matakimika@hatenadiary.jp

WELCOME TO MY HOME PAGE(Fake) ! LINK FREE ! Sorry, Japanese only. 私のホームページへようこそ!

秋葉原でおにーちゃん!と叫ぶオフ

空を自由に飛びたいな

こういった、どこをどう切り取ってもあほらしいとしか言えないフォークロアを実際にやってしまおうっていうノリは嫌いじゃない。自分がそういったイベントに参加するというシチュエーションは想像もしないけど、誰かがそういうことをやっているっていうことを知るのはこのうえなく無責任な娯楽のひとつなのでおもしろいって気分しかない。罪のないいたずらで、上品でこそないが下品でもないっていうあたりが重要なのかもしれない。実際やっておもしろいのかっていうのは、わからないけど、おれがやるわけじゃないのでそこで悩む必要もない。

この「秋葉原でおにーちゃん!と叫ぶ」っていう事情を知らないひとが聞いても意味のわからない行為については、2chにおける以下の発言が元ネタとして挙げられている(BRAINSTORMhttp://www5b.biglobe.ne.jp/~nnaro/)によるキャッシュ)。

10 :ゆうちゃん ◆d7qrdPHM :02/01/19 08:36

えーと、今回心して聞いて欲しいんですが、今回の話はすべて実話です。

あー、実のところ、この話は秋葉原にある、とあるゲームセンターのノートに書いてあったものなので、
もしかしたら作り話であるという可能性を否定できるものではありません。
しかし、私はこの話を読んだとき、そのあまりのリアリティー
「これは事実に違いない」と確信した次第であります。
そう、今回の恐怖のお話は、かつて秋葉原で実際に起こった出来事なのです………。
それでは、その恐怖の出来事を皆さんにお話しすることにしましょう………。

時は日曜日、時間は昼間。
例によって秋葉原は、歩行者天国となった道路じゅうに、
買い物に訪れたオタクとかオタクとかオタクとかでごった返しておりました。
そしてそこには、道を歩いてゆく一人の男の姿がありました。
まあ歳は二十歳前後。高校生か大学生と言った感じの人物です。
そしてその男性の後ろには、だいたい中学生ぐらいの一人の少女が、
ちょうど前を歩いているその男性の後ろをついていくという感じで歩いておりました。
「この二人は兄妹という感じだった」
この事件を目撃した人物は、この二人に対してそのような印象をいだいたそうです。

そして………
そして、この後、ここで恐怖の事件が起こったのです………。
この時、まさかあんな悲惨な事件が起こるなんて、想像できたものはいなかったことでしょう………。
道を歩いてゆく男性とその後ろを追いかけてゆく少女。
やはり歩くスピードには差があるらしく、二人の差は少しずつ開いておりました。
そして、ある程度差が開いたとき、ついに少女は前を歩く男性に向かって呼びかけました。
「待ってよ〜、お兄ちゃ〜ん」
……その声に、前を歩くその兄らしき男性が振り返りました。
まあ、別にそれは何も問題ありません。当然の行動と言えるでしょう。

しかし………
しかし、その直後、恐ろしいことが起こりました………。
なんとその呼び声と同時に、二人とは全く関係のない、近くを歩いていた多数の男たちが、
いっせいに少女の方へ振り返ったのです!!

まったくあほらしい話だ。都市伝説にもほどがある。家電からPC、PCからオタの街へと変貌していった秋葉原の時代の潮の目というか節目というかそういったものを(あれな意味で)象徴するエピソードだ。あまりに出来すぎていてほんとかどうか疑うこと自体あほらしい。

ところでおれは、しかし、このエピソードが実話であることを知っている。事件が起こったとき、その現場に居合わせたからだ。

-

ただ、おれが目撃したその事件が、この引用発言にあるノートの記述と同じものかどうかはわからない。あるいはネタとして作られたそれを当時すでに実行に移したひとが居て、おれが見たのはそうしたパフォーマンスのひとつであったのかもしれない。

この日記を書く前に過去のおれの日記アーカイブを必死こいて検索したんだけどこの事件に関する記述を見つけることはできなかった。いつ起きたのか、どういう状況だったか、そんなアレな現場に居合わせたんだったらこのおれがそのことをメモしていないわけはないと思うんだけど、すべてのデータが残ってるわけじゃないので当該箇所が消失しているのかもしれない。あるいはそもそも、あまりに馬鹿らしい話なので日記に書かなかったのかもしれない。しかし記憶だけでは曖昧すぎる。

最悪、記憶自体妄想の産物である可能性もある。そんなことまで疑わねばならないのは完全な日記をきちんと保存しておかなかったからなので、これはちょっと悔しい状況だ。あるならいつどこでどのようにとわかる、ないならなかったとわかる、そうできるはずなのに中途半端だからどっちとも言えない。ぬう。

