2012-01-05
辰年だからタツノオトシゴを見てきました(@マリンピア松島水族館)
辰年=タツノオトシゴの年
新年、あけましておめでとうございます。今年も本ブログをよろしくお願い致します。今回は、辰年だからということで、マリンピア松島水族館にタツノオトシゴを見に行きました。
辰年だからタツノオトシゴ…というと、何だか無理やり関連付けた感をおぼえる方もいらっしゃるかもしれません。しかし、そもそもぼくは十二支に魚類が入っていないことが不満なので、そんな些末な問題は気にならないですね。タツノオトシゴの方がホンモノの龍なんかよりも(ホンモノの龍とか見たことないですが…)絶対にカワイイに決まっているので、『かわいいは正義』理論に則れば、タツノオトシゴ=more 正義 than 龍 と言うことも出来るはずなのです。
▲タツノオトシゴ=カワイイの証拠画像(id:bunny114さんに書いて頂いたタッツィー(自慢))
ただ、そんなぼくであっても辰年=タツノオトシゴと言うのに些かの躊躇もないか、というとそうではありません。何故なら、タツノオトシゴは学名Hippocampus、英語ではSeahorse、すなわち『海の馬』という意味であり、午(うま)年にあてはめるのが妥当なのでは?という議論があるためです。
「辰年と午年、2回ともタツノオトシゴでいいんじゃない?(matsukazuto氏の主張)」
「いやいや世界的にはタツノオトシゴ=馬なんだから(グローバルスタンダード派の主張)」
「でももう辰=タツノオトシゴって結構定着してるしね…(現状維持派・前例主義派の主張)」
「まあ午(うま)年は馬っていう実在の動物がいるわけだし…龍って実際はいないわけだから、タツノオトシゴを龍に当てはめれば丸く収まるんじゃない?(事なかれ主義派の主張)」
などという議論が今も続けられているという…
今日はその議論に終止符を打つべく(現状維持派・前例主義派を擁護するための資料集め)、マリンピア松島水族館にタツノオトシゴを見学に行ってきたので紹介します。
マリンピア松島水族館へ
松島水族館は、松島海岸駅(仙台から電車で30分)から徒歩2〜3分で行くことが出来ます。規模はそこまで大きくないですが、地域に根差した良い水族館ですよ。1927年に開館した水族館なので、伝統のある水族館と言えます。今の建物は1974年に建設されたので、結構古くなってはいます。
まずはペンギンがお出迎え
水族館に入ると、まずはペンギンが出迎えてくれます。ちょうど雪が降ってきたので、ペンギンチャンは大喜びしていると安易に解釈しました。
▲超・大喜びのペンギンたち…
▲とても嬉しそうです
タツノオトシゴと対面!
タツノオトシゴ以外はあとで紹介するとして、早速タツノオトシゴの資料を紹介します。松島水族館では、ちょうど
2011干支展 「辰にちなんだ魚たち」
みたいな展示をやっていたので、辰年=タツノオトシゴを水族館という権威が認めたことになります*1。
▲オオウミウマ(オオウミウマという名前については触れません)
今回展示されていたのはオオウミウマという大きめのタツノオトシゴ。
▲シャー!
タツノオトシゴって小さいヒレみたいなのだけで泳ぐので、他の魚に比べて体を使って泳いでる感じがしないのが特徴です。ただ流されてるだけのように見えるのがカワイイですよね。
他に『2012年干支の魚たち』で紹介されていたのがドラゴンフィッシュ(通称)。ハゼの仲間ですね。
▲こっちの方が龍っぽい気もしますが…
▲ブワッ
サンゴタツ
松島水族館には、もう一種のタツノオトシゴが展示されています。それがこのサンゴタツという魚で、さっきのオオウミウマの1/3くらいの大きさでした。
▲サンゴタツ水槽
▲流されるサンゴタツ(かわいさ致死量)
▲コードにつかまるサンゴタツ(かわいさ致死量)
▲「竜の巣だぁっ!!」「竜の巣!?これが!?」(一人芝居)
うっかり一人芝居に興じてしまうほどの興奮は伝わってきますでしょうか…。水槽内には変なピロピロしたものが植えてあり、それにサンゴタツが多数つかまっていてすごくかわいいですよ。
ちなみに、松島水族館ではサンゴタツの繁殖と放流を行っているそうで、過去にこんな記事もありました。
他の水槽
資料集めはこのくらいにして、他の水族たちを見に行きましょー。他の水槽では、クラゲや熱帯魚などの他、イルカなんかも元気に泳いでいます。
▲松島湾を再現した水槽には珍しい個体が↓
ナマコのアルビノ、初めて見ました。前来た時はいなかったような気がすします。アルビノっていうのは、ごく稀に生まれてくる、色素が欠乏した個体のことで、ナマコのアルビノは珍しいとのこと。
▲クラゲ盛り合わせ
クラゲは前に紹介した加茂水族館ほどではないけど、色とりどりでやっぱりキレイですよね。
松島水族館には関係ないですが加茂水族館に関してこんなニュースもあり、クラゲ界が盛り上がりそうで楽しみです。
加茂水族館の新築計画が公表 [山形] _インターネットミュージアム
▲イロワケイルカなんかもいます
松島水族館の水槽は、古い水族館によくあるような市民プールの壁みたいな色をしていますが、展示はかなり充実しており、このイロワケイルカ水槽のほか、大きな水槽が5つくらいあります。
▲解釈の難しい状況に陥ってるタカアシガニ。。
▲カクレクマノミ先生
おっ!最近水族館の人気者的立場をチンアナゴ先生に追われそうになってるカクレクマノミ先生じゃないですか…(ソースなし)
今や飛ぶ鳥を落とす勢いのチンアナゴ先生。しかし、チンアナゴ先生がいくら頑張ってニョキニョキしても、さすがに飛ぶ鳥までは届かないと思います。
▲ハコフグチャン(個人的NO1)もいるよ!
