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最近のインターネット

  • ざるの会シンパなら読まずに批判しろ!
  • 人文系のひとの気持ちはよくわからんが、その「ひとの書いたものが読みたい」という気持ちの強さにはわりと感心する。彼らには世界があるんだなーと思う。諦めずに頑張り続けるのは大変だから、世界を諦めない彼らは偉いなーと思いつつ、でもそれは基本的に「諦めた側」の発想だから(いや諦めたというと最初はこだわりがあったみたいな書き方になるから違うな、「そこにこだわろうと思ったことがない」というかんじか)、おれが自分の感じる「偉いなー」を何らかの形でフィードバックすることはないのだった。
  • ところでネットはいまのところ一般論を語ることは容易でも、個別状況を拡げていくことはむずかしかったりするメディアで、この性質にはネットがまだ発展し尽くしていないメディアであるという切り口と、ネットはネットであり暮らしとは違うという切り口の、大雑把には二つの語り方があり、おれの場合でいえば、後者寄りな立場でインターネットを便利に使っているといえる(立場によっては「それだから不便」という言い方になる)。「昼のブロガー」「夜のブロガー」話とかとリンクするところだな。
    • もうちょっと具体的にいえば事件や状況をメタ視点で語ることはできるんだけど、結局そこに実際にコミットしている(できる)当事者は少数で、それが拡大しないことはよくも悪くもあるよなというような話で(当事者には当事者としての語りと立場を離れたメタ語りができるわけだけど、非当事者が立場を変えずにその件にコミットしたい場合メタ語り一択なんだよね、とはいえ仮想的な「コミットできてる感」はあるので錯覚が錯覚を呼び、とはいえリアルとバーチャルは融合して「この痛みだけがリアル」の 2008 年、以下略)。なぜブサメンはモテないのかという話は簡単でも、じゃあブサメンがモテるようになるにはどうすればいいかという具体的なアドバイスはむずかしかったり。社会の中の立場でマッチョとかウィンプとかが出てくるよねーという話はできるけど、具体的に両者が出会ったときこうしたああしたみたいな話は揉めやすかったり。例なんていくらでも挙げられるけどべつにそこが発端の話ではなくて。
    • ネットはいまのところユーザにわりあい平坦な感覚を持たせるシステムとして機能してるけど、我々はどう考えても平坦な世界には生きていない。90 年代が平坦だったというのはそれまで体感されなかった規模のシステムが押し寄せてきたという相対的な話かもしれないのでつながるのかもだけどよくわからんのでとりあえず置いとく。
    • で、どうにか頭の中でミクロなところまで辿り着くと、態度や振る舞いに対する批判、礼儀の話になる。礼儀はコミュニケーションの最も平坦でないもののひとつなので、他者間の問題はネット越しにはかなり批判するのが難しい。無関係の他者を相手にすれば非礼な行いも、ローカルな状況を踏まえればべつに問題なかったりする、かどうかはちゃんと理解しないと判断できないわけだけど、その「ちゃんとした判断」は部内者にしかくだせない。個別状況の問題に対し、あくまで一般的な感覚(≒「常識的な考え」)で部外者が口出しする状況は、「ネットイナゴ」とか呼ばれる仕組みとほとんど同じだったりする。よほど強い正義感みたいなものを燃やして常時全方位に向けて戦ってるようなひとでもないかぎり、自分の常識外へのヒステリー的な反応に見えてしまい、あんまりよくない。
    • 自分に向けられたものであれば、自分が一方の当事者として振舞うことになるわけだから、たとえば「その行為を非礼だと批判することによって、「ああ、このひとはこういうひとなんだな」と相手に思わせる、というコミュニケーション手段を行使する」という選択は可能だ(それが好手として機能した場面はあまり見た覚えがないけど、仮に悪手であったとしてもそれをやる自由は誰にでもある)。けど他者対他者の問題は、まともな判断を元に行動したければコミットするしかないんだよね。「実在しないかもしれない弱者の代弁」はすべきでない。確認が必要。でもそれはめんどい。普通はやらない。とはいえ、ネットイナゴが普通なのかというと、それも普通ではない。
    • 価値観の潮目でどっちにも軸足があるからまともに判断できないということかなー。
  • 「公平だったら皆がゲームに参加する」というのはウソだと思っている。勝てそうな勝負だから参加するひとのほうが多い。「おれにもできる」と思わなければ多くのひとは新しいことをしない。コネとか得意分野とかになるんだけど。みんなが勝てそうな勝負に勝ち、負けてもいい場所では負けて、そうして世の中が回るために、世の中は平坦であってはいけないと思う。

