Hatena::ブログ(Diary)

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2018-08-08

台風の名まえについて

【まだ書きかえます。どこをいつ書きかえたかを必ずしも明示しません。】

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台風」とはなにかについては、[2012-06-15の記事]を見てほしい。

西暦2000年以来、それぞれの台風に、国際的な約束で、名まえがつけられている。これについての公式な説明は、気象庁ウェブサイトの「台風の番号の付け方と命名の方法」のページ https://www.jma.go.jp/jma/kishou/know/typhoon/1-5.html にある。

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この約束を決めた「台風委員会」は、14の「国等」で構成されている。ここで気象庁が「国等」と言っているのは、世界気象機関(WMO)に加盟している国・地域のことで、香港マカオはそれぞれ含まれているが、台湾は含まれていない。また、アメリカ合衆国も対象地域の国としてはいっているのだが、それは、直轄領のグアムがあるとともに、パラオマーシャル諸島などの気象業務を引き受けているからでもある。

名まえをつける対象は、北西太平洋で 英語でいう Tropical Storm (TS) 以上の強さに達したもので(Typhoonも含むがそれだけではない)、日本でいう「台風」と同じとみてよい。

名まえは、あらかじめ14の「国等」が10個ずつ出し合ってつくった表から、順番につけていく。表はくりかえし使うのだが、大きな被害を出した台風の名まえは再利用せずにほかの名まえに入れかえることがある。

名まえにどんなことばを選ぶかは、それぞれの「国等」にまかされている。日本が提出したものは、いずれも「星座の名まえ」とされていて、それ以上の説明はない。2018年台風14号は「ヤギ (Yagi)」となる予定だが、その名まえの根拠は「やぎ座」であって、動物のヤギとの関連は示されていない。

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2018年の台風13号は、ローマ字では Shanshan、カタカナでは「サンサン」とされている。これは香港が出してきた名まえで、漢字では「珊珊」なのだそうだ。「珊」の字は、漢語ピンイン(北京音にもとづく)では shān だが、広東音では「サーン」のような音(zh.wiktionary.orgによれば「粵拼:saan1」) なので、そのように読んでほしいという注釈があったらしい。(ただし、わたしは注釈の存在をたしかめていない。) なお、このほかの香港から出てきた名まえのローマ字書きは、必ずしも漢語ピンインではないようだ。

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日本では、台風は、年ごとに通し番号で「1号、2号...」のように呼ぶ習慣がずっと続いている。そして、国際的にも、TS以上には通し番号がつけられている。台風委員会のつける番号と各国の気象庁などのつける番号がずれてややこしいことになることもあったのだが、そういう事態は減ってきた。

他方、アメリカ合衆国では、(いつごろからか調べていないのだが少なくとも第2次大戦前後には) 強い熱帯低気圧に女の人の名まえ(first name)をつける習慣があった。第2次大戦後、連合国が日本を占領していた時代には、日本でもアメリカ軍が決めた名まえが使われ、大きな災害をもたらした台風はその名まえで記憶されていることがある。(ただし、アメリカ合衆国が国の制度として女の人の名まえをつけるようになったのは、NOAAのサイトの次のページによれば、1953年からだそうだ。https://www.nhc.noaa.gov/aboutnames_history.shtml )

しかし、1970年代までに、熱帯低気圧を女性あつかいするのは変だという議論が強くなり、アメリカ合衆国のNOAAでは、1978年(海域によっては1979年)から、男女の名まえを交互に使うことに変えた。