▲安定のヘコアユ(あんまり動かない)
▲辰年=タツノオトシゴの件は、もう既成事実ってことでいいか…(と言ってそうな顔をしています)
本来の目的を忘れ、松島水族館の紹介みたいになってしまいましたが、いかがでしたでしょうか。
このように、今年も(?)がんばって水族界とお出かけ界を盛り上げて参りますのでよろしくお願い致します。
終わりに
辰年なので松島水族館に行ってタツノオトシゴを見てきました。実際、タツノオトシゴは辰年にふさわしい魚として*2展示されていたので、よい資料になりました。みなさんもせっかくなので、近くの水族館にタツノオトシゴを見に行ったら良いと思いますよ!
ちなみに
松島水族館は、海岸近くにあるので、今回の東日本大震災による津波で被災してしまいました。そのときの様子が写真で展示されており、あらためて津波のおそろしさを認識しました。アクアマリンふくしまもそうですが、被災した水族館の復旧への尽力には、本当に頭が下がる思いです。
2011-12-31
2011年を振り返る
▲二人羽織に興じるブロガー
2011年ももう終わりです。今年は震災があり、震災と関係ない時間はだいたい研究をしていたので旅行に行ったりとかはあんまり出来ない一年でした。来年こそは…と思わなくもないですが、来年は博士論文の提出を目指していることもあり、今年以上に時間が取れないだろうと予想しています。
でも、その分ネットでの活動はそれなりに充実しており、アウトプットはあんまりなかったですが精神的な面でだいぶ助けられたな〜という気もしています。今年一年、ありがとうございました。
そろそろ更新しないとせっかく有料オプション使ってるのがもったいないのと、はてなブログというサービスが登場したのでダイアリーの方を何とか盛り上げたいという気持ちから、今日は2011年を振り返るという企画を行いたいと思います。今年はほとんど何もやってないこともあり、振り返ってみたらホントに何も無くて驚いたので、一部捏造も交えつつ2011年を充実した年に仕立て上げようと思います!
北京旅行
今年3月、地震が起きる前に北京旅行に行ってきました。
- 北京・オリンピック公園で赤く煌く「鳥の巣」と、青く輝く「水立方」を見る−北京旅行記その1
- 廃墟×アート×工場!798大山子芸術区がすごい!−北京旅行記その2
- 北京を丸ごとミニチュア化した北京市規画展覧館がすごい!
北京旅行はとても楽しく快適で、また行きたいと思ってます。そういえば、「什刹海」っていうとこにも行ったのですがまだブログに書いてなかったので近いうちに書く予定です。什刹海っていうのは下の写真のようなモリモリした寺みたいなのや昔の中国の偉い人の家なんかがあってエキサイティングな観光地です。
いずれブログでもちゃんと書きたいです。
ベストツイート
今年はブログなどあまり書かずにtwitterばかりやっていました。皆さんのポストがとても楽しく、揉め事に巻き込まれることもなく充実したtwitterライフを過ごせたと思います。中でも、id:semi_colonさんとid:hey11popさんのポストが素晴らしかったと思うので、勝手に表彰させてもらいます!
■semi_colonさんのポスト
@cicada_colon: [不思議]泣ぐ子はビネガー!と言って酢も持ち込んだとか持ち込んでないとか。 / ナマハゲは鎌倉時代に海を渡りネイティブ・アメリカンと出会ったのか? - 無回転レシーブ URL
このポストはブクマコメントを連携させたものだと思いますが、有無を言わさぬ面白さがあるので選出させてもらいました。
■hey11popさんのポスト
人のベーコンを食べてしまう妖怪の話が怖かった。鬼太郎のベーコンが食べられてしまい目玉親父が体内に飛び込んで取り戻すシーンがあったかなかったかはわからないが、今から思えばベーコンではなく霊魂だったかもしれない
http://twitter.com/#!/hey11pop/status/114967426382315520
hey11popさんの投稿は非公開ですが今回、特別に許可を頂きました。ベーコンは意外と破壊力が高い素材で、これまで数々のベーコンネタで笑わされてきましたが、このポストはその中でもトップクラスに面白かったです。
ホントは「ツイートオブザイヤー」みたいな形で、ほかにも色々面白かったポストも含めて紹介したかったのですが、年末は多忙だったので無理でした…
買って良かったもの
今年買って良かったものNo1は、パール金属社のチョコレートファウンテン。これがあればいつでも気軽にチョコフォンデュが楽しめますし、何より女性からチヤホヤされる可能性も高まります。
実は洗うのが結構大変なんですけど、チヤホヤされればそんなの全然余裕です。フルーツと鈴型のカステラも忘れずに。
▲失敗例
チョコレートの流動性の管理が難しく、練習は少し必要です。
モレスキンのローラーペン。これは正確には買ったものではなくて友達からもらったものですが、書き心地も良いし、知的でエレガンスな匂いもするので気に入ってます。角ばってるので好き嫌いはあるかもしれませんが、整理しやすいし、お勧めですよ。
震災関連
▲地震当日のぼくの机
震災関連では下記の記事を書きました。
この記事は地震から一カ月の間の、自分の生活の記録をどこかに残しておきたいと思って書きました。被災して、4月を迎えるまでの記事です。いま見るといろいろ思い出されて結構つらいですね。
これまでに書いてきた、東北地方の観光をまとめた記事で、たくさんの反響をいただきました。震災のあと、ボランティアや観光でいろいろな方が東北を訪れてくださったみたいで、何人かの方がこの記事を読んで大内宿や松島に行ったと言ってくださったのでとても嬉しかったですね。
マンガ
秋田書店 (2011-07-08)
今年はわりとマンガをよく読んだ年だったと思うので、良かったものをいくつか挙げたいと思います。上の3冊はもう既に結構有名なマンガだと思いますが(ほとんど有名なものしか読まないけど)、どれも神懸かっていて面白かったですね。「ぼくの小規模な生活」は5巻目、「乙嫁語り」は3巻目ですが、最高でした。下の2冊も上の3冊ほどじゃないけど結構知られてるかな?と思いますが、気になったら読んでみてください。ナナマルサンバツはクイ研のマンガ、ハルシオンランチは不可解なマンガです。
哲恩のエピソードが好き。
おわりに
今年1年を振り返る企画を実施しました。来年は今年以上にネット活動が少なくなる可能性が高いですが、twitterやブクマ、ブログなんかで見かけた際にはよろしくお願いします。それではみなさん良いお年を(ギリギリ)。
2011-07-01
北京を丸ごとミニチュア化した北京市規画展覧館がすごい!
