じゃあ二分後に、踏切で

■ お朱門ちゃんの新作! 応援CHU!
天使の羽根を踏まないでっ
バースデイ・ソングス

2011-12-25

[]『ましろ色シンフォニー』#12感想 『ましろ色シンフォニー』#12感想を含むブックマーク

ラジオレジュメをちょいちょい書き換え転記。

全体の雑感

ぶっちゃけ微妙。やっぱラブバトル繰り広げた後にぱんにゃ山に帰して〆るのないわ。テンション違いすぎだし、そのラインからオチをつけるために、それと各務台・結女の統合白紙に戻されるという話をオーバーラップさせた分、話にかなりの無理が出てた。特に愛理

ラストは挿入歌のお陰でわりあい感動的に仕上がってて、そこは良かったかな、と。

あと、みうママが良かった。

細かいところ1:繊細に描かれた距離感

スタッフ、すごく気を遣ってるな〜と感じたのが、6人の距離感。新吾とみうが向き合って、それを4人が扇形になって見守るという構図が多用されてて(甚だしきは、ママぱんにゃ略してママにゃの生存を山で確認した後、ぱんにゃを山に帰すかどうか、田舎感あふるる屋根付きのバス停で話すとき)、ああ、と思った。もう新吾にとってはみうが、みうにとっては新吾が特別であって、あれだけ激烈な戦いを、陰で繰り広げた紗凪ですらもう4人の中のひとりだっていう、この勝者と敗者の決定的な違い。こういう絵というか演出によって立ち現れる彼と彼女らの距離感っていうのは繊細で良かった。

そう、そこは良かったんだけど……。話の持っていき方と、セリフの上滑り感が酷かった。

細かいところ2:愛理さんェ……

上で述べた通り、この#12では各務台と結女の統合白紙に戻されるという話が出てくる。

これは愛理が中心となって署名活動を行い、その効果もあったのかけっきょく統合されるという形で決着つくのだが、その話が出たとき白紙に戻ることに反対する愛理に、クラスメイトが何故、と問う。当初は統合に反対してたのにどうして、と。

そこで愛理は「結女が変わるのが怖かった、でも最近すごく辛いことを正面から受け止めようしてるひとがいて、その強さを見習ってみたい。恐がりのままでいたくない、前に進みたい」と返す。これはぱんにゃとの別れを受け止めようとするみう先輩を指して言ってるんだけど……。

いやー、違うよねー、これは明らかにおかしいよねー。

物語の大部分において、各務台と結女は統合のお試し期間にあったわけだけど、これは、紆余曲折を経た今、うまく行き出していて、各務台は結女の、結女は各務台の友人が出来た、一部にはカップルまで! という状況だ。ようは統合に向けてオールグリーンだったわけで、愛理が言う「変化」の時期はとうに過ぎてしまっている。愛理が嫌ったのは「変化」ではなく、「安定し始めた今を乱されること」と捉えるのが自然だろう。

そもそもこの学園統合オーバーラップさせるべきは恋愛という要素で、というか学園統合は、「恋愛して成長しろよ、女子!」という有り難くも押しつけがましい愛理ママのお考えを実現する手段として、あったはず。

から学園統合白紙に戻る、それに対して異を唱える愛理を描くのであれば、その変化は恋愛によって担保されないと座りが悪い(WIN版の愛理ルートはまさにそういう道筋を辿る)。よりにもよってぱんにゃ山に帰るとそれを接合させるのはいかがなものか。

細かいところ3:アニメ版ストーリー&シーンコントロールのマズさ

上記を考える際、愛理は、紗凪との対比の中で、変化していく彼女を理解できない存在として描かれていたことを思い出したい(アニメ版愛理は新吾に対する好意を持ってしまった上にそういう態度を取るので、過程と結果に齟齬が生まれて尚もにょるんだけどそれはともかく)。

