ラブライブ5話〜アイドル志望と音楽
再び京極監督コンテ
やっと、京極コンテの圧倒的スピード感にもついていけるようになってきた。
人間の適応力というのは凄いものだ。
そして、この話数のクライマックスになぜか凄い感動というか感情が掻き立てられてしまった。
なぜだろうと考えたときに、
5話は劇伴が凄い印象に残っていたことに気がついた。
例えばアバンだけ取ってみても、
回想明けから、不審者の脚までは無伴奏
↓
不審者の脚からほのかが転ぶまでは緊張感をあおる劇伴
↓
転ぶと再び無伴奏
真ん中の劇伴が凄く印象に残るし、ニコの台詞も強調されるし、
OPへの緩急もつくし、一石三鳥
特に劇伴のオンオフによる緩急がこの話の演出の肝のように感じた。
もうちょっと分析的に見てみてると、
ニコに焦点が当たる時に無伴奏である時が多い
アバンもニコの顔が出るところは無伴奏だし、
次の登場シーンも
無伴奏。
その次のハンバーガー屋のシーンもニコが身を潜めている時は劇伴があるが
この
ツッコミで消える。
部室でむすっとしているニコのところも
無伴奏。
その後、花陽ちゃんの「伝説のアイドル伝説」で劇伴復活となる。
そして、さらにその後はまた無伴奏になって、
「ニコ芸」へと繋がる。
そして
今回のクライマックスのシーン
ここらへんのカットから一旦無伴奏にしていて
(このカットのニコの立体感がちょっと気になった。
もしかしてこれ、CGをガイドに使って原画描いてる?)
そして、ニコを部長として巻き込もうとする描写中も含めて20カット弱ほど無伴奏だ。
そこから、
「私はただ、相談しているだけです」で劇伴がかかる。
この音楽の入れ方が凄い感情を掻き立てるんだよなぁ。
あたかも、ほのかにカリスマ性があるかのように見えてしまう。
メタ的に捉えると、
アイドル活動を辞めた=音楽を捨てたニコに、
音楽を取り戻してあげたのが、ほのかなのかもしれない。
そしてさらにダメ押しの
独特の涙の表現とともに無伴奏からのED前奏入り!
からの、音痴系EDw
音痴設定なのかな、ニコ先輩w
というわけで、劇伴演出にまんまと嵌って感動していたわけですが、
そう頭で理解していても、このクライマックスのシーンをこの記事を書くために見て
その都度、感動してるのだから、感情というもののパワーは半端ない。