macroscope

( はてなダイアリーから移動しました)

学術ディシプリンがそれぞれ全国センターをもつべきだろう

【まだ書きかえます。どこをいつ書きかえたかを必ずしも明示しません。】

【この記事限りで、「学問」「学術」「科学」は区別なく、人文学・社会科学・自然科学にわたる学問をさす。「学者」「科学者」も区別なく、学問を主要な仕事にする人(必ずしもそれで給料をもらう人には限らないが)をさす。】

- 1 -
学者は、専門分科ごとの集団に分かれている。学者は、学者全体の集団に所属するよりもむしろ専門分科の集団に所属する、つまり「学者である」ことよりも「○○学者」であることを強く意識することが多いと思う。

学者が専門分科ごとに分かれていることは、まずいこととして語られることもある。「縦割り」「たこつぼ化」などの表現は、学者の意識が専門分科内に向かう結果、発想の幅が狭くなり、他の学問から、あるいは一般社会(学者集団の外の社会)から見て、有効性が乏しくなってしまうことをさしている。また、その分野の教育を受けた人々と特定の職業につく人々の重なりが大きい場合、学問的知識と職業利害の区別がつかなくなりがちだという問題も指摘されている。

しかし、学問が専門分科に分かれるのは、学問の必然なのだと思う。各個人はあらゆることについて詳しく知ることはできない。ある分野の知識を各個人ごとに違う主観的なものでなく複数の人が共有するものにしようとすれば、その分野の知識を共有する集団を形成して、その中では「ことばが通じる」ようにすること、つまり、その分野のものごとを記述する用語体系(むしろ、表面に現われた用語の背後にある概念の体系)を共有する必要がある。学問の言語にはどの学問にも共通な部分もあるが、専門ごとに違う方言のような部分も重要なのだ。そしてその用語体系は、定義集のような形で整理されていることは少なく、身につけるには、使っている人のそばで使いかたを観察したり、使ってみて通じるかどうかためしてみたりする経験を積む必要がある。新規にその専門知識を得ようとする人は、その専門の人々の集団に参加して訓練を受ける必要がある。その訓練の機能の重要な部分として、「その専門の用語体系を身につけること」があると思う。専門分科を意味することばとして、もともと「訓練」「規律」などを意味していたディシプリン(discipline)ということばが使われる。それは、今でもこのような意味で語源とつながった意味なのだと思う。学問がディシプリンに分かれていることからくる弊害を打破するためには、ディシプリンを解消するのではなく、複数のディシプリンの用語体系がわかる人をふやすことが必要なのだ。

実際の学問の専門分科が形成される理由は、研究対象、応用目的、研究方法、学問が発達してきた歴史など、多様である。方法や歴史によって形成された専門分科はここでいうディシプリンの性格をもっているが、対象や応用目的によって形成された専門分科は、むしろ、複数のディシプリンにまたがる(英語で言えばinterdisciplinaryあるいはmulti-disciplinary、日本語で言えば「学際的な」)ものであることが多いだろう。

現実世界の問題はたいていディシプリンの枠におさまるものではないから、複数ディシプリンにまたがる「学際」の学問は必要だ。「学際」の専門分野は、すぐに新しいディシプリンになるわけではない。同じ問題に取り組むのに複数の方法が必要で、方法の訓練はそれぞれのディシプリンでやる必要がある、というような構造になっている(と思う)。

学際的研究で行なわれることは、複数のディシプリンから来た人がいっしょに問題にとりくむことだ。その過程で、参加者は、他のディシプリンの方言も(いくらかは)理解するようになる。

ときには、ひとりの人が、複数のディシプリンの用語体系を身につけ、必要に応じて使い分けや相互翻訳ができるようになることがある。「ひとり学際」と言われることがある状況だ。そういう人がふえて集団が形成され、その集団で通用する用語体系が構築されれば、複数のディシプリンが融合した新しいディシプリンができることもあるかもしれない。しかし、それは簡単に起こることではなく、学際的研究にはディシプリン間の用語体系の使い分け・相互翻訳が必要な状況が続くことが多いと思う。

ディシプリンは永久的なものではなく、変化するものだ。ときには大がかりな再編成が起こるだろう。しかし、知識は共有され、受け継がれる必要がある。人の親子の程度の年齢差のある新旧世代のあいだで、用語体系は、いくらかずれていてもよいが、相互に理解できる範囲にある必要がある。ディシプリンは、およそ人(個人)の寿命程度の時間の持続性をもつのが健全なのだと思う。

