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黒板五郎の徒然草

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2017-11-15

【ウバイド】天皇の系図

20:49

【ウバイド】天皇の系図

2017年11月15日(水) 晴れ

〜2018/01/15追記〜

【政体と國體

 意味
政体(せいたい)人類の本質は分業社会。この分業社会では、全体の秩序維持が必要であり、これを専門的にに行う統治という仕事が必要になる。この統治を行う族または階層が生まれることになるが、これを政体勢力(または単に政体)と言っている。政体は、社会統治の目的のために権力を持つ必要があるが、ともすると、これが物質欲と結びついて腐敗、堕落する危険性がある。
國體(こくたい)國體とは、各地の地域社会(国)が固有に持っている社会と国家のあるべき姿(形)のこと。國體を護るためには、腐敗、堕落の危険性がある政体に対して、社会の健全性を維持するための役割が必要になる。この役割を担う族または階層を國體勢力(または単に國體)と言っている。権力を握る政体からの攻撃を回避するためには、國體勢力は、常に、その存在を秘匿する必要がある。
政体天皇日本国を統治する役割を担う族腫。日本国国家元首
國體天皇7500年前(紀元前5500年)、メソポタミアの地に発祥したウバイド文明。そのウバイド人が、5800年前に東西に移動し、西の極となるユーラシア大陸の端、スコットランド(現英国)、東の極となる太平洋岸の日本列島(現日本)に到達。その数千年後には、東西のウバイド末裔が再び連携することになり、ウバイドの資産である黄金(國體黄金ファンド)を使って、世界平和の維持(各国の國體を維持)を図っている。これをウバイド・ワンワールドと読んでいる(落合莞爾さんの命名)。西の極と共に、このウバイド・ワンワールドの役割を担っているのが國體天皇である。

