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2017-03-21

日本語のローマ字つづりかたについての個人的覚え書き

【まだ書きかえます。どこをいつ書きかえたかを必ずしも明示しません。】

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日本語をローマ字で書くときのつづりかた(表記方式)が話題になっていた。

わたしはこの件についてはいろいろ考えてきたのだが、考えをまとめて公開しているのは英語版のウェブページ[A personal note on Romanization of Japanese words] (最初の公開 2004-01-24、最新更新 2008-07-06)があるだけだった。その記事を自分で日本語にしてここに出しておく。

- 2 (ここから5節まで2004年1月執筆、のち部分改訂) -

世界の使用人口の多い言語のうちで、おそらく、音声と文字との対応がもっとも複雑なのは、英語と日本語だろう。英語または日本語の単語を正しく発音するには、その語を知る必要がある。英語の語を構成するアルファベット列を、日本語の語を構成する漢字列を知っているだけではだめなのだ。フランス語中国語の場合ならば、複雑さは一方向きだ。つづりから発音を推定はできる。逆向きは定まらない。

しかし日本語には表音文字の組が(実は2組)ある。かな (ひらがな と かたかな)だ。第2次大戦後まもなく、ほとんど表音的な かな による文字つづりの方式「現代かなづかい」が公式のものになった。かな で書く限りは、文字つづりのゆらぎはとても小さい。古典的な文章については、人々は「歴史的かなづかい」という方式を使う。これは9世紀ごろに使われた(当時は表音的だったはずの)文字づかいを17世紀の学者が復元推定したものだ。現代の文章をも「歴史的かなづかい」で書くべきだと主張する人びとは、今では少数になった。日本語の単語を同定するもっとも確実な方法は、その語の かな による(現代かなづかいによる)表現を知ることだ。そうすれば、発音がわかるし、辞書をひいて漢字による表現を知ることもできる。

日本語の単語 (人名や地名など)を、英語などの、ローマ字(ラテン アルファベット)以外の文字を含めることがむずかしい言語による記述のなかに入れたいとき、問題が生じる。日本語のローマ字でのつづりのゆらぎは、かな でのつづりのゆらぎよりも大きいのだ。実のところ、日本語のこの問題は、中国語、朝鮮(韓国)語、タイ語などの場合よりは軽い。たとえば中国語では、ピンイン (中華人民共和国で国家標準とされているつづりかたの方式)で ある発音を示すローマ字つづりが、ウェイド(WADE)式 (今でも英語圏でよくつかわれているつづりかたの方式)では別の発音(したがって別の意味の語)を示すことがある。日本語では、このようなあいまいさは、(外来語や方言の語を示す場合を除いて)起こらない。それにしても、日本語の同じ語がなんとおりかのつづりかたをされることは知っておく必要がある。

日本語の文章全体をローマ字で書く人もいることはいる。しかしそのような習慣は、外国人向け日本語教育を別とすれば、まれだ。さらに少人数の人びとが、日本語をローマ字で書くことを奨励する活動をしており、いくつかの自主的活動の団体がある。そのひとつは「日本のローマ字社 (Nippon-no-Rômazi Sya)」だ。この団体はもともと、3節で述べる「日本式」を推進していた。今ではおもに「訓令式」を推進している。もうひとつの団体に「日本ローマ字会(Nippon Rômazi Kai)」がある。その近ごろの動きについては6節で述べる。

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日本語のローマ字つづりかたの方式としてよく知られているもののひとつは「ヘボン式」と呼ばれている。これはアメリカ人の医師であり最初の詳しい和英辞典を編集した人である James HEPBURNが考案したものだ。日本語話者にとってありがたいことに、これは、日本語の発音を英語にありがちなつづりをならべて近似したものではない。日本語を音声学的に分析したうえで、それぞれの音素をアルファベットの1字か2字であらわしたものだ。英語の発音との類似性は、音素をあらわす文字の選択の際に出てくるのだ。