また、ディシプリンは多段階の構造をもっている。狭いディシプリンの用語体系は、広いディシプリンの用語体系と共通の部分と、それに含まれない方言のようなものからなるのだ。【たとえば「気象学は地球物理学に含まれ、地球物理学は広い意味の物理科学に含まれる」と言えると思う。現代の専門分科の分類としては「地球物理学は地球惑星科学に含まれる」のほうが適切である。しかし、「地球惑星科学」は研究対象による分類であり、それを研究する方法の訓練には複数の道があって一本化しがたいので、ここでいうディシプリンではないのだろうと、わたしは思う。この点は違う意見もあると思う。この点で意見が一致しなくても反発しないでこの記事の本論を見ていただきたい。】

- 2 -
現代、大部分の学者は、大学や研究所などの法人に雇われた勤め人でもある。そして、少なくとも日本では、フルタイム(平日毎日勤務など)の勤め人の多くは、雇い主法人への帰属意識を持っている(持たされている)ことが多いのだが、学者の場合は、雇い主法人よりも、ディシプリンを共有する人々全体の集団、あるいはその中に形成された具体的組織である学会への帰属意識のほうが強い人が多いだろうと思う。

大学の中でも、教育課程は、ディシプリンに対応するように構成されている場合もある。その場合は、教育課程を運営する組織への帰属と、ディシプリンへの帰属とは、一貫しているかもしれない。(ディシプリン内での組織間の対抗意識が伴うこともあるが。) しかし、ディシプリンに関係なく、あるいは意図的に学際的に構成されている教育課程もある。その場合は、教育課程への帰属とディシプリンへの帰属とはくいちがうことになる。そして、そのような状況の教員がディシプリンの新しいメンバーを養成する教育をしようとすれば、教員個人、あるいは少人数の「研究室」のレベルで教育態勢を組まなければならない。

複数の帰属を持つことは、そこから矛盾する要求をつきつけられなければ、困ることではないだろう。大学ではながらく、教員の研究内容は教員各人にまかされることが多かった。教員がディシプリン集団からの評価を重視して研究を進めることが、大学の勤め人としての職務を果たしていると認められてきた。教育内容も教育課程組織にまかされることが多く、教育課程組織が設定した目標に大きなくいちがいを感じない教員は、不満を感じないですんだだろう。

しかし、近ごろ、国立・公立大学の法人化を代表とする学術行政の変化とともに、大学教員にとっての困難が高まってしまった。変化が次のような特徴をもっていたからだと思う。(次の表現はわたしなりに特徴を強調したもので、必ずしもすべての場にあてはまるわけではない。)

  • 監督官庁が法人に詳しい報告を求めた。報告の内容を用意することが教員の負担に加わった。教員が雇い主法人のために(法人の立場を意識して)働かなければならない時間がふえ、ディシプリンの立場で働いてよい時間が削られた。
  • 監督官庁が各法人の経営者に戦略的経営判断をすることを求め、しかも、教授会などの教職員自治的組織の意向を軽視することを求めた。ディシプリンの事情をよく理解しない経営者がトップダウン経営判断をし、教員はその法人で生き残ろうとすれば経営判断ディシプリンとのつじつま合わせをするために精力をそそがなければならなくなった。
  • 監督官庁は頻繁に法人内の(ときには複数法人にまたがる)組織改変を求めた。予算を維持するためにも組織は現状維持ではだめで改変が必要だという理由らしい。そこでは内容の刷新よりもむしろ名目の新しさが評価されるように見える。組織改変の準備や改変後の体制への適応のために教員の労力の多くが使われた。また、組織改変の際には既存のディシプリンの継続は望ましくないとされ、学際的組織が作られることが多い。しかし、(組織改変に伴う追い出しもあることはあるものの)既存の教員の多くが雇われ続ける必要があるので、学際的課題が共有されないまま、形式的に学際的な組織ができることが多い。これでは、ディシプリンの教育のためにも、学際的な研究のためにも、いいことがない。

- 2X -
文部科学省の大学教育担当の部署が主導した「COE」と称する時限の制度がいくつか実施された。COEはcenter of excellenceである。この名は、「○○の分野では△△大学が日本だけでなく世界をリードする」というような状況をめざしているように思う。ここでいう分野は、学際的・問題志向のものでもよいのだが、ディシプリンであってもよいはずだ。

ところが、この政策の実施は、国立大学の法人化と重なっていた。旧制度の国立大学特別会計を、各大学ごとに別々の法人にしてしまったのだ。(これを「分割法人化」と呼ぶことにする。国鉄の分割民営化と共通点があると思うのでわざとこの表現を使う。)

そこで、各大学が、現在そこに勤めている教員を資源として、それぞれCOEの提案をして競争することになった。同じディシプリンの他の大学の教員と共同で提案することができなかった。結果として、複数の大学から、複数(あまり多数ではない)のディシプリンが連合した、(もちろん教員の個性はあるが、おおざっぱに言えば) 似たりよったりの提案が出てきてしまった。時限の事業の終了後、大学院の教育体制の恒久的変革につなげたところはあるものの、COEと呼べる持続的なものができたところはないだろうと思う。

