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最近のインターネット

  • Podcast ゲームモゴモゴ(http://www.lovefool.jp/p/gamemogomogo/) Pre 02 回の「現実に表示されてたらおもしろそげなパラメータ」みたいな話で、寂しさや痛みが定量化されて表示されてる、みたいなのあったけど、おれそれ長年微妙だと思ってんだよね。というのは、なんかどうも「あいつとおれが同じ痛みを受けたとして、それが各人にどれくらい堪えるか」というのが、定量化できないよーな気がして。まあおれがそういう信仰だから疑り深いって話なんだけども。
  • たとえば、ものすごく痛がりなやつが居て、そいつが 20 のダメージを受けてもがき苦しんでいるとして、おれにとって 20 のダメージが大したことなかった場合、おれは 20 という数値を見ても同情しないと思うんだよね。そんくらいで大騒ぎすんな迷惑な、みたいな。数値化することで却って同情が減る気がする。
  • じゃあダメージの定量化ができたうえで、各人の痛みへの耐性を考慮した比率で表示するようにするとどうかというと、「あーおれでいえばタンス怪人に角で脛を蹴られたくらいかー」と思って同情できそうだけど、それならそれで痛み耐性高い人間から不公平感出ると思うんだよね。ようは「おれにとっては無茶辛いこれ、あんたにとっては大したことないんだから、代わってよ」みたいな話になったら話違いますよねみたいな。辛いことに耐えられる人間に辛いことが集中するとしたら、その状況はクソですよねというか。
  • たとえば「ものすごくワガママで癇癪持ちで世間知らずな子供が居て、まあクラスメイトを自分の子分か何かだと思ってるもんだから無茶苦茶な命令をする、だが当然そんなやつは無視される、そうして一人になったそいつの寂しさゲージを見たら現在 15 万だった(通常なら 2,000 くらいで致死量)」とか。寂しさ 15 万のそいつにおれは同情すんのかといえば、まぁしない。15 万という数字を見ながら「そうなんだ、じゃあおれ生徒会行くね」てなもんだよね。
  • でもそんな思考では、おれはこの世で一番のワガママキングであるところの赤ん坊の世話などに耐えない社会不適合者ということにたぶんなるので、ふつうインターネットでおおっぴらには主張しづらいところよね。仮に叩かれる場合に一般化されているのは、「こいつは誰に対しても共感能力がない」という読み取りで、そんなの自己申告しかないネット上では根拠ないんだよね。テレパスでもないんだから人間には他人の痛みなんかわからないのが当たり前で、しかし共感能力みたいなのはある前提になってるから。人付き合いでは共感能力をアピールしたほうが有利だが、一方で共感能力が高すぎる人間にまともな生活なんか送れるわけがないという前提もあって、そこに引き裂かれた人間が他人の共感能力を監視したりヒステリー起こしたりする。普段の生活圏で段ボーラーやブルーシーターをスルーしながら生きている人間は誰であろうが冷酷なんだけど、いちいち面倒見てたら自分の生活が立ち行かなくなる、他人の痛みがわかりすぎる人間がこんだけ悲しい話が溢れてるインターネットなんかやっていられるはずがない。
  • 合理的な解決というのは「とても悲しいが私は無力だ」らへんだが、いまどきは一票を束にして市民参画だなんだと無力でも居られない。で、情報の多い土地や空間を触れてると自分のそうしたストレスにはやめにぶち当たるが、ぶち当たらずに済んでるのどかな人々との軋轢もある。というわけで情報が増えれば増えるほど、不努力な人間は自分が冷たい人間だと自覚して不感症を強めていくんだが、冷たいだけだと動物として不利だし寂しさも抱えるので、自覚的な共感範囲の運用みたいな話になっていく。まあ家族友人親類縁者とかですよね。…みたいなのが「とにかく現代から先を生きていく貧乏オタにとってますますオタ友は手放してはいけない財産になっていく」の下敷きになってたんだったな、みたいなのをちょっと思った。すごい関係ない話になっていったね。
  • …というわけで、ゲームモゴモゴでメールのひとが「寂しさゲージが欲しい」て言ってたのって、他人のことはどうでもよくて、奥さんや子供に対してだけなんじゃないかと思った。とくに子供。いつ寂しがってるのかわかれば、おとうさん的にはかなり助かるんじゃないかなあ。
  • あれやね、街でいろんな親切をやらない自分にぶち当たることで「おれは冷たい人間だ」と強く自覚するがゆえにやたら身内に優しくしようとする神経症みたいなのが家族とか絆とか言ってて、そしてそれをまた自覚するナイーヴさによって共感して癒し合う、みたいなのがインターネットの仕事、みたいな。まぁでもそこまで陥っちゃうようなら、街でササッと親切して動物としての自己肯定感を自給自足しといたほうが病まないかなという気もする。

最近のアニメ - ラブライブ関連

  • アニメ版ラブライブみるかーと思ったけどリップクリーム問題(http://d.hatena.ne.jp/matakimika/20130410#p1)がー。がー。
  • ダラーっと流したあとラブライブソシャゲを遊び、それからまたアニメに戻ってくると、なんとも不思議なかんじになった。アニメは、見たというより「再生しつつ別のことしてた」だけなので、あんま画面見てない。したがって絵を見てる時間は圧倒的にゲームが多い。で、ゲームではストーリー類を全部スキップしているので、キャラの絵を見る機会だけやたら増えて、名前は数キャラくらいうろおぼえ。でも矢澤ニコは覚えた。
  • で、再びアニメに戻ってくると、なんか「あ!このキャラ知ってる!」てなるんだけど、でもじゃあそのキャラがどんなやつなのか、というのは全然知らない、毎日けっこう見てるのに、みたいな…えーと「同じ駅から通勤通学してるひとが出演してて「おっ」てなるけどそのひと知らない」みたいな感覚?
  • あと「このスクショを SR あたりでカード化しておれにくれ」みたいな短絡的なスコア欲求が。
  • 「おっ、その曲知ってますぜ!」みたいなのはあるのでアニメに親しみやすい。
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  • ニコセンパイのドーラン似合いそうな七五三ヅラ。あとニコセンパイ回の ED、ニコセンパイ独唱やないですか…一応フィーチャーされている…。アニメ見てるとニコセンパイくらいにしか印象持てないのは、主な顔芸担当がニコセンパイだけだからだな。もうちょっと珍声でおもしろがらしてくれる系の担当も居たほうが親しみやすい、やっこちゃんさんみたいなかんじの。
  • アニメのファーストライブが悲惨だった回、「あれか AKB のいつか横アリ一杯にしようねの誓い的なやつか」みたいなことをボンヤリ考えている自分がいる一方、「若いモンが悲しくて寂しくて痛々しい目に遭ってる」というそれ自体が見ていてツラい。
  • 全体的に「あーカレイドスター系のノリの…」みたいな印象があって、おれとかだともうその時点でかなり腰が引けちゃって入れ込めなくなってた(←作品自体よりも、過去に観測したそれを熱烈に支持する人々のノリに若干怯むかんじ)んだけど、ゲームやってから見たらだいぶおれの態度が軟化してるので素直に見れるね。