もうひとつの、田中館愛橘(TANAKADATE Aikitu)と田丸卓郎(TAMARU Takurô)などの人びとによって19世紀終わり近くに提唱された方式は、「日本式(Nippon-siki)」と呼ばれる。これは日本語の発音についてのもう少し深い(音声学的というよりも音韻論的な)分析にもとづいている。これはヘボン式よりも かな の表 [五十音図]とよく対応する。たとえば、かな の表の[「タ行」の]部分は、日本式では"ta, ti, tu, te, to" と、ヘボン式では "ta, chi, tsu, te, to" とつづられる。ヘボン式で "ti" や "tu" とつづられるような音は、外来語や方言でない日本語には現われないのだ。現実には、ますますおおぜいの日本語話者が、外国語の "ti" の音を、もとからの日本語にある、日本式で "ti" (ヘボン式では "chi")とつづられる音と区別できるようになってきた。しかし、日本式の推進者は、外来語音のよりよい表現よりも、もとからの日本語の音韻の体系的表現を優先する。

なお、日本式には[名詞の頭文字を大文字で書くなどの点で]ドイツ語の影響が見られる。しかし日本式は日本語をドイツ語の発音で近似したものではない。たとえば「よこはま(横浜)」は日本式でもヘボン式と同じく "Yokohama" とつづられる。ドイツ語による近似だったら "Jo..." となっていただろう。

1937年、日本が中国と戦争状態にあった[という意味では戦時中であった]ときに、日本政府は「訓令」という種類の規則を制定した。第2次大戦後に再編成された政府は、1954年に、その改訂版にあたる訓令[「ローマ字のつづり方」]を出した。1954年の訓令には2つの表がある。第1表は[1937年の訓令とほぼ同じで]日本式を少し変更したものであり、これ以後「訓令式」と呼ばれた。(日本式との違いは、いくつかの方言にだけ残っていた音の区別をやめたことと、いくつかのドイツ語の影響を受けた文字づかいをやめたことである。) 第2表は第1表とヘボン式の違いの主要部分を示していた。つまり、第2表を採用することは、ヘボン式の一種(「修正ヘボン式」と呼ばれることがある)を採用することになる。小学校の[国語の]教科書には、第1表に従った文章がのせられた。しかし、パスポートを発行する事務所は第2表を使うことを強制した(今も強制していると言えるだろう)。また、中学校の英語の教科書や、大部分の鉄道が、ヘボン式を使った。そこで、ヘボン式が圧倒的によく見られるようになった。

ヘボン式の内にも細かい違いがある。それは独立した拍になる鼻音 [かな では「ん」と書かれる] についてだ。ローマ字ではこの音はふつう "n" と書かれるのだが、もとのヘボン式では "m, b, p" の音の前では "m" と書かれる。しかし訓令第2表によるならば[第1表によるときと同様に]そのような場合も "n" とするのだ。そこで、新聞[しんぶん]がそれ自身の名まえをローマ字で書く場合に、"shimbun" となっている場合と "shinbun" となっている場合がある。

訓令式でもヘボン式でも、長くのばす母音をどうつづるかにはゆらぎがある。標準的な表現は、訓令式では山形(フランス語式にいうアクサン・シルコンフレクス)、ヘボン式では上棒(マクロン)だ[1937年の訓令もこちらだった]。しかし、ローマ字を使う場合のうちには補助記号を使えない場合もある。そのときには同じ母音字をならべることが奨励されている。この約束に従うのと、かな[現代かなづかい]から文字単位で転写するのとでは、結果が違う。

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日本語ワードプロセッサーが発明され普及したことは、ヘボン式の天下を乱し、混沌とした状況をもたらした。それは、多くの人びとが次のような日本語入力方法を選択したからだった。英語用タイプライターとだいたい同じキーボードで、ローマ字を入力する。それはすぐに かな に変換される。それから、候補となる漢字が列挙され、ユーザーがそのうちから選択する。この場合、キーボードから入力されるローマ字列は、期待される かな(現代かなづかい)の文字列の単純な転写であり、ローマ字のつづりかたのどの標準に従ったものでもない。この転写機能は、入力として、ヘボン式のようなもの、訓令式のようなものなど、いくつかの違った形を受け入れることができるようにつくられた。人びとは、「タ チ ツ テ ト」については短くて体系的な訓令式の "ta, ti, tu, te, to" を好み、「ジャ ジュ ジョ」については短いヘボン式の "ja, ju, jo" を(体系的だが長い訓令式の "zya, zyu, zyo" よりも)好む傾向がある。長い母音については、訓令式もヘボン式もその本来の形ではうまく使えず、ユーザーは かな のつづりに直接対応するローマ字列を入力する必要がある。したがって、現状は、あいかわらずヘボン式が支配的とは言えるが、かな からの直接転写がだいぶ混ざっており、訓令式または日本式も部分的に復活している。

