多様性って何だろう・・

dankogai さんのブログを読んでいて,以下のような記述を見つけた。

それは多様性をはき違えている。多様性は自分のスタイルを他人に押し付けることじゃない。他人のスタイルを受け入れることだ。

http://blog.livedoor.jp/dankogai/archives/50475459.html


何だかこの一文が妙に心に響いた。エントリの内容はタブをハードタブ(\tのほう)にするかソフトタブ(スペースのほう)にするかを話題にしたもので,ma.la さんの

そういうことをプログラマが(多様性が美徳のPerlプログラマが)、言うことに、なんか引っかかりを感じる。行頭以外の箇所でタブを使ってるとひどいことになるけれど、それさえしなければ後は個人が好きにできるようにタブでインデントした方が良いんじゃないの?って思うんだけど。

http://la.ma.la/blog/diary_200604300111.htm


という発言に対しての意見として,上記の一文は出てくる。僕の推察なので定かではないけど,ma.la さんは他人のスタイルを受け入れた上で,自分のスタイルを主張しているんじゃないかな。dankogai さんの文章は最終的にソースのメンテナンスをする上での効率性からソフトタブにするべきであるという主張になっているから,多様性という言葉を論拠にソフトタブだという結論にすると少し違和感を感じる。


多様性という言葉自体の考え方は dan さんの考え方に同意。でも,多様性という言葉自体は何かしらの結論を出してくれるものではないんじゃないかな。それとも,他人のスタイルを受け入れるということは,自分のスタイルを捨てて他人のスタイルにあわせることなのだろうか。他人のスタイルを認めた上で,それを侵害することなく自分のスタイルを継続するのもありではなかろうか。この多様性という言葉の意味に一番そぐわないのは,相手のスタイルを受け入れられず,そればかりか「やめろ」と侵害することだろう。ma.la さんは他のスタイルを侵害していないし,押し付けてもいないので,他のスタイルを認めた上で自分のスタイルを貫いているのかな?と思うのだ。


ソフトタブかハードタブかなんて話は古くからある宗教論争だよね。お互い譲らない状態になってしまっているそんな論争の前では,この多様性という言葉は無意味なのではないだろうか。では話は進まないのではないだろうか。


・・・と,推察で話すすめている上に,何だかとってもとっても偉そうな文章になってしまっているんだけど,もう少し続ける。


結局何が言いたいかと言うと,「他人のスタイルを受け入れられること」これは重要だと思うということ。これまでの僕は「相手のスタイルを受け入れらないばかりか,やめろと侵害する」強引で傲慢な生き方をしていたのではなかろうか。相手の意見を尊重した上で結論を出すことができていただろうか。そして僕は他人のスタイルを認められない人間だったから,自分のスタイルが他人に認められているか不安なんじゃないだろうか。dan さんのブログを読んでそう思ったのだ。


僕は駆け出しのPerlプログラマだけど,"There's More Than One Way To Do It." (TMTOWTDI)の考え方は素晴らしいと思う。何が正しいとか効率的とか,選択肢の中では最善の答えとか,それはきっと色々な側面から評価されて出されるものだと思う。多様性だから,どうだこうだと言うのではなく,大切なのは議論の前提に多様性を理解して議論できているかだと思う。