〜〜

時代............時期代 ....................................天皇(政体天皇..............................諱(いみな、実際の名前)補足
弥生紀元前50年1神武(じんむ)イハレ彦安曇王権(現福岡近辺)の族長。東進し、奈良盆地ヤマト王権を建てた。
  2綏靖(すいぜい)ぬなかわミミ欠史八代
  3安寧(あんねい)シキツ彦タマテミ欠史八代
  4懿徳(いとく)スキトモ欠史八代
  5孝昭(こうしょう)ミマツ彦カエシネ欠史八代
  6孝安(こうあん)ヤマトタラシ彦国オス人欠史八代
  7孝霊(こうれいヤマトネコ彦フトニ欠史八代
  8孝元(こうげん)ヤマトネコ彦クニクル欠史八代
  9開化(かいか)ヤマトネコ彦オホビビ欠史八代
  10崇神(すじん)任那天孫ミマキイリヒコ・イニエ1回目の国譲り
  11垂仁(すいにん) 皇后は、摩須郎女の娘・日葉酢媛命(ひばすひめ)
  12景行(けいこう)  
  13成務(せいむ) 國体天皇だったヤマトタケル小碓命)は兄弟
  14仲哀(ちゅうあい)タラシナカツ彦ヤマトタケルの子。皇后神功皇后(息長(おきなが)タラシ媛)。偽装崩御し羅津に渡る。入れ替わりにホムダワケが羅津より日本に渡り応神天皇に。
  15応神(おうじん)ホムダワケ2回目の国譲り
  16仁徳(にんとく)  
  17履中(りちゅう)  
  18反正(はんせい)  
  19允恭(いんぎょう) 皇后は忍坂大中姫(おしざかおおなかつひめ)。
  20安康(あんこう  
  21雄略(ゆうりゃく)  
  22清寧(せいねい)  
  23顕宗(けんぞう)  
  24仁賢(にんけん)  
  25武烈(ぶれつ)  
  26継体(けいたい)  
  27安閑(あんかん)  
  28宣化(せんか)  
古墳〜57129欽明(きんめい)天国押開広庭(アメクニオシヒラキヒロニワ)偽装崩御して羅津に渡った14代・仲哀(ちゅうあい)天皇の子孫。3回目の国譲り
 〜58530敏達(びだつ) 厩戸皇子(うまやどのおうじ)(聖徳太子)は574年に敏達天皇息長広姫(実は額田皇女と同一人物の間に出来た皇子。 
 〜58731用明(ようめい)橘豊日皇子 
 〜59232崇峻(すしゅん)  
飛鳥〜62833推古(すいこ)額田皇女(ぬかたべのひめみこ)最初の女帝厩戸皇子(うまやどのおうじ)(聖徳太子)の母。
 〜64134舒明(じょめい)  
 〜64535皇極(こうぎょく)皇女(たからひめ)茅渟王(ちぬのおう)の娘。舒明(じょめい)天皇皇后
 〜65436孝徳(こうとく)軽皇子(かるのみこ)皇極天皇の弟。難波宮(なにわのみや)を造営。皇子は、渡欧してピピン2世(中ピピンとなる有間皇子(ありまのみこ)。
   【補足1】 軽(カル)は、ウバイド修験サエキ(ウバイド人の別称。ヴュル氷期時代から高山地帯で棲息していた旧人類)の用語らしい。意味は不明。この「カル」カール・マルテル有馬皇子の息子)、カール大帝、カルロス、チャールズカロリング朝といった名前に繋がっている。
  37斉明(さいめい) 35代・皇極天皇女帝)が、初の重祚(ちょうそ)で再び即位。宝皇女(たからひめ)。茅渟王(ちぬのおう)の娘。舒明(じょめい)天皇皇后
 〜67238天智(てんじ)中大兄皇子舒明天皇(34)と皇極天皇(35)の皇子。大化の改新
  39弘文(こうぶん)  
 〜68640天武(てんむ) 皇后は後の持統天皇
  41持統(じとう) 女帝天智天皇娘。
  42文武(もんむ)  
奈良〜71543元明(げんめい) 女帝平城京に遷都。天智天皇娘。
  44元正(げんしょう)  
  45聖武(しょうむ)首(おびと)皇子 
  46孝謙(こうけん)  
  47淳仁(じゅんにん)  
  48称徳(しょうとく)  
  49光仁(こうにん)  
 〜78150桓武(かんむ) 平安京に遷都
平安 51平城(へいぜい)  
  52嵯峨(さが)  
  53淳和(じゅんな)  
  54仁明(にんみょう)  
  55文徳(もんとく)  
  56清和(せいわ)  
  57陽成(ようぜい)  
  58光孝(こうこう)  
  59宇多(うだ)  
  60醍醐(だいご)  
  61朱雀すざく  