第1回目⇒北京・オリンピック公園で赤く煌く「鳥の巣」と、青く輝く「水立方」を見る−北京旅行記その1
第2回目⇒廃墟×アート×工場!798大山子芸術区がすごい!−北京旅行記その2
以前、id:superartlifeさんのブログでは東京オリンピック誘致のために作られた東京都市模型が紹介されており、ぜひ見に行こう、見に行こうと思っていたにも関わらず、結果見に行けなかったということがありました。
この悲しい心境をマイチャイニーズ友達に吐露したら、「中国にも似たようなのあるよ」と言われたので、せっかく北京に来たことだし…ということで北京市の巨大都市模型があるという北京市規画展覧館に行ってきました。どうやら上海にも同じようなものがあるそうです。
アクセスですが、地下鉄2号線の前門という駅で降り、東に徒歩5分くらいで着きます。この前門という駅は天安門広場に続く最初の門である正陽門の目の前の駅であり、天安門、紫禁城(現故宮博物院)などの超有名スポットや前門大街という繁華街に近いので、ついでに寄るくらいでも良いと思います。
さっそく行ってみましょう。
▲エントランスにある北京市全図
さっそくエスカレーターで会場へ向かいます。エスカレータのスペースは1〜4階までが吹き抜けとなっており、その壁には北京の市街地が立体的に刻まれている金属の板を見ることが出来ます。かなり大きいので、圧巻ですよ。
二階には、比較的小さなオリンピック公園、故宮周辺の模型があります。最初に見たときはこれだけでも結構いい感じだな〜と思ったのですが、巨大都市模型を見た後にこれを見ると、どうも…
鳥の巣、水立方も忠実に作られ、カッコよくライトアップされています。
二階は他に謎のギャラリースペースと、北京市の各区を紹介するスペースになっています。右側の写真は石景山区を紹介するパネルです。あの有名な石景山遊園地があるところですね…。書いてあるのは中国語がほとんどで、わずかですが英語も書いてあったと思います。ぼくは一緒に行った中国人の人に翻訳してもらいました。
いよいよ巨大都市模型と対面です!
ジャン!これが北京市の巨大都市模型です。3階にこの模型が置いてあり、4階から俯瞰することが出来ます。模型のスケールは1/750と聞いています(ホントかな〜)。写真から分かるように、模型が無い部分は航空写真となっており、今後はこの部分を増設予定だとか。
航空写真は床仕上げ材にキレイに印刷されています。ちょっと分かりにくいですが、下の写真のように、模型部分と航空写真の部分はちゃんと連続しているみたいです。
ちょっと近づいてみると、一つ一つの建物が結構精巧に作られていることが分かります。ぼくは学部の頃、建築模型を徹夜で作った経験が何度もあるので、これを作るために投入された人工が気になってしまいます…。そして、嫌な思い出が…
有名な建物では、この辺のオリンピック公園の鳥の巣なんかもかなり精巧に作られています。オリンピックタワーの存在感が過小評価されている気もするのですが、気のせいでしょうか…
下の写真はレム・コールハースという超有名な建築家が設計したCCTVです。3次元に複雑な形状をしていることが分かります。
ちなみに、このCCTVには実際に行ってきました。複雑な形態と、建物表面に刻まれた紋様がカッコいいです。このCCTVの隣には、火事になったことで有名になったCCTVの付属ビルがまだ残されていました。その時の様子⇒中国国営TV局(CCTV)火災Part2(経由、原因)
模型では、CCTVの紋様も忠実に再現されています。
CCTV側から市街地を眺めます。ちょっと遠くに見える茶色っぽい部分は故宮ですね。
全体像です。果てしなく広がる北京…
下の写真は「真っ赤に染まる北京」的な血なまぐさい演出ではなくて、北京市街地の都市計画を説明するために光を当てている状態です。説明はアナウンスで(もちろん中国語)、道路が黄色く光っているのが分かるかと思いますが、この写真の瞬間はこの道路を説明しているわけです。
その他の展示
その他には、北京の歴史を振り返る今はやりの(大型)電子書籍(手をページをめくるようにかざすとページがめくれる)や、、
また、下の写真のように、故宮の詳細な模型もありました。北京の注目スポットが全体像の中で位置づけられるので、とても良かったと思います。
感想
北京市規画展覧館に行ってきました。東京都市模型を見ることができず悶々としていた気分が少し晴れました。
かなり精巧に作られた巨大な都市模型、圧巻なので北京に行ったら是非行ってみて下さい。
2011-05-24
廃墟×アート×工場!798大山子芸術区がすごい!−北京旅行記その2
▲カッコいい工場と
▲オシャレなギャラリーが
かなりアツいスポットであるところの798大山子芸術区に行ってきました(2月末から3月はじめ)。798大山子芸術区は、国営の軍事工場が閉鎖された跡地に建てられた一大アートスポットであり、最近は国内外の有名なギャラリーが出展していることで世界的に注目されています。「閉鎖された軍事工場」と聞くだけで廃墟好きの人はアップを始めてしまいそうになりますが、ここは廃墟以外にもアートスポットとして大変な魅力を持っているので、この記事を読んで気になった方はここに行くためだけに北京に行くのも良いくらいだと思いますよ。
「芸術区」というだけあってかなり広大な敷地にギャラリーやショップが点在しており、小奇麗なギャラリー、毛沢東のスローガンが残っている工場を生かした展示空間、現在建設中のアトリエ、怪しい路地にあるオシャレなショップなど、とても驚きに満ちていました。個人的にはこの798芸術区を今回の北京旅行の最重要スポットとして位置づけており、入念な下調べと体調管理の下、気分や所持金など、あらゆるピークをこの地に集中していた甲斐あって、すごく楽しめました。
798芸術区に
北京の市街地から地下鉄2号線、13号線で「東直門駅(东直门站)」という駅まで来ると、バスが複数出ていますが、今回はタクシーで798芸術区に。ぼくは同行した恋人が中国人なのであらゆる交渉ごとは彼女に任せ、余裕で到着しました。たぶんガイドブックとか見せれば日本語でも大丈夫ですよ。
