに十分な期間です。

と説明されている。期間の長さは病気の種類によって違うようだ。そして、多くの場合、適切な長い期間で累積した死亡数が重要で、「単位時間あたり」という観点は重視されていないようだ。

【話が気象にとぶ。降水量は、時間軸上の期間を指定してはじめて有用な量になるが、期間として1日とか1時間とかいう一定間隔をとる場合のほかに、ひとつの事件として雨がふりつづいた期間についてまとめた「ひとあめ降水量」というとらえかたがある。ひとあめ降水量は、単位時間あたりの量ではない。一定間隔の場合は、わたしは単位時間あたりの量としてとらえることにしているけれども([2012-04-27の記事]参照)、日本語圏の用語の習慣としては、ひとあめ降水量と同様なとらえかたが基本なのかもしれない。】

(「致死率」の件ではないが)「〇〇病による死亡率」については、ublftboさんがブログ記事のコメント欄で紹介していた、大阪府立成人病センター がん予防情報センターの「がんを知る手がかり: 罹患率(りかんりつ)と死亡率」http://www.mc.pref.osaka.jp/ocr/c_measures/c_measures2-2.html もわかりやすい説明だ。