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くもりクエスト

くもりクエスト

新作。TRPG 風。ステッパーズ・ストップのゲームは、あいかわらず脳のうしろのあたりがチリチリするかんじでおもしろい。単純なクリックor 二択ゲーで文章エリアも小さくてよさそうなので、携帯電話で遊んでみたい気がした。または GBA とかで bit generation ゲーとかで出ていただけると。あーでも GBA はダメか。ゲームオーバー時にふっとアプリケーションが終了するあのかんじが得られない。ウィンドウがなくなって、画面をクリックしていたカーソルが行き場を失うあの儚い一瞬の間。「雪道」でゲームオーバーしたときの、動くものがなくなってウィンドウを閉じるしかない感覚も得がたかったけど、こっちはこっちでなんとも良い。

ほかのひとの感想。

にっく氏も言っているが、「くもりクエスト」は、なんとも批評的だ。なにが批評的なのかはよくわからないが、批評的と書いてみるとしっくり来る。メタともいえるだろう。ベタな意味でのゲームと同列のものとは思われない。既存の商業ゲーをある程度遊んでおいてから体験するとおもしろい。といっても、商業ゲーをあそんでないひとがあそんだ場合のことは想像できないので、これもあやふやな話だ。ライトノベルを山ほど読んだあと、ようやくメタライトノベルとしての「涼宮ハルヒの憂鬱」をおもしろがることができる、というような筋合いの話と近いのかもしれない。モヤモヤ挙がって来るのは「メタ」「批評的」「変形創作」というようなワードで、脳内曖昧検索領域でこれと近い位置にあるのは漫画の場合の上田ハジメ氏作品などなのだが、よくわからない。そういうことともちょっとちがうと思う。

あと、このゲームの魅力は、くもりそのものにあると言ってよい。くもりがつまんなかったらくもりクエストは全然おもしろくないと思う。けど魅力は十分に備わっているので楽しめる。くもりは魅力的だ。それに謎めいている。dat フォルダにあるくもり画像のファイル名が kanasimi.jpg だったりとか。悲しいのか。なぜだ。まあすべてが不明であればなにも謎めかないから、神秘性などどこにもないともいえはする。しかし話芸というか、文芸としてなかなかに飽きるような飽きないような、微妙なラインを突っ走ってくれるおもしろキャラとしてあることに間違いはない(最近でこれに近い感覚は「モグラネム子の愚衆」(http://rere.sakura.ne.jp/diary/20060827.html#p04)を読んでるときに感じただろうか)。いきなり本題、増やすより削ることによって得られる多様性、主に錯覚を利用するような文章技法(カニッツァーの三角形にも似た→http://blog.so-net.ne.jp/shiro/2005-04-02)、この感覚ってなにに似てるのかなと思ったら、あれだ「真の不思議ちゃん」だ。そのてのひとと会話してるかんじ。「仮想的」に存在している「真」の不思議ちゃんくもりとコミュニケーションしているような、していないような、あそんでいるような、あそびに付き合っているだけのような、不思議なゲーム体験。ある意味ギャルゲー。それもシステム開発に拠っていた時代の。そこで切れたリンクにあとからリーチして繋ぎ足した展開例のひとつであるかのような。でもゲームジャンル不明。じっさいよくわからん。メタであるものには当然メタメタが想定されるのだから、これは (くもりの対話者を演じる)RPG ともいえるし(くもりと一緒にあそぶ)TRPG ともいえるし(くもりと会話する)ADV ともいえるし、(くもりと RPG 風の会話を楽しむ)SLG といえるし、なんとでもいえる。ていうかくもりが誰と喋っているのかといえばそれはおれということになるが、じゃあこのおれは誰だっていうか、くもりを存在すると仮定したときにだけ存在の認められるなにかを演じているおれっていうのは…やめた。状況に屈したよ。

最近の読書

ようやく塩野七生ローマ人の物語」文庫版のつづきが出ていたので、さっそく読み始め。前章「危機と克服」読み終わりが去年暮れなので(http://d.hatena.ne.jp/matakimika/20051217#p2)、半年以上間があいたことになるが(文庫版から入った我慢できないロー語オタはこの期間にハードカバー版に手を出したのに違いない)、最初の 2,3 ページ読み進めればたちまちローマ史気分がサスペンドするので不思議。

れいによって、いいかげんローマ帝国も馬鹿でかくなっており塩野七生氏としても書いてて抱えあぐねているのかなという気分がなくもない。トライアヌス帝時代は史料もあんまなくて困るんだよ的なことが書いてあるが、そういうのともちょっとちがって、塩野氏の場合自分の中で萌えポイントを押さえきった指導者が統治する時代については筆走ってるんじゃないかなと思えることがたまにある。ほんと正直にセクシーな男が大好物なんだろうなという。ハンニバル氏やカエサル氏など明らかに萌え死ぬ勢いで好きだろうし、たとえば(功績面での評価はともかく)個人としてはわりと地味キャラとして描かれるアウグストゥス氏についても、きっちり「アーちゃんはこれこれこうだから萌えるのである!誰にも文句は言わせん!(意訳)」みたいな情熱が紙面から湧き上がってくるようであった。で、キャラに対してちょっと距離感のあるかんじの皇帝について描いてるときはわりと淡白なイメージ。あ、なんか今回サラッとしてるんすね先生みたいな。

トライアヌス帝については、まだ読み始めだからどうなるかわからないけど、わりと出来杉英才的なキャラかなあ。塩野氏が楽しんでいじりまわしているかんじはしない。

最近の音楽

Perfume のフルアルバムがようやく出たというのに買ってない。でも通勤中はあいかわらず「FRUITS CLiPPER」なので(買ったの六月中旬だから二ヶ月くらいもってるのか→http://d.hatena.ne.jp/matakimika/20060617#p3)、中田ヤスタカ氏作品への意欲が減退したということではない。単に CD 屋に行ってないというだけのことでもあるだろう。何度か縁がありそうだったのだが、微妙に閉店時間すぎに前を通り過ぎたりとかしていた。

というかそれもあるが、全然別のジャンルへの欲望も湧いてきていて、調整に苦心している。なんか欧米におけるヒップホップ的ななにかに相当しそうな日本歌謡の世界を観光してみるのもよいかという気分とかもありつつ。ネットの(ごく)一部で「日本のエミネム」と評価されていた吉幾三氏のディスコグラフィーとか追ってみるのもおもしろそうかなと、ワークマン社の CM など眺めつつ(http://www.workman.co.jp/dictionary/di01.htm)思ってみたりしている。たぶんいまならなんの前提もなく聴ける。そもそもあのへんのひとたち歌唱力高いので聴き飽きもしにくいだろうし。