国立大学特別会計のままだったら、あるいはすべての国立大学と国立大学共同利用機関を一括してひとつの法人にしていたら(これを「一括法人化」と呼ぶ)、事情は違っていたと思う。

架空の例として、気象学のCOEを長崎につくると決めたとしよう。COEの世話役を引き受ける教員は長崎大学に転勤する。全国の国立大学の気象学の教員は、長崎大学の気象学専攻を併任し、年のうち何十日かそこに滞在する。(旅費・宿泊費の予算は必要だが給料は本務のうちである。) 博士課程の指導をする能力があるが、本務の大学に博士課程がなかったり、博士課程を担当できる立場にない教員は、長崎大学教員の立場で博士課程の学生を指導できるようになる。気象学を勉強したい学生に勧められる進路は、もよりの(たまたま出会った)大学(博士課程がなくてもよい)の修士課程で気象の基礎を勉強し、長崎大学の博士課程に進学する、という形になる。

- 2Y -
国立大学共同利用研究所のひとつである総合地球環境学研究所(地球研)は、ディシプリンではなく学際的研究を意図したものではあるが、(名称ではなく内容的に) COEであるべきものだと思う。しかしこれの設立は、国立大学の分割法人化と重なってしまった。教員ポストに関して研究所と大学の法人どうしの利害が対立した結果だと思うが、国立大学からの出向と新規採用を含めた地球研の教員のほとんどが、(原則6年の)時限になってしまった。研究プロジェクトは時限であるべきものだとはいえ、知識やデータには持続してこそ意義が出るものがあるのだが、その面ではとても弱体の機関になってしまった。もし一括法人化ならば、そして法人全体の経営者と各教員の意向が各大学の意向よりも強く反映されれば、大学から地球研へのかなりの数の教職員定員(に相当する人件費)の移しかえができ、(内容的に) COE的なものが作れただろうと思う。

大学の制度が、COEのような組織をつくることを困難にする方向に変わってしまったのは、とても残念だ。【一括法人化をしなかったのは、私立大学に比べて巨大になりすぎると考えたからかもしれない。しかし、国立大学から私立大学の競争相手になる力をそぐよりも、国立大学に私立大学の研究・教育を支える機能をもたせるほうが、私立大学のためになったはずなのだ。】

しかし、今の状況を出発点にしても、できることはあると思う。

- 3 -
予算がつくような制度ができてもできなくても、各ディシプリン集団は、それぞれの、仮に「全国センター」と呼べるようなものを持つ努力をするのがよいと思う。

1節でも述べたように、ディシプリン集団は多重の構造をもつ。組織づくりは小さすぎず大きすぎない適正なレベルがあると思う。わたしは実際に組織づくりをしたわけではないので机上論だが、教員・独立研究者の数が百人程度、大学院生・兼業・暫定的身分の人を含めて数百人の規模がよいだろうと思う。

ディシプリン集団は、知見の発表・交換の機能をもつ学会をつくっているだろう。(学会が多数ありすぎて、合同すべきだという状況もあるかもしれないが。) それに加えて、アーカイブの共有、知識の体系化、専門教育を、戦略的にやるべきであり、そのための場を持つべきだと思うのだ。同じ師匠に学んだスクールでまとまるものもあってもよいが、ここで言うのはそれではなく、同じディシプリンの人ならばだれでも参加できるような場だ。

地理・国家・言語との関係でどのようにまとまるかも、迷うところだ。人が実際に集まるには、空間的範囲や交通の便などの制約がある。教育政策、学術研究政策、雇用政策などの関連で、国家単位が適した場合もある。しかし学問内の理屈からは、国家単位でまとまるべきではないかもしれない。実際問題として、ディシプリン集団のいちばん重要な分かれめは、ディシプリンの専門教育や、研究内容に深入りした討論に使う、言語だと思う。「日本語でやる○○学のセンター」をもつのがよいと思うのだ。

ここで、たとえば、教科書が英語でも、講義を日本語でやっているならば、「日本語で教育している」、英文雑誌を出していても、編集委員会の実質的議論を日本語でやっているならば、「日本語で学会活動をやっている」というふうにとらえたい。日本の学者の現状は、学術活動を日本語でやりたい人が多数だが、英語でやりたい人もいる、というものだと思う。

わたしがここで呼びかけるのは「日本語で学問をやりたい人」が団結することだ。ほんとうは日本語圏と日本という国家とは別ものなのだが、現実問題として、日本語圏のセンターは日本のセンターでもあることになるだろう。そのセンターを呼ぶ筋の通った名まえに思いあたらなかったので、便宜上「全国センター」(national center(s)) という表現をしてみることにした。

