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2016-12-25

12/25

ひと呼吸置いて発言を取りやめることがそんなに難しいのかと平生考えるが、現に自分はまったくできていないのでどう考えても難しい。言葉が脳みその大人の部分をなんの抵抗もなくすり抜けてしまう。想像力の欠如だ。もとから多分にあるとは言えなかった思いやりとも言い換えられるそれがほとんど無になり、なんのフィルターも通さずに喜怒哀楽をぶちまけていく。

思い出は水物だ。ただなんとなく、心をすり減らさないために何もかもを忘れる。実務的なことだけ記憶に残る。内省が減り、暴力に変換された。私はいつだか直属の上司を呼び出して説教した。おまえは人様に迷惑をかけて、それをあろうことか人様のせいにまでして、いったい何をやっているんだ?という問いかけと怒りを朝っぱらから積み上げた。責任も取れないような上司の下ではとても働けませんよ。そんなことを、親と同じような年齢の上司に言わなければならないなんて、とんだ地獄絵図だと思った。もう風化してしまったが。

こんなぺーぺーに社会的地位もなにもないので言いたいことをすべて言い尽くしていつかやめてやろうと思っていた矢先に、めでたくかねてからの希望部署に配属され、でも今このタイミングで異動するのか?もしかして、あの狼藉をだれも知らないのか?と思った。


移動時間が減った。ひとりきりで音楽を聴いて物事を考える時間だ。己との対話がなくなり、境界が希薄になる。口と底意地が地獄のように悪いことを省みる。許された気にでもなっているのだ。滑稽だ。直せるかどうかわからない。


込み合う地下鉄の駅で知らないおじいさんと口論になった。道行く私をわざわざとっつかまえて「俺の前を歩くな」と文句を言ったおじいさんに、「いつからこの道はあなたのものになったんですか?」と逆上させてしまった。こいつなら言い返してこないとでも思ってなめた態度を取りやがってと一瞬で心が冷えて、怒らせて殴られても仕方ないと思って言った。警察沙汰にしてしまえば話のネタにはなるなと考えてしまったのが間違いだった。私には既に社会性がない。

2015-12-27

12/27

振り返ることもなかったから気が付かなかったけれど、思春期以前と思春期真っ只中だったころの記憶をほぼなくしていた。見るに堪えない出来だったことだけ覚えているので自己防衛だと思う。

思いやりも配慮もまったく理解できなかったおめでたさだったことは今更口にするのも憚られる、他人をばかにしていた自分がばかにされていることを伝えてくれる正しくて賢いだれかの存在を信じることもなかったし、そんなものはそもそもいなかった。思い出話は過去だ。過去の自分は殺されなくても死んでいるから、あーはいはいありましたねあんまり覚えてないけど、と笑えるようになっていた。

ぐずぐずのメンタリティをどこかに置いてきてしまった。あまりにも自分に興味がないのだと気付いていなかった。つながりが希薄で葬式に呼べるような人たちもさしていないので、今年も年賀状を出さずに終わる。


おもしろがって抱えていた己の発達課題と呪いと、いったいいつさようならしたんだ? 確信がないまま輪郭がぼやけて、穏やかに、確実に死んでいった。「そんなんだからおまえはだめなんだ」という言葉を見知った顔が言うのを、新しい関係性を、遠い場所から人格を否定されるのを、話半分に聞くようになった。どうでもよかったからだ。興味がない、少し前までは自分の生き死にには少なからず興味を持てていたはずなのに、そんな想像もできなくなった。

酒の席でぺらぺら喋れるようなやさしい思想も哲学もないことに、自分にも他人にも興味がないことに、首を絞められている。

主体と客体について考えてみても自分は客体としての身体を持てるほどおもしろくなく、また主体とするにはあまりにも感覚が剥落していた。それでも消費されることに対しては明確な嫌悪があるためにどれだけ自己感覚が薄れてしまっても主体で居続けるほかないので、いわゆる生の実感を持たないといけないな、と思った。

わがままほうだいやっているけれど、それが何にもなっていない。


そんなことを言っても理不尽な仕打ちに簡単に腹を立ててしまい、あろうことかそれを隠すことができないので、社会ってたのしいけどむずかしいですね。これは自己愛だ。いつか必ず殺す、くらいのことは相も変わらず思うけど私が手を下すその前に死んでしまうだろうから、それさえ待つことができるのならば剥き出しの敵意は邪魔になるんだね。そういう賢さを学ばなかったことは我ながらアホだと思う。


社会性と哲学、思想を見つめなおすには鏡がいる。何も考えないまま一年を過ごしてしまった。

2014-12-20

12/20

本棚の整理をしていて、数年前までの想像力の欠如はたいして人と関わらないくせに登場人物がばたばた死んでいく小説ばかり読んできたからだと少し思った。感情移入する間もなく人が物として死んでいくならそんな隙間もない。

心に傷を残すには喪失がいちばん手っ取り早い。わざわざそんな思いをするのは狂気の沙汰だと避けてきたことはあながち間違いでもなかった、マイナスのイメージはしつこくついて回るからだ。どこかで誰かが惨い死に方をしてもそれを知る必要はまったくない。急に平山夢明が読めなくなったことで、他人の死を楽しむ回路が鈍ったような気がした。

考えようによっては、思い入れのような心の重荷を意図的に下ろせるのであれば喪失はとてもよいことだ。


自分の骨を自分で拾ってみたかった。自分の生死が自分だけの娯楽では有り得ないのを許すことができないなら誰にも悟られずにいなくなるほかない。それなのにいつか死んだときには弔ってほしいなんてことを考えてしまうから、考えはどこまでもまとまらない。


好意はその対象以外に向けない方がいい。自分が受けた好意を自分の中だけで消化できないのはなかなかもったいないことだ。



マリリン・マンソンめっちゃこわい。ライブ映像がこわい。1stのシンプルなバンドサウンドが非常によかった。

2014-12-14

12/14

生き死にの話をしたい。こういうことばかり考えているのはいつか必ず存在する未来と現実に対して納得したいからだ。

幽霊が怖くなくなったり、時折強く死にたくないと思うのも生理現象としてまあまあ受け入れられるようになったりと、そのときどきの自分に寄り添って遊んでいる。

スターリンの遺した「死がすべてを解決する」という一節は、理不尽な場面でもがけばもがくほど真実味を増すんだろう。一人の死は悲劇だけど集団の死は統計上の数字に過ぎないし、死ぬのはいつも他人だから、死ぬことを常時薄めて生きているこのご時世こそいつ己が剥落しても仕方ないような気がする。


冗談で死にたい、スペースシャトルに乗って死ぬのはかっこよすぎるからまったく似合わない。愚かだから英雄的な結末を美しいと思ってしまう。美しく生きられないなら美しく死んでいくこともない。

うっかり手に入れた拳銃を偽物だと思い込み、ふざけて自分に向けて発砲するのが理想だった。理不尽が死を招くなら、考えうる最善手はこんなものだと思う。

今の生活、まったく死にたくないのでそこそこいい。自らの生き死にすら娯楽になってしまった。



ナンバーガールが青春だったことは過去にならず、いつまでも美しいので、大人になっても後生大事にしまっておくんだろう。思い出にならないまま残るのは自分と息をしているからだ。




難解な熟語のテンポが悪いわけではなく、それを自分のものにしていないから読みにくいだけだ。平易な言葉選びは自分の身の丈でやるべきだ。

2014-12-07

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実直に見えるその姿に涙してしまうんだなあ

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