このような愛理は、#11の夜空の下の負け犬の会合女子会において紗凪に「(愛理も)恋をしてみれば?」と言われ「いいわよ。別に。一生独身で……」と返したことなどによって強化されている。恋愛が変化の象徴として位置づけられている『ましろ色』において、このセリフは単に恋愛を否定するだけなく、それこそ愛理が言った「恐がりのままでいたくない、前に進みたい」という言葉の否定に繋がる(ちなみに、紗凪がこれに同調して「一生独身」宣言をするのだが、告白こそしなかったけれど苦しいところで戦った紗凪と、それ自体を放棄した愛理ではその重みも意味するところもまるで違う)。

こういうセリフの上滑りは、キャラクタの心情変化とそれを担保するシーンとをちゃんとコントロールしないから発生するんだと思う。

それこそ「一生独身」宣言も、愛理まではまだしも判る。紗凪が痛みに打ち震えてるところを目の当たりにしてるわけだから。だけど桜乃とアンジェにまでそれ言わせるの違うだろう。このふたりはそういうの知らないわけだし。ただ合わせてるだけならそれはヒドイ話で、本気でそう思ってるという流れで話を作っているのなら、ふたりが紗凪の心情を理解する描写が決定的に不足してる。

ぱんにゃを山に帰すところでも、みう先輩が「ぱにゃちゃんとはお別れだけど、これまでのこと絶対忘れない。こんな大切な宝物、忘れちゃったらバチが当たっちゃうよ」と笑顔で見送るのに乗っかって、「ぱんにゃさんとぬこ部のみなさんと過ごしたすべての時間が、宝物になりました」とアンジェが言う。これ、ひどいと思う。

裏山で大切な存在と別れる話っつうと直近に『あの花』があったわけだが、あれはめんまと別れることに対してそれぞれが個別具体的な痛みを抱えていて、それゆえに別れが辛い、どうしても嘆き悲しむ気持ちを抑えることができない、という見せ方をしている。だからこそ、めんまに対する呼びかけにそれぞれの心情が宿り、全体としての一体感も出ていたわけで。アンジェにぱんにゃとのどんな思い出があるというのか。別れがそこにあるから、周りの空気に合わせてなんか言おうってのは、違うでしょ。

細かいところ4:そんなダダ滑りヒロインズに対して、みうママ

みうママ良かったですね。

みう先輩は、ぱんにゃと離ればなれになるのがとても辛くて、みんなの前では痛みを受け容れたように振る舞ったけど、それでもやっぱり辛い、そこで猫と遊んでるママに訊ねる。「ネコを飼っていて怖くない?」と。

その返答がすごく良かった。「物事は常に移ろいゆく。あなたはこの春、卒業だし、やがてこの家も出ていくでしょう。でもね。時を重ねても思い出だけは残っていくのよ」。特に何気なく挟まれた「あなたはこの春、卒業だし、やがてこの家も出ていくでしょう」ってところにぐっ、ときた。これはみうママがかつて抱えた寂しさであり、今はもう乗りこえてる寂しさなんだな、って思った。それがスッと挟まるところが本当に良かった。

#11に、みうママ愛理ママに対して「あの娘、ウチでは学校のこと話さないし」って言うシーンがあるんだけど、#12を見た上で振り返ると、針の穴に通すような精度の高いフリだったんだな、と思う。つまり、強キャラであるみう先輩を見守る視線

みう先輩は、強い。傷ついた動物たちが自然に帰れるまで面倒みてて、その費用を稼ぐためにアルバイトまでしてる。娘がそんな立派で、弱音を吐かない子だからこそ、みうママは、時にはからかうような形でコミュニケーションとってた(同じく#11に、試験勉強する新吾とみう先輩の間に入ったみうママが「まずは保健体育からはじめましょう♪」とか言ってふたりをからかうシーンがある)んだな、と。逆に言うと、強キャラであるみう先輩を子どもでいさせてあげられるのはみうママだけなんだな、と思った。そういう、娘を大切にする日々を積み重ねているからこそ、彼女が真正面から悩みを持ってきたときは、ちゃんとその解決に役立つようなアドバイスを言うことが出来る。ほんと、みうママ△。

いやマジで。新吾に保健体育を教えたがるだけの変態じゃなかったんですよ!