日本にいても英語で学問をしたい人は、日本国や日本語圏の境界を無視して、既存の世界のセンターにつながるか、アジア太平洋のセンター構築に動くのがよいと思う。

日本語での活動と英語での活動と両方やる人もいてよいが(集団間の意思疎通のために、いてほしいのだが)、忙しくなったときどちらが主かを選択する必要はあるだろう。

- 4 -
わたしが全国センターの意義を感じたきっかけは、アメリカ合衆国のNational Center for Atmospheric Research (NCAR、全国大気研究センター)について知ったことだった。NCARは、NSF経由で国の資金から運営費をもらっているが、国の機関ではなく、大気科学(気象学を含みもう少し広い分野)の大学院教育や研究をしている多数の大学が出資した法人University Corporation for Atmospheric Researchに属している。ひとつの大学で持てない観測設備、計算機、データバンクを持って、共同利用に提供している。(データバンクの件は[2015-02-06の記事]で紹介した。) また、全国から研究者や大学院生が泊まりこみで集まる研究集会や講習会を頻繁に開いている。(その中心地としての重みは、1970-80年代に比べれば、今は小さくなっているような気もするのだが、今も軽視できるものではない。)

日本にも、もちろんすべての分野についてではないが、国立大学共同利用施設があった(今もある)。それには、大学から独立している研究所(今では大学共同利用機関法人に所属)、大学付置の研究所や研究センターがある。設備の共同利用という趣旨のものが多いが、それに限らず、専門分野の集会を開きやすい場をつくっていたところもある。共同利用する人には、国立大学に限らず、私立・公立大学の教員も含まれる。そのほかどんな所属の人まで対象になるかは施設ごとや機能ごとに違うようだが、比較的経費の少ない機能は、施設の設置趣旨に合った分野の学術研究者に開かれていたと言えると思う。

たとえば、東京大学海洋研究所(海洋研)は、白鳳丸・淡青丸という船を全国の研究者の共同利用に提供していただけでなく、海洋学関係の研究集会を開くことも共同利用業務に位置づけていた。東大所属だったが、東大への帰属意識よりも、全国センターという意識が強かったと思う。その専任教員になると、共同利用の世話役のdutyがあるので、共同利用する側よりも負担が重いという評判を聞いたことがある。もっとも、海洋学ディシプリンではなく研究対象による学問分野だが、その部分集合である、たとえば海洋物理というディシプリンが、海洋研究所という場を利用してきたのだ。

しかし、すべての分野が共同利用施設をもつわけではなく、それがある分野・ない分野の不公平があった。たとえば、海洋学の隣接分野である気象学には共同利用研究所がなかった。アメリカのNCARに対応するものを日本にも持ちたいという構想はあったのだが、できなかった。1970-90年代に気象関係の大学の教員の数はふえたのだが、それは複数の大学に少しずつ新分野が拡充される形をとった。そのひとつが1990年にできた東京大学気候システム研究センター(CCSR)であり、気候システム研究は気象学の一部と(海洋学の一部とも)重なっているが、気象学全体をカバーするわけではない。海洋研とCCSRが合併してできた東京大学大気海洋研究所は、海洋学および気候システム研究に関する全国センター的性格をもつが、気候システム研究に含まれない気象学にはおよんでいない。

なお、大型計算機センター ([2010-07-30の記事]参照)も、(7大学にできたので全国というよりも地方ごとのセンターだが) 国立大学共同利用施設であり、国立大学に限らない大学関係者の出会う場だった。計算機利用技術に関する知見が集積する場でもあった。ただし、そこに集まる人々の形成する集団は、ディシプリン集団ではなかったと思う。

- 5 -
今、全国センターをもたないディシプリンが、あらたにそれを作ろうとしても、予算がつくような制度として作るのはとてもむずかしい状況にある。

しかし、制度がなくてもできることはあるし、制度としてのセンターを作るためにも、自主的活動を積み上げるのがよいと思う。

ディシプリン集団で、まずは非制度的な全国センターを作ってしまうのがよいと思う。近距離に複数の常勤者がいて、ひとつの学閥に支配されていなくて、泊まりがけの人も日帰りの人も集まりやすい場所を選んで、そこで研究会と分野の将来を考える会を開く習慣をつくるのだ。

もよりの大学法人に対して、その土地が、そのディシプリンの共同研究の場であることを認識させることによって、その法人の経営改革の特徴を出す材料に採用してもらう可能性も出てくるかもしれないと思う。

【自分で活動する元気がないのに、思いつきで意見を言うだけになっていて、申しわけない。】