  62村上(むらかみ)  
  63冷泉れいぜい)  
  64円融(えんゆう)  
  65花山(かざん)  
  66一条(いちじょう)  
  67三条(さんじょう)  
  68後一条(ごいちじょう)  
  69朱雀(ごすざく  
  70冷泉(ごれいぜい)  
  71後三条(ごさんじょう)  
  72白河(しらかわ)  
  73堀河(ほりかわ)  
  74鳥羽(とば)  
  75崇徳(すとく)  
  76近衛(このえ)  
  77後白河(ごしらかわ)  
  78二条(にじょう)  
  79六条(ろくじょう)  
  80高倉(たかくら)  
  81安徳(あんとく)  
鎌倉〜119882鳥羽(ごとば)  
  83土御門(つちみかど)  
  84順徳(じゅんとく)  
  85仲恭(ちゅうきょう)  
 〜123286後堀河(ごほりかわ)茂仁(とよひと)後鳥羽上皇の兄・守貞親王の第三皇子。両親が持明院内に居住し、後堀河天皇自身も持明院殿内に居住したが、これに倣って後嵯峨天皇後深草天皇持明院殿内に居住したため、後深草天皇の血統を持明院統と呼ぶ。
  87四条(しじょう)  
 〜124688後嵯峨(ごさが)邦仁(くにひと)二人の皇太子である89代後深草天皇と90代亀山天皇対立後の南北朝の火種となる。
 〜126089深草(ごふかくさ)久仁(ひさひと)院政を引いていた父・後嵯峨法皇が、後深草天皇の病気を理由に弟に譲位させて90代亀山天皇としたが、立太子(次の皇位継承者)として、後深草天皇の皇子(後の92代伏見天皇)を差し置いて亀山天皇の皇子(後の91代後宇多天皇伏見天皇よりも年下)を立てたため、後深草天皇亀山天皇の間にシコリが発生し、後の南北朝の火種となる。
 〜127490亀山(かめやま)恒仁(つねひと)88代後嵯峨天皇の第七皇子。元寇に対し、伊勢神宮などで敵の降伏を祈願した亀山上皇の像が、福岡市の東公園にある。
 〜128791後宇多(ごうだ)世仁(よひと)90代亀山天皇の第二皇子。後宇多天皇京都の外れの嵯峨にあった大覚寺の再興に尽力したこと、及び、出家後は大覚寺に住んで院政を行ったことにより、後宇多天皇の血統を大覚寺統と呼ぶ様になった。
 〜129892伏見(ふしみ)熈仁(ひろひと) 
 〜130193伏見(ごふしみ)胤仁(たねひと)実は、後宇多天皇の皇子、かつ、後醍醐天皇と双子だった。
 〜130894後二条(ごにじょう)邦治(くにはる)91代後宇多天皇の皇子。96代後醍醐天皇の兄。
 〜131895花園(はなぞの富仁(とみひと)92代伏見天皇の第四皇子。
室町〜133996醍醐(ごだいご)尊治(たかはる)後宇多天皇の皇子。後伏見天皇と双子。息子は王塔宮(おうとうのみや)護良(もりなが)親王
   【補足1】 護良(もりなが)親王は偽装死したあと國體天皇即位以降、護良親王の男系子孫のみが政体天皇國體天皇皇位継承権を持つと定められた。平成の現在も続いている。護良親王の弟達(天皇にはならなかった弟達)と、そこから続く系統(子孫)は後南朝と呼ばれた。
   【補足2】 護良(もりなが)親王の皇子・益仁(ますひと)親王(後に興仁(おきひと)親王と名乗る)は、光厳(こうごん)上皇第一皇子として入り北朝を嗣ぐ。そして崇高(すこう)天皇(北3)となった。
   【補足3】 光厳上皇は、一旦は、足利尊氏が擁立して、後醍醐天皇の次の天皇として即位したが、後醍醐天皇より、自分がまだ天皇であるとして即位否認されたため、正統な天皇代数(第97代天皇)とはカウントされず、北朝の初代天皇と言う言い方をされている。従って、正式には皇子から上皇になったとされている。
   【補足4】 護良(もりなが)親王第一皇子・興良(おきなが、おきよし)親王は、朝鮮からの帰化人の基地となっていた周防(現山口県)の帰化人を監視するために周防派遣された。現在の熊毛郡田布施町辺り。この興良親王の子孫が、明治天皇となった大室寅之祐である。
 〜136897後村上(ごむらかみ)義良→憲良(のりよし / のりなが)96代後醍醐天皇の第六皇子
  98長慶(ちょうけい)  
 〜139299亀山(ごかめやま)熙成(ひろなり)明徳の和約足利義満が提示した講和条件を受諾)により、三種の神器を北6後小松天皇に引き渡して南北朝合一を実現。
