ゲームハードはいつ買うべきか問題
金で雇ったひとに、そのひとの時間を自分のために使ってもらうことで、自分の時間を確保するという意味において、金で時間を買うことは可能。しかしそれは未来に限定された話で、過去の時間の買い戻しは不可能。単に時間に換算できる、過去にやっておくべきだったなんらかの成果という意味なら、それは問題を時間のレイヤで捉えているというだけで、欲しいのは時間換算したぶんの時間以外の成果という実体だから、それは買い戻し可能。大雑把に、買えないのはつまり、自分自身の過去、記憶、体験だ。と言える。
- どうせいずれ買うと決めるハードをズルズルと中途半端な時期まで買わないオタは買った途端に新型発表のニュースを見る。
- 発売日にさっさと買うオタは幸福だが初期ロットに当たる。
- かしこいオタは市場が枯れてから主に中古を買い漁るが、ネット前提の現代ゲーでは時期を外したゲームプレイは必ずしも豊かだとはいえない。
- すべてが終わったあとでなにも買わなかったオタが「無駄な金使わなかったおれ最強」とか猛り狂うが、じゃあゲームのかわりに何にリソースを注ぎ込んでその時期を豊かに過ごしたのかが問われることに気がつかない。
というようなアレを書きながら漠然と考えたが、もともとなにを考えたかったのかは覚えてない。