ユーラシア大陸陸路横断1998-99 このページをアンテナに追加 RSSフィード

1998-09-11 ムルタン〜クエッタ(パキスタン編8)

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 ムルタンからクエッタ行きの列車に無事乗り込んだ僕は、少し腹の調子が悪くなり始めていた。毎日、水分ばっかり取っているせいだろうか。

 列車は全く電気が点かずに、夜は真っ暗。懐中電灯で照らしながら、何とかトイレまで行き、用を足していると、手が滑り、懐中電灯を便器の中に落としてしまった。便器の底は穴が開いていて、線路に落ちるようになっているのだが、下を見ると光が見える。どうやら途中で引っ掛かっているようだ。僕の懐中電灯は、電池が切れるまで、ずっと便器の底を照らし続けるのだろうか。


 席は4人のボックス・シートのはずなのに、なぜか僕ひとり。チケットは売り切れ、満員のはずではないのか。全く謎である。あんなに大変な思いをしてチケットを取った苦労は何だったのか。

 席には、次々と色々な人がやって来た。一体誰なのか、全く分からないが、銃を持った兵士と車掌が車内をウロウロして見張っているので、特に気にもせず、眠りに付いた。

 それからどのくらい眠ったのか。突然、股間を触られたような感触に驚き、ハッと目が覚めた。何と車掌ではないか。「何しやがるんだ!」と怒る僕に、車掌は笑いながら、去って行った。「そんなに股を広げていたら、触られるぞ。」という意味だったのか?、いずれにしても冗談じゃない。ここはゲイが多いイスラム圏、一瞬たりとも気が抜けないのを忘れていた。


 それから、予想外の夜の冷え込みも相まって、ほとんど熟睡出来ずにいるうちに、打って変わって強い日差しと共に朝がやって来た。いつの間にか4人になったボックス・シートで、隣のオヤジが話し掛けてくる。

 「日本は仕事がいっぱいあるだろう。」 いつもの質問だ。これぐらいの英語なら聞き取れる。

 「どうかな。」

 「サラリーはいくらぐらいだ?」

 「さあ・・・・・」

 「おい、オレの話、聞いているか?」

 「ごめん、悪いけど、黙っててくれないか。眠いんだよ。」 暑さと眠さと疲れで、イライラしていた僕はついそう言ってしまった。

 列車はゆっくりと南下する。暑さはさらに増してきたような気もする。インダス川を越え、パキスタンで最も治安が悪いと言われるスィンド州のサッカルを過ぎた頃、ペットボトルのミネラル・ウォーターが底をついた。

 灼熱のパキスタン南部を想定して、ある程度、僕は水の量を計算していた。にも関わらず、水が無くなってしまったのは、何故かと言うと、周りにいたパキスタン人たちが勝手に僕の水を飲むからなのだ。しかし、それを責めるつもりはなかった。お互いさまなのだから。しばらくすると、彼らはお詫びのつもりなのか、途中で止まった駅の水道の水を、ペットボトルに入れてくれた。(僕は水道の水が飲めないから、ミネラル・ウォーターを持って来たのだが・・)

 前の席にいる信心深い老人は、礼拝の時間を知らせるアザーンがなくとも、その時間が来ると、座席に上に布を敷き、方位磁石でメッカの方向を確認して、何度もお祈りを繰り返す。何度それを見ただろうか。

 相変わらず、車内はサウナのように暑いが、ある程度を超えると、もう暑いんだか何だかよく分からなくっていた。僕は、パキスタンで最も暑いと言われるジャコババードの辺りでも、眠っていたのだ。いや、もしかしたら気を失っていたのかもしれない。もはや悟りの境地である。


 列車は山岳地帯へ差しかかり、スイッチバックを繰り返しながらも、ひた走る。高度と夕暮れのため、再び涼しい風の吹き込む車窓を、ひたすら眺め続けた。次第に車窓には、ポツリポツリと街の明かりが。

「あれがクエッタか?」 何度も尋ね続ける。

「違う。まだだ。」 しかし、その度に否定された。

 ムルタンを出て、もう24時間を越えている。ため息をついたが、いつかは着くだろう。そう、僕がゴールと決めていたユーラシア大陸の最西端、ポルトガルのロカ岬にだって、いつかは着くだろう。ゆっくり行けばいい。そう思いながら、この列車で2度目の闇夜に目を閉じた。


 目を閉じると、まぶたに焼きついた街の明かりが、浮かんでは消えた。それはまるで、便器の奥底でむなしく照らし続ける懐中電灯の光のように思えた。