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2010-01-24

逆襲のシャア富野とクェスと出崎〜


前にshiwasuさんのところ(http://shiwasu5.blog12.fc2.com/blog-entry-15.html#comment4

で宣言して書こうと思っていたことを書くために逆シャアを見直した。


見直して、さらに確信を深めた。

クェスは富野の中の「俺出崎」への挑戦だったと。


まず、「逆襲のシャア」はどういう物語だったのか。


多分、それまでの「ガンダムシリーズ」を見てきた人にとっては

アムロシャア」という二人の男のぶつかり合いの

物語だろう。


そこから、「偽善 VS 独善」という構造を見出すことも出来る。

庵野だかが、「アムロシャアはどっちも富野さんなんだ」

というようなことを言っていたのもそうだろう。


ただ、この「逆襲のシャア」にはこの構造では理解出来ない、

かもめちゃくちゃ大きい存在がいる。

それがクェス・パラヤだ。


そもそも、クェス・パラヤ富野キャラとしては異質だ。


それは逆シャア内の他の女性キャラと比べてもいいし、

他の富野作品と比べてもいい。

富野描く女性キャラはみな「大人」だ。

これは同時に「いつまでも子供じみた男」との対比でもある。


ガンダムシリーズだけで見ても、

フラウ・セイラマチルダ・ファ・フォウ


それがクェスは違う。

彼女の力強さというのは普段の「富野」とは違う。


これには一つ、キャラクターデザインの問題があるだろう。

shiwasuさんの

http://shiwasu5.blog12.fc2.com/blog-entry-11.html

http://shiwasu5.blog12.fc2.com/blog-entry-9.html

でもある通り、安彦と富野との間には志向への大きな隔たりがある。


しかし、富野は安彦の腕を認めてるから、

あの絵を否定出来ない。

それは湖川にしても同じ。


ところが、その下の世代である北爪には富野は強く言える。

フラットキャラにしてんじゃねーぞゴラァ!」と言える。

例の「おまんこの臭い」発言も一つとしてはこの結果だろう。


さて、結論に行く前に、「監督キャラデザ」の関係について簡単に話そう。

上述の通り、富野と安彦は互いに否定し合い高め合う関係の監督キャラデザだった。

どちらが主でも従でもなかった。


では出崎と杉野というコンビはどうか。

これは完全に出崎が主で杉野が従である。


かつて富野

「出崎作品があれだけ素晴らしいのは杉野さんや椛島さんのような

素晴らしいアニメーターがいたからだ」

というようなことを何かで言っていた。


これは安彦良和が彼らに劣ってるという話ではない。

彼ら、特に杉野昭夫が出崎の「従」であったというところに富野の真意があるように思う。


話を戻そう。



まず、視聴者としての直感としてクェスは凄く「出崎キャラ」なのだ。

多分、「富野キャラ」はアムロに面と向かって

「あんたちょっとセコイよ」とは言わない。

チェーンのように「アムロ時々怖い声するよね」と和やかに言ったり、

あるいはナナイのように、男がいなくなった後でグラスを投げたりはする。

(出崎キャラなら面と向かって言いまくり、GENJIとか)


そうすると、見えてくるものがある。

逆シャア」はクェスに関わる部分だけは


>「意識の流れ」と「ドキュメンタリズム」、

>そして「映画を撮りたければ映画俳優を連れてこいよ」

http://shiwasu5.blog12.fc2.com/blog-entry-14.htmlより)

で出来ている。


アムロシャアは完全に「演劇的」なのに、クェスにだけは

ドキュメンタリズムがある。

そもそも、クェスには演劇的な存在理由がない。

別にクェスがいなくても逆襲のシャアという演劇は完成している。

逆シャア群像劇ですらないから。


ではクェスはなんだったのか。

もちろん「ララァ」だ。

ララァは出崎的ではあったが、

ガンダム」自体は安彦の妨害もあって、出崎的ではなかった。


「クェス」はまさに「ララァ」のリベンジ

より「出崎」という引き出しをストレート使っている。

安彦の妨害もない。

北爪は従わせればいい。


でも、富野はこのクェスを出崎チックにしすぎた。

明らかに「アムロシャア」とクェスとのバランスが取れていない。

だからクェスはアムロにもシャアにも相手にされない。

ララァの身代わり」という演劇的な役割すら与えられない。

仕舞いには「私ってララァの身代わりなんですか?」とか

自分で言って適当にあしらわれる始末。


「出崎」という引き出しから出てきたものが完全に暴走し、

演劇を引っかき回し、そして勝手に退場していく。


富野伝説の中で「クェスのおまんこの臭い」話がこれだけ大きく広まったのは

それだけ、富野という男が「クェス」という「映画女優」に

入れ込んでいたからなんだろうと、

思うわけです。


そして演劇の中に一人台本を渡されていない者を送り込むというのは

即ち、「演劇破壊者」の所業と繋がるのだろうと。

nuryougudanuryouguda 2010/01/24 22:04 クェスは女としてのカミーユ・リフレインだと思ってましたけど。カミーユも結構出崎的な衝動性がありましたね。

あと、クエスのキャラデザはあんまり好きじゃないなあ。なんか北爪さんはまだオタクっぽいんですよ。アニメキャラっぽい髪型とか。
クェスは小説版逆襲のシャア、ハイ・ストリーマーの久織ちまき氏の描いたストレートツインテールの方が好きですね。
ガチロリ中学生っぽくて。
アニメクェスはおまんこ臭いかもしれないんですけど、ちょっと大人びてるかな、と。顎のラインとかがごついのよ。
小説版クェスは中学生っぽい乳臭さがあって好きですね。
ごめん、ダメな事を言いました。

