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黒板五郎の徒然草

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2017-01-16

【歴史】明治天皇は、やはり大室寅之祐だった。北朝から南朝に戻った。

23:53

【歴史】明治天皇は、やはり大室寅之祐だった。北朝から南朝に戻った。

2017年01月16日(月) 晴れ

いやあ凄い! ゾクゾクしている。風邪を引いた訳ではない。歴史の真実を垣間見た感動と言ったら言い過ぎかもしれないが。(笑)

以前から、長州藩(現山口県熊毛郡田布施町)に住んでいた大室寅之祐と言う大男が、江戸時代最後の天皇であった孝明天皇の息子であり、本来なら明治天皇になる筈であった睦仁親王とすり替えられて明治天皇になったという説は、ネットで読んで知ってはいたが、やはり、この話は本当だったと確信が持てた。大室寅之祐については、南朝の末裔であるという説も一緒にネットでは流れていたが、一方では、田布施町という町は、元々は朝鮮半島から渡って来た人達が住んでいる集落なので、大室寅之祐朝鮮の血を引く人間だと言う説もネットで読んだ様な気がする。今回、それが、どちらも間違ってはいないと言う事が感じられた。

何があったのかと言うと、現在、中丸薫さんの著書「天皇生前退位と神国・日本の秘密」を読んでいる最中なのだが、その中に大室寅之祐という人物の話が出て来るのである。これはもう間違いないと思った。何故そう確信したかと言うと、その大室寅之祐、即ち、明治天皇の実のお孫さんが言ってるからである。つまり、明治天皇側室である千種任子(ちくさことこ)と言う女性の間に生まれた息子・堀川辰吉郎さんの娘である中丸薫さんご本人が自分のお祖父さん(明治天皇大室寅之祐)の事を言われているからである。中丸さんのこの本には、大室寅之祐孝明天皇の息子と入れ替わって明治天皇になられた経緯も詳しく書かれている。一部を列記すると以下のとおりである。

中丸薫さんは、天皇家の系図を所持している。(この書籍にも写真が掲載されているので、時間があれば、虫眼鏡で拡大しながら転記でもしてみたい。)

鎌倉時代に、後醍醐天皇幕府から統治権力を奪って建武の新政を敷いたが、結局は幕府勢力に破れて吉野の山に落ち、南朝を興した。

●以降、京都に残った天皇北朝)との対立が続く北朝時代に入るが、その後、北朝側では足利義満が、自分の娘を皇室に嫁がせたり、さらには自分が北朝の女性との間に子を作り天皇にしてしまったため、その時点で、神武天皇以来続いて来た男系の皇統が途切れてしまった

幕末になり、長州藩にいた後北条家の末裔の志士や吉田松陰が、やはり天皇家は本来の神武天皇の系統に戻すべきだと藩に進言し、長州藩により、天皇家南朝への回帰作戦が開始された。

大室寅之祐は、南朝後醍醐天皇)の末裔であるが、大室家は毛利家に保護されて長州に住み着いていた。伊藤博文岩倉具視らが、大室寅之祐帝王学を徹底的に教え込み、最終的に孝明天皇の息子とすり替えて大室寅之祐明治天皇として担ぎ上げた。

孝明天皇と息子である睦仁親王のその後については、暗殺説と隠居説があるらしい。ちなみに、孝明天皇は妹の皇女和宮徳川幕府将軍に嫁がせて公武合体を進めて徳川幕府の将来を描いたり、過激攘夷派(外敵撃つべし)だったりしたので、明治維新を打ち立てることになる薩長とは対立が続いていたと言う側面もあったらしい。

後醍醐天皇の墓は吉野にあるが、墓のあるお寺には後醍醐天皇を支えた十五の家柄が書かれた立て札がある。その家柄の一つ、菊地家は西郷隆盛の同族だった。薩長同盟が実現した背景には、この南朝回帰作戦も関係しているらしい。つまり、南朝回帰の話が無かったら明治維新も無かったかも知れない。

大阪中丸薫さんの講演をした時に、ある人が中丸さんを訪ねてきて、フルベッキ明治維新の志士たちが写った写真(フルベッキのお孫さんが持っていた写真)をくれたらしい。その写真には大室寅之祐中丸薫さんのお祖父さん)も写っている。この写真を中丸薫さんがある人に貸したら、知らない間に世間に広まったらしい。

