なぜ、アニメは感想と批評の境界があやふやなのか

前回のブクマレスを兼ねて、
ブコメの情報を取り入れてみた。


Q、なぜ、感想と批評の境界があやふやなのか


A、
第一に、話題にすべき要素が多く、ただの感想に見えにくい(前回から流用)
第二に、批評のハードルが低い
 →なぜ批評のハードルが低いのか?
  ?一見、批評のためのヒントが多い(=簡単そう)
  ?先人が少ない(=難解な批評用語が少ない)
  ?原作との比較でお手軽批評(原作モノ限定)
第三に、感想に自分語りが混じって、批評っぽく見える(実際にはただの感想)


・批評と感想


批評と感想の違いは客観的か主観的かの差だと思います。
客観自体が存在するか、とかの哲学的な問いはスルーします。


つまり、批評というのは、
あるかないかも分からない、その作品の「客観的な評価=正解」
を探る作業だと思うわけです。
まあ宝探しみたいなものですね。


zsphereさんの言うように、そんな宝はないのかもしれない。
漱石」という宝は少なくともまだ見つかっていない。


ただ、昨日書いたとおり、アニメの宝の地図は、一見すると色々とヒントが書いてある。
見た人に「あ、俺でも宝探せるかも」と思わせる。
しかも、その宝の地図に、まだ歴戦の海賊たちは手を付けていない
(simulacreさん言うところの、「難解な批評言語がまだそれほどない」)
ので、手軽に宝探しに参加出来る。


でも、prisoner022さんのコメントの通り、宝場所を「明示」してあるわけではない。
ヒントが多いだけで、明示はしてない。


しかも、、
>「スタッフの意図=あるアニメの面白さ」じゃない(mae-9さん)
のです。
宝がちゃんとスタッフの隠した通りの場所にあるとは限らない。


なので、アニメ批評のハードルは低い(FTTHさん)
宝に近づくことは出来る。
でも本当に宝を見つけるのは、そんなに簡単な事ではない。


 それに対して、感想は「俺がこう思った」だけでおk。
ないのかもしれない宝を追わず、好きに旅行をして土産(貝殻とか石とか)を手に入れる。
他人には分からないかもしれないが、
その人にとってはそれが記念の宝物なのです。


まあそういう意味では、宝探しをしてたはずが、適当に貝殻拾って終わりになってる、という
>「アニメ批評は感想に近くなる」(sfkenさん)
というパターンもあるだろうし、
普通の旅行のつもりが、簡単そうだから宝探しをしてみるか、という
「アニメ感想が批評に近くなる」
というパターンもあるでしょう。
つまり、「なぜ批評と感想の境界のあいまいなのか」という問いの方が、
両方向に対応していて、漏れが無い。




・本文に組み込めなかったブクマレス
>tobofuさん
「自分語り」がメインなら、それは少なくとも批評ではなく、
どちらかというと感想なんじゃないですかね。


>northlightさん
善悪まではわかりませんね。
「批評」というもの自体の価値があるのかどうかから考えなければいけないかもしれないけど
さすがに、それは大変すぎるw


>cs133さん
原作モノは「原作との比較」という批評が多いんじゃないかと思います。
そこもアニメの批評がお手軽な理由の一つですね。


>ryu-tenさん
「絵が動く」という事がどれだけ特異なことなのか、という事でしょうね。
当たり前のように感じている人も多いかもしれませんが。