たまこまーけっと3話に見る、小川太一コンテ演出の星川孝文っぽさ


たまこまは俺にとっては1話ごとに見所が異なる変わったアニメである。


1話はなんと言ってもアバンの作画。かつての作画オタクの血が久々に滾った。


2話は脚本。吉田玲子さんがけいおんではあまり見せなかった、
「サトジュンっぽさ」「どれみっぽさ」を全面に出してきた。


そして3話はなんと言っても小川太一さんのコンテ演出・レイアウトの素晴らしさだ。


小川太一さんは俺にとっては中二病の時に見てビビッと来てからの
このたまこま3話。
とにかくレイアウトが俺のツボだ。
理屈ではなく感覚的に心地の良いレイアウトだ。


そんな風に思って友人と話してたいたら
「そりゃそうでしょ。だって小川さんって完全に星川系じゃん!」
って言われて、
なるほど、間違いないな、と。


どこらへんが星川孝文的か。
一番簡単な部分を書いておこうと思う。


まず、シンプルな横位置・縦位置のレイアウトを基本としている点だ。
例えばこれや

これ

それぞれ、真後ろからのレイアウトと真横からのレイアウト。


アニメだとカットのインパクトを持たせるために、
真横・真後ろ・真正面ではなくて、
「ちょっとズラした」ようなレイアウトを多用する場合が多い。
そこらへんは例えば
http://togetter.com/li/359584
何かが参考になります。
さすがは出崎さんの系譜の桑原さん、という感じの解説です。


では、インパクトを犠牲にしてまで、シンプルな横位置・縦位置を基本とするのはなぜか。
一つにはそれはレイアウトによる繊細な表現が伝わりやすいからです。
例えば視線誘導であるとか、細かな演出意図であるとかは、
シンプルな横位置が一番やりやすい。


上の1枚目にしても、3人の姿がスッと目に入ってくるし、
その密着感がストレートに伝わってくる。
逆に2枚目は、朝霧さんの「孤独さ」がシンプルに表現されている。


そして二つ目には、ここぞの時に「インパクトのある構図」を際立たせることが出来る点だ。
基本がシンプルであるからこそ


その後にくるこのカットが映える。
もし、こういう俯瞰・アオリ・ナナメ・逆さ等の構図を多用していたら、
ここぞの時に映えなくなってしまう。
(勿論、逆に普段からインパクトのあるカットを多用して、
ここぞで「シンプルなカット」を使ってくるタイプの演出家もいる。
出崎監督なんかはこっち)


さて、そんな「シンプル基本演出」だが、最近は割りと流行っている。
宮崎駿監督がこれの使い手だし、
最近で言えば細田守監督もこれの名手だ。
また、そもそもたまこまの監督兼1話コンテの山田さんからして、
系統としてはシンプル系。


では、彼らと小川太一さん、ひいては星川孝文さんは何が違うのか。


それは、「手前の空間」あるいは「被写体とカメラの間の空間」の使い方だ。



例えば、

は、カメラと被写体(朝霧さん)の間に生徒を置いていて、
さらに桜の花びらまで入れている。

これも柱などが色々と入っている。


細田守さんはこういうことはしない。
本人がナメモノ(被写体とカメラにあるモノ)は嫌いと明言している。
なぜかということについて語ったのを聞いたことはないが、
おそらく「もっともシンプル」でありたい、カメラを意識させたくない、
ということなのだろう。


しかし、小川太一さん・星川さんはカメラを意識させてでも、
視線誘導を優先する。


被写体とカメラの間に空間を作ることで、
近景・中景・遠景をはっきりし、
被写体への「ピント」を視聴者に意識させることで、
レイアウトとしての機能を向上させているというわけだ。


ピントとしての機能が分かりやすい一枚。

これはフレーム内フレーム・光源演出とのあわせ技で、まさに星川系的な見事なレイアウト。
フレーム内フレームも小川・星川両氏の共通の持ち技。
これだけの情報量をレイアウトに持たせながら、
視線はちゃんと鳥と朝霧さんに向かうように作られている。


ぶっちゃけもうどのカットもツボなんだよなぁ

これとか、「星川さんがレイアウトやったんだよ」って言われたらコロっと騙されるレベルだし。

(↑はCandyboyより)

この鏡の使い方も凄くぽい


鏡に映るキャラを映すというのは、まさにこの手法の典型中の典型なわけで
星川さんもフレーム内フレームとの合わせ技で

こういうのをやってましたね。


ああ、それにしてもCandy Boyも素晴らしいわ

光源・ナメモノ・フレーム内フレーム。
やっぱり、俺にとってのドンピシャレイアウトなんだよなぁ。
たまこま3話とCandy Boyのレイアウトがあれば明日からも
元気に仕事が出来そうだ。