matsuok’s diary

あくまでも個人的意見であり感想です

人生観が問われる

最近読んだ本で衝撃的だったのは、以下の本だ。

「余命3カ月」のウソ (ベスト新書)

「余命3カ月」のウソ (ベスト新書)

ガンには治るガンと治らないガン、そして治す必要のないガンがあるということだ。必ずしも医学界では主流とはなっていないようではあるが、これは認めたくない事実かもしれないと思えてしまう。巨額な公共投資をしている地震予知も実は予知はいまだに実現しておらず、様々な予兆らしきものの監視に費やされている現状。
人間は科学により不可能を可能にしてきたという思いが、ガンという不治の病を克服するという漠然たる期待があることはゆがめない。実際、克服されたガンもあるわけで、そもそもガンというのが、様々な病気の症状の呼称であるのかもしれない。細胞の異常な繁殖による正常細胞機能の阻害がガンだとしたら、ガンを克服するのは途方もない取り組みであるということも理解できよう。外科的な手法は、摘出できる部位があるというだけでそもそもガンの原因を除くものでもない。ガンの治療方法は確立もしておらず、相変わらず死の恐怖をもたらす病気である。
著者の主張でもっとも個人的に考えさせられたのは、「がんもどき」説。ガンになったからといって、必ずしも死に至らしめるものばかりではないというものだ。ガンというものの治療が困難であり、治療行為そのものがQOLを著しく劣化させるという現実は皆嫌というほど理解しているのだが、生きたい、生きていてほしいという人間の根本的な思いは、ガンと戦うか否かの人としての哲学的選択になり科学的な判断ではない現実もである。
しかしながら、死に至らしめない、あるいは進行が著しく長期なガンだとしたら、その選択の幅は大きく変わりうる。10代や20代の世代であれば、または幼い子供をもつ親である場合と高齢となり死が身近に感じる世代であれば当然異なる。子供が自立した70代となり平均余命が10年余りとなった時、ガン宣告により、QOLか確率の低い延命かの選択を迫られるとしたら、あなたはどうしますか。これは家族が決めることではないと思います。やはりその人自身の選択であるべきと。
私の父は、誤嚥性肺炎となり、嚥下ができないため医師の勧めによりPET、つまりおなかに穴をあけて流動食を流し込むということになり、結果としてほぼ2年余り寝たきりになり、最後には体が流動食からも栄養を吸収できなくなり亡くなった。食べるという行為を断念して得た2年の延命は父にとってどうだったのかと今でも疑念が消えない。
その父は、70歳ごろ、口の中に腫瘍が見つかり、手術で摘出している。自覚症状があったわけではなく、入れ歯が合わなくなり歯科医に行った際に指摘され紹介された病院で摘出を進められたわけだ。その手術が終わったのち、医師に呼ばれて宣告されたのが、組織検査の結果、悪性ということだった。本人には告知せずそのまま退院した。今から思えば、その医師は抗癌治療も進めなかったのは卓見だった。その後、父は10年以上たってから、全く別の原因で亡くなったことになる。これが、「がんもどき」だったのではないかと。
アメリカの著名な女優が乳がん予防のために、健康な乳房を切除したことが伝えられて議論が賛否両論である。実は乳がんには、死に至るものと死までにはいたらないケースが両極端にあり、早期発見により乳房を削除してしまう必要がない可能性もあるが、リスク回避で切除してしまうケースが多い。しかしながら、もし死にいたる乳がんだとしたら、乳房を切除しても転移して死に至るということは、はたして早期発見で一律に切除という行為が必ずしも正当ではないのではとおもえてしまう。
シリーズ日本の近代 - 逆説の軍隊 (中公文庫)

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徳川某重大事件 殿様たちの修羅場 (PHP新書)

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