北西太平洋の台風については、関係国のあいだの意見の調整に時間がかかったようだ。各国による名まえは、人名、地名、神話・伝説上の存在、動物など、さまざまだ。

そのうちで日本の気象庁の選択は、星座の名まえの一覧表から、ギリシャ神話などの固有名詞に由来するものは はずしているが、生物だろうが無生物だろうが無頓着、日本古来のことばだろうが近代に加わったものだろうが無頓着、明るい星があってみんなが知っている星座だろうが明るい星がなくて近代の天文学者が便宜上つくった星座だろうが無頓着に、抜き出したもののようだ。やる気がないがしぶしぶ、しかし失礼のないように対応したのでこうなった、と感じられる。日本の地名を使えばそこに被害をもたらした台風とまぎらわしいし、日本の神話・伝説上の存在や歴史上の人物の選択は政治思想がらみの賛否の論争になりうるので避けたいだろう。引き続き番号だけにしておきたいところだが、それが許されない状況なので、番号と同じ程度の連想しかひきおこさない名まえを出したのだと思う。(ただし、気象庁の担当者の考えをたしかめたわけではなく、これはわたしの想像にすぎない。)

この記事を「気象むらの方言」のカテゴリーに含めることにしたが、実際は、日本語圏に関する限り、台風を番号でなく名まえで呼ぶのは、気象専門家集団ではなく、その外の人がおもだと思う。

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台風に国際名と並列に国内名をつけている国もある。フィリピンがそうだ。フィリピンに大きな被害をもたらした2013年台風30号は、国際名は Haiyan (中国が出したもので「海燕」)、フィリピン名はYolandaだった。

2018-06-26

小笠原高気圧?

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2018年6月26日に、「小笠原高気圧」ということばが話題になっているのを見た。

(その日が、小笠原諸島第2次大戦後、アメリカ合衆国の施政下から日本に返還された記念日だったから話題になったのかもしれない。)

わたしは、1960年代の子どもとして、このことばを(たぶんテレビの天気予報や教育番組で)聞いたおぼえがある。その後、マスメディアの天気予報の用語としては「太平洋高気圧」、専門文献では「北太平洋高気圧」のほうがふつうになった。

第2次大戦前の日本の気象学・気候学では、観測とその通報がまだとぼしかったので、東アジアとそのすぐ沖の西太平洋だけが視野にはいっていた。そこで「夏には小笠原高気圧が出現する」とか、「梅雨前線は(東日本では)小笠原高気圧とオホーツク高気圧のあいだにある」とかいう記述がされたのだ。

第2次大戦後、太平洋全体に視野がひろがると、小笠原高気圧とよばれたものは、([前の記事]で述べた亜熱帯高圧帯の部分である) 北太平洋高気圧のうち西の端に近い部分と認識されるように変わってきた。

わたしは、地上気圧の2次元分布で論じるかぎりは、「小笠原高気圧」という表現は不適切だと思う。

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端に近い部分だからこそ、年々変動や季節内変動で「高気圧におおわれている」とはいえない状態になることもあるから、季節予報などの立場では重要な地域なのだと思う。

小笠原諸島の人間社会に視点をおくと、この年々変動が生活に影響を与えている。松山(2018)が、2016年5月-2017年4月の少雨(干ばつ)について報告している。この場合は、小笠原諸島からみて南西のほうの気圧が高くなっていたのだ。

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しかし、現代でも「小笠原高気圧は北太平洋高気圧とは別ものだ」という主張がある。

わたしは、中村 尚[ひさし]さんの著書で、そのような主張を見た。その理屈はおよそ次のようなものだ。北太平洋高気圧は、背の低い高気圧だ。対流圏のうち下層では高気圧だが、上層では高気圧でない。小笠原高気圧は、背の高い高気圧だ。対流圏の下層でも上層でも高気圧なのだ。

中村さんの考えは、3次元的な構造に注目したものなのだ。それが可能になったのは、第2次大戦後しだいに上空(「高層」)の気象観測が充実してきたからだ。

中村さんが指摘している上層の気圧の特徴を、わたしは1980年代に聞いている。しかし、それを説明した人(気象庁の、当時の表現で「長期予報」、いまの表現で「季節予報」の担当者だったと思う)は、「背の高い高気圧」という表現はしなかった。夏の対流圏上層には、(チベット高原あたりを中心とする)「チベット高気圧」がある(これは当時あたらしい知見だった)。日本南方の小笠原あたりは、上層でチベット高気圧、下層で北太平洋高気圧に覆われて、対流圏全層で高圧部になることが、比較的おこりやすい、というような表現だった。

