macroscope

( はてなダイアリーから移動しました)

(地学・地理教育) 意識的に相対多数に注目すること; 科目間のリンクがほしい

【まだ書きかえます。どこをいつ書きかえたかを必ずしも明示しません。】

- 1 -
2018年5月20日、[2018-05-14の記事]で予告した、日本地球惑星科学連合(JpGU)の、地理・地学教育のセッションに参加した。

ここでは、そのセッションの議論に参加しているうちに、わたしが思いあたったことを書きだしておく。セッション全体の話題のまとめではない

- 2. 意識的に相対多数に注目すること -
「『思考力』を育てる」とはどういうことだろうか、という議論に関連して、思いあたったことを発言した。思考力と呼ばれることのうちのある部分には関係すると思うのだが、思考力ということばのさす中心とはいえない話題なので、その場にそぐわなかったかもしれない。

地球上のものごとは、かなり狭い地域に限っても、複雑な構成を含んでいて、その全部を記述しつくすことはできない。そういうとき、minorityの存在を認めながらも、majorityにしぼって記述したり考えたりすることが必要になると思う。(「多数派」「少数派」と書くのが適切でない場合も含むので、わざと英語にしておく。) これは[2018-02-21 入学試験問題について思うむずかしさ (2) いわゆる「ムーミン問題」をめぐって]の記事に書いたことのむしかえしになる面もあるが、もう一度書いておく。

まず、わたしが大学や公開講座の授業で教えている、基礎科学・自然科学的な地学の話題から例をとる。気候システム(大気・水圏)のエネルギー収支を考えるとき、エネルギーの出入りとしてはふつう「大気上端」での放射(電磁波)の出入りだけを考える。地球内部とのやりとり(地熱、地殻熱流量)も、ゼロではなく、火山や温泉などでローカルには重要でありうる。しかし、グローバル平均した場合は、「大気上端」でのやりとりに比べて4桁くらい小さいのだ。そこでわたしは、地熱は「無視する」とか「無視できる」とか言ってしまうことがある。もう少していねいに言うと、現実世界に地熱があることは無視しないが、気候システムを考えるうえでは地熱を無視したモデルが有効であると考える、と言ったほうがよいと思う。

次に、今回のセッションでも山本政一郎さんの講演で話題になった、いわゆる「ムーミン問題」の地形の件を考える。その問題では、絵から地形を読み取れるかの段階でも無理があったが、絵の平地とフィンランド、山地とノルウェーを結びつけさせるところがとくに不適切だった。ノルウェーにも平地はある。フィンランドにも山地はある。それを無視してはいけない。国と地形とを1対1対応させるのはまずい。しかし、フィンランドの面積の相対多数が平地である、ノルウェーの面積の相対多数が山地である、というような認識を、共有知識としてもつことは、まずいことではないだろう。(ただし、わたしは、まだ実際に地形別の面積比をしらべていない。ここでは、かりにデータからそう言えるならば、という前提で述べた。)

人にかかわる件だと問題がもっと鮮明になる。社会問題としては「民族」の問題が深刻になりやすいのだが、教材、とくに試験問題にする場合は、「民族」の定義は広く共有されるとはかぎらないので題材にしないほうがよいと思う。比較的まぎれのない「言語集団」を題材にしたほうがよいと思う。同じ国の中に、majorityである言語を話す人びとと、minorityである言語を話す人びとがいる。Minorityであっても個人は尊重されなければならない。全員がmajorityであるかのように語ってはいけない。しかし、majorityをmajorityとして認識することは悪くないと思う。それは、minorityをminorityとして尊重するためにも、むしろやるべきことのはずだと思う。

地図学でいう「総描」は、地図の紙面のある面積の部分にもりこめる情報の取捨選択であり、その土地に存在するものごとの majority を記述することが多いと思う。地図に限らず、地理や地球科学では、(minorityが存在しないとみなすつもりはないのだが)、表現上は majority だけがあらわれるような「粗視化」が必要なこともあると思う。

- 3. 科目間のリンクがほしい -

話題は変わる。こちらは、セッションが終わった時点で気にかかっていたが、発言の機会がないままになったことだ。(関連することは講演中に少し話したが。)

ある科目の教材のうちに、それに関連する他の科目の教材への連関を示しておくべきだと思うことがある。また、教材を整備する際には、他の科目から参照されることをも想定しておいたほうがよいと思うこともある。