-

曖昧な記憶断片。こうして思い出そうとすると、ほんとに全然ディテールなんて覚えてないんだなと改めてわかる。

  • 半袖シャツの頃だったから、すくなくとも冬ではない。春〜夏、秋口までのこと。
  • シスプリは既にかなりオタ層に支持されていた頃合だったと思う(おれの認識では)。まだ笑い話ではあったが(いまでも笑い話であるとは思うが)、目の色の濁った「真面目な笑い話」をするオタはすでに居た時期だと思う。
  • おれは彼女の声に振り返らなかった。なぜならおれは彼女が「お兄ちゃん待ってよ」と言ったとき、彼女の左斜め後ろの位置を歩いていたから。振り返るたくさんのオタたちの顔を彼女の背の向こうに見ることのできる絶好の位置だったとも言える。
  • 兄のほうの背格好は完全に忘れている。ただ、そういう存在が居たっていうことだけ。
  • 少女は確かに中学生くらいの背格好だったと記憶している。黄色いワンポイントの入った白いTシャツ(?)で下は青っぽいスカートだったような…記憶めちゃくちゃ曖昧。そもそもしっかり見ていない。服装は全然違うかもしれない。すくなくとも厚着ではなかった。あと、半袖で腕は若干日に焼けていた。
  • おそらく事件現場はこのあたり(http://www.mapion.co.jp/c/f?el=139/46/25.165&scl=5000&pnf=1&uc=1&grp=all&nl=35/41/50.040&size=500,500)だった…と思う。表通りじゃなかった。裏通りで、THEコン館から旧あきばおー2号店(だっけ?)のほうに歩いていく途中だった…と思う。そうでなければこのあたり(http://www.mapion.co.jp/c/f?el=139/46/25.680&scl=5000&pnf=1&uc=1&grp=all&nl=35/41/44.700&size=500,500)っていう可能性もあるけど…たぶんこっちじゃなかったと思う。

記録していないものの記憶がある、というのがこんなに気持ち悪いことなのかっていうか、記憶と記録のどっちが大事なのかっていうようなことは、普段あまり意識しないので、記録のほうが大事だと思えた今回のような状況はちょっとおもしろかった。記憶だと思っている捏造なのか記録してない本当の記憶なのか、わからない。

病垂れ

どこでもドアテクノロジを使って空間がパケット化された社会における日常はどのようなものか、とか、ぼんやりと考えながら天井を眺めていた。おはようからお休みまで、ゆりかごから墓場まで、戦争から平和まで、いろんなことが妄想できるが、なかなか体系としてはまとまってくれない。

このままだとほんとに動けなくなりそうだったので必死こいてコンビニまで行って、暖かいものを食うと吐きそうだったので冷たいおにぎりを3つばかし買って(種類が何だったかもう忘れた)、みちみち食ってごみを途中の公園のゴミ箱に捨てて、道端の自販機でジュースを買って、帰ってきた。なに食ってもまずいのはわかってたけどまたおにぎりがまずくて困った。最近のめしは食いやすくなる一方だけどそれでも食いづらかった。でもこれはコンビニのおにぎりがまずいっていう話ではなくて、むしろ最近のコンビニおにぎり部門のがんばりはそれはもうたいへんなもので、単に今おれがなに食ってもうまいと感じない状態だっていうことだから、おれが気にする必要のあることじゃない。

というかめしなんていうものは、もともとうまいに越したことはないけど、べつにうまくなくったっていいのだ。あたりまえのことだ。まずくったって腹が減ったらなんでも食えるのが人間だ。うまくないと食えないなんていう胃袋を持ってるんならそいつは多分人類じゃない。うまくないとダメっていうなら、まずかったときに怒ればいいだけで、うまくっても笑顔になる道理がなくなる。標準っていうものがあって、その上その下がある。上を標準にもってきたら、下しかない。それは不幸で、かなしみだ。

べつにうまくなくったっていいのに、うまく作ってくれるひとが居るから、めしの時間がうれしいのだ。食事は死ぬまで続ける行事なので、そういったことでよろこびを見出せるってのなら、それは人生におけるよろこびの質量を増やせる考え方だから、めしがうまいとうれしいっていうのは、あったほうがいい感性だ。

という考え方は、とても重要なもののひとつだが、これがすべてじゃないので、こういうふうに考えていてばかりでは世間は成り立たない、どういうふうに成り立たないのかというと、つまんなくなる。これはもう必ずつまんなくなる。歴史的にそうだ。

愛は望遠と至近でそれぞれの伝わり方をするが、中距離では伝わらないからだ。