持てる者と持たざる者の書きなぐり

666さんのhttp://d.hatena.ne.jp/n_euler666/20091201
にインスパイアーされたんだが、
考えがまったくもっとまとまらないので適当に書く。


・じゃあ「岡ひろみ」は持てる者なのか持たざる者なのか


これが分からない。
エースをねらえは最初


岡ひろみ(持たざる者) ⇔ お蝶夫人(持てる者)


という感じで出てくるんだけど、
ひろみは挫折しつつもお蝶夫人を超えていく。


類似したというか、一種のパロディ・オマージュであるのが
トップをねらえ」と「カレイドスター
それぞれ


ノリコ ⇔ カズミ
ソラ  ⇔ レイラ


という対比になる。
展開も大体そのまんま。


結果的には「持てる者」達を超えていくんだけど、
彼女達はみんな最初は「持たざる者」だった。
「努力」とか「挫折」とかそういったもので話を作っていく
「持たざる者」で始まる一つの典型。


余談ですが、この典型では「持たざる者」が「持てる者」になる奇跡の根拠である「努力」、
これをどう表現するかが重要。
それを表す面白い言葉
佐藤順一監督の



「特訓して特訓して、また特訓して、減量して、鉄球を受け止め、丸太を押し返していれば、空飛んだっていいんだよ!」

という発言。
この過程をちゃんと表現しないと、「最初から持てる者」か「超展開」になってしまう。


さらに余談ですが、
出崎統という男は基本的に「持たざる者」しか興味がないので、
岡ひろみが成長してしまうと、
もう岡ひろみには注目しなくなって、「持たざる者」になったお蝶夫人にべったり。


その結果、お蝶夫人こと竜崎麗香が「エースをねらえ・ファイナルステージ」の事実上の主人公になっている。
カレイドスターで表現すれば「4クール目は全部レイラハミルトン物語」といった感じだろうか。


・「持たざる者」もう一つの典型
それは端的に言えば、「ドラえもん」の野比のび太
こいつは凄い。
まるで成長していないw


彼は「持たざる者」であることはアイデンティティであり、
いつも変わらず失敗している。
でもだからと言って必ずしも彼が不幸ではないことを描いたのが
のび太結婚前夜
未来の彼はまったくもって変わらず「持たざる者」だが、
変わらず味のある良い男だった。


渡辺歩が監督劇場版では原作にはないジャイアンのセリフがある


「今日、なんでしずかちゃんがお前を選んだのか分かった気がするよ」


この渡辺歩が絵コンテを担当した「あずまんが大王」の19話もこの流れで観ると面白い。
インターハイを目指して練習に励んでいる神楽が主人公組にこういう


「お前達は良いよな、なんか余裕があって」


帰宅部で特に何も打ち込むものもない主人公達にこういうのだ。
これも一つの「持たざる者」の味だろう。


・「持てる者」の物語の典型
一つとしてはいわゆる「天才ヒーロー型」であろう。
もう最初からめちゃくちゃ強くて、その活躍を眺めて楽しむタイプ。
例えば「テニスの王子様」はその典型だし、
英雄を扱った歴史モノもこのタイプが多い。
後はデスノートとかもこっちだろう。


ただし、ここには変身モノは必ずしも含まれない。
変身もいろいろではあるが、
「変身前は平凡な主人公が変身してヒーローになる」
というパターンが存在するからだ。
スパイダーマンとかセーラームーンとかどれみとか最近だとけんぷファーとかw


二つ目は「天才の苦悩」パターン
天才であるが故の悩みとかそういったもの。
例えば「トップをねらえ2」や「ガンダム」や最近だと「鋼の錬金術師」そうかな


アムロがもしニュータイプでなかったら
ガンダムに乗ることに悩む必要もなかっただろう。
つまり、彼らはある一面で天才ではあるが、
それであるが故の苦難とか、欠点とかも存在するということだ。
あるいは「天才」であるが故の「責任」を負っていたり。


