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買って読めない男 / 読めないのに買う男

GDC2005 会場? | 050316

いい加減膠着を打破しなければならない。どうでもいいことをまるでラスボスであるかのようにトラウマ化するのは、それは自分自身の塵芥のように積み重なる些細な日常のフラグメントのパーティクル。個の密度でなく散漫な量がモチベーションを曖昧にしていく。己の敵が己でしかないなら、勝つことも負けることも自在に選ぶことができる。できるがやらない、というその一点から、己を強敵視する安心の暮らしが展開していく。そんな細かい穴などは塞いでしまえ。

げんしけん」なんて、借り物なのに、なんのかんので読んでない。読まなければ。でもその前に掃除して洗濯。ううむ。

  • のだめ購入に関する脳内述懐(たぶん 2004 年 12 月頃のメモ)

(「のだめカンタービレ」を)買ったのたしか十月末頃だったが、どうにも重い腕をコントロールできないままズルズルとまだ読んでおらず。買い方からしてすでに失敗していた。ふつうだったら読もうと思ったら本屋に行ってあるだけの巻数掴んでレジにもっていくところ、のだめの場合九冊くらいあったので一巻から順に二、三、四…と手にとって、そこで止めてしまった。なんだその中途半端は。単行本を家に置くという行為における「読む」と「買う」とは、半ば自動的に挙動が一致するものだ。これが悪いほうで一致してしまっている。半端に買ったから読む気分も半端で、なかなか読みはじめられない。持っていて読むつもりもありつつ、しかしなかなか読めないというのは、そんなもの読む気になるまで買わないのが正しい。希少本でもないから供給を断たれる心配はないんだし。

欲求(不安)の充足を金の消費で代替しようとした時点で既に過ちで、このあたりであるべき暮らしから逸脱して三日月湖に取り残されてしまっていることがわかる。何度も繰り返している。こうなることがわかっていながら、やはり歯止めをかけることができないでいる。モノを買う暮らしというものは、買ったモノによっても作用されていくことを受け容れることでもあるから、その舵取りは一筋縄でいかない。

こういうザ・ビッグバトル系のコンフリクトを抱え込みすぎて、おっさんはオタでいられなくなっていくんだよなあ。

「スーパーロボット大戦の攻略本を買う」ような感覚

上にあるような話と別に、「読む予定もなく私有だけするのだろう」という予感と共に買う本もある。こういうものについては負荷とかにはならないんだけど、それはそれで(長期的におれにとって都合が)いいのか悪いのかの判断が、実はいまだについてない。

たとえばおれが昨年夏に買った同人誌であるところの「HajouHakagix : 美少女ゲームの臨界点」などがそうで、この本にはおれがよく知らないことについて詳しく述べられてあり、そしておれは「これ一冊読めば、その背後にある界隈について、まあ最低限の(ごく狭い)場の流れというか(ごく短い)時勢のリズムというか、ジャンルにある雰囲気のようなものを得ることができるだろう」と浅く期待しながら、本棚に置いておくことによって一種の封印、魔避けのようなものとして扱っている。読んでない。特に読まないことについてのこだわりなどもなく、機会があれば読むだろう。読めば相応におもしろかろうことについては信用している。

おれはスーパーロボット大戦にまったく興味のないオタなので、秋葉原スパロボデモに群がるオタの生態などに興味を持ちながらも、この五年くらい没入した視点を持てずに逡巡しているわけだが(関連→http://d.hatena.ne.jp/matakimika/20041115#p2)、しかしおれがこの場合でやってることというのは、

  • (直接の興味のない)スーパーロボット対戦の、その攻略本だけを買って、それすら読まずに本棚に並べておく

というような行動だよなと思う。

おれに(論壇系の)エロゲーのタイトル自体への興味がないことは(プレイしようと思い立ってもそれができたためしがないことからも)明らかで、しかしそうしたエロゲー上に論壇を仮構して語ってるひとたちの、その遣り取りの様式はちょっとおもしろく、しかし「彼らはなにかを交換しあっているのだなあ」とまでは認識しながら、ではその内容が何なのかについてはあまり興味がない、というかおれの(エロゲーに対する)スタンスが浅はかなので興味云々をいえるほど具体的にそれらを認識することができないんだろう、ともかく、おれの暮らしと直接の関係はないけど間接的には関係しているのかもしれない事柄のひとつを、おれはこの本に象徴させて封印している、ここでのおれはいうなればジャンルに特に詳しいわけじゃないけどベスト盤が出るというならそれだけを買う客であり、または昔のロボットアニメとか見たことないし見る予定もないけど一応提供される知識について受容して名台詞の羅列を暗記するような、若年スパロボオタと変わらない。はずだ。自覚的な消費者群への埋没。このような自覚を自覚するときのオタ的大義名分は「リソースは有限」に集約される(そのうえでメタからスタートしてゆく自己みたいな話に)。

しかし本当は、そこに集約させるのは不正解だと思っている。それだと衰弱に対する歯止めや、区切りにならないからだ。若オタなら翼でいいが、おれの場合にはたぶんそれだけではだめだ。もはや上がるだけではない。墜落や空中分解のリスクも抱えていて、というかそっちの事例のほうが多い。しかしまた、空を見たなら空へ飛び、月を見たなら月へ飛び、星を見たなら星まで飛ぶのが野望というものだ。おれがなにを見て飛ぼうと思ったかなど覚えてはいないが、いずれ成層圏を巡りつつ地表を眺めるだけでは満足できまい。秒速 11.7km 以上の意思があるとは思わないが、たぶん 7.9km 程度にはあるだろう。大気の層は厚くないので、これ以上先へ進みたいならロケットエンジンに換装する必要がある。たぶん既に手に入れているだろうとは思ってるんだけど、まだ神経が末端まで届いておらず、自在にできない。気密性を高めつつ余剰重量を減らしつつ日々の食い物を補充しつつアンテナを展開しつつ航行スケジュールを練りつつ動力系を工事しつつ、ふつうに生きてくだけでもたいへんだな、以前飛びながらジェット機組み立てていくみたいなイメージ CM を見たが、人間が生きていくというのはあれと同じようなものだ。なんの話だったっけ。