大気は連続体なので、どこからどこまでの構造に名まえをつけるかは、記述する人の主観によってしまうことがさけられない。わたしは、背の高い小笠原高気圧があるという認識も、下層の北太平洋高気圧の西端部と上層のチベット高気圧の東端部がかさなっているという認識も、同程度にもっともで、どちらがよいかは、それを使った説明の有用性で判断すればよいと思う。

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高気圧の名まえに「小笠原」という地名を使うことには、いくらか不安がある。

この高気圧の中心は、かならずしも小笠原諸島付近ではなく、たとえばマリアナ諸島あたりとか、フィリピン海とかにあることもあるだろう。

世界地図スケールで、大まかに見るのならば、それでも「小笠原高気圧」(英語ならばBonin High)でよいとされるだろう。アリューシャン低気圧が、南に北緯40度ぐらいまでひろがってきても、そう呼ばれるのと同様だ。

しかし日本にすむ、地球科学専攻でない人の感覚では、高気圧の中心が、小笠原諸島からはなれると、「小笠原高気圧」と呼ぶのが不適切だと感じるのではないか?

もっとも、沖ノ鳥島南鳥島(マーカス島)も、自然地理上の小笠原諸島ではないものの、行政上の小笠原諸島(東京都 小笠原村)の内なので、そのあたりまでならば、「小笠原高気圧」と呼ぶことはゆるされるだろうが。

文献

亜熱帯高気圧、亜熱帯高圧帯、(勧めたくない用語) 中緯度高圧帯

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【便宜上「気象むらの方言」のカテゴリーに入れたが、むしろ「気候学むらの方言」の話題である。】

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近ごろ、世界の気候の重要な部分である「亜熱帯高圧帯」のことを話題にしたとき、それが中学・高校の地理の教材で「中緯度高圧帯」とよばれている、と聞いた。

【山本・尾方(2018)によれば、高校の教科書のうち、地学の7種の用語はいずれも「亜熱帯高圧帯」だが、地理では両者を併記したもの5種、一方だけのものそれぞれ2種となっている。論文は見たのだがこの件は見落としていて、著者から教えていただいた。】

そういえばわたしが少年時代に読んだ地理の本にもそういう用語があったというおぼろげな記憶があるが、おとなになってからその用語を見た記憶がない。ただし、わたしが読んだ本にそういう用語が使われていなかったとは言いきれない。ただ気にとめなかっただけかもしれない。

ここでいう高圧帯のひろがりはおよそ緯度15度から40度くらいまでだろう。「中緯度高圧帯」という表現はうまくないと思う。

「中緯度」ということばの定義は一定していない。しいていえば、0度から90度までを三等分して30度から60度までを中緯度ということもできる。

また、(赤道近くと極近くに住んでいる人以外は) 自分が住んでいるところを「中緯度」として認識する人が多いようだ。

それで思い出すのは、ソ連(当時)のアリソフ(Alisov, 著書のドイツ語版でのつづりはAlissow)の気候区分では、亜熱帯高圧帯にあたるところが「熱帯気団」とされていて、温帯低気圧帯にあたる「寒帯前線」(英語ではpolar front)の高緯度側にある「寒帯気団」の別名が「中緯度気団」とされていたことだ。ロシアに視点をおけばロシアの人口の多くがすむところが中緯度なのだろう。[わたしはアリソフの著書はドイツ語版で見たのだが読んでいない。アリソフの気候区分に関する知識はおもに鈴木(1975)による。]

それにしても、日本のうち九州から関東にかけてのほぼ東西にのびた地方は、夏にはこの高気圧におおわれることが多いが、冬にははずれる。そこに住む人にとっては、この高気圧はどちらかといえば低緯度側からやってくるものなのだ。

北大西洋のアゾレス高気圧や、北太平洋高気圧の東端に近いところでは、緯度40度くらいになるから、そのあたりに注目した場合は「亜熱帯」は適当でないという考えもあるかもしれない。