アムロしかガンダムを動かせないのだから、彼が乗るしかない。
たとえどんなに嫌だとしても。


これら二つのパターンの「持てる者」は持たざる者にとっては「憧れ」の存在となる。



・「持たざる者」にとって一番やっかいな「持てる者」
それは自分が「持てる者」であることに無自覚な者。
例えば、少女革命ウテナウテナ、天地無用の天地(とその弟)、あとは上条さんもそう。
後は究極の形としてソラカケの秋葉


これらのキャラは持って生まれたものだけで何不自由生きていけ、
自分は「普通」だと思っているので「持てる者」としての苦悩もない。
一見物語にしにくそうな者達だが、そうでもない。


なぜなら、この者達は「持てる者」と「持たざる者」を繋ぐのに非常に便利だからだ。
「普通」と「特別」、あるいは「日常」と「非日常」と言ってもいいかもしれない。
彼らは一見普通だが、何事もなかったように「非日常」にも順応出来るのだ。


異世界に飛ばされても、何事もなかったかのように順応してしまう剣士や
レベルゼロ(無能力)という振れ込みなのに超能力大戦で一勢力になってしまう上条さん
何事もなかったかのように薔薇の花嫁を手に入れてしまうウテナ


またこれらのキャラは「持てる者」とも相性が良い。
「能力」に縛られない自由な彼らに憧れるというわけだ。


だが、これらのキャラは自分の能力に無自覚な分、「持たざる者」にとっては残酷だ。
彼らはいわばノーリスクで能力を持っているのに、「自分なんて大したことない」とか言ってしまうのだ。



・電磁砲について
電磁砲の御坂は一番やっかいな「持てる者」に非常に近い。


黒子にはまだ自分が特別である自負もあれば自覚もある。
ジャッジメントとしてのプライド」と言い換えてもいい。
それをあらわすエピソードもあった。
彼女はいわゆる「ヒーロータイプ」


じゃあ御坂はどうか。
「努力でレベル5になった」とは言ってるが、
それがどれほどの努力かは分からない。
作品を見る限りでは、例えばカレイドスターのそらやエースの岡ひろみほどの
努力があったとは思えない。


そして、御坂は自分の能力に自覚もなければ責任も負っていない。
自覚してないから適当に路上で電撃ぶっ放したり、
ジャッジメントにも何にも所属していなかったりする。


「持たざる者」のサテンは黒子に憧れ、御坂に傷つけられる。
相乗効果で彼女は能力を渇望する。


この構図は再三言っているウテナの20話も同様。
自覚のある西園寺と自覚のないウテナ・アンシー。
前者に憧れ、後者に傷つけられて黒薔薇を手に取る。


・よだんとしての「けいおん
けいおんの話をすると怒られるからちょっとだけ。


俺にとって、けいおんの設定および1話を観た時、
唯は「持たざる者」かと思ったんですよ。
岡ひろみ」型か「のび太」型かどちらかはわからないけど、
きっと物凄い努力(それこそ鉄球を押し返したりするような)をするか、
全然成長しないけど、楽しい日常を送るかどっちかだと思っていた。


でも蓋を開けてみたらびっくり、「やっかい型持てる者」だった。
唯には苦悩もなく、物凄い努力もない。
「分かる人がニヤリとする程度の努力」しかしない。
だからと言って、「持てる者」の自覚もなければ責任もない。
このタイプが必要なほど非日常な何かが作品にあるかというと別にない。
世界観はアニメにしては非常に現実的。


自分の中で最後までこのギャップを埋めることが出来なかった。
それが俺の「けいおん」に対する不満である。


ただ、sasahiraさんのhttp://d.hatena.ne.jp/sasahira/20091119/1258627515#c
でのコメントを見て、
確かに、「先生」の側に感情移入したら面白いのかもしれない、と思った。


俺も塾講師をしたことがあるが、面白いように成績の伸びる子は教えていても面白い。
そこに実際に努力してるかはあんまり関係なくて、
「成績が伸びる」こと自体が嬉しい。
そういう気分を「けいおん」を見て味わっただとしたら、
それは確かに納得できるものだと思う。