中丸薫さんが大室寅之祐の弟のお孫さんに会いに行ったら、すぐに血の繋がりを感じたのか涙の対面になった。その場所(多分、田布施町)は被差別部落になっているが、明治天皇になる大室寅之祐がその地から出た事を隠蔽するための工作として被差別部落にしてしまったのだろうと中丸さんは言っている。

●子供がいなかった高松宮昭和天皇の弟)家から、大室家の血を引く男子に養子に来て欲しいという打診があったが、明治政府からのそれまでの仕打ち(隠蔽工作のための土地没収など)の経験などからお断りしたらしい。

●最後に一つだけ、中丸薫さんによると、日本人のルーツは、縄文時代からの先住民族、外から渡って来た人々、それからユダヤの失われた十支族、宇宙人などがいるが、秦氏物部氏蘇我氏などはユダヤ系の人らしい。そのユダヤの人達が日本に辿り着いたルートには2通りがあり、海から舟で渡って来たルート、ユーラシア大陸を歩いて辿り着いたルートがあるらしい。従って、中には朝鮮半島から渡って来た人もいるらしい。今上天皇が以前、記者会見の場で、天皇家祖先朝鮮半島とも繋がっているという様な発言をされた事があるが、もしかしたら、この事かもしれない。

@ 2017/12/11 16:18 >田布施町という町は、元々は朝鮮半島から渡って来た人達が住んでいる集落

はあ?そんな事実はありません。証拠のないものを信じる人は愚かです。
田布施町の広さをご存知ですか?他の町村と同様に、田布施町にも被差別部落はありましたが、町のごく一部です。
田布施町の大半の町民は平民で武家もありました。

黒板五郎黒板五郎 2017/12/11 17:56 @さん、コメント有り難うございました。
約1年前の書き込みへのコメントですね。その当時の私の知見レベルで書いた内容なので、今にして思えば確かに間違いもありますね。
最近は、落合莞爾さんからの情報を得て、色いろと情報が広がりました。山口県と朝鮮半島からの渡来人の関係についての新しい情報として、南北朝時代の頃に、周防は朝鮮からの帰化人の基地的な地域になっていたそうです。そこで、後醍醐天皇の皇子である護良(もりなが)親王の第一皇子であった興良(おきなが、おきよし)親王が、周防の監視のために現地に派遣されたそうです。そして、明治天皇となられた大室寅之祐は興良親王の子孫なんだそうです。つまり、明治天皇(大室寅之祐)は、間違い無く護良(もりなが)親王の直系男子なので、天皇を即位する正統な血筋なんだそうです。本来、孝明天皇の後継として天皇を即位する筈だった睦仁親王(孝明天皇の皇太子)は、裏天皇(落合莞爾さんの言葉では國體天皇)を即位して堀川天皇となられています。そして堀川天皇(睦仁親王)の皇太子が堀川辰吉郎さんと言う方で、父親から國體天皇を引継ぎました。この堀川辰吉郎さんが、記事に書いた中丸薫さんの父親です。
被差別部落の話は上の記事に書いたとおりの事が中丸薫さんの書籍に書かれていましたので、そのとおり、当時の皇室筋が余計な詮索をさせない(近寄らせない)ために噂を流したんだろうと思います。

黒板五郎黒板五郎 2017/12/11 17:56 @さん、コメント有り難うございました。
約1年前の書き込みへのコメントですね。その当時の私の知見レベルで書いた内容なので、今にして思えば確かに間違いもありますね。
最近は、落合莞爾さんからの情報を得て、色いろと情報が広がりました。山口県と朝鮮半島からの渡来人の関係についての新しい情報として、南北朝時代の頃に、周防は朝鮮からの帰化人の基地的な地域になっていたそうです。そこで、後醍醐天皇の皇子である護良(もりなが)親王の第一皇子であった興良(おきなが、おきよし)親王が、周防の監視のために現地に派遣されたそうです。そして、明治天皇となられた大室寅之祐は興良親王の子孫なんだそうです。つまり、明治天皇(大室寅之祐)は、間違い無く護良(もりなが)親王の直系男子なので、天皇を即位する正統な血筋なんだそうです。本来、孝明天皇の後継として天皇を即位する筈だった睦仁親王(孝明天皇の皇太子)は、裏天皇(落合莞爾さんの言葉では國體天皇)を即位して堀川天皇となられています。そして堀川天皇(睦仁親王)の皇太子が堀川辰吉郎さんと言う方で、父親から國體天皇を引継ぎました。この堀川辰吉郎さんが、記事に書いた中丸薫さんの父親です。
被差別部落の話は上の記事に書いたとおりの事が中丸薫さんの書籍に書かれていましたので、そのとおり、当時の皇室筋が余計な詮索をさせない(近寄らせない)ために噂を流したんだろうと思います。