ちなみに、こういった、変態メンターを兼ねるのはおるごぅる先生の得意技。『嫁コマンド』のあやかママとか。ふだん変態なんだけど、賢者として気づきを与えたり、覚悟を問うような試練を課したり。そういうわけでみうママには変態賢者の称号をプレゼントします。俺が。勝手に。

細かいところ5:最後に、ラストシーンと『ましろ色』の「色」について考えておくと

ぱんにゃと別れた後、各務台と結女の統合が成り、桜乃がさっそく新しい制服に着替えてた、というシーンがあって(「いつのまに」とかって周囲が驚いたりしてる)。そしてその後、桜舞い散る中、手を重ねて芝生に座る新吾とみう先輩が映し出される。でも新吾は新しい制服に着替えてない。各務台のまま。

これ二通りの解釈が可能かな、と。

ひとつは、新吾とみう先輩が対等である、ということ。どちらかがどちらかの色に染まった、という形ではなく、あくまで対等に真っ白なキャンバスに絵を描いていける存在なんだ、と。

もうひとつはちょいネガティブなんだけど、新吾がみう先輩に追いつけなかった、という解釈

ぱんにゃと別れることを嘆き悲しむみう先輩に対して、「俺がいっしょにいますから」って新吾が言うシーンがあるんだけど、それによってみう先輩の心が前に進むことはない。あくまでその後に入る、みうママとの対話によって、みう先輩は立ち直り、前進する。ぱんにゃとの別れのシーンでも、新吾はみう先輩の心情変化に気づけないし、ぱんにゃとの時間が宝物だったとも言わない。もちろん陰が有る様子なんてのは画面に立ち現れて来ないのだが、描かれないモノは存在しない、ということはない、と、俺はここにこそそれを感じた。

上記を裏付けるように、結女の制服に身を包んだみう先輩の手を、各務台の制服を着た新吾は、上から手を置くような形で握る。これはスルっと先に行ってしまうそうなみう先輩を必死につなぎ止めるって構図なんじゃないかな。みう先輩が、常にリードされるヒロインならこういう手の握りになるのは判るんだけど、みう先輩は自分から手を握ってくるし、家にも自分から誘ってみたりと、けっこう主導権にぎるタイプ。なのに指を指の間に差し入れ恋人つなぎじゃなかったのは、そういうことなのかな、と思った。

で、EDの後、もう1シーン入る。ぱんにゃと別れたあの場所にふたりでやってきた新吾とみう先輩。ここでふたりは、制服ではなく私服を着て、手は恋人つなぎでこそなかったけど、お互いの手のひらを握り合っている。構図はまったく同じ、ふたりの重なり合う手を後ろから映す、というもの。この、同じ構図の、しかし明らかな差を含んだ2つのカットに、本編では盛り込みにくかった、新吾の変化が篭められている、と俺は感じたのだが、しかしさすがに深読みが過ぎる気がしないでもない。

はいえ上の読みに幾ばくかの正しさがあるのだとすれば、この、安易に判ったフリをしない新吾に、そしてその新吾の画面に映らない変化に目を向けさせようとした映像づくりに、称讃を送りたい。

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2011-12-07

[]山田尚子監督映画 けいおん!感想 山田尚子監督『映画 けいおん!』感想を含むブックマーク

実はTVシリーズをちゃんと観てないのだが、家の近くのモールに入ってるシネコンでやってたので、観てきた。面白かった。

ハイクオリティ映像と演出が気持ちよかった!

