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2007/09/11

Halo 3 | 071014

最近の読書

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「火星軌道一九」読み終わった。おもしろかった。よく知らんがこの「火星軌道一九」というタイトルは「銀河鉄道 999」と関係あんのかなー。ないのかなー。神林長平「あなたの魂に安らぎあれ」に「宇宙戦艦ヤマト」を見る程度に関係性が色濃ければ(地球と火星の叙述、荒野に埋まった船など)、そりゃそうだろというかんじだが、「火星軌道一九」の場合タイトルだけちょっと似てる気がする程度だからな。まあべつになにがどうってほどの話ではない。

あと、あとがきがどうにも素晴らしいので一部引用する。

  • 谷甲州「火星軌道一九」あとがきより

この本に収められた短篇もそうだけど、航空宇宙軍史のストーリーを作るときは、いつも地図の作成からはじめた。地図もなしに、ストーリーなど作れない。そして地図ができると、その上に宇宙船をとばし、タンカーを射出して舞台をこしらえた。だが、これはなかなか手間がかかる仕事だ。どうにかすると、舞台を作るのに一〇日、ストーリーを書くのが三日なんてこともあった。

地図を描くというより、世界を設計しているようなものだ。仕事のほとんどは、計算だったから。最初のうちは、電卓だけだった。こいつと手書きのノートだけだから、やたらに時間がかかる。ノートは数字の羅列であふれ、何度も筋書きを練り直しては、そのたびに計算をやり直した。やっと数値が確定して小説の方を書きはじめたら、計算間違いを発見して、それまでに書いた原稿が全部ぱあになったこともあった。

それでも、やっていくうちにいろいろと便利なものができてきた。表計算ソフトや図計プロセッサ(あんまり使いこなしている状態ではないが)は、単純作業の量をかなり減らしてくれた。ところがこれで仕事が楽になるかと思ったら、そうでもなかった。ひとつづつの計算に時間がかからなくなったら、もっと大量の計算をしたくなったのだ。こうなると、今までの仕事がみんな手抜きに見えて(実際、抜いとったけど)最初から見直しをはじめたりする。

艦隊戦か。艦隊戦だな。

考えてみるまでもなく、普段なにげなく使ってる Excel とかでも SF 小説に対してできることって膨大にあるわけよなと思った。

おれがグレンラガンに期待していたなにか

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グレンラガンの第三部が片付いて、うーむというかんじで第四部に突入。悪くない。悪くはないのだ。が。やはりうーむだ。第二部までに高まった躍動の目指すところがここか、という結末への期待感がいまひとつだ。起承転結の転が、いまいち驚天動地の転というわけではなかったかんじ。

このへんで一度おれが当初(このあたりから→http://d.hatena.ne.jp/matakimika/20070514#p1)グレンラガンになにを期待したのかを整理しておこう。第一部から第二部までの展開、そして第三部においても大筋はそうなのだが、グレンラガンってあれなんだよね自分らで開発しないひとたちのロボットアニメなんだよね。基本的にはすでに誰かが作ったものを掘り出したりブン取ったりとかして強くなって、そうすることでさらに大きなものをブン取っていく。ロボットアニメなのに自分らでロボット作らない。まあじゃあリーロンはどうなんだという話になるけど、彼は研究するしメンテするし改造もするけど彼が作った新メカってないじゃんと。第三部ではかなり様相が変わってグラパールとか出てきたし社会らしいものも成立して、人類のありようも変わったので、まあそこいらへんつっこまれるとアレなんだけど。その点でいうと、リーロン拡張としてのレイテの役どころは研究から開発に差し掛かりかけているような気がしなくもない。戻って、グレンラガンにおける人類の初期設定てかなり特殊で、いはゆる産業というものを持ってない状態からスタートしている。地下に押し込められててまず農耕は無理、狩猟というほどの生態系もない、ひたすら掘って維持して細々とただ生き続けているだけ。その状態で見る夢がまず地上だったと。で地上出たはいいけどガンメンが襲ってくるので安定した暮らしなど望めない。やはり戦うだけの毎日。辛うじて狩りはしている。その程度。地上の脅威を一掃して、ようやく安定した産業基盤を確保できた、第三部で社会っぽさは花開いた、のではなく、ようやくゼロから積み上げることができるようになった(たぶん第二部までの人類は通貨さえ持たなかったのだ)、というあたり。まだまだ過去の資産を使いまわすほうが手っ取り早く、実際大物ユニットは第三部でも第四部でも現代人類が作ったものじゃない。

伝統的なロボット作品の場合主人公が乗り回すのはじいさんとか父さんとかが作ったスーパーロボットだったりしたわけじゃん。マジンガーとか。ガンダムとか。でもグレンラガンって誰が作ったのか全然わからないし、そんなこと誰も気にしてない。オリジンが解き明かされるべき謎ですらない。作ったやつが誰かってのは一昔前なら気にするポイントだったんだけど、そういう時代ではなくなりました、というのが、つまりおれがグレンラガンに対して感じたロボットアニメとしての新しさだった。つまりこのー、どこ掘っても先人の作ったなにかが埋まってて、狭苦しいタコツボを抜け出して未踏の荒野に踏み出したと思ったらガンメンどもがデカいツラしてのさばっていました、みたいな。新天地では必ず古参の強敵が、吹き上がった新参をひねりつぶそうと待ち構えている。そいつらに逆らって戦ってぶん取って成り上がっていくうちに、自然と天井突き破って新しい世界に進んでいくことにもなる。ドリルはたぶん壁を破るだけでなく運命を巻き込みもするのだ。あんまこういうふうに書くと web 2.0 マーケティング大勝利感が煙ってくるのでアレなんだが、これはなにか偉大な先達がやれることの大概をやり尽くしてしまったあとに新しい作り手がなにを出来るのか、というような舞台設定にも思える。コツコツと一から研究開発はじめたって意味がない。どうがんばったって過去には追いつけない。べつに学問やってんじゃないんだから愚直に枝葉を継ぎ足していったって仕方ない。とにかく今わかりやすい結果を出さないといけない。かつての誰かの発明を血肉に変えて自分なりに成り上がっていかないと同時代のやつらにも置いていかれる。それが現代の自意識なのかもわからんなというか。なんにもないところでなにから作っていくのかという話ではない。どこにでもなにかはあるから、そうなってくると、じゃあこれからのひとたちはどこに立ってなにをやっていくのかということがとても重要だ。あとはー、気合か。自意識とか。螺旋力とか。自然に渦を巻くようなセンスのありかなしか。

…というようにスタートして第二部終了まででどでかいマイルストーンを置いたグレンラガンの、第三部から第四部への流れは、なー。あんまり新しいかんじがしないんじゃよいまのところ。見たことのありそうな収束感というか。これは単に話の盛り上がりで、構造の新しさではなく、ふつうのロボットアニメの熱血とあまり差がないように見える…のかどうか、まだよくわかってないんだけど。見たことのない新しさを、それが新しすぎるがゆえにおれに感覚できていないだけなのかもしれない、という可能性に、どちらかといえば期待したい。単に「とてもすごくおもしろかった」で終わってほしくはない。ようするに、「そういう彼らがどこへ行くのか」までが描いてあれば、グレンラガンはだいぶ歴史に残ってもいいかんじになると思うが、まあそこまではさすがになー。まだ現実に結末が見えていないものの先を見通すことは、それはいかにもむずかしい。

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