きんきん 2018/06/15 08:15 好きですねえ
過ぎたことを アレコレ詮索しても 妄想の類でしょうね

きんきん 2018/06/15 08:15 好きですねえ
過ぎたことを アレコレ詮索しても 妄想の類でしょうね

masuraoomasuraoo 2018/06/15 09:15 きんさん、コメント有り難うございました。

まあ、興味の対象は人それぞれですから、歴史についてもそうでしょうねえ。

私は、歴史(日本史)は好きな方ですし、ある特定勢力の意図により、戦後の教育がねじ曲げられ、
間違った歴史(捏造された歴史)を疑いもせずに学校で習ってきた事が分かった訳なので、
私としては、真実の歴史を知りたいという思いが強いです。

落合莞爾先生との出会いは、私にとっては運命的な出会いだったのかも知れません。

因みに、1年半前に書いた上の記事には、中丸薫さんは明治天皇(大室寅之祐)の孫だと書きましたが、これは間違いだと分かりました。
中丸薫さんご自身が自書で「自分は明治天皇の孫」だと書かれているのは、何かの事情で真実を書かれなかったのか、中丸薫さん自身が
本当に真実を知らないのかのどちらかでしょう。そこはご本人に聞かないと分かりません。
中丸薫さんが、堀川辰吉郎さんの娘である事は間違いないですが、堀川辰吉郎さんは明治天皇(大室寅之祐)の息子ではありません。
睦仁親王の息子さんです。だから、真実は、中丸薫さんは、睦仁親王(堀川天皇)の孫であり、孝明天皇の曾孫です。

ご主人(俳優の中丸忠雄さん)がご存命の際に、中丸薫さんご夫妻は、和歌山の落合莞爾先生宅にお泊まりになった事もあるそうです。
落合莞爾先生と中丸薫さんは、共に護良(もりなが)親王(後醍醐天皇の皇子)の直系子孫ですから、遠い親戚と言う事ですね。

名前名前 2018/09/02 10:32 中丸薫の母・中島成子の夫は中国人の韓景堂。
中丸はクレオパトラや推古天皇の生まれ変わりと称している。

このことから中丸の父親は堀川辰吉郎ではない可能性が高い。
中丸は詐欺師の可能性が高い。

masuraoomasuraoo 2018/09/02 13:50 名前さん、コメント有難うございました。

中丸薫さんがクレオパトラ、推古天皇の生まれ変わりと言われたのかどうかは私は知りません。ただ、仮に中丸薫さんがそう言われたとして、その事と「堀川辰吉郎さんが父親でない可能性が高い」という話の間の因果関係が、私には理解できません。また、同様に、その事と「中丸薫さんが詐欺師の可能性が高い」という話の間の因果関係も私には理解できません。
輪廻転生の話は、良く知りませんが、存在する事は確かだと私は信じています。中丸薫さんがクレオパトラ、推古天皇の生まれ変わりだったかどうかは、もちろん、知るすべもありませんが。

中丸薫さんは小さいころに紫禁城(支那)の中に住んでいたと書籍の中で書かれていますが、堀川辰吉郎さんも一時期に紫禁城の中に住んでいたのは事実なので、まず、親子関係は間違いないと思います。お父さんとのツーショットの写真も残ってますし。

こうこう 2018/09/23 17:15 どういうわけか、南朝説を唱える人は毛利家が大室一族を保護していたと口を揃えて言いますが、
なぜ毛利家が南朝の自称子孫を保護しなければならないのかは誰も説明しない
毛利家の全盛期を築いた毛利元就は、北朝の正親町天皇の即位式を成功させた北朝の忠臣。それ以前もそれ以降も決して南朝の関係者ではない
なのに、なぜか南朝を匿った大名家のように扱われているから不思議です

