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黒板五郎の徒然草

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2017-11-15

【ウバイド】天皇の系図

20:49

【ウバイド】天皇の系図

2017年11月15日(水) 晴れ

〜2017/11/23追記〜

【政体と國體

 意味
政体(せいたい)人類の本質は分業社会。この分業社会では、全体の秩序維持が必要であり、これを専門的にに行う統治という仕事が必要になる。この統治を行う族または階層が生まれることになるが、これを政体勢力(または単に政体)と言っている。政体は、社会統治の目的のために権力を持つ必要があるが、ともすると、これが物質欲と結びついて腐敗、堕落する危険性がある。
國體(こくたい)國體とは、各地の地域社会(国)が固有に持っている社会と国家のあるべき姿(形)のこと。國體を護るためには、腐敗、堕落の危険性がある政体に対して、社会の健全性を維持するための役割が必要になる。この役割を担う族または階層を國體勢力(または単に國體)と言っている。権力を握る政体からの攻撃を回避するためには、國體勢力は、常に、その存在を秘匿する必要がある。
政体天皇日本国を統治する役割を担う族腫。日本国国家元首
國體天皇7500年前(紀元前5500年)、メソポタミアの地に発祥したウバイド文明。そのウバイド人が、5800年前に東西に移動し、西の極となるユーラシア大陸の端、スコットランド(現英国)、東の極となる太平洋岸の日本列島(現日本)に到達。その数千年後には、東西のウバイド末裔が再び連携することになり、ウバイドの資産である黄金を使って、世界平和の維持(各国の國體を維持)を図っている。これをウバイド・ワンワールドと読んでいる(落合莞爾さんの命名)。西の極と共に、このウバイド・ワンワールドの役割を担っているのが國體天皇である。