感覚的な話になっちゃうんだけど、映像クオリティはほんと高かったなと思う。取りわけ良かったのが、教室での卒業ライブ。途中、唯とあずにゃんが向き合って演奏するシーンがあって、演奏中なのに観客じゃなく自分の方を向く唯に、あずにゃんが一瞬戸惑うんだけど、そのまま弾き続ける彼女に、言葉を交わさないなりに意図を感じてちゃんと合わせていく。その時の視線の交わし方というか音で通じ合う感覚というか、なんか上手く言葉にならないけど、それが映像としてとても気持ち良くて、うわ、なにこれ凄えとひたすら唸った。それも、そのライブが異常に盛り上がってるとかシーン的にブーストが掛かってるわけじゃないので(盛り上がってるのは盛り上がってるんだけど)、尚更すごいというか。カットの切り方とか間の取り方とか映像に対する音の重ね方とか、そういうのの質が高いんだろう(ちなみにその時掛かってた曲は『U&I』というらしい)。

他にも、ロンドン旅行に出発する朝のワクワク感とか、帰路のタクシーから見える雪降る夜景の少し寂しい感じとか、でも車内にはみんなが居て暖かいとか。映像クオリティの高さとそれを最大限活かす演出に、心のやわっこいところを刺激されてしまった感じ。

異邦人としてのあずにゃんと、続く「でもね」

脚本に対してやけに引き締まってるなーという印象を持った。それは「先輩としてあずにゃんに何かしてあげたい(後に曲作りという形を取る)」という「4人の模索」と、そんな4人に対してあずにゃんが抱える「隠し事をされている」という「彼女不安」がストーリーの軸になっているからだろう。

本作において、あずにゃんHTTの中の異邦人として位置づけられている。冒頭で、音楽性の違いによる対立という寸劇を4人がやってるところに後からあずにゃんが来るというのは実に象徴的で、その後も4人とその外部にいるあずにゃんという構図が、繰り返し用いられる。卒業する4人と残るあずにゃん卒業旅行のメンバーに自分が含まれてるとは思ってないあずにゃんと当然のように含んでいた4人、旅行先でひとり寝ているあずにゃんと曲作りの打ち合わせをする4人など。

決定的なのはあずにゃんへの曲作りに勤しむ4人と、みんなが何かしてるのは気づいててでも聞けないあずにゃん、という構図だろう。ある種の断絶、それが4人とあずにゃんの間に横たわっている。それは、学年の違いという生まれもっての差異に起因するものだ。どうあがいたって埋めようのない差。でもだからこそあずにゃん不安でたまらない。気丈な彼女は、直接それを口にしないけれど、いつだって不安に思ってて、それが夢という形であらわれる。

隠し事をされてることに気づいたあずにゃんは、旅行中、唯が留年した夢を見る。「留年したからもう先輩じゃないよう」と言う唯に対して「じゃあどう呼べばいいんですか」とあずにゃんは返すが、それに対する答えはない。これは唯(と他の3人)が卒業して先輩じゃなくなったらどう呼べばいいのか判らない、つまり卒業しないでほしいというあずにゃん不安のメタファーだ(実際はずいぶんとコミカルタッチに描かれてるけど)。

天使にふれたよ!』は、そんなあずにゃん不安に対するアンサーなわけだけど、しかし、唯たちは、あずにゃん不安を察知してこの曲を作ったわけではない。

ここ、けっこう重要かな、と。

何故なら卒業旅行のメンバーにあずにゃんが含まれていて当然とした4人は、所与のものとして「卒業は終わりじゃない これからも仲間だから」と思っていたわけだからあずにゃん不安を察してあげられない、ちょっと抜けてる先輩たちだけど、あずにゃん不安の根源である、離ればなれになってしまうことに対して、「ずっと永遠に一緒だよ」と言ってあげられる先輩たちなのだから

同じ翼を持つ仲間

本作は、そんな唯、澪、律、紬とあずにゃんとを「翼」という概念でつないでいるのだが、これがやたらハイセンスだなあ、と思う。

天使にふれたよ!』を作ってるとき、唯が、「でもね、会えたよ! すてきな×××に」の歌詞で悩むシーンがある。最初「こねこ」とか入れてたけど、しっくりこないなあ、と。