こうこう 2018/09/23 17:24 さらに言うと、南朝の自称子孫は熊沢天皇を筆頭に日本各地にいるのに、他と同じく資料の存在しない大室一族だけが、なぜ他と違って本物扱いされているか不思議です
大室一族は本物で熊沢一族は偽物だとする根拠ってあるんですか?

masuraoomasuraoo 2018/09/23 20:31 こうさん、コメント有難うございました。

熊沢一族の話は、私は名前を聞いた事があるだけで、全く知らないので、本物/偽物の話も全く分かりません。
ただ、南朝/北朝という区分け自体がナンセンスであることは、落合莞爾先生のご著書、および、講義により良く理解しました。
だから、南朝だ、北朝だと言って騒いでいる方々自体を、滑稽に感じます。
そもそも、南朝/北朝と言う議論は、北条幕府が煽って両統迭立をさせて、共に力が弱った両統をうまく支配しようとして作り出したものらしいですから、
余り意味がありません。
皇室側は、馬鹿じゃありませんから、そういう北条幕府の思惑を認識した上で、あたかも南朝/北朝が対立しているかの様な表向きのポーズを取りながら、
水面下では、南北一本化を図っていたのですから。
そもそも、後醍醐天皇(96代天皇、南朝)と後伏見天皇(93代天皇、北朝のベースとなっている天皇)は、共に、後宇多天皇(91代天皇)の子供であり、
二人は双子だったのですから、後伏見天皇の息子である光厳上皇(北朝)、光明天皇(北朝)も実は後宇多天皇(南朝のもと)の血統なんですよ。
崇光天皇(北朝)に至っては、後醍醐天皇(南朝)の皇子である護良親王の実子なんですから、バリバリの南朝血統なんです。その後に誕生する伏見宮家も南朝です。
閑院宮家も南朝なんです。そもそも、北朝なんて、北条幕府を欺くための仮面みたいなもので、北朝血統の実体なんて無いんですよ。伏見天皇(92代)の血統は、
花園天皇(95代)で途絶えてますから、後の天皇は今上天皇に至るまで全て後宇多天皇(91代)の血統なんです。護良親王の血統と言ったほうがより正しいですけど。
だから、北朝説、南朝説なんて言って騒いでいる事自体が滑稽なんです。
これは、想像の話じゃなくて、皇室が言ってる事だそうです。
下のURLに、その当たりの話と、真の天皇家の系図を紹介しているので、参考になるかも知れません。
http://masuraoo.hatenablog.com/entry/20180730/1532937583

こうこう 2018/09/23 21:36 北条幕府というものが何なのかは知りませんが(鎌倉幕府?)、南北朝論争がナンセンスなのはその通りだと思います
知りたいのは、なぜ毛利家が大室一族を保護したことになっているかです
落合氏や鬼塚英昭氏の主張を訊いても「長州出身だから毛利家が絡んでいるだろう」ぐらいにしか聞こえません
毛利元春の代から北朝に仕えていた毛利家が、南朝の子孫を匿う理由がまったく分かりません
そもそも大室寅之祐なる人物が、南朝の子孫であることを、どうやって確認できたのかも不明です

まあ一番ハッキリしないのは、すり替えがあったとされる時期ですけど

masuraoomasuraoo 2018/09/23 23:25 こうさん、コメント有難うぐざいます。

「北条幕府」と書いたのは、鎌倉幕府において実質的に北条家が執権として取り仕切っていた時代の事を、そう表現してしまいました。
 
毛利家が何故、大室家を保護したのかは、勉強不足で私には答えられませんが、
西行法師(平安時代の北面の武士だった佐藤義清が出家した後の名前)が、日本国内を行脚して
佐藤甚平ネットワークと言うのを作った事は、落合莞爾先生から教えて戴きました。
「佐藤甚兵衛ネットワーク」という呼び方は、落合莞爾先生の命名だとは思いますが。
いわゆる、國體ワンワールドのネットワークですね。佐藤甚平と名乗る人たちが全国の各拠点に
根を張っているそうですが、周防国の田布施にも佐藤甚平ネットワークの拠点があったそうです。
佐藤家ですね。長男が佐藤信介さん(岸家に養子に入って岸信介さんとなり、総理大臣となってます。)、
次男が佐藤栄作さんですね。この方も総理大臣になってますね。