しかし、世界全体を見わたした場合と、日本付近に注目した場合の呼びかたは、「亜熱帯高気圧」「亜熱帯高圧帯」でよいと思う。

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亜熱帯高気圧は、帯状になっているというよりも、おもに海上で等圧線がとじた高気圧の形になっているから、「亜熱帯高圧細胞[複数]」とよぶべきだ、という考えがある。

わたしの記憶ちがいでなければ、鈴木秀夫先生が、気候学の講義で、この考えを肯定的に伝えていたのだ。

わたしには、アリソフの気候区分をも肯定的に伝えていたことと、一貫しないような気がした。アリソフの「熱帯気団」の「熱帯」はドイツ語版の tropisch の訳語だから「帯」の意味は含んでいないが、その地図上の分布は、経度によって広がりが多少ちがうものの、全経度にわたっている。それが高気圧でもあるならば、「高圧帯」という表現も適切だろう。

あとで考えてみると、鈴木先生はアリソフの用語がよいと思ったわけではなく、アリソフの体系がすぐれていると思い、オリジナルを尊重する意味でその用語も紹介したのだと思う。また、アリソフの体系を紹介したときに、東西方向が一様でないことを軽視していることを欠点として述べていたとも記憶している。だから、「一貫しない」という印象は表面的にすぎないだろう。

わたしは、地図上の気圧分布が「細胞」的であっても、東西平均した気圧が高いならば「高圧帯」と言ってもよいと思う。北半球の夏の陸上に低圧部(モンスーントラフ)が出現するところでは、高圧帯がとぎれるというべきかもしれない。

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南北太平洋それぞれの亜熱帯高気圧は、東太平洋に気圧の極大がある。おそらく、海洋(表層)の大循環の亜熱帯循環(subtropical gyre)で、海流が海の西側で高緯度へ向かう[北太平洋では黒潮]、東側で低緯度へ向かう[北太平洋ではカリフォルニア海流]ので、東側のほうが寒冷になっていることとの関連で説明できると思うが、わたしはまだ理屈を追いかけていない。

文献

2018-05-11

(勧めたくない用語) 「薄い大気」

【この記事は まだ 書きかえることがあります。 どこをいつ書きかえたか、必ずしも示しません。】

わたしは、地球科学の授業で、大気と海洋を扱う最初の回に、「地球の半径にくらべれば、大気と海洋は薄い層です。」と言う習慣ができていた。それ自体の意味はまぎれないと思うのだが、あるとき、その続きで「薄い大気」という表現を使って、それは、わたしの意図とちがう意味に受け取られる可能性が高いことに気づいた。

わたしが使おうとした「薄い」は、「厚い - 薄い」の「薄い」であり、層状の物体の、層を横断する方向の長さ寸法が小さいことをさしている。英語ならば、thick - thin の thin だ。

(なお、「光学的に厚い - 薄い」という表現も使う。これは、物理量としての次元は長さではなく、無次元になるが、長さ寸法をさす意味から比喩的に派生したものだろう。)

ところが、「薄い」には、「濃い - 薄い」の「薄い」もある。英語ならばこれも、thick - thin の thin なのだが。こちらは、濃度(溶液の質量に対する溶質の質量の割合)が小さい、というのがもともとの意味だろう。気体の場合には、密度(体積あたりの質量)あるいは粒子数密度(体積あたりの粒子数)が小さい、という意味になることもある。

「薄い大気」はあいまいだが、「薄い空気」ならばあきらかに、「密度が低い」という意味にとられるだろう。

(「空気」と「大気」のさす対象は同じ物質なのだが、「空気」が物質であるのに対して、「大気」は、空間のある領域をその物質がしめることで成り立つ物体をさしている。)

地球の質量の大部分をしめる固体地球にくらべれば、大気は実際に密度が小さいけれども、それはわたしが言いたかったことではない。

わたしは、大気について「薄い」という形容詞を使うのをあきらめることにした。大気の層については、「深い - 浅い」(英語ならば deep - shallow )で代用することにした。密度が小さいほうは、「希薄な」と言うことにした。

