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2010-01-05 ウテナ色々

ちくしょう

shiwasuさんの出崎論

http://shiwasu5.blog12.fc2.com/blog-entry-13.html

http://shiwasu5.blog12.fc2.com/blog-entry-14.html

http://shiwasu5.blog12.fc2.com/blog-entry-15.html

おもしれぇ


そう、「映像の原則を破壊する」という行為が出崎の行った革命なんだ。

俺が出崎フォロワーと考える演出家はつまり

「原則の破壊者」としての後継者なんだ。


出崎フォロワーヒエラルキーの中で

もっとも派手に見事に「原則を破壊」したのがウテナなんだ。

舞台なんていらない、ここは「俺宇宙


そして出崎が演出サイドの破壊者なら、

金田伊功こそ作画サイドの破壊者。


そしてその二つの「破壊」を新たな「原則」にしたのが

金田フォロワーであり出崎フォロワーであり新房昭之なんだ。

コピー世代はもう死語なのだろう


どこから書こうか迷ったけどここから。


俺はエヴァンゲリオンが大好きです。

ウテナに出会うまではエヴァが一番好きだった。


しかし、俺が中学生のころのエヴァについて語られる時に必ず言われていたのが

コピー世代」という言葉

庵野自身、自分たちが最初のコピー世代という発言を繰り返していたし、

庵野親友である幾原もまたそれに同意していた。


これは自称だけでなく、いわゆる「アニメ第三世代」といわれる人たち

オタキングいうところの「オタク」は制作者もファンもみんな

自分達がコピー世代だということに負い目を持っていた。


しかも富野宮崎の両巨頭が彼らの負い目をえぐり続ける

アニメを見てアニメを作るな」

アニメなんか見ていても何にもならない」

アニメなんて最低」


エヴァについてもウテナについても、

上の世代の人からはいつまでも「あれは○○のコピー、それは××のパクリ

と言われていた。

ウテナについて何か論争をするときは、大抵相手はこの類の人間だった。


まだ無名時代の、細田守湯浅政明も知らない時代の山本寛ウテナについて語る


>「パロディからの超克」という監督・幾原の目論見から大きくハズレて、どう考えても明らか

>な’70年代からの「引用」(「天井桟敷」は勿論の事、出崎アニメの影響も大。

>背景のタッチやBOOK引きの具合なんてモロ「家なき子」)はパロディ節度を失って、

>皮肉にもわれわれに’70年代そのものの新鮮さを教えてくれる。

>またそれが見事な完成度だけに、悲しかった。


この論調、ウテナに対する批判はどれもこんな感じだった。

ウテナパロディから超克したのか」

ウテナ出崎統を越えたのか」

論点はそこにあり、

ウテナ出崎統パロディなのか」という

論点で争うことは今まで無かった。

なぜなら批判者にとっても賛美者とってもそのことは当たり前だった。


だからakitaさんの

「『ウテナ』を見ている世代の20代後半以上が

(新房作品はウテナパクリと)指摘しないのはどういうことか」

という問いに答えるならば

その世代の人にとっては、ウテナにおける「パクリ論争」は

常にウテナがパクった側であり、

それを知りながら「新房、てめーウテナパクッたな」とは言いたくない。

だって、それはウテナを批判していた人と同じ行為だから。

あいつらと同じことはしたくないのだ。

むしろ、「金田モドキ」で出崎オタク市川マニアの新房は

どちらかといえば仲間だという意識がある。

いいんだコピー世代だって。


現に「コピー世代論争」を知らないakitaさんが70年代意識せずにウテナを楽しんでいる。

つまり、知らなくていいんだ、そんなことは。

知りたい人だけ知ればいい。

最初のコピー世代としての新房昭之


新房と庵野は実は1歳しか違わない。

新房と幾原を比べると実は新房の方が年上だったりする。


彼らは世代的には一緒。(佐藤順一も実は庵野と同い年)

新房はアニメーター時代が長いため、

演出家としてのデビュー1990年(幾原の演出デビューと同年)


アニメーター時代の新房の作画をちゃんとは追えてないが、

基本的には金田系、あるいは山下将仁系アニメーターだ。

ああ、「唯一金田伊功を超えたかもしれない男」山下将仁も1961年生まれか。

あるいは金田モドキを自称する越智一裕も一つ違いの1962年生まれ。


話を戻すと

新房という演出家があたかも「新しい」と言われるのは

演出という面において「出崎統」に「金田伊功」を

今まで混ぜる人間がいなかったからだ。


もっとも今現在でいうと実はこのミックスを行った人物として他に

小池健今石洋之

という二人の若手がいたりする。

まあ説明不要だろう。

思想系の人たちのアニメ史観


例えばビューディフルドリーマー起点のあの人でもいいし、

エヴァ」を起点な人たちでもいいんだけど、

BDもエヴァも強烈なコピーだという事実をひた隠しにしているように思う。

ウテナがなぜ出崎統を超えられたか。


それはウテナが「幾原邦彦」一人の作品ではなかったからだ。


全部説明してしまうと興ざめなので、

わかりにくいようにカレイドスターに喩えよう。

メイ・ウォンは大したスターだ。

だが彼女一人で全盛期のレイラハミルトンに勝てただろうか。

たった一人でカレイドステージを支えた彼女に。

付き人バージョンユーリと理解者カロスもいたけど)