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わたしは個人としては訓令式を好んで使っている。それは部分的にはわたしが体系的なものごとを好むからであり、部分的には小学校の教科書の影響だ。しかしわたしにとってヘボン式を受け入れがたい最大の障壁は、"chi" というつづりが言語によってさまざまな音をあらわすことだ(別記事[Chiba行きの電車]参照)。

したがって、わたしは自分の名まえ「こういち」を "Kooiti" とつづっている。英語よりもオランダ語かフランス語の中でだいたい正しく読んでもらえることを期待している。他の人の名まえについては、わたしは本人が選んだつづりがわかれば尊重する。わからないときは、現在に近い時代の人びとはヘボン式、第2次大戦前に仕事をした人は日本式を使っただろうという、おおざっぱな推測をする。(わたしが言及する必要が生じる人びとの多くは自然科学者なので、わたしの推測はこの集団の人びとの習慣についてのものだ。) わたしは自分の住所をヘボン式でつづっているが、それは住所を他の人と共有しているからだ。そのほかの語については、わたしが自由に選べる場合は、訓令式を使っている。ただし、すでにヘボン式の形で英語にはいってしまった語(例、tsunami)はその形を使う。(そのような語はもはや英語の語になってしまったとみなして、強調するつもりがない限りイタリックにもしない。)

- 6 (この部分は2004年7月執筆) -

梅棹忠夫 (UMESAO Tadao)という学者(民族学者)が、1990年代に、ローマ字のつづりかたを、かな による標準的なつづりかたからの転写として定式化することを示唆した。この考えによれば、長い "o" の音は、かなで「おう」のように書かれるならば[この例の「お」のところはオ段のいろいろな字がくる]、"ou" とつづられる。(ただし、かなで「おお」のように書かれる場合は "oo" とつづられる。) 梅棹は日本ローマ字会の会長としてその会にこの方式を提案し、日本ローマ字会は1999年にこれを標準とした。そこでこの方式は「99式」と呼ばれた (梅棹, 2004)。

梅棹は日本語の表記方法に関する主要論客のひとりだった。彼は1969年に『知的生産の技術』という本を出した。実のところ、わたしの日本語表記方式への関心はこの本を読んだことから始まっている。この本で彼は、おもに、ひらがなタイプライターを推進したが、ローマ字化をも可能性として示した[彼は訓令式を使っていた]。しかし、日本語文字処理は、彼が予期したものとは違う発展をした。そこで彼は軌道修正をしたのだ。

わたしは、次の点で梅棹(2004)の認識に賛同する。日本語のつづりの現状は かな のほうがローマ字よりもゆらぎが少ないこと。多くの人が今のワードプロセッサソフトウェアを使いながら "ou" のようなつづりに慣れていること。そして、日本語には "ou" と "ei" のあいだに対称性が見られること。

日本語には、かなで「えい」とつづられるような音が多く出現する[この例の「え」のところはエ段のいろいろな字がくる]。その発音はふつう長い "e" だが、ローマ字つづりはヘボン式でも訓令式でも "ei" だ。19世紀の人びとの意識には、"ei" と 長い "e" の区別は残っていたが、"ou" と長い "o" の区別は失われていたのかもしれない。しかし、わたしにとっては、"ou" と "ei" を対称的に扱うほうが自然に感じられる。今の多くの人がそういう感覚をもっているのではないかと思う。

もしわたしが梅棹(2004)に完全に説得されたならば、わたしは自分の名まえのつづりも "Kouiti" に変えるべきだろう。わたしは変えていない。そのおもな理由は[ローマ字のつづりかたに関する主張ではなく] わたしの個人的惰性、わたしがすでに発表したものとの同一性を維持したいという欲求だ。

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