固窮庵日乗

2015-03-24

第1回日本漢文学総合討論の覚え書き その1

パネルディスカッション2「祖述の様相――近世詩文の内なる唐土――」の各発表についての疑問点や感想など記しておく。


◆「唐風への同化と独自性の模索――荻生徂徠「螢」詩を例にとって」福島理子

  • 徂徠はあくまでも唐人を祖述しているのであって明人ではないということが、徂徠・唐の杜甫・明の何景明の螢詠を対比することではっきり浮かび上がっていた(パワーポイントの説明も効果的だった。まねしたい)。
  • 明珠という詩語について。自身を指していうということだったが(聞き間違えかもしれない)、徂徠・何景明ともに自身を指すのは螢だと思う。
  • 徂徠は美しさを詠んでいるだけで、杜甫の景状一致の手法を継承できていないという仮説について、継承しているつもりだけれど単にヘタである可能性があると思った。
  • 日本では夏の景物である螢を古文辞学派が中国に合わせて秋の景物として詠んでいるが、葛藤はないのか疑問だった。唐詩の世界の中で詠んでいる、実物の螢を描写しようという意識はないという答に納得。
  • 今後の展開として、漢詩の日本化の典型的な例とのこと。時間がなく発言できなかったが、茶山の螢詠について北条霞亭は「細かに涼況を写す、前に古人無し、唯だ近人涼岱涼草を建つ、或いは擬す可し」と緻密な描写をたたえている。涼岱は建部綾足の俳号。俳諧と同じ境地で享受されていることを示唆する評だと思う。このことは朱秋而の論文や注釈書にはないので指摘しておく。

◆「中唐・晩唐について」鷲原知良

  • 「記し得たり酒家楊柳の句」の「記」は「しる・し」ととっていたが(聞き間違えかもしれない)、記憶の記で「き・し」と読むのではないか。柳湾に自分の作品を褒めてもらったことを覚えているという意味では?
  • 王朝の滅亡を「末期の兆しを含んだ秋ではなく」春の愁いとして詠むことが枕山の晩唐詩受容の傾向ということだったが、王朝の滅亡の季節が春というのは詩経以来の伝統で(王風「黍離」や、史記の「麦秋の嘆」)。亡国の嘆きは麦秋(=春)がふつうだと思う。
  • 枕山の春懐詩について、冒頭の「化政極盛日」の「化政」は元号ということだが、元号を詩に詠むのはよくあることなのか。また、嘉永7年の詩に亡国を読み取ることは可能か。後世から振り返って言えることではないか。
  • 春愁という語に女性的な印象はないか(「女感陽気春思男 男感陰気秋思」)。

◆「日朝漢詩交流の場における古文辞派の存在――申維翰の日本漢詩批評を例に――」康盛国

  • 李夢陽・李攀龍を知っていることで申維翰が梅所を見直すというのがおもしろい。日本の詩人をどのレベルだと認識していたのかはっきりわかる資料があればと思った。
  • 中国と地続きの朝鮮と日本とで、古文辞の伝播の時差のようなものが具体的に明らかになればと思った。
  • これは康さんの今回の発表だけについてではないが、朝鮮の漢文を引用する場合、日本語で訓読すべきか、白文と現代語訳にすべきかとずっと考えている。日本語で訓読する場合は固有名詞も日本漢字音になるだろう。同じ文章の中に日本の漢文も引用するときは、両方が訓読で揃っている方が便利だが……。

◆浅見先生のコメント

  • 唐宋詩之争についてのお話が興味深かった。日本への影響について述べたものがあるだろうか。★要確認
  • 先生の「近世の日本の詩人詩人として名を残したいという気持ちがあったのか」というご質問については、柏木如亭のように「詩魔」に取り憑かれていると言って家業も抛って詩に生きるようなタイプは変わり者で、ふつうはそこまではない(だからこそその純粋さに今でも熱狂的なファンがいる)、蘐園派が衰えた理由の1つに唐詩選の詩人になりきって素行が悪くなる者がいて顰蹙を買ったことなどお話したが、一言で答えられるようなものではなく、各詩人によるとしか言えない。詩壇全体で言えば、家業第一、詩は1首いいものを残せたら…くらいの意識ではないかと思う。

その2 第1回日本漢文学総合討論の覚え書き その2  - 固窮庵日乗

その3 第1回日本漢文学総合討論の覚え書き その3 - 固窮庵日乗

その他 第1回日本漢文学総合討論の覚え書き その他 - 固窮庵日乗

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