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人類社会に着々と浸透するクロノス

伊右衛門くらべ | 050713

美容か何かのブーム語に「コエンザイム」というのがあるらしくて最近よく聞くが、コエンザイムと言われるとまっさきに思い出すのはエンザイムでありガイバー。

あーなんかひさしぶりにガイバー読みたくなってきた。

記憶整理

漠然と思い浮かびつつもあまり触れてこなかった点について記憶掘り起こしメモ。いずれ考えるつもりで、とりあえず整理だけ。

  • 自分を含むゲーオタがゲームというステージの中心から外れている(外れつつある)ことを自覚したのはいつか。
    • 時期:FINAL FANTASY VIII 発売日、日付でいうと 1998/02/11。
    • 理由:ゲーオタを自認する連中の集まるサークルで、FFVIII を買ったという人間が誰一人居らず、しかし大量に売れているであろうことはわかったから。つまりゲーオタの視点からは「誰が FF を買っているのかわからなかった」。
    • 補足:おれの場合もともと「任天堂社ハードに育てられた覚えはない」とか鼻息荒く言えちゃうかんじのマイナー街道歩行者なわけだが、しかしそうはいってもシェア的中心に近いと思われるオタ友との親交もふつうにあるわけだし、自分は自分としても自分の所属する場としては「オタ」を外さずにいろんな属性の連中が集まれば総合的にそこそこ安定した視野は確保できるだろうとたかをくくっていたのだが、どうも最近はそういうわけにもいかなくなってるのかなと思いはじめたのがこの時期で、それを印象付けたのが FFVIII 発売。
  • よくある「ゲーオタ n 万人説」(n には 2 〜 10 程度の数字が入る)を意識したのはいつか。
    • 時期:セガサターン中期。時期不明。
    • 補足:SS 版「怒首領蜂」が発売された頃「コアな STG は売れて 2 万〜最大 3 万本だよな」みたいな話をした記憶がある。
  • ゲーオタ層の年輪を意識する際、なにを現在と以前との切り口にするか。
    • 「マーケットシェアでゲームを語る人々」問題。
      • 以前から居るには居たが明確でなく、PS/SS 論争地帯から明示的に土着し、以降の流れで勢力をある程度限定されつつも成長してきたと思われる層。なぜ 32bit 世代に起源を置くかといえば、それ以前にはそのような層が根付く土壌はなかったと思われるため(任天堂社天下で一強皆弱。天下が分裂されていなければシェア論は引力を持たない)。
      • シェアで判断する層はかつて「ゲーオタ以外」と認識されていたし、現在も基本的にはそう。しかしゲーオタを自認しつつシェアで語る人々が台頭してきたという点がユニーク。
      • 基本的な様式:ハードのシェアが一段落するとメーカーシェアやジャンルにおけるシェアなど、次々とシェアを発見しては細分化していくパターン(「シェア論はシェアを作る」)。
      • 基本的な認識:メタユーザ。
    • 補足:ある意味最も新しく最も古い考え方と考えられる。強力でありオタとして学ぶべき点が多い。というかおれの認識している(そしておれが立脚している)ゲーオタはこの点についての掘り下げが非常に甘い。というかそこ(あそびの中で共有されるツールとしてのゲーム)から脱却することをゲーオタ化の契機としてしまった層の因業とでもいうべき問題か。「遊ぶ個人」としてのスタンスはポジティブにもネガティブにも捉えられるので表現しづらい、というか自己言及はメタであり地が足から浮きかねないので危険(←まさにこれがゲーオタ)。