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脱オタ関連

旅行 | 080103

先日(http://d.hatena.ne.jp/matakimika/20071203#p1)のつづき。なんで脱オタの呼称が脱「オタ」だったのか?というと、いはゆる脱オタ的な活動への参加を呼びかける対象が、オタクに限定されていたからだ、ともいえる。すでに自分がオタクであると自覚しているひとだけが、そこから離脱しようともできるわけだ。ということは、脱オタ的な活動が本人の精神安定のため有効なひとであっても、そのひとがオタクでなかった場合には、そのひとは脱オタをやることができないということになってしまう。が、実際どうかといえば、たぶんそうではない。おれは脱オタのひとじゃないので曖昧にしかわからないが、おそらく「オタクではないひとにだって脱オタは可能」だ。だって脱オタ活動って実質オタクあんま関係ないからね。そりゃオタク以外にだってやれるよたぶん。そして脱オタ的な問題設定に興味を持つようなひとは、諸般の事情から、オタクという境界の内外にこだわらず点在するようになっている。

…ということになると、ますます脱オタが「脱オタ」である意味はあんまなくなってくる。整理しよう。脱オタ活動はオタクでなくともできる、なぜそれが脱オタと呼ばれるのかというと、もともとそれがオタクコミュニティから発生したものでもあるし、脱オタ的な活動をオタク以外のひとがやっていなかったからだし、またオタクに限定したほうがコミュニティの質量を維持するのに効果的だったからで、そして過去の経緯はどうあれ現在は、たぶんそろそろそういう時期ではなくなっている、と。なれば、脱オタ活動にもうちょっと別の名前をつけたほうがいいよね、となる。もともとの用語「脱オタ」の命名ルールに沿えば、「脱+その活動に勧誘したいクラスタ」というのが正しいだろう。脱オタユダヤ教キリスト教かでいえば明らかに後者なので、布教・勧誘への意図が強い(脱オタ説教厨とか脱オタ説法厨とかなんとか、せっかくオタクを脱したのにわざわざ界隈に戻ってくるようなひとには説きたがりが多い、まあわざわざ戻ってくる(留まっている)くらいなのだから、それをやりたいようなひとの比率が高いのは当然だろうけど)。でもその性質に全員が必ずしも自覚的というわけでもなかろうから、集団が同志とすべき対象は命名の部分で明確にしたほうが流れ上都合はよかろう。というわけで、オタクにかわる脱オタ勢の布教・勧誘対象のクラスタをずばり言い当てることができれば、新しい名前ということになると思うのだ、が、なんかそれなかなか言い当たらんよね。

はてな非モテのひとたちの場合の「オタクでもサブカルでもないぼくたち」とかなかなか言い当たってるかんじだなー、それでもやっぱり既存のなにかに対する不(非)参画という表現になっちゃうのかー、と思ったりしたけど、この「〇〇以外のぼくら」的な定義付けは、結局その「非〇〇、〇〇に対してネガティヴな」という部分だけの微かなつながりなので、クラスタというには捉えどころがなく、そして最近はそういう曖昧さが歓迎される傾向にある(関連→http://d.hatena.ne.jp/matakimika/20070805#p1)。まあでも、そうした曖昧化する流れに対しては、たぶん行きがかり上対抗する部分を含むのが脱オタでもあるような気がするから、そこは強引にでもはっきりさせたほうがいいのかもわからんねと思った。よくわからんがポストモ団的なプロレスの一環として。しかしまた一方には、「単にコミュニケーションが苦手なひとをオタクというラベルで売っていく」みたいな大きな流れもあるわけなので(モノを捨てればオタクでなくなる「電車男」とか、単なる非コミュの「オタリーマン」とか)、潮目をみるのはむずかしそうではある。

最近の読書

麻雀放浪記」二巻を買って読んだので続けて三巻読んでいるがおもしろいねーこれ。非電源の時代だけど、あれだよく考えてみるとこれもまたひとつのゲーセン小説だ。そんなふうな気分で読んだことがなかった。ずっと読みたいと思っているジャンルに意外なパーツがカチリとはまった感。坊や哲の生き方とか破滅型ゲーオタそのもの。坊や哲はその後阿佐田哲也氏になったりならなかったりとかするんだろうから、べつに破滅しないんだけど、あれよ、破滅型ゲーオタってのは案外破滅しそうにないゲーオタより長生きしたりするものだしほら。

ひとが死んだりぼこぼこにやられたりとかポン中とか唐辛子中毒とか、多少乱暴なところはあるけど、根っこになってる部分はあんま変わらんなーというか。あと一巻冒頭の終戦直後つながりで、山田風太郎「戦中派不戦日記」とかひさびさに読みたくなった。いやあっちは大半戦中なんだけど、山田風太郎が同じような時期にドサクサやっていた中、一方上野で坊や哲がチンチロやっていましたとかそういう同時性みたいなんが読めたらちょっとおもしろいなというか。

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