ウテナについて諸々の資料

ch3cookさんの
http://d.hatena.ne.jp/ch3cook/comment?date=20090531#c
でのコメントレスのレスを

>段取りするかしないかで、構成する苦労が全然違うと思うんですよ。
>そこですね、僕が言いたいのは。

>蝶→蛹→幼虫→卵は理解してましたが、あれは好きな人を純粋に好きなのか、それとも嫉妬するのか、と言う>ところで蝶→卵になっていると、十何話かで男の子が部屋に入ったのに蝶が蝶のままで、ここは君のような人>間のくる場所じゃないとか言われたときに確信しました。で、確実に何かで動いてたわけだから、蝶を伏線と>して話の後半に折り込んでも良いはずなのにと思ったんです。

>因みにリンゴはコンテ・演出の時間稼ぎのイタズラ、蝶→卵は脚本に書いてあったこと、とそこで僕が突っ込>むのか突っ込まないのかが決まりました。



 まず、段取りについて。
構成の苦労というのは作り手側とかあるいは視聴者の論理なんですよね。
つまり、「作り物」をどう簡単に巧く作るか、
そしてそれが消費しやすいかどうか、という価値観。


そういうアニメも勿論あっていいと思うけど、
「表現」に主眼を置いた方が作品に幅が出るのではないか、という話。


そこらへんは、ほしかわたかふみさんも


http://blog.livedoor.jp/kanadeyukino/archives/836587.html


で書いています。
わかりやすい、苦労のない方向で行くなら、段取りを入れた方がいいですが、
「表現」(この場合は雪乃というキャラや、作品自体の方向性)を優先すると
ああいう「段取り」を省いた形になるということです。


昨日、大地丙太郎の「常識に捕らわれないコンテ」という話を引用したが、
同様に、段取りに捕らわれない表現が素晴らしいという考え方。


大地のドアノブの話なんかいかにもだよね。
京アニクラナドでは
「外開き」の扉が「内開き」に開くことはない。
それは外開きという「設定=段取り」に反するからです。


・「蝶→卵」について
ch3cookさんが「蝶→卵」になぜ反応したかやっと分かった!
なるほど、19話か。


ウテナの19話というのはある種変則的なスタッフワークが行われている回で、
風山十五(五十嵐卓哉)が脚本と絵コンテを兼任してるのです。
そういう意味ではウテナにおいて、ほぼこの19話だけは
「脚本=コンテ」なんです。(注:29話は月村の脚本がある)
「蝶→葉」という演出自体は橋本カツヨ細田守)のものですが、
ch3cookさんの反応した


>十何話かで男の子が部屋に入ったのに〜


という部分だけは、確かに脚本段階から盛り込まれてたはずなのです。
ここまで反応出来るとは、
ch3cookの段取りセンサー恐るべしと言う他ありますまい(K様風)


ただ、面白いのはこの脚本とコンテを兼任したことについて五十嵐卓哉がこんなことを言っている事


(以下アートオブウテナより)
―― 風山さんは19話「今は亡き王国の歌」で脚本も書いていますが。

風山 ええ。でもあれはちょっと、こういうパターンではできないな、と思った経験でしたね。
  シナリオがコンテみたいになってるんですよ。
   コンテでやるようなことをシナリオに書いちゃったもんだから、積み重ねが非常に難しくて。
  普通だと第三者がシナリオを書いたりして、 各スタッフがいろんな要素を持ち寄って、
  そこに積み重なることで生まれる世界があるんだけど、シナリオとコンテの両方を書いてしまうと、
  その工程が一つなくなるんですよ。それが僕的にはつらかった。

―― 普通は脚本からコンテの段階で飛躍があったり、批判があったりするという

風山 でも僕的にはそれって大事なことの一つなんじゃないかって思うんですよ。
  そりゃ行き過ぎちゃうとちょっと問題もありますが。
   自分で思いついた事を脚本にしていくと、そこでもう絵が想像出来ちゃうんですよね。
  19話で唯一救われているのは、これはあくまでシナリオ、コンテでの話ですが、
  20話と対の話であるということです。作風が全然違うという事です。
  20話は月村さんと橋本(細田守)さんの世界ですよね。その差があったから救われた気がします。
  
(引用終わり)


脚本の段取りを破壊・再構築することで、
表現としての積み重ねがある。


これは出崎統が自分で脚本書いちゃってる時にも言えると思う。


逆に劇場版クラナドなんかは、原作の破壊・再構築が
表現の積み重ねになっているのが目に見える。
それはGENJIも同様。


あとせっかくだから、前回の「リンゴ」についての錦織博のインタビューも、
ウテナという作品の本質がわかりやすいので載せておく。


(以下アートオブウテナより)


―― 5話の打ち合わせというのはどういうものだったんですか?


錦織  打ち合わせの時に出た話っていうのは、後で聞いたら、
  人によってそれぞれ違ったみたいなんですけど、自分が言われたのは、
  「時間の流れ、映画的な時間や空間は普通にしなくていいと思う」
  ということでした。変わった雰囲気を出すために、時間とか空間にこだわりすぎないで、
  面白い絵と絵とをつなげばいいんじゃないかっていう話ですね。
   Aパートの最後のリンゴがうさぎの形に剥かれる表現なんかも、
  幾原さんの話がヒントになっているんです。
  「パイナップルが次の瞬間バナナになっているという表現の飛び方もアリなんじゃないか」
  っていう。それが、「時間が飛んじゃってもいい」という話で。  
  (中略)  
    榎戸さんの脚本が要求していたということもあるんですが、
   1カット1カットにいろんな意味を持たせたり、いろんな受け取り方が可能なものにしようと。
   単に物語を語るだけの絵じゃなくて、別の意味や情報が入っているというのは
   脚本からも感じられたので、シナリオ通りでない絵をつけるという事は意識しました。


(引用終わり)


まあイタズラっちゃイタズラ。思想のあるイタズラ。


この方向の作品に興味を持った方は是非ウテナ見てくださいねw