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RAINBOW SIX : VEGAS 2

R6V2

フェローがコリジョンに引っ掛かってついてこれなくなるポイントがあるようだ。ほっといてどんどん一人で前進していたら、仲間に来てもらわないとドアが開かないところに到達して、呼び寄せても反応がなく、ずいぶん手前まで戻らなければならない状況に陥った。一人がグレネードの判定がクリアされなくて固まってるような挙動で柱の影に引っかかってた。有視界で細かく引っ掛かりポイントを避けて誘導してやれば解決。十分バギーな状況なのだけど、まあ一応対処可能だから、いいの、か?

今回一部スクリプトで地形変わったりするので、そこいらへんの切り替えのタイミングで挙動がおかしくなったりするっぽい。高品質×スピーディー×大規模という無茶な三題噺を融合したゲーム開発の壁がそろそろ立ち現れてきているかんじかなーと感じる種類の引っかかりだ。ASSASSIN'S CREED といい R6V2 といい、モントリオールスタジオ開発の UBI 社タイトルでこのての音速の壁をじわじわ感じてしまうのはー、レッドオーシャンをものともせず切り開いてきたガイジンデベロッパの突進力も、そろそろここいらで限界点に到達しつつあるということだろうか。

ゲームと世界とゲーム機とメディアと呪われし姫君

Wiiニュースチャンネルチベット関連のニュースを読んだあと、同じハードで銃撃ゲーを遊びたいとは思わんな。という意味では、Wii が銃撃ゲー万歳ハードでなくてよかったと思えるし、また次世代 Xbox にはニュース閲覧機能など絶対につけないで欲しいと強く願う(Windows Live との連携は一層強化されるのだろうから、ダッシュボードに MSN ヘッドラインがのっかってくる程度のことは簡単にやりそうだが)。次にアメリカがどこかの国と戦争状態に突入したとき、FPS を遊ぶ気がたぶん起きなくなる。

ネットワークがすべてを取り込んでいき、物語の孤立がリアリティを失い、ただひとつのリアルの中にすべてがつなぎ止められるとき、影横たわるモルドールの国が立ち現れてくる。味気のないことだが、その味気なさに引きずられてしまう心情をコントロールするのがむずかしいという話だから、簡単ではない。

最近の読書

文庫版十八巻買って読み終わった。うおおおおお。あと残すところ一冊となってしまった。終わるのか、というと、終わりそうだ、というかんじになってきた。流れが渦を巻いて二本の槍に研ぎ澄まされ、それらが最後にぶつかることで、たぶん決着がつくというかんじになる、が、渦といっても水ではなくこれは歴史の濁流だ。地盤が隆起していく過程でボロボロと崩れ落ちていく土塊の中には石もあれば鉄もあり、人間はその最小単位にすぎない。いろんなものが巻き込まれ弾き飛ばされしていくうちに、気がついたら居なくなった顔のほうが多い。大局面へ向っていく視点は高く高く昇ってゆくのかといえば、北方水滸伝の視点は最後まで神の視点を取るつもりがないようだ(RTS においては ENDWAR 的なアプローチといえるのかもしれない)。それだけに、そこに居ない人間のことを考えずには居れない。渦の中心から遠くなった人間が重要ではないということでもない。すべてを描こうとするタイプの責任感とは北方氏は一線を引いていて、それは美学としてわかりやすく、また正しくもある。あさりよしとお氏における「WAHHAMAN」と藤田和日郎氏における「うしおととら」の終わりかたの対象性問題と無関係ではない。それだけでなく、人間はどこに居ても人間であり、そこにかぶさってくる物語の大きさと、描かれる視点の問題について、ちょっと考えてみたくなった。最後におれがなにを見たいと思うことになるのかは、まだ決めあぐねている。

来月いよいよ最終の 19 巻発売だから、水滸伝再読スケジュールも計画をはじめないといけない。