〜〜

時代時期天皇(政体天皇即位前の名前補足
弥生紀元前50年神武(じんむ)イハレ彦安曇王権(現福岡近辺)の族長。東進し、奈良盆地ヤマト王権を建てた。
  綏靖(すいぜい)ぬなかわミミ欠史八代
  安寧(あんねい)シキツ彦タマテミ欠史八代
  懿徳(いとく)スキトモ欠史八代
  孝昭(こうしょう)ミマツ彦カエシネ欠史八代
  孝安(こうあん)ヤマトタラシ彦国オス人欠史八代
  孝霊(こうれいヤマトネコ彦フトニ欠史八代
  孝元(こうげん)ヤマトネコ彦クニクル欠史八代
  開化(かいか)ヤマトネコ彦オホビビ欠史八代
  10崇神(すじん)任那天孫ミマキイリヒコ・イニエ 
  11垂仁(すいにん) 皇后は、摩須郎女の娘・日葉酢媛命(ひばすひめ)
  12景行(けいこう)  
  13成務(せいむ)  
  14仲哀(ちゅうあい)  
  15応神(おうじん)  
  16仁徳(にんとく)  
  17履中(りちゅう)  
  18反正(はんせい)  
  19允恭(いんぎょう)  
  20安康(あんこう  
  21雄略(ゆうりゃく)  
  22清寧(せいねい)  
  23顕宗(けんぞう)  
  24仁賢(にんけん)  
  25武烈(ぶれつ)  
  26継体(けいたい)  
  27安閑(あんかん)  
  28宣化(せんか)  
古墳〜57129欽明(きんめい)  
 〜58530敏達(びだつ)  
 〜58731用明(ようめい)橘豊日皇子厩戸皇子(うまやどのおうじ)(聖徳太子)は第二皇子
 〜59232崇峻(すしゅん)  
飛鳥 33推古(すいこ) 最初の女帝
  34舒明(じょめい)  
  35皇極(こうぎょく)  
  36孝徳(こうとく)  
  37斉明(さいめい)  
 〜67238天智(てんじ)中大兄皇子大化の改新
  39弘文(こうぶん)  
 〜68640天武(てんむ) 皇后は後の持統天皇
  41持統(じとう) 女帝天智天皇娘。
  42文武(もんむ)  
奈良〜71543元明(げんめい) 女帝平城京に遷都。天智天皇娘。
  44元正(げんしょう)  
  45聖武(しょうむ)首(おびと)皇子 
  46孝謙(こうけん)  
  47淳仁(じゅんにん)  
  48称徳(しょうとく)  
  49光仁(こうにん)  
 〜78150桓武(かんむ) 平安京に遷都
平安 51平城(へいぜい)  
  52嵯峨(さが)  
  53淳和(じゅんな)  
  54仁明(にんみょう)  
  55文徳(もんとく)  
  56清和(せいわ)  
  57陽成(ようぜい)  
  58光孝(こうこう)  
  59宇多(うだ)  
  60醍醐(だいご)  
  61朱雀すざく  
  62村上(むらかみ)  
  63冷泉れいぜい)  
  64円融(えんゆう)  
  65花山(かざん)  
  66一条(いちじょう)  
  67三条(さんじょう)  
  68後一条(ごいちじょう)  
  69朱雀(ごすざく  
  70冷泉(ごれいぜい)  
  71後三条(ごさんじょう)  
  72白河(しらかわ)  
  73堀河(ほりかわ)  
  74鳥羽(とば)  
  75崇徳(すとく)  
  76近衛(このえ)  
  77後白河(ごしらかわ)  
  78二条(にじょう)  
  79六条(ろくじょう)  
  80高倉(たかくら)  
  81安徳(あんとく)  
鎌倉〜119882鳥羽(ごとば)  
  83土御門(つちみかど)  
  84順徳(じゅんとく)  
  85仲恭(ちゅうきょう)  
  86後堀河(ごほりかわ)  
  87四条(しじょう)  
  88後嵯峨(ごさが)  
  89深草(ごふかくさ)  
  90亀山(かめやま)  
  91後宇多(ごうだ)  
  92伏見(ふしみ)  
  93伏見(ごふしみ) 実は、後宇多天皇の皇子、かつ、後醍醐天皇と双子だった。
  94後二条(ごにじょう)  
 〜131895花園(はなぞの  
室町〜133996醍醐(ごだいご) 後宇多天皇の皇子。後伏見天皇と双子。息子は王塔宮(おうとうのみや)護良(もりなが)親王
   【補足1】 護良(もりなが)親王は偽装死したあと國體天皇即位以降、護良親王の男系子孫のみが政体天皇國體天皇皇位継承権を持つと定められた。平成の現在も続いている。護良親王の弟達(天皇にはならなかった弟達)は後南朝と呼ばれた。
   【補足2】 護良(もりなが)親王の皇子・益仁(ますひと)親王(後に興仁(おきひと)親王と名乗る)は、光厳(こうごん)上皇第一皇子として入り北朝を嗣ぐ。そして崇高(すこう)天皇となった。
   【補足3】 護良(もりなが)親王第一皇子・興良(おきなが、おきよし)親王は、朝鮮からの帰化人の基地となっていた周防(現山口県)の帰化人を監視するために周防派遣された。現在の熊毛郡田布施町辺り。この興良親王の子孫が、明治天皇となった大室寅之祐である。
  97後村上(ごむらかみ)  
  98長慶(ちょうけい)  
  99亀山(ごかめやま)  
  北1光厳(こうごん)量仁(かずひと)親王93代・後伏見天皇の第三皇子。父親である後伏見天皇後醍醐天皇は双子だったので、護良(もりなが)親王とは従兄弟の関係護良親王の皇子・興仁(おきひと)親王を自分の第一皇子として入れる。
  北2光明(こうみょう) 光厳天皇の弟。
  北3崇光(すこう)益仁(ますひと)親王(興仁(おきひと)親王護良(もりなが)親王第一皇子。ただし、光厳(こうごん)天皇第一皇子として北朝を継いだ。崇高天皇即位した事により、実質的に南北朝が解消した。
  北4光厳(ごこうごん)  
  北5後円融(ごえんゆう)  
  北6・100後小松(ごこまつ  
  101称光(しょうこう)  
  102後花園(ごはなぞの  
  103後土御門(ごつちみかど)  
  104後柏原(ごかしわばら)  
 〜1557105奈良(ごなら)  
安土桃山〜1586106正親町(おおぎまち)  
江戸〜1611107後陽成(ごようぜい)  
 〜1629108後水尾(ごみずのお)  
  109明正(めいしょう)  
  110後光明(ごこうみょう)  
  111後西(ごさい)  
  112霊元(れいげん)  
  113東山(ひがしやま)朝仁(あさひと)霊元(れいげん)天皇の第五皇子。世襲親王家の一つである閑院宮(かんいんのみや)の初代となる直仁(なおひと)親王は第六皇子。
  114中御門(なかみかど)慶仁(やすひと)東山天皇の第五皇子。
  115桜町さくらまち)  
  116桃園(ももぞの  
  117桜町(ごさくらまち)  
  118後桃園(ごももぞの  
  119光格(こうかく)師仁(もろひと)⇒兼仁(ともひと)に改名閑院宮(かんいんのみや)直仁(なおひと)親王の第二皇子である閑院宮典仁(すけひと)親王の第六皇子。とされているが、欧州からの交流で来たのかも(?)と思える程の大男だったらしい(落合莞爾さん談)。第二皇子である長仁親王の実子が堀川政略の中心人物となる中山忠能(ただやす)
  120仁孝(にんこう)恵仁(あやひと)光格天皇の第四皇子。偽装崩御し、欧州に渡り、欧州の裏天皇になった。
 〜1867121孝明(こうめい)統仁(おさひと)仁孝天皇の第四皇子。偽装崩御し、堀川御所に入って國體天皇即位京都皇統の始まり。息子の睦仁親王國體側へ。
明治〜1912122明治(めいじ)大室寅之祐護良親王第一皇子だった興良(おきよし、おきなが)親王が、朝鮮からの帰化人の基地となっていた周防(現山口県)の帰化人を監視するために周防派遣されたが、大室寅之祐興良親王の直系子孫。國體天皇側(堀川御所)に移った睦仁親王と入れ替わり政体天皇即位
大正〜1926123大正(たいしょう) 偽装崩御し、摂政だった皇太子裕仁)に政体天皇を引き継ぐ。
昭和〜1989124昭和(しょうわ)裕仁一時期、國體天皇を兼任。
平成現在125今上(きんじょう)明仁