▲案内板。こうして見ると小さいように感じますが、実際は一日ではとても廻りきれないほど広い。
798芸術区そのものはただの街区なので自由に出入りできます、ギャラリーに入るときに入場料を支払うシステム・・・とはいえ、ぼくが行ったときは全て入場料が無料でした。街に入ると、道端にいろいろなオブジェが置かれており、歩いているだけで楽しくなってきます。道端に色々なオブジェが置いてある、という状況は日本だと直島を連想しますが、こっちは直島ほどキレイでもないし、すごく雑然としていてややアウトサイダー寄りの印象です。
▲不可解なオブジェ
▲頭の上半分がなくなってる。食べられちゃったのかしら・・・
▲ちらっと道の脇の方を見たら子供がこっちみてる!怖い!
芸術区の大半は冒頭で説明したように旧工場跡地をギャラリーやオシャレなショップに改装して使用しているものが多いです。旧工場建物は煉瓦造であり、いい感じに古くなっていて雰囲気があります。
▲芸術区の典型的な建物。版画を展示・販売しているお店です。
▲このギャラリーはぼくが行ったときは改装中でした。でも何故か自由に入れたという。
そういう、何というか、自由な感じがいかにも中国的でおもしろかったです。
▲カフェもたくさんあります
怪しい路地裏も見逃せない
大きい街路からちょっと小道に入ると小規模なギャラリーがたくさんある路地に出ます。これらの路地はあまり管理されている雰囲気がなく、やや危険臭がしましたが、結構観光客も多いので実際に危険な目に遭うことは少ないのではないかと思い入ってみました。
▲ココから入ってアピールを見て入ると・・・
▲なんか怖い感じの場所にでたりしますが
▲ちゃんとオシャレなショップがあって安心
▲オシャレなショップではオシャレな時計が売っていました。
▲そのほかにも、怪しい感じの小道は無数にあります。
▲この怪しい感じMAXの扉を開ける勇気はありませんでした…。
という風に、隠れたギャラリーやショップが多くあり、意外なところで良さげなお店と出会うことができるのも798芸術区の魅力です。
UCCA
▲いざUCCAへ
続いては、798芸術区の大きな目玉ギャラリーであるUCCAを紹介します。UCCAとは、「ユーレンス現代美術センター(Ullens Centre for Contemporary Art、UCCA)」のことで、中国アートを大量に保有していることで知られており、このギャラリーは後で紹介する時態空間と並ぶ798芸術区の目玉となっています。
▲怪しい通路の中にホントの入り口があります
UCCAは中に入るとキレイでモダンなギャラリーで、しかもすべての作品の撮影が可能でした。日本だったらギャラリーなどに行っても内部の撮影が禁止されていて旅行ブロガーを悶々とさせるところですが、その点、とても素晴らしいことだと思いますね(自分にとっては)!
▲すごくキレイ!
▲ひとつひとつの照明
これは楊勇(YANG YONG)というひとの作品で、色々な色彩・形状の照明がたくさん配置されていて、すごくいい感じでしたね〜。上の写真のように、ひとつひとつの照明がカッコよくデザインされています。
▲凌健(LING JIAN)という人のMOON IN GLASS
▲不可解な作品
こんな感じでなかなかハイクオリティな中国人アーティストの作品が展開されていて、すごく充実していました。写真撮影がOKとはいえあんまりたくさん作品を掲載するのはやや気が引けるのでこの辺にしておきますが、たくさんの作品を見ることが出来てとても満足でした。このほかにもオシャレなグッズがたくさん売ってるミュージアムショップやカフェなどもありますよ。
▲オシャレカフ(準備中…)
もう少し芸術区の紹介を
798芸術区は、廃工場を中心に今も開発が進んでいて、新しい建物も結構多くあります。その他、さっきのUCCAもそうですが、国外のギャラリーも色々進出してきているようでした。
▲民族衣装を扱うショップでした。それにしてもオシャレな外観だな〜
▲こういう風に、廃工場とモダンなコンクリート打ち放しのギャラリーが隣接していたりするのです。
▲エキセントリックな改装をされた建物
▲廃工場全景。色々落書きされてるのが生々しいですね…
▲銀座の東京画廊も進出していました
798時態空間
▲いざ
798芸術区のもう一つの目玉、時態空間です。ここはUCCAとは違って廃工場を前面に押し出しているギャラリーで、ガイドブック等にもこの時態空間の写真が使われることが多いです。
▲時態空間に至る通路には798芸術区以前の工場の写真が
▲その他にはこんなのも
時態空間への通路は割とキレイでした。1980年に何が宣言されたのかは皆目検討がつきませんが、きっと何かが宣言されたに違いありません。一応、国営工場なのであんまりアナーキーな内容ではないと思うのですが。
▲さびれた採光窓がいいかんじ
今回、時態空間では特に展示はされていませんでしたが、中は見ることが出来ました。
入ると、採光窓を確保するためにやや不規則な形のアーチが連なっている建物であることが分かります。そして、毛沢東をたたえる謎のメッセージが。この工場は1950年代からのものなので、ちょうど毛沢東が中国で重要なポストに在位していた時期と重なります。
▲奥はカフェになってます。
▲楊芸術中心
同じ工場建物内には楊芸術中心(中心=センター)があり、楊さんの作品が展示されています。楊芸術中心に楊さんの作品が展示されているのは当たり前ですが、楊さんはぼくの知り合いだけで3人いるので、どこの楊さんか書いてくれないと分からないし、当たり前の情報しか書くことが出来ないので改善されて欲しいところです。
▲楊さんの作品
閑散としていましたが、作品は良かったです。楊さん、すごい。
751D-PARK
798芸術区のすぐ隣にある、D-PARKにも行ってきました。ココは、2006年ぐらいに誕生したデザイン事務所などを誘致する地区で、798芸術区のデザイン版です。751D-PARKは798芸術区よりもやや近代的な工場跡地で、なかなかカッコ良かったです。D-PARKの入り口では、蒸気機関車が出迎えてくれます。
▲D-PARK!