多分勝てない。


でも、彼女が「スター」になった時、彼女は一人じゃなかった。

ロゼッタが居てマリオンが居てジョナサンが居てレオンが居て、

天才的な新人がいて、

そして最終的にはそらも応援に駆けつけた。


しかも、彼女が望んだ「競い戦うステージ」を実現することが出来た。

天才的な新人が髪が全部抜け落ちるほど全てを賭け、

ある者は「みんなグルで、オレのことを笑ってやろうと企んでいるんじゃないか」と疑心暗鬼になり、

一度は主演を経験していたロゼッタでさえ「調子に乗っていた自分に気づいた」と言う。


そらだけは後からひょっこり来て、変わらず暢気にやっていたようにも見えるけどw


最後にロゼッタ・パッセルこと五十嵐卓哉wのインタビュー記事から


「色んな力の結集でしたね。

それが幾原監督個人のフィルムに仕上がっているところが心憎い(笑)

セカイ系の萌芽としての出崎統


出崎統セカイ系そのものではないが、

セカイ系のきっかけを作った男である、と考えられる。


押井守が出崎手法を研究してビューティフルドリーマー

つくり、また庵野も出崎を自らをコピーした場合の「オリジナル」の一人としている。

そして「セカイ系」というものの定義をいち早く言語化した幾原。

出崎とセカイ系を繋ぐ系譜だ


では、出崎の何がセカイ系に繋がったのか。


「気分によっていつも何気なく見ているものの見え方が変わる」

という体験をしたことはあるだろうか。

あるいは凄く緊張していて視野が極端に狭くなる。

あるいは何かに熱中していて周りの音が聞こえない。


こういった感覚アニメで強烈に表現したのが出崎だった。

例えば光、例えば誇張した画面、例えばさくらトルネード、湧き出るオーラ


「屋上にさくらの花びらが舞ってるわけがない」


でも、朋也には見えたんだろうと思う。舞っているはずのないさくらが。

つまり、主観的にみれば、

我々は気分によって「世界」を変える事ができる。

その「世界の変化」を表現する。

それが出崎統の大きな功績だ。

いわば「主観セカイ系


「気分による世界の変化」

ここを「セカイ」に置き換えれば

それはもうセカイ系だ。

しかも、「セカイの変化」の表現のお手本はもういる。


ビューティフルドリーマーで描かれた、「繰り返される日常」は

その意味で非常にわかりやすい。

出崎統

「何しけた顔してんだ!まだまだ俺達の学園祭はおわらねぇ!

俺達が終わりだと思わない限り終わりじゃねえんだ!」

とかやるところを、

「実際に終わらない学園祭にしてしてみた」

って感じw



そしてそれはセカイ系とは別の論点

抽象化至上主義」への道でもある。

ウテナも新房も細田守もこの道の上を歩いている。


つまり、「気分によって世界が変わる」をさらに推し進めて

世界の変化で気分が変わったことを表現」する。


気分によってリンゴが兎に変わるのではない

リンゴが兎に変わることで気分を表現する」


抽象化・記号化


影に穴が開いていることで心情する。

他人のちょっとしたら会話の聞こえ具合で集中を表現する。

そして段々表現目的さえも無くなっていく。

リンゴが兎にかわること、それが目的になる



出崎も「おにいさまへ」で

「緑の髪のイケメン(ただし女)が

ピアノを弾きながらグルグル回って般若のお面かぶったりして

もうわけわからんことになってただろ」


まあね。

あのサンジュスト様はボンネットに飛び乗る暁生並だったね。

AIR太鼓とかも。

おまけ


──『ウテナ』って、ものすごく不思議アニメですね。物語も、台詞も、描写も。カルトな感じがしますよ。

榎戸:始めた頃には、ポピュラリティのある作品を目指そうって言ってたのにね。

幾原:あれはね、俺の中ではポピュラーなんだよ。

一同:(笑)

幾原:あれが俺のポピュラーなの。わかんない奴が駄目なんだよ。

榎戸:「俺のポピュラー」っていう言葉自体が、すでにポピュラーじゃないよ。

一同:(笑)

幾原:「俺の宇宙」には「俺の世界」があって、そこの住人がみんな好きだって言ってんだから、ポピュラーなんだよ。

──幾原さん、今日はいきなりトバしてますねえ(笑)

榎戸:幾原、それを世間ではカルトと言うんだよ。

幾原:うーむ、そうか(笑)

──影絵少女の言ってる事って作品とどのぐらいシンクロしてるんですか?

榎戸:むしろね、影絵少女が作品のメインで、それ以外の部分は付け足しみたいなものかなと思ってる(笑)

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