富野の描く女が大人と言うのは同意です。
ホワイトベースの男はアムロ以外も全員必ず、心労か傷で倒れるか脱走を試みるんですが、ホワイトベースの女たちはあんまり参らないんですね。セイラさんは兄がアレだから若干暴走しますが。
富野の描いた子供の女っていうのは、、、シャクティ?あの子はまた違った意味で神懸かりだから、ララァ系なのかなあ。
ソシエちゃんは結構、年相応な女子高生だったようですよ。

nuryougudanuryouguda 2010/01/24 22:05 ソシエちゃんは女性脚本家の視点も入ってんだろうなあ。

mattunemattune 2010/01/24 23:40 >>グダさん
俺なんかは、クェスのあの一人だけ美少女キャラっぽいところが
作品から浮いてて好きですけどねw
一人だけ異次元から来て、
一人だけ台本もってなくて、
勝手に死んでいくところが。

shiwasu5shiwasu5 2010/01/25 22:14 ぐは(吐血)、面白すぎる。
クェスが出崎的であったとはまったく気付かなかった。
映画をやる、となったとき、“主演女優”川村万梨阿でいこう、というプランニングがあった、ということかな。たしかに彼女の“存在感”というのはすごいものがある。妖精的な何かだよな。浮世離れしている。俺は榊原良子の声にうっとりして眼中(耳中)なかったけど。

俺の場合、どうしても作劇というところに目がいってしまうので、『逆シャア』に関しては、クェスやハサウェイはいらなくねーか、という気がしていた。『Z』でシャアやブライトのような「中途半端に正しい大人」を描いたがゆえにカミーユがとても中途半端な立場に置かれてしまった“失敗”を、また繰り返している、という視点でしか理解してなかった。だがしかし、むしろ眼目はクェスの方であったのか。クェスによって“映画”にしようとしていたのか。うむ。これはもう一度見直さないとなー。

俺のなかの富野ヒストリーだと、『ダンバイン』から『逆シャア』までは“疲弊期”というか“迷走期”。
この時期はけっこう本気で小説家への転向を考えていたんじゃないかと睨んでいる。バイストンなんて完全に小説用の設定で、アニメはおまけだもの。『逆シャア』も本来小説『ハイストリーマー』だったわけで、アニメの方はなんか、富野作劇のアルゴリズムで自動算出されたみたいで味気なくて、俺的には“疲弊”というのをより強く印象づけられただけ、という感想しか抱けなかった。「手癖だけでつくりやがって」という印象があった。

「めぐりあい宇宙」を、富野は二回リメイクしている、と以前から考えていた。ひとつはもちろん小説『密会』なわけだが、もうひとつは小説『閃光のハサウェイ』。しかし『逆シャア』が「めぐりあい」のリメイク(というか自己咀嚼)であるとはなー。
映画監督としては、一番興行成績のよかった「めぐりあい宇宙」をなんとしてでも自己理解したい、ということなのかもしれないなー。

俺自身の作劇への偏向という点でも、俺的にはやっぱり、『逆シャア』より『F91』のほうが、評価高いんだけどね。

shiwasu5shiwasu5 2010/01/25 22:19 あと、グダさんのご指摘の顎のライン。これはもう湖川友謙ですよね。仰角基本の顔、というのは、富野コンテとの相性ばっちりだけど、汎用性が高いわけでもない。そこで90年代に残ってしまったのが、「鼻の下すぐに口がある」「顎のうえがくびれている」といったデザインの流行。「90年代の顎」は、湖川ほどデッサン力のないアニメーターがかたちだけ真似してしまったゆえのフリークス。

『ターンエー』以後、富野が外部からキャラクターデザイナーをつれてくるのは、アニメ界を席巻した「90年代の顎」への絶望感があるのだろう
『君の届け』をみたら、ちゃんとした顎、ちゃんと鼻の下に空間がある、ちゃんと笑うと口が横に広がる、という点で、普通のデザインだった。フリークスという点で少女マンガに負けるのが「90年代の顎」だ。
『ソラノオト』をみたら、鼻の下に空間はあっても、顎の上がくびれている。中途半端に「90年代の顎」が残っているな、と思って、デザイナーの岸田メルの絵をみたら、顎のくびれはないですね。誰だよ、くびれさせたやつは。
「90年代の顎」問題を意識すると、いかにサンライズがダメな会社かよくわかる。近所に住んでいる禿のやっていることをもっと理解しろよな、ほんとに。

あと梶島正樹はエラいね。ご本人は完全に「90年代の顎」時代の人なんだけど、『聖機師』で別のキャラデザを立てる、自作の最新イラストでは「90年代の顎」をやめようとする意志がある。ちゃんと「今」を生きている人です。

mattunemattune 2010/01/25 23:06 >>shiwasuさん
F91は作劇的には完成度高いんですけど、
作劇の枠内に収まっちゃってる感が、
俺には物足りなかった印象ですね。
まあ逆シャアを3歳くらいから見ていた弊害ですかねw

聖機師の渡辺はじめは子供向け・少女向けのアニメに関わり続けた人なので
絵柄自体は「90年代」何ですけど、顎は湖川さんの影響皆無なんですよねぇ

そういえば、「顎の上のくびれ=ほっぺの膨らみ」は美少女に対する下心だと
アニメ夜話で江川達也が言っていたような。
だから宮崎駿のラナのほっぺには膨らみがあるってw

nuryougudanuryouguda 2010/01/30 16:47 ああ、ほっぺのふくらみは大好きです。

mattunemattune 2010/01/31 10:37 >>グダさん
ああ、妹さんはほっぺふくらんでましたものねw

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