▲D-PARK内の道端にもオブジェがあります
▲昔は751駅(站)があったのでしょうか
D-PARKに入って少し進むと、本格的な工場地帯に。デザイン事務所っぽい建物もありますが、少々閑散としている印象でした。
▲工場地帯にあるオブジェ
正直言ってぼくはそこまで工場趣味はないのですが、このD-PARKはなかなかカッコ良かったです。工場の見せ方がちゃんとデザインされているように感じました。たとえば、下の写真のパイプの這わせ方とか。
▲何故か南国風味満点の撮影スポットが…
パイプの這わせ方を説明するための写真に、思わず目を疑ってしまうような謎の撮影スポットが…。あまりに不可解すぎて、頭がおかしくなってしまい、思いっきり釣られて写真まで撮っちゃいました…。しかしこの日の北京は最高気温5℃。南国風味に似つかわしくない東北生まれの厚着の男が「南国気分ってこういう感じなんだろうな…」と精いっぱい想像して撮った写真です。
▲はしゃぐ男
▲かなりギラギラした工場。煙突の高さが際立つ感じもいいですね〜
▲逆光ですが、右側の物体はカッコいい彫刻です
798芸術区の勢いに負けじとD-PARKにはがんばってもらいたいですね。
おわりに
北京旅行記その2として、798大山子芸術区を紹介しました。
飛ぶ鳥を落とすような勢いのあるスポットですが、怪しい感じの場所ですらとても楽しかったのでスゲーおススメです。アートや廃墟などに興味があったら、是非行ってみて下さい。それと、何て言うか、中国のギャラリーは全体的に「おかたい」感じはまったくなくて、すごく自由奔放に楽しめてとても新鮮でした。きっと、やってる側もそういうマインドなんだろうな〜
2011-05-05
(今さらですが)地震発生から一ヶ月の記録
はじめに
地震発生から二ヶ月が過ぎようとしています。ぼくの生活は、原発への不安を除けばほぼ完全に地震前と同じレベルまで回復しましたが、生活の隅々まで見渡せば、今回の震災に起因する不自由・不便がまだたくさん残っていて、これを徐々に回復していく作業を今後1年くらいは続けていかなければならないのだな・・・と思うくらいの段階にいます。
一方で、ときどき仕事で沿岸部の方まで行く機会があるのですが、未だ復旧の手がかりすら掴めていない地区もあり、本当に暗い気持ちになります。一日も早く復旧出来るよう、ぼくも仕事を通じて貢献しているつもりですし、今後も続けていきたいと思っています。
今回は、本当に今さらですが、地震発生から一ヶ月の記録を忘れないうちに書いておこうと思いました。以下、twitterで当時のつぶやきを交えながら進めて行きたいと思います。
3/11
地震が発生したとき、ぼくは大学の研究室にいました。ぼくが所属する研究室がある建物は、独自の緊急地震速報システムを備えていて、予想される震度が3を超えたときに速報が流れる仕組みになっています。
そのときは研究室の自分の席で仕事をしていました。瞬間、緊急地震速報が放送され、最初に放送された震度は4でした。大したことはないと思いつつも、近くに置いてあったヘルメットを取って、自分の席から離れることにしたのですが、その10秒後、少し小さなゆれが続いた後、震度4とは思えないほどの大きな揺れが、研究室を襲いました。
宮城県民の中には、「ついに来たか」「これは本物だ」などと思った人もいたのではないかと思います。宮城県は、2000年代に入ってから3回、大きな地震を経験していますが、大被害が予想される宮城県沖地震の再来が、10年以内に90%の確率で発生すると言われていて、こうした大きな地震が発生するたびに「これは宮城県沖地震ではない」と言われ続けてきた経緯があります。
今回の地震での大きな揺れは、ぼくの記憶では2回ありました。最初の1回は、壁にしがみついて何とか持ちこたえました。研究室のパソコンはほとんどがこのときに倒れ、食器棚からは食器が散乱し、床の上には食器の破片が飛び散りました。
多分その5秒後くらいに、もう一度大きな揺れがあったように記憶しています。2回目の大きな揺れのとき、ぼくの机の後ろにある、高い本棚がぼくの席をめがけて倒れてきて、本をぼくの机にぶちまけていました。でも、自分があそこにいたら、と思ったのはもう少しあとのことで、そのときは研究室のほかの学生に大声で呼びかけ、全員の無事を確認しながらゆれに耐えていました。
▲地震後に撮ったぼくの席。本棚は壁に固定されていましたが、倒れました
▲後で調べてみたら、本当に大きな揺れが二回来ていたようでした。
揺れが治まったあと、すぐに全員の無事を確認し、防災訓練のときと同様、広場に避難しました。点呼を取り、偉い人の指示を仰ぎ、というようなことを一時間くらいやったあと、家族に電話しても繋がらないので、とりあえず車で県南部にある実家に向かうことにしました。
ところが車で比較的交通量の多い道に出るところで、大渋滞が発生していることを知りました。車の中での待機中、twitterでこういうときは緊急車両が通れなくなるので運転してはいけない、ということを知り、夜、比較的交通量が安定してくる時間まで、学校で待機することにしました。学校近くの公衆電話を利用して家族、親戚、恋人などと連絡を取ろうと試みましたが、停電の影響と回線が込み合ってる関係でほとんど誰とも連絡が取れず。そうしているうちに、かつて市内では経験したことのないほどの暗闇があたりを包み、本当に何も見えない感じになったのでとりあえず車の中で待機することにしました。