毛利家が大室家を保護したかどうかは、勉強不足で分かりませんが、周防の佐藤甚平ネットワークが
大室家を保護した事は、確か、落合莞爾先生から伺った気がします。
 
大室家は、護良親王(後醍醐天皇の皇子)の第一皇子である興良(おきなが、または、おきよし)親王が、護良親王の命により、
朝鮮半島からの帰化人の基地的位置付けになっていた周防国を監視するために、周防国に派遣されましたが、その末裔です。
周防国を治めていた大内氏は朝鮮半島からの渡来民だったので、大内氏を慕って朝鮮半島から渡来民が周防国に集まって来た
という歴史があるそうです。

大室寅之祐が護良親王の子孫である事は、代々の皇統で引き継がれて来ているそうです。皇統(皇室と同意だと思います。落合莞爾
先生は、「皇統」という言葉を使います)は、護良親王の直系男系の皇統図を現在に至るまで全て管理されています。と、落合莞爾先生が
京都皇統から教えられています。実は、落合莞爾先生はもとは井口莞爾という名前だそうですが、護良親王と井口家の娘の間に
出来たのが益仁親王、のちに光厳上皇の皇子として皇籍に入る時に興仁親王と改名し、北朝3代天皇となって崇光天皇になる方です。
そして、落合莞爾(井口莞爾)先生も護良親王の末裔である事が、皇統で管理している系図に記録されているんです。だから、
京都皇統が落合莞爾先生に白羽の矢を立てて、真実の歴史をここいらで世間に知らしめる役割を担わせたわけです。
何故、皇統が、護良親王の血統をずっと管理しているかと言うと、それは、1333年頃に後醍醐天皇、文観らが持明院統/大覚寺統の統合を決めた時
に、以降は護良親王の直系男系のみに天皇践祚の資格を限定すると決めたからです。そして、合一となった100代後小松天皇以降は、今上天皇に至るまで
このルールが堅持されています。だから、皇統は、護良親王の血統記録を厳重に管理・引き継ぎして行く必要がある訳です。

元々、長州藩は、朝鮮半島系の大内氏と毛利氏の連合藩なんだそうですが、毛利氏が、大内氏(朝鮮半島系)を抑える役目を
担っていたと言うような話も聞いた様な・・・。ちょっと記憶が定かではありませんが。

明治天皇が大室家の子孫に代わった件は、私がここで説明するよりも、落合莞爾先生の書籍を直接読まれたほうが良いと思います。
岩倉具視が、真実を隠すために二通りの陰謀論(伊藤博文が孝明天皇と睦仁親王を殺害したとか)をワザと流布したので、
その陰謀論に振り回されている方々が多いですが、睦仁親王と大室寅之祐の入れ替えは、実は、大室寅之祐が生まれる前から
皇統で計画された事なのです。
そして、孝明天皇も睦仁親王も、実は明治天皇が即位した時点で死んでいません。天皇即位の儀は、睦仁親王、大室寅之祐が二人とも
同じ日に皇居内で執り行われたそうです。大室寅之祐が政体天皇である明治天皇となり、睦仁親王が國體天皇を即位されました。
即位前の一時期は、二人とも京都堀川御所で一緒に過ごし、そこで大室寅之祐は帝王学を学んだそうです。
以降、政体天皇の明治天皇は江戸城に入られ、國體天皇の睦仁親王と父親の先代國體天皇だった公明天皇は、京都堀川にある
本圀寺(日蓮宗、水戸徳川家の菩提寺)の境内に秘密裏に造営された堀川御所に残りました。
ついでにもう一つ。中丸薫さんの父親である堀川辰吉郎は、睦仁親王の実子であり、睦仁親王から國體天皇を引き継ぎました。
第二次大戦当時は、堀川辰吉郎さんは世界國體天皇となっており、国連を創ったのも堀川辰吉郎さんだそうです。

政体天皇、國體天皇の二本立てに明確に分けた理由は、1814年のウィーン会議で欧州王室連合より、どうしても
日本皇室に王室連合に入って貰いたいと言う事が決定されたため、鎖国&幕藩体制の日本は早急に
開国&立憲君主制議会民主主義国家に変えて行く必要があったからです。

これ以上は、書いても書いてもキリがないので、是非とも、落合莞爾先生のご著書をお読み下さい。
目からウロコ間違いなしだと思いますよ。

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