そういう需要が生じるのは、自科目で教えていることの根拠づけにあたることを他科目で教えている場合や、両方の科目で、観点はちがうが、同じ対象を扱っている場合などだ。

生徒が両方の科目を履修しているのならば、関連づけたほうが両方の教育効果があがると期待できる (それに相当する話はJpGUセッション中の高校教員のかたがたの報告にもあった)。生徒が参照先の科目を履修していない場合も、自習をしやすくするために、参照先の科目の教材を、学校図書館やウェブサイトなどの生徒の手の届くところに置いたほうがよいと思う。それは教師のためにも役だつだろう。

その際に、科目間で用語を統一できるならばしよう。それぞれの科目の慣例があって統一できない場合も、対応を明示しよう。

ここから、わたしが自分の講演に関連して思いあたったリンクの例をあげる。

現行でも次期でも学習指導要領に「地学基礎」と「地学」という科目があるが、両者をまとめて「地学」と言いたくなることもある。ここでは便宜上、

  • 理科のうち地球・宇宙科学の総称のほうを、引用符なしで 地学
  • 指導要領上の科目名が「地学」となっている科目を、ふだんとちがった引用符でくくって "地学上級" (英語ならば "advanced class on earth science" だろうと考えて日本語にもどした表現)

と呼んでおく。物理化学生物も同様にする。

- 3a. 天気現象について -

「地学基礎」の「日本の自然環境」で「日本に見られる気象現象」について学ぶことになっている。「地理総合」でも「自然環境と防災」について「日本は変化に富んだ地形や気候...」とあるから、四季の天気の特徴を扱うことになるだろう。そこでは「温帯低気圧が西から東に進む」というくらいの事実を扱うことはできるだろう。

しかし、温帯低気圧のメカニズムは、"地学上級" の題材になる。"地学上級" を開講する学校は少なく、開講していても履修する生徒は少ないだろう。しかしそれでも、「地学基礎」や「地理総合」でそれに関心をもった生徒が調べられるところに、"地学上級" の教材を用意しておいてほしいと思う。

- 3b. 成層圏オゾンについて -

「地学基礎」の「地球環境の科学」で扱う題材として「オゾン層破壊」が例示されている。

「地学基礎」の「大気と海洋」で「大気の構造」と「太陽放射」が出てくるので、指導要領に明示はされていないが、そこで、成層圏とはどこか、紫外線とは何かも学ぶだろう。また、オゾンがO3であることぐらいは「地学基礎」の知識項目としてもよいだろう。

しかし、オゾンがどんな性質をもつ物質か、どんな反応で生成・消滅するかは、地学ではなく化学で学ぶことになるだろう。(それ自体が化学の高校教材に書きこまれているかどうかはともかく、化学で教える知識の上に積み上げられる知識といえるだろう。) 化学をとっていない生徒にも見られるところに用意しておいてほしい。

- 3c. 熱について -
「地学基礎」では「地球の熱収支」について学ぶことになっている。わたしが使う専門用語で言えば、気候システムの放射収支だ。これは学問的にはエネルギー保存の法則を基本としているのだが、「エネルギー収支」としなかったのは、地学では「エネルギー保存法則」を持ち出したくないということなのだろうか? あるいは運動エネルギーをはずしたエネルギーを扱いたくてそれを「熱」と呼ぶことにしたのだろうか? 深い考えなしに慣例によっただけだろうか?

物理の教材をまだ確認していないが、物理では、エネルギー保存の法則を学んだあとは、熱は状態量でなくエネルギーの移動として扱っているはずだと思う。

地学でも「大気上端の熱収支」としてエネルギーの流れの量だけを扱うならば、それは物理でいう「熱」でもあるとして、矛盾なく述べられるだろう。(「地表面の熱収支」の場合も同様だ。)

しかし、地球温暖化のしくみにつなげようとすると、気候システム(とくに海洋)のエネルギーのたまりを考えることが不可欠だ。たまりを含む「熱収支」を、物理で根拠づけようとすると、「熱のたまり」とはエネルギーのたまりのことだとことわっておかないと、地学物理の両方を学ぶ生徒がまごつくと思う。用語を無理に統一する必要はなく、地学でいう「熱」を物理の用語ではどういえばよいのかが明示されていればよいと思う。