しばらくtwitterで情報を見ながら、自分が無事であること、雪が降ってきていることなどをポストしながら時間をつぶしました。
死ぬかと思った
twitterの過去のポストを振り返ってみると、こんな内容を地震発生の数時間前にポストしていることを思い出し、思わず苦笑い。
60水槽のために底砂と耐震マット買ってきました。耐震マットは4000円くらいで少し高いと思いましたが、こないだの地震で怖いと思ったので少し奮発。宮城県アクアリストは地震対策が必須・・・
地震当日に耐震マットを買っていたのに、設置はまだしていなかったという。買った水槽には幸い水を入れてなかったので、被害はありませんでした。
少し話は飛びますが交通が比較的安定してきた夜になって、県南部の実家に車で帰宅しました。その道中、地震で道路に発生した亀裂がとても多いのが目に留まりました。ぼくは能登半島地震、岩手・宮城内陸地震などの被害調査を経験しているので、その光景のひとつひとつは見慣れたものでしたが、その数はこれまで見た地震の中では飛びぬけて多かったと思います。
実家に着いたのは夜の10時過ぎで、インターホンが停電で鳴らなかったので、扉を強く叩いたのですが反応はなく、まさかと思って近くの病院に走って「うちの家族が来ていないか」と確認したのですが、来ていないというので、懐中電灯の明かりが漏れている隣家の人にうちの家族の安否を訊ねました。地震発生から一時間後くらいにうちの祖母を見た、というので、とりあえず安心し、じゃあどうしようか、と思ったところで実家の中から光が見えました。母が窓から顔を出し、「あら、あんた帰ってきたの」と言い、鍵を開けてくれました。家族全員の無事を確認し、とりあえずほっと一息。
実家にはラジオがあり、今回の地震は被害が甚大であること、津波で沿岸の多くの市町村が壊滅的な被害を受けてることなどを知り、何となくやばそうな雰囲気だけは察知しました。家族と地震時の状況を色々しゃべったあとは、懐中電灯の電池ももったいないのですぐに寝ることに。
ちなみに実家も断水・停電でしたが、母が帰りがけにコンビニで買ってきた食糧と、保存がきくような食品がもともとあったのでしばらくは大丈夫そうでした。
3/12
3/12は実家の食糧を食いつぶすのも悪いと思い、しばらく戻らないが心配しないでくれと伝えて朝早く仙台市に向かいました。
確か、この日はすごくいい天気で、道中周りの建物が壊れていないかなど色々見ていました。ブロック塀がたくさん倒れていたのが印象に残っています。途中、長町で信号待ちをしていると40代くらいの女性が車の窓を叩いてきて、葛岡の方に息子がいるが車もないしタクシーもないから乗せてってくれないか、ということだったので乗せて行くことにしました。国道286号線を西に進むと、道沿いのガソリンスタンドに長蛇の列が。後々、これがぼくたちをどれだけ苦しめることとなるか、まだ知る由もなかったのですが。葛岡に女性を降ろした後、アパートと大学を結ぶ道が封鎖されていることを知っていたので、たぶん直接大学に行ったと思います。
大学に着くと、ちょうど助教の先生も来ていて、今後の対応について色々話しました。ぼくのミッションは研究室学生の安否を確認することに決まったので、車で市内を駆け回り、留学生を中心に、家を知ってるひとのところを回りました。何人かに会って無事を確認した後、少し時間があったのでついでに自分のアパートにも寄りました。電気・水道・ガスは予想通り停止していましたが、ガスはプロパンなのですぐに復旧させることが出来ました。冷蔵庫が止まっていたので生ものはその場で調理し、食器が散乱する中、必要なものだけ車に詰め込み、大学に戻りました。
夕方、大学に戻ると、多くの学生がホールに避難してきていて、発電機が回っていたので携帯の充電とテレビの視聴が出来るようになっていました。そのときはじめて、津波で家が流されていく様子などを見て、いよいよこれは、ホンモノの大震災なのだなと実感しました。
ホールには、概ね研究室の学生が集合していて、皆元気そうなので安心しました。食料の配給もありましたが、手をつけるのも悪い気がしたので乾パンをひと缶貰って、家から持ってきたキャベツを牛角の塩キャベツソースにつけて皆で食べていました。
それと、携帯の充電が出来たので、中国にいて被災を免れた恋人の電話番号を確認して、公衆電話から無事であることを伝えました。心配で夜も眠れなかったらしく、連絡が遅れて申し訳ない…中国でも今回の地震はかなり放送されているようでした。
国際電話も無料だったので、かなり嬉しかった。でも、停電が長引くにつれ、公衆電話も次第に使えなくなっていった記憶がありますが…これは記憶違いかもしれない。
この日はその後、アパートに戻ってすぐに寝ました。電気がないし、やることもないので…
以降、やや駆け足で進みます。
3/13〜17
3/13からは、大学の災害対策本部が立ち上がったのでそこに間借りして過ごすことに(電気・インターネットが使える)。
ぼくの研究分野は地震と関連が深いところなので、大きい地震が起きると何らかの仕事(復旧支援・調査など)がはじまることが常です。自分たちが被災者でありながら、仕事をこなすというのは肉体的にはつらかったですが、精神的には仕事に集中する分、だいぶ楽だったと思います。