 〜1333北1光厳(こうごん)量仁(かずひと)親王93代・後伏見天皇の第三皇子。父親である後伏見天皇後醍醐天皇は双子だったので、護良(もりなが)親王とは従兄弟の関係護良親王の皇子・興仁(おきひと)親王(北3崇光天皇)を自分の第一皇子として入れる。91代後宇多天皇の孫であるから、実際は大覚寺統南朝)の血統
 〜1348北2光明(こうみょう)豊仁(ゆたひと)光厳天皇(北1)の弟。兄の北1光厳天皇と同様、実際は大覚寺統南朝)の血統。北3崇光天皇の子とされているが、実際は光明天皇の実子である栄仁(よしひと)親王伏見宮の初代)も実際は大覚寺統南朝)の血統。従って、伏見宮南朝の血統
  北3崇光(すこう)益仁(ますひと)親王(興仁(おきひと)親王護良(もりなが)親王の皇子。ただし、光厳(こうごん)天皇(北1)の第一皇子として北朝を継いだ。崇高天皇即位した事により、北朝南朝の血統が入り、102代の後花園天皇から護良親王の直系子孫が皇位継承するという王塔政略のルールが機能し始めた。
  北4光厳(ごこうごん)  
  北5後円融(ごえんゆう)  
 〜1412北6・100後小松(ごこまつ幹仁(もとひと)明徳の和約足利義満が提示した講和条件を受諾)により、三種の神器を99代後亀山天皇から引き渡され南北朝合一が実現。
  101称光(しょうこう)  
 〜1464102後花園(ごはなぞの彦仁(ひこひと)北1崇光天皇の実子である貞成(さだふさ)親王の実子。であるから、南朝の血統
  103後土御門(ごつちみかど)  
  104後柏原(ごかしわばら)  
 〜1557105奈良(ごなら)  
安土桃山〜1586106正親町(おおぎまち)  
江戸〜1611107後陽成(ごようぜい)  
 〜1629108後水尾(ごみずのお)  
  109明正(めいしょう)  
 〜1654110後光明(ごこうみょう)紹仁(つぐひと)108代後水尾天皇の第四皇子。
 〜1663111後西(ごさい)良仁(ながひと)108代後水尾天皇の第八皇子。110代後光明の皇子が乳児だったため、中継ぎで即位
 〜1687112霊元(れいげん)識仁(さとひと)100代後光明天皇の皇子。
  113東山(ひがしやま)朝仁(あさひと)霊元(れいげん)天皇の第五皇子。世襲親王家の一つである閑院宮(かんいんのみや)の初代となる直仁(なおひと)親王は第六皇子。
  114中御門(なかみかど)慶仁(やすひと)東山天皇の第五皇子。
  115桜町さくらまち)  
  116桃園(ももぞの  
  117桜町(ごさくらまち)  
 〜1779118後桃園(ごももぞの 後桃園天皇を以て男系皇統が絶えた。伏見宮の皇子(貞敬(さだゆき親王閑院宮師仁(かんいんのみやもろひと)親王の両候補から後者が次期天皇に決まった。
 〜1817119光格(こうかく)師仁(もろひと)⇒兼仁(ともひと)に改名閑院宮(かんいんのみや)直仁(なおひと)親王の第二皇子である閑院宮典仁(すけひと)親王の第六皇子。とされているが、欧州からの交流で来たのかも(?)と思える程の大男だったらしい(落合莞爾さん談)。第二皇子である長仁親王の実子が堀川政略の中心人物となる中山忠能(ただやす)
 〜1846120仁孝(にんこう)恵仁(あやひと)光格天皇の第四皇子。偽装崩御し、欧州に渡り、欧州の裏天皇になった。
 〜1867121孝明(こうめい)統仁(おさひと)仁孝天皇の第四皇子。偽装崩御し、堀川御所に入って國體天皇即位京都皇統の始まり。息子の睦仁親王國體側へ。
   【補足1】 121代孝明天皇が偽装崩御して堀川御所京都)に入り國体天皇の役割を担う。その後、息子の睦仁親王國體天皇を継ぐ。その次は、睦仁親王の子である堀川辰吉郎が國体天皇を継ぐ。堀川辰吉郎は、ジャーナリストである中丸薫さんの父。
明治〜1912122明治(めいじ)大室寅之祐護良親王第一皇子だった興良(おきよし、おきなが)親王が、朝鮮からの帰化人の基地となっていた周防(現山口県)の帰化人を監視するために周防派遣されたが、大室寅之祐興良親王の直系子孫。國體天皇側(堀川御所)に移った睦仁親王と入れ替わり政体天皇即位
大正〜1926123大正(たいしょう) 偽装崩御し、摂政だった皇太子裕仁)に政体天皇を引き継ぐ。
昭和〜1989124昭和(しょうわ)裕仁(ひろひと)一時期、國體天皇を兼任。
平成現在125今上(きんじょう)明仁(あきひと)