- 補足 (2018-05-12) -

ある人から、大気の層の鉛直長さ寸法について、「高い」でよいのではないか、という示唆をいただいた。しばらく考えたのだが、わたしは、これではこの意味はつたわりにくいと思う。

気象の話題では、「高い - 低い」「高さ」「高度」は、点(寸法が無限小の対象)の鉛直座標値につかう。有限の長さ寸法をさすことはあまりない。

気象学用語に scale height というものはあり、この場合の height は、たしかに鉛直方向の長さ寸法だ。ただし日本語では、かたかなで「スケールハイト」だ。「.... 高さ」「... 高度」のような語はたくさんあるのだが、いずれも鉛直座標値で、scale heightはそれにはあてはまらないのだ。

「背が高い、背が低い」ならば、長さ寸法をさすこともありうる。しかしこれも、対象物の上の端(雲ならば雲頂)の位置座標をさすこともありうる。わたしは、どちらをさすととられてもかまわないときは使うことがある。学術文献ではあまり見ない。しかし、わたしが少年のころ読んだ、気象学者による入門書に、「背の高い高気圧、背の低い高気圧」が出てきたと記憶している。背の高い高気圧は対流圏の上部でも下部でも高気圧、背の低い高気圧は対流圏の下部でだけ高気圧なのだ。そこには登場しなかったが、対流圏上部だけの高気圧があったとしたら、それには「背の高い」「背の低い」のいずれも不適切であり、別の表現をしないといけない。

海や湖の場合は、「深い - 浅い」「深さ」「深度」も、点の鉛直座標値をさすことがありうる。鉛直長さ寸法をさすことと、どちらかに使いみちを限定してしまうことはむずかしく、文脈ごとに解釈しわける必要がありそうだ。

2017-10-31

モンスーン、monsoon、季節風 (2)

【この記事は まだ 書きかえることがあります。 どこをいつ書きかえたか、必ずしも示しません。】

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モンスーン、monsoon、季節風」について、[2014-07-07の記事 (ここでは「第1部」と呼ぶ)]を書いた。

それ以後に思いあたったいくつかの話題をそれぞれ書き出しておく。今回の記事全体としてのまとまりはない。第1部への補足として見ていただきたい。

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わたしのモンスーンに関する総論としては、2004年に「モンスーンとはなにか --グローバルにみたモンスーン、大気・海・陸間のエネルギー循環--」という講演をしたときのプレゼンテーション資料をウェブページの形で置いてある。また、大学での気候システム論の授業の教材ページ[モンスーン(季節風)]がある。ただし、いずれも、キーワードの箇条書きと図だけで、文章になっていない。文章にしておくべきだと、いま、あらためて思っているが、すぐにはできそうもない。ひとまずこの形で紹介しておく。

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南アジア(インド亜大陸)から東南アジア北半球側の陸上のうち、面積でみて大部分の地域では、詳しい月日は地域によってずれるが、だいたい6月から9月が「夏のモンスーン」・「南西モンスーン」の時期であり雨季でもある。地上気温は雨季にはいる前の乾季の終わりごろのほうが高いから、「夏」という用語は注意して使う必要がある。そういう地域の全部ではないが多くのところで、乾季から雨季へのうつりかわりは急激で、モンスーンのonset (「入り」)として注目されている。

しかし、南アジア・東南アジアでも、陸地の東海岸地方(海岸から内陸に向かって200 kmぐらいまで)には、11月から2月ごろの「冬のモンスーン」・「北東モンスーン」による雨のほうが多いところが分布する。フィリピン東岸、ベトナム北部・中部、タイ南部とマレーシアのマレー半島東岸、ボルネオ島北岸、スリランカの東岸などだ。このような地域では「夏のモンスーン」の時期は、乾燥するわけではないが、相対的に乾季といえる。