言霊が降りてくるのは、歌う直前。部室やってきた唯に、先に来ていた3人が、屋上が開いてることを教える。唯が駆け出して、他の3人がそれに付いていく。駆ける足元、全身、奥には腰ぐらいまでの飛び降り防止の囲いと青空、駆けて、駆けて、駆けて――、囲いに行き当たらない。その疾走感を継ぐように、一羽の白い鳥が、空を舞う。離陸と飛翔のイメージ。そして唯たちは、「天使」というフレーズに行き当たる。

唯たちはそのまま屋上にペタリと座り、「最初部活見学とき、『翼をください』弾いてくれたけど、翼をくれたのあずにゃんかも」、「この曲、あずにゃんの翼になってくれるかな」というような話をする。

ここでようやっと、なぜロンドン旅行だったのか判った気がした。ロンドンは、(学年は違えど)同じ翼を持った仲間たちが、空を飛んで辿り着いた(海の向こうの)異郷なのだ。同じ翼を持つ仲間同士であれば、彼女たちは異郷だって行ける。そう、翼はつながりなのだ。宝物のような日々をいっしょに拾い集める仲間である証。そしてそれはこれからも変わることがない。先輩としてあずにゃんに何かしてあげたいと思った彼女たちは、こうして曲を完成させ、あずにゃんの前で『天使にふれたよ!』を披露する。

あずにゃんの前で『天使にふれたよ!』を歌う前と後のシーン

ところで、ロンドン旅行にはもうひとつ大きな意味がある。

物語は、屋上でのシーンからあずにゃんの前で『天使にふれたよ!』を歌うシーンに移行し、そして「これから大学生だね〜」というようなことを言いながら学校から去っていく唯たち、という展開を経て幕を下ろす。

この3つのシーンの物理的な動きを見てみると、屋上で唯たちは左向きに移動する、部室では動かない、学校から去るときは右向きに移動する。これはそれぞれ過去と今と未来を象徴してると思う。

ロンドン旅行中に、「時差が発生するから日本ロンドンだと過去に戻ることになるね」、みたいな話が出てくる。逆にロンドンから日本へ帰るときは「未来へ行くね」と(厳密にはメール飛ばしたら未来に届くのかな、と唯が言い出すとかなんかそんな感じ)。ロンドンへ行くときは西(つまりは左)、帰るときは東(つまりは右)に移動する。この、移動に時間軸をオーバーラップさせているという見方は、屋上では過去のことを話し、部室では今目の前にいるあずにゃんに向かって歌い、学校を去ってから未来のことを話す、という観点からも符合する。

この屋上を駆ける、学校を去る、というふたつのシーンは、片や離陸から飛翔というイメージ、片や移動する彼女たちの足をえんえんと映し出すという、強く目を惹く映像になっていて、それだけでも見応えがあるのだが、上記のような意味づけを重ね合わせると、さらに感じ入るものがあった。

そして、学校から去っていく彼女たちの中で、唯一後ろ向きに歩いているキャラがいる。唯だ。

唯がなぜ後ろ向きに歩いているのか。いろいろな捉え方があるだろうが、俺は、未来へ歩きながらも今に居残るあずにゃん学校から出て右へと歩いているのだから、左にはやはり学校があるだろう)へと視線を送ってるのだと解釈した。「卒業は終わりじゃない これからも仲間だから」。細部に亘ってまで彼女たちのつながりを表現する映像づくり、その質の高さに、いいものを見せてもらったな、と感じた。

総じて

「先輩としてあずにゃんに何かしてあげたい」+「あずにゃんが抱える不安」というのがストーリーの軸に据えられていて、それを表現するための演出が随所に盛り込まれているから、ほんと密度の濃い、いいフィルムだったと思う。観ててすっごい疲れたんだけど、終わった後はとにかく爽快だった。

ベスト小ネタは、行きの飛行機内であずにゃんと隣になった唯が、あずにゃんとの間にある肘掛を上げようとして直ぐさま下ろされてたやつ。ちょっかい掛けようとしたけど、失敗! みたいな。「あずにゃん、ガードかたいよう……」と俺の脳内の唯が言ったとか言わなかったとか。あずにゃんってマジちょっかい掛けたい系女子だよなー。