日記遅延が改善されない

五日程度の遅れがずっと続いている。別途風邪をひきこんだりしているが、もう疲れとかは取れた。生活の余裕もある。残る要因は、GoW2 効果だな。日記書いてるひまにゲームやってしまうからそりゃ日記は書けない。360 できない時間帯(移動中とか)に書かないと進まんなこれは。

Gears of War 2

難度 Normal でキャンペーンクリア、引き続いて難度 Insane でのキャンペーン攻略に入った。お約束どおり最初の会敵で即死。笑えるほどむずい。前作も最初 Insane やったときむずさに笑った記憶がある。全体的には 1 より 2 のほうが難度上がってる気がしないでもないんだけど、どうかなー。近年の 360 ゲーは全般的に低難度化してるかんじなので、GoW はあまり変わってないだけなのかもしれない。とはいえ、一撃死が多いデザインではあるし、逃げ場のない固定砲台面とかはやはり厳しい。本作では難度違うひとと Co-op できる仕様になってんだけど、それで「Casual の相棒に頑張ってもらって、Insane の自分はチキンプレイに徹する」みたいなプレイで切り抜けるとかもアリなのか。

  • 全体の印象が良すぎるのでこれは書いとかないと忘れると思う、GoW2 のキャンペーン終盤展開にはガッカリした。発売前のトレーラーの雰囲気などから、もっとプレイの体感としての絶望感を期待していた。まあそこは個人差あるんでむずかしいところだろうけど、「そういう感情が描けているシナリオ」で包むより、「そういう感情を持たせるレベルデザイン」が見たいんだよねーという。
  • 「シナリオなんてクソでいい」とはよく言うんだけど、シナリオがクソでいいのは体験がおもしろいからで。逆にいえば、体験がクソならシナリオくらいはおもしろくないとやってられんという話にもなるから、シナリオが論じられる界隈って基本的にはクソ体験なんだろうなーと思っている。それでいえば、Gears 2 は、体験は最高クラスのタイトルだと思うので、まあシナリオは…別にいいか…とか思うんだけど、一応なー。なんかちょっとなー。
  • おれが考えた GoW2 クライマックス:すべての試みは潰え、救援が来る見込みもないまま JACINTO に篭城、日没からはじまる一斉攻撃を夜明けまで耐え抜くというミッションだが夜はうんざりするほど長く、波状攻撃は終わらない。押し引きを繰り返してそれでもなんとか凌いだ夜明け前、ガレキの山と化しすっかり平坦になった JACINTO の中央広場から、最終 wave で Brumak の大軍が押し寄せてくるのが見える。いよいよ最期だと思ったところで、朝日と共にマーカス父が突然スーパー兵器にまたがって登場!スーパー拡散 HoD 発射!ドカーン!Brumak 軍団全滅!えー?!というところで疾風怒涛の 3 を待て!…みたいな頭悪い話だったらサイコー。とか思ってたんだけど。そうではなかったねー。
    • 要するにクリーチャーを重火器でバリバリ撃ち殺したり挽き殺したりするのが大好きな人間が GoW2 を買うと思うのだけど、そういうゲーム脳人間どもをして「結構だ!十年分殺した!満腹だよ!ウンザリだ!」と言わしめるようなエンドレス地獄感を期待していた。
  • なお、↑の展開って要するに(事前にガンダルフが来ることを知らない場合の)LOTR TTT の角笛城の篭城戦ってかんじなんだけど、GoW2 の LOCUST 軍団は、かなりベタに LOTR っぽいノリで描写されてたと思うのでそれでいいんじゃないかと思う。
  • 最後じゃなくて中盤あたり、地下宮殿あたりには結構「どこまでいきゃいいんだ」感はあった。あすこを抜けるとラクなんだよな気分的に。カジュアルゲーマーを見込んだ難度調整として、最後のあたりは一気に駆け抜けさせるという調整意図はあるのだろう、ということは実質地下宮殿が最終チャプターと見ることができ、それならそれで納得できなくはない…というよりむしろ、そこを抜けたあとの展開の速さはかなり凄いし、ライドアクション面は勿論として、Brumakに辿り着くまでの流れるようなステージ展開とかはスゲエとしかいえないんだけど、そのあとの、最後の最後だよ問題なのは。やっぱ死ぬ要素のないウスノロ最終チャプターってのはどうなんだ。おれたち取替え可能の消耗品をやりに来たんであってゴジラになりたいわけじゃないんだよ。ビオランテを倒したいわけでもないんだよー。

…ていうか、そのエンドレス地獄部分だけを抽出したゲームモードがつまり、Horde モードか。だから別におれの不満は GoW2 内で解決可能だね。つくづくよくできてるなあ。