このような地域の分布について、2010年に、海洋研究開発機構 地球観測データ統合・解析プロダクトウェブサイト「FIntAn」のうち「アジア域の格子点降水量データ」のページがつくられる際に材料を提供したが、このサイトは残っていない。[リンク先]は2013年にInternet Archiveに保存されたコピーである。その図1、図2の画像が小さすぎて不鮮明なので、大きな画像を用意した。

図に示されているもののもう少し詳しい説明はリンク先の記事を見ていただきたい。「冬のモンスーン」で雨が多いところは、「図2」で北緯20度から南で青または緑になっているところである。リンク先の「図3」で月降水量の季節変化のグラフを示したうちの「ベトナム フエ付近」はそのような地点の一例である。[2017-11-13 図を補足、2017-11-14 本文改訂]

次に文献として示す[講演予稿]の図では、11月(November)の降水量の多いところが、「冬のモンスーン」の降水量が多いところである。

文献

  • 増田 耕一, 松本 淳, 安形 康, Ailikun B., 安成 哲三, 2004: 東南アジア大陸部の気候的降水量分布。 日本気象学会2004年秋季大会講演予稿集, p. 100 (発表番号A359) [著者によるHTML版]

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(モンスーンを専門とする気象・気候研究者の用語の事例)

南アジアの「夏のモンスーン」が雨季である地域のうちでも、インドの西海岸、デカン高原、ガンジス川中流域 (仮に「インド西・中部」とまとめておく)は、モンスーンの入り・明けの時期や季節内変動の位相が多少ちがうものの、年々変動では同調していることが多い。インド全体の降水量をまとめてその長期平均からの偏差を見れば、インド西・中部の特徴が見える。それに加えておそらく、イギリス領インドやインド共和国の政治の中心がガンジス川中流域のデリーにあることが続いたせいもあると思うが、「インドモンスーン」あるいは「アジアモンスーン」が、インド西・中部の雨の特徴で代表されてしまうことが多くなってしまっている。

しかし、降水量の極値の記録で知られるチェラプンジを含むメガラヤ州やアッサム・西ベンガルなどのインド北東部およびバングラデシュ(「インド亜大陸北東部」とまとめておく)は、やはり夏のモンスーン季がおもな雨季ではあるのだが、年々変動や季節内変動ではインド西・中部とは強弱が逆になることも多い。インドモンスーンの変動は、インド西・中部の雨の変動で代表されるものだけではないのだ。

今回の気象学会大会での研究発表を見て、このことをあらためて認識した。ただし、年々変動、30日から60日の周期帯の変動、10日から20日の周期帯の変動がからんでいて、ややこしい。研究論文を読んでから、あらためて紹介したい。

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(モンスーンを専門としない気象・気候研究者の用語の事例)

気象学会の別の研究発表で、「モンスーン」ということばを聞いた。それは、東アジアの広域大気汚染、とくに中国から大気汚染物質がいつどれだけ出てきているかに関する研究だった。その変動がモンスーンの変動と相関があるという話があった。その件はその研究結果の主要部分ではなかったようで、くわしい説明はなかった。図に「DJF」という字があった(と見えた)。これは12・1・2月にちがいないので、ここでいう「モンスーン」は冬の季節風の北風のことなのだろう。そして、日本語で話してはいたが見せていた資料が英語だったので、monsoon をそのまま「モンスーン」と言ってしまったので、はじめから日本語で考えていたら「季節風」と言ったかもしれないと思う。ただし講演者にたしかめてはいない。

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(気象・気候研究者でない人の用語の事例)

「モンスーン」や「季節風」ということばが、一般の世の中でどういうふうに使われているかも、知っておくべきだと思っているが、まだ意識して調べたことがない。

ただ、第1部を書いてまもなく(2014年)、たまたま「モンスーン」ということばを見かけて、それを書いた人がどういう意味で使っていたのかを追いかけてみたことが一度あった。

それは、持田 叙子[のぶこ]さんの文学評論の話題だった。わたしは文学評論を読むことはめったにないのだが、持田(2012)の本の最初の章「科学と神秘 -- モンスーンの国の書き手」(だけ)を読んだ。

