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2004/03/27

電脳迷路ゲーム「A〜!」

塊魂

|  塊魂を含むブックマーク

"GAME or TOY" の考え方でいけば、塊魂は TOY 寄りのゲームだ。だからゲームとしては、あんまりゲームになっていないゲームとも言える。けども、TOY 寄りのゲームというのは、TOY 性さえあれば、ゲームになっていなくとも、遊ぶぶんには楽しいものなので、「塊魂はつまらないおもちゃだ」ということにはならない。

非常に抽象的な話であれだけども、塊魂を遊んでみて「実に NAMCO 社らしいゲームだなあ」と感心した。ああこりゃ NAMCO のゲームだ、まちがいない、そうそうこんなかんじ、なむこなむこ。おれの NAMCO ゲーム観とバキバキに合致している。手打ち感の高い(科学力とは部門的にあまり連動していない印象の)高品質なデザイン、高い水準で安定しているけども意外性はあまりない(「意外性」というラベルが貼ってあるかんじというか、ゲームタイトルの枠内に収まっている)BGM、幅の狭いゲーム性、取っ掛かりやすさ、しかしいつまででも遊んでいられる奥深さはない(一定以上遊ぶと「ちゃんと飽きる」ように出来ている)、最初からある程度底も天井も見越して設計されたと思われる、手堅くあそびのないゲーム。どれをとっても NAMCO としかいえない。そしておれは、それゆえにあんまり NAMCO 社のゲーム全般が好きではないんだけど(ゲーオタっぽくわかりやすくいうと「NAMCO 社は既存のゲーム文明を豊かにしていくことはできるが、進化を推し進めたり、またはそれを破壊したり、つまるところ「うっかり世界の殻に挑んでしまう」ようなポテンシャルを持っていない!(というかやろうと思えばできるのかもしんないけど、そういう方向性は失敗するととても経営的に激痛なので、手堅い企画しか通さない体制を選択したっていう印象ですねドゥフドゥフ)」だ)、塊魂の感触は、その「NAMCO っぽさ」を突き抜けて展張させていった(つまり一線を突破した)ゲームであるように思えて、「なんつーかおれこういうやりかたはあんまおもしろいと思ってないんだけど、ここまでやったら逆にアリな気がしてきました」という気分になったのだった。

かなり脱線してしまうけども、PS 以降の NAMCO 社のコンシューマゲームに流れている血統というのは、たとえばそのーコレクション要素とかに代表されてしまうわけだ。コレクション要素があると、まあ埋めようかな、埋めたい、と思う。思うのだが、こういうふうな関心の持たせ方は諸刃の剣であって、埋めていないコレクション要素があるうちは、そこに重力のくぼみが発生するので、そのゲームを遊びたい、遊ぼう、遊ばなきゃとなるが、それらのコレクションを全部埋めてしまったあと、ああおれはこのゲームをコンプリートした、終わった飽きてもいい、というふうな意識を産んでしまいがちになる。達成感を得たときに人間は成長する、成長するということは、老いるということでもあり、マスを全部埋めて、ぷちぷちを全部潰したときに、そのゲームを「やめていい」と、誘導された気分になる。冗談じゃねえ、おれはモラトリアムなゲーム大好きっ子、もっと遊ぶんです、簡単に老いたくないんだ、達成感を受け取って卒業するとか、そんなつもりじゃあねえんだ、まあそれはおれの欲望で、あんたのほうが正しいのはわかってる、ゲーム会社はゲームを作るのが商売で、新しいゲームを作り続けて、どんなにいいゲームの先にも必ず次のゲームが待っている、ということは、ゲームが好きなお客ならゲーム会社にお金を支払うサイクルに参加するのが当然で、つまるところいいゲームオタクは、次々にゲームを買って、片っ端からそれを楽しみ、かつそれらのタイトルに想定されているプレイ期間内でちゃんと「飽きて」、次に出るゲームに対しで新鮮な期待を持ちながら、気持ちよくお金を支払うというのが、あるべき一つの姿だと、そういうことは、ジレンマもありつつわかっているんだ、だけどもそうじゃなくて、それ以外の、ひとつのゲームを延々あそんで、何年経っても変わらずに同じ画面に向かっていたいという、そういう欲望だってあるんだ、その種の二律背反は、なんのオタであれ抱え続けなければならない問題だから、それこそ自分で解決したり、未解決のまま墓まで持っていくしかないんだけど、そこんところのさびしさと正対させられるのはどうにもつらい。

半端に目標が設定されているよりは、なんにも目標の設定されていない、アルバムとかギャラリーとかのモードのない、START ボタンを押したらいきなりセレクタに飛ぶような、ルールとシステムだけが漠然と提供されているゲームのほうが、末永くあそぶことができる。経験的にこれは正しい。ただし、これはもちろんおれがゲーオタだからという話で、オタじゃないひとにとっては適当な時点でなにかを達成できるようになっているゲームのほうが、取っ掛かりがあって遊びやすいだろう。

そこへもってきて塊魂は、まあ飽きるでしょ、弊社としてはたぶんここいらへんでプレイヤさんは飽きるだろうと想定しているわけです、一ステージ内のタイム制限とかもそこいらへんで設定してますし、ゲーム全体のボリュームもだいたいそんなかんじで取ってあります、お客さんの手を引っ張ったり背中を押したりしながらも「これ以上はくどい」と感じる、そのギリギリのところで線を引いてるんです、まあそういった部分の読みに関しては、弊社にはノウハウがありますし、うまくいったと自負していますよ、ははあ、さすがは NAMCO 社のゲームです、いや実際見事なものです、ばっちりギリギリ「これ以上はつまんなくなるかな」の手前で終わるようになってます、でしょでしょ、でも、弊社としては今回、これまでの「飽きたら終っていいですよ」の一線を突破してですね、「飽きても遊んでいいですよ」の境地まで、このタイトルを押し上げることに成功したと思っていますよ、ええ、まったくおっしゃるとおりで、一晩すごくハマったあと、翌日にはけっこうだいたい飽きてるんだけど、でも飽きてるとか飽きてないとかそういうことではなくて、なんとなーく転がす行為が、ちゃんとそれをやってもいいんだというふうに、このゲームはできていると感じます、というようなおれの脳内会話ができてしまうくらいには、よくできてる。

どんなゲームであってもそれがルールと設計によって出来上がっているものである以上、プレイヤはいずれ必ずそれに飽きる。そのサイクルが十分に長ければいいが、コレクション要素とかを充実させることで寿命を薄く引き延ばしたって結局限界があるし、そのやりかたではあまりいい体験をプレイヤに遺すことができない、「飽きさせない」ための努力も大事だけど、「飽きたあとでも楽しめる」ようにも作ってあるとすれば、これはなかなか思いもよらない方角からいい仕事が飛んできたなあというかんじであって、ちょっとなかなか一筋縄では判断できないおもしろさなのだった。それがつまり TOY としてのゲームということではないかなと、おれは思っている。

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