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黒板五郎の徒然草

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1970-04-01

【生活】高校時代(福岡県立城南高等学校)(1970年4月〜1973年3月)

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生活】高校時代(福岡県立城南高等学校)(1970年4月〜1973年3月)

2015年03月09日(月) くもり

 私が通った高校は、福岡市の西部(現在の城南区)にある福岡県立城南高等学校である。自宅から徒歩10分である。

 当時はまだ創立してから10年も経たない新しい高校であり、我々の代は7期生であった。同じ高校校区には、福岡県内では学力が一番高いレベルと言われていた修猷館(しゅうゆうかん)高等学校があり、城南高は誕生した時から『修猷に追いつけ追い越せ』を合い言葉に、教諭陣が頑張って猛烈なスパルタ教育を展開していた。毎朝、始業前の8:00から必修の課外授業が1時間あり、中身は正規の授業そのものであった。夏休みには7月下旬に課外授業があり、これが3年になると前期課外(7月下旬)、中期課外(8月上旬)、後期課外(8月中旬〜下旬)とほぼ夏休み中の全期間にわたって課外授業があり、お休みは旧盆の前後5日程度と夏休み最後の数日だけであったと記憶している。更に3年の2学期からは放課後に2時間の課外授業が追加された。とにかく福岡市内では有名なモウレツ進学高であった。

 しかしながら、城南高は勉学の面だけではなく、スポーツも結構盛んであった。ちょうど私が入学する1970の春に、今ではお馴染みになっている「春の高校バレー」がフジテレビ後援で始まったが、その第1回大会に我が城南高(男子)が福岡県代表として出場した。2年先輩の5期生中心のチームである。記憶が定かでは無いが、確か予選リーグを突破し、決勝トーナメントでその年の優勝校となった中央大学附属高校(東京代表)に負けたと思う。ラグビーも強く、坊主頭の三野先生(体育教諭)と言う方が指導力を発揮して強いチーム作りをしていた。体育の授業ではラグビーがあったが、ウェイトでは勝てない相手に小さい身体で対抗するためのスクラムの組み方とボールの出し方など、この三野先生に教えて戴いて楽しくラグビーを経験することが出来た。その他にも名物先生が結構いて、授業の最初に必ず「英語活用文例集」なる冊子を用いて毎日10題ほど例文を暗唱させる繁田先生、古文の時間になるとしょっちゅう脱線して易学の話になる高木先生等々、色々と面白い先生がいた。この高木先生から、ある時、授業中に唐突に指されて「摩須、般若心経を言うてみろ。」と言われたことがある。実は、私は中学の時に祖父の死後7週にわたって毎週、お念仏を唱えに行った時に般若心経を耳で覚えてしまったので、般若心経は暗唱できたのであるが、咄嗟に言われたもので口を開くことは出来なかった。あの時にもし般若心経を唱えていたら、どういう授業になったのだろうかと想像すると、やれば良かったなあと実はちょっと後悔したりしている今日この頃である。ナンチャッテ。

 部活については、私はと言えば相変わらず飽きっぽくて長続きがせず、1年の時に入部したバスケットボール部を1学期で退部してしまった。2年になってからは、福岡市内の合唱コンクールに出場する音楽部が臨時部員を募集しているのに誘われて音楽部に入部。数人しかいなかったテナーのパートの一人としてコンクールに出場した。天神渡辺通りにあった九電・電気ホールでの本番の時には最前列で歌ったが、会場の座席に見えるのは女子高生ばかりであったのを覚えている。

 恋愛については、人並みに胸キュンしていたと思うが、何せ晩生(おくて)だったのでもう片想いの歴史である。この高校には、小1(高取小)の時の学芸会でヒロインを演じた人がいて、それが私の初恋の人だったのであるが、当時は同一人物だとは全く分からず、3年で同じクラスになった時にも分からず、大学に入ってから偶然分かったのである。大学に入ってから高校の仲間7〜8人が集まって音楽サークルを始め、「翼をください」、「竹田の子守歌」など赤い鳥の歌をコピーしたりして楽しんでいたのだが、そのメンバで夏休みにキャンプをした時に、同じ小学校だったと言う事でその人と小学校時代の話になって、実は学芸会のヒロインが初恋の人だと私が話したら、「それ私!」となって初めて同一人物だったと分かった次第である。縁は異なモノと言うが、本当に不思議な縁である。その人とは今でも年に1回程度は東京で開く同窓会で会っている。ちなみに胸キュンの方はと言えば、1年・男子クラスの時は隣のクラスの人に片想い。会話したこともなければ名前も2年になるまで知らなかった人である。この方は、現在は東京に住んでおり、ライフクリエーター(FBはコチラ)として活動しテレビにも出演して活躍されているそうである。2年になると、やっぱり隣のクラスの人に片想い。この方とも全く話はしたことがなかったが、バレンタインデーにチョコを貰って大感激したのを覚えている。3年になるといよいよ受験モードに入ったが、胸キュンの方は抑えがたく、夏休みに同じクラスの人に片想いである。一目惚れの片想いである。同じクラスで夏休みに一目惚れと言うのもおかしな話であるが、本当である。夏休みの課外授業の時に、冷房などない蒸し暑い教室に窓から涼しい風が入って来て、ふと窓の方を見た時に風に髪をなびかせた女性の姿が目に飛び込んで来たのである。その時に一目惚れしてしまったのである。この方とも高校時代には会話することも出来なかったが、大学に入ってから一緒に音楽サークルを始めたので、そこからはグループ交際が始まった。現在は千葉県にお住まいであり、東京の同窓会では会っている。

 青春時代と言えば、やはり高校時代。一番楽しい時期だったし、気の置けない親友が出来たのも高校時代である。同窓会も一番多いのは何と言っても高校の同窓会である。写真は実家に帰ればもう少しあると思うのだが、自宅にあるのは以下のとおりであり、ほんの僅かである。

クラス種別1種別2期間担任
1年7組男子クラス芸術科目:書道1970年4月〜1971年3月白垣正康先生
2年7組男女クラス芸術科目:書道1971年4月〜1972年3月繁田治男先生
3年6組男女クラス国立理系コース1972年4月〜1973年3月田中清次先生

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1 高校1年のクラス写真。私は最上段の一番左。

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2 高校2年のクラス写真。私は、最上段の左から2番目。

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3 高校3年のクラス写真。私は上から2列目の右から5番目。

スナップ

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4 中学校の同窓会で油山へ。(高1) 

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5 期末試験の後に開催された恒例のクラスマッチ(クラス対抗球技大会)。写真は、多分、高1の時の写真。結構ジャンプしてますネェ、まだ太ってなかったから。 

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6 高2の時に東京に転校して行った同級生。明るい娘でクラスでの人気者だったが、福岡を発つ時には沢山のクラスメイトが福岡空港まで見送りに行った。 

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7 高3のクラスメイト。多分、卒業式(1973年3月1日)の日の写真? 

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