持田さんは、泉 鏡花という作家を「アジアモンスーンに立地する郷土文学」だと言っている。そして、モンスーン地帯の代表的景観として「両棲類のすむ湿地帯の森」をあげている。ただしこの「両棲類」は、生物学でいう両生類(両棲類)であるカエルなどだけでなく、蛇、カニ、クモ、ヒル...を含むものだそうだ。南方熊楠の世界と共通するとも述べている。

そのような記述からわたしなりに解釈してみると、持田さんにとっての「モンスーン」は温暖湿潤な風土であり、季節によって乾湿が変わることでも、季節によってちがう風がふくことでもないようだ。

なお、持田さんは、鏡花との比較対象として、永井荷風にもふれている。荷風も日本の多雨と湿気に注目した。しかし荷風は都会を描き(その樹木も描いたが)、森(原生林)を描かなかった、ということだ。

気温・降水量などでみた気候はあまり変わらなくても、人間によって土地利用が変わると、持田さんのいう「モンスーン」の景観からは離れてしまうのかもしれない。(他の論者のうちには、水田こそモンスーンの代表的景観だとする人もいるが、わたしが読んだ範囲では、持田さんが水田をモンスーン的なものと見ているか、モンスーン的なものを破壊するものと見ているかは、わからなかった。)

文献

2017-08-15

(勧めたくない用語) 層厚(thickness)、文字表現はあるが音声表現があやしい語

【まだ書きかえます。どこをいつ書きかえたかを必ずしも明示しません。】

文字表現はあるが音声表現があやしい語について[ひとつ前の記事]で述べた。そういうものは、気象の専門用語にもいくつもあると思うが、まずひとつ思いあたった例について述べる。

気象学会の研究発表を聞いていたら「そうあつ」ということばが出てきた。気圧に関連のある話だったから「-あつ」は「-圧」だと思ったのだが、「そう」が何かわからなかった。スクリーンに図などを示しながらのプレゼンテーションだったので、どんな数量を論じているのかはわかった。2つの等圧面の高度の差、つまり、等圧面にはさまれた層の厚さなのだ。それを「層厚」と書くことがある。

「層厚」を漢字熟語としてすなおに読めば「そうこう」だろう。しかし「そうこう」と聞いたら、意味がわからないか、「走向」と思ってしまうだろう。「走向」は気象学では(地質学の場合とはちがって)専門用語としての意味は与えられていないが、気象の話題でも何かの線状構造がのびている方向をさして使われることのある語だ。

この「層厚」も、ひとつ前の記事で述べた「今夕」と同じように、まず文字表現があって、音声表現があとで考えられたが必ずしも定まっていない語なのだろう。

英語では thickness という。自分の経験をふりかえってみると、大学院のセミナーや学術的内容の日常会話では、日本語で話していても、英語の thickness をそのまま使っていた。

ただし文字にすると「シックネス」でも「スィックネス」でも意味がうかびにくいし sickness だと思ってしまうかもしれない。日本語の書きことばで、英語の単語をまじえることを許されない編集態度の媒体にのせるときには、日本語らしいと感じられる文字表現がほしくなる。

英語の thickness も、文脈によって「等圧面ではさまれた層の」という意味が補われているのだから、日本語でも同様に「厚さ」か「厚み」にそのような意味をもたせてしまえばよかったのかもしれない。しかし「厚さ」には、そう書かれたものを読んで音声にしたとき「暑さ・熱さ」とまぎらわしいという難点がある。「-み」のほうは定量的な数量と結びつきにくいという難点がある。

わたし自身は、thickness を使うことは少なく、使うとしたら数値データ処理の中間段階の説明に出てくるだけなので、長めの「等圧面ではさまれた層の厚さ」または「...hPa面と...hPa面の高度の差」という表現をしようと思っている。

どうしてもこの概念を短いことばで表現したい人に、どういう表現を勧めたらよいかは、よくわからない。