連日、大学の災害対策本部でワークに明け暮れているが、これがなかったら精神的に結構きついですね。ワークは気晴らしになります。
仕事は、まず地震情報の収集を行うことだったのですが、これはすぐに終わりました。まだどこもバタバタしているのか、地震情報は気象庁くらいしか出してなかったし、つくばにある防災科学研究所は停電の影響でサーバーに接続できませんでした。それと、3/13は被害情報の収集のために少し県北の方も回りました。
仙台市は政令指定都市で地下鉄もありますが、基本的には車社会であり、だいたいの家庭では車を所有しています。単身暮らしの人も、スクーターなどを持っている場合が多く、ガソリンの供給が断たれると身動きが取れなくなってしまうのです。市内のガソリンスタンドには、次の日の営業があるのかすら分からないのに深夜から行列が発生しており、各所で渋滞もみられるようになってきました。並べば並ぶだけガソリンを消費するし、そもそも並ぶだけの余裕もないし、でもガソリンはない…という状況で、日を追うごとに状況が逼迫していく感じが苦しかったです。
3/14からは応急危険度判定という、建物の使用の可否を判定する仕事をしていました。
建物を調査して、こういうステッカーを貼る作業ですね。2000年以降、被災地を見た経験のある方はこのステッカーも御存じなのではないでしょうか。
今は応急危険度判定という、余震による二次災害を防止するために、建物の使用の可否を専門的知見に基づいて判定する活動をしています。
こうした活動と同時に、情報収集も進めていきました。どうやら津波の被害は本当に深刻であり、沿岸部の市町村では1万人が亡くなったとか、原発が危ないとか。ラジオからは政府や東電やマスコミに対する不満が増えてきたように思います。
原発に対する不安はこの頃から日増しに高まっていきました。留学生の多くは国から避難するよう指示(強制力は各国で差があった模様)があったようで、バスを使って山形−新潟−東京経由で帰国していたようです(東北道が通行止めだったので)。
この辺りから漠然と、本当に原発が危なくなったらどうしようかとぼくも考えていました。実家が仙台より原発に近いところにあるからこっちに避難させようとか、北に逃げよう、でもガソリンないし、東北道は通行止めだし、バスも満員だろうしとか、勝手に避難したとしても補償されなかったらひどい目に遭うとか…結局、結論は「まあいいか」でした。家族にはせめて仙台に逃げるよう促したのですが、体の悪い祖母を置いていけないということでした。
3/15くらいから、電気は復旧したはずです。災害対策本部までの交通はバスを利用することにしました。主要な路線でバスが走り始めたのもこの頃。
うちのマイママチャリ、グレートバリアリーフ号は昔、千の山を超え、万の海をわたった事で知られ、耐久力には定評がある。
結局、グレートバリアリーフ号はパンクしていて使えなかった。ガソリン不足は続きます。
そしてこの頃から、長期戦を覚悟し始めます。
食料については、運よく地震直前に買い込んでいた切りモチがあったのでとりあえず1週間は大丈夫でした。飲み水は地震前に生協で貰った水が4リットルくらいありました。雑用水は、お風呂に溜めてある水があったので大丈夫。あとはサバ味噌・サンマの缶詰等の支給を本部で受けていました。自分は比較的災害強者なので(…というのも何か恥ずかしいですが、被災地での経験は多いし、食料や水の備蓄は平均より多いだろうし、若いし)なるべく配給は受けないようにしていました。被災者なんだから別に受けてもいいとは思うのですが、何というか、矜持というのか、そういうのを精神的な支えにしようとしていたんじゃないかと思います…。
3/17の午前は仕事を休んで仙台の市街地へ。広瀬通の店で念願のシャワーを浴びました。約1週間ぶりで、だいぶイライラしていたのでこれでかなりスッキリしました。15分1000円というのは高く思えますが、この頃の相場はこんな感じだったと思います。
お昼はぼくの好きな牛タン屋に行ったら牛タン弁当を売っていました。お店の人は大忙しで、すごい速さで牛タンを焼いており、大変そうでした。1つ買って食べましたが、あまりに美味しくて、なぜか泣きそうになりました・・・
今日は仕事を休んで仙台の街中へ。広瀬通の店でシャワーを浴びる。牛タン弁当を売っているお店があったので、一個買って食べた。すごく旨かった。
- ジャンル:牛タン
- 住所: 仙台市青葉区国分町1-4-21
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- (写真提供:新潟のトシ)
夜は国分町へ。3/17は精神的にだいぶ落ち着いた日でした。この頃街は殺伐としていたし、個人的にもやや参ってきていた時期だったので。
3/18〜3/31
もう臭くない服なんてないんだけど・・・
この服は比較的臭くない
服の臭さに耐えつつも、3/20は日曜日であり、街へ買い物に出かけました。仙台の中心街である一番町では、色々なお店が臨時営業しており、たとえば寿司屋さんがサイドメニューとして出す業務用のから揚げを売ったりしていて、人々の生活のために在庫を放出している例が多かったと思います。ぼくも買いました。
一番町の鮨勘で業務用から揚げ1kgゲット!
食料の不安はこれでほぼなくなりましたが、そろそろ本当に水とガソリンが無い生活が辛くなってきました。市街地では水は結構出てるところもあったのですが、どうもウチのアパートがある地区は水道の系統が街中とは異なるようで、復旧が遅れていました。自動販売機は電気が復旧している場所では稼動していたのですが、なにせ、流通がほぼ止まっていたので・・・(それでも何故か缶コーヒーだけはあった)。
ガソリンは、2chで情報をチェックするものの、なかなか確実に手に入るところが無いようでした。このとき車にはほんの僅かしかガソリンが残っていなかったので、並んだのに給油出来ないという最悪の事態を避けなければならず、なかなか給油に行けない・・・という状況が続いていました。
もう家に帰ってすぐに、期待しながら蛇口ひねるのやめよう・・・ガッカリ感がけっこう堪える
鈎取のヤマトの集配所で県南の実家に荷物を送ったが、状況が読めないので配達まで1週間みてくれ、と言われた。
そう言えば、この頃から宅配便も業務再開してました。COOPで食料と水(ヴォルビック)を購入して実家に送ったのでした。この頃はスーパーも品薄状態ではありましたが、徐々に通常営業を再開していました。なぜかカップめんコーナーには「赤いきつね」だけが無数に並んでおり、「緑のたぬき」の生産がはじめられない状況を想像しつつ、「黒い豚カレー」のことは完全に忘れていました・・・
恋人とはこの頃ほぼ毎日連絡を取っていて、4/1から東京で仕事が始まるのにあわせて日本に帰るか、それとも就職をやめて中国にとどまるかという相談も。結局、日本に来ることにしたので、急ピッチで引越しの準備もすることに。
3/27には、ついに水が出ました。
流し場の蛇口をひねったあとに、サイフォン効果的な大きな音が鳴り、すごい勢いで水が流れ出しました。ひとまず落ち着いて、どうせ大きな余震があるだろうから流し場や散乱した床を片付けるのは後にして、まずは風呂に入ろうと決め、風呂に入り、ひげを剃りました。個人的なひげの長さ記録を更新中だったので、ひげだけは残しておきたかった気も今思えばするのですが、気持ちが高揚しすぎて正常な判断力を失っていたのだと思います。
水が出た!!
ヒゲを剃ったぼく、かわいい
3/28には福沢のエネオスに1時間くらい並んだら給油できました。灯油の補給も出来ました。ガソリン、灯油事情はこの週には劇的に改善されたように思います。
復旧関係の仕事では津波の被害を受けた女川町も訪れました。
昨日の女川が衝撃的すぎて、今日も作業中にふと、脳裏にあの悲惨な光景が浮かんでくることもありました。
自分の生活が復旧しつつある一方で、沿岸部ではまだ片づけすら終わっていない状況でした。ニュース等では知っていましたが、あまりの光景に言葉を失ってしまいました。
船が瓦礫を整理して作られた道を塞ぎ、鉄筋コンクリートの建物も倒壊し、車が何台も瓦礫の上に積み重なり、木造の建物はそのほとんどが原型をとどめず…
4/1〜
ぼくは地震発生から、4月2日をひとつのマイルストーンというか、そういう位置づけでみていて、この日までは何とか頑張ろうとか色々思っていたのですが、ようやくこの日を迎えました。4月2日はぼくの誕生日です。結局この日は、帰国した恋人に荷物を届けるべく東京で過ごしたのでしたが、被災した中で迎える、記憶に残る誕生日となりました。
大変だったけど、この日を目標にがんばりました。今日で26歳!
そういえばこの間は、地震前に出した論文の査読意見が問答無用で送られてきたりしていて、復旧の仕事と平行して対応していたので本当に辛かった記憶があります。そのほか、ショートペーパーの執筆や諸々の雑用などがあり、誕生日はちゃんと覚えている一方で、この時期はあんまり記憶に無いのです・・・
4/7は大きい余震があった日です。
この時はアパートでブログを書いていたのですが、かなり大きく揺れました。この頃にはだいぶ揺れへの耐性もついてきていて、携帯電話が使えなくなる可能性を考慮してゆれてる最中に実家にスカイプで電話して無事を確認するという、むだに高いスキルを発揮したのでした。最大震度は6強で、普段ならそれだけでも名前がつくほどの大きな地震ですが、ただの余震扱いされてるところに今回の震災のすごさがあると思いました。
うちのアパートは大丈夫でしたが、どうやら復旧したライフラインがまた停止した人もいたらしく、ぼくだったら心が折れてたかもしれません。
せっかくココまで復旧したのに・・・これでライフラインが止まったら、気持ちが切れるひと、たくさんいると思う。
このとき書いていたブログというのは、
で、たくさんの反響をいただきました。東北地方の復興のために書いた記事なので、たくさんの方に読んでもらえて本当に嬉しかったです。このGWにはたくさんの方が東北を訪れてくださったようですし、この記事を書いて本当に良かったと思いました。
以上が、ぼくの地震発生から1ヶ月の記録です。
おわりに
東北地方太平洋沖地震から一ヶ月の生活をまとめました。
あんまり書いていませんが、原発に対する不安はまだまだあり、予断を許さない状況ですが、そんな中でも被災地の復興に向けてがんばって行きたいと思います。
なお、これ以降、なるべく本ブログでは平常運転を志向して北京旅行記などの続きを書いていこうと思います。その他にも、また東北地方の旅行記なども書いていく予定ですので、今後ともよろしくお願い致します。



































































































































