そしてまたクリミアへ

リアル龍脈あるいはパワースポット的な土地なのかもしれない。



http://jbpress.ismedia.jp/articles/-/41676
うーん、まぁ日本に住む身としてはロシアと同じかそれ以上に(上手く)踏み込みつつある「既存国際秩序の挑戦者」*1という意味では中国の扱いが多少気になるところではありますが、概ね同意できるお話かなぁと。

 国内政治はいたるところで、こうしたトレンドを増幅させている。西側諸国の指導者がグローバル化に慎重になったのだとしたら、各国の多くの有権者は明らかにグローバル化に敵意を持つようになった。グローバル化は欧米で賢明な利己心の実践として売り込まれた。つまり、国境をなくした世界では誰もが勝者になるということだ。

 だが実際は、上位1%の富裕層が経済統合の利益をかっさらっており、圧迫された中間層には、とてもそのようには思えない。

http://jbpress.ismedia.jp/articles/-/41676

まぁこうした国内政治の混乱「からの」既存国際体制の混乱という構図を見ると、どうしても1848年の自由主義革命からのウィーン体制=ヨーロッパの平和の崩壊への過程を思い出してしまうお話ではあります。
両者の帰結にある不気味な類似性として、どちらも同じく「クリミア」でそのトドメが刺された、刺されつつあるという点では特に。


チャールズ・カプチャン先生は『アメリカ時代の終わり*2』の中でそのウィーン体制=ヨーロッパの平和の崩壊の要因を次のように短く説明しています。

    • 1848年の革命がおよぼした悪影響と政情不安によって、内政が優先された。フランスとロシアはとくに、政治的統合および正統性を高めるためにナショナリズムを活用し、戦略的競争の再燃を促した。さらに、ヨーロッパ協調を主導した多くの指導者たちはもはや政権になく、彼らがヨーロッパに築いた個人的な関係や信頼、共通目的は失われていた。ヨーロッパ協調はおもに政治の高次元で運営されていたため、社会的統合は深く浸透していなかった。1854年までに、ヨーロッパの大国は戦争状態に回帰した。戦場となったのは、クリミア半島であった。

これって多くの面で現代にも通じるお話だよなぁと。というか同じ轍を踏みつつあるのではないかと。もし上記引用先冒頭のように『歴史』として描くなら次のようになるのではないかと。

    • 2008年の経済危機がおよぼした悪影響と政情不安によって、内政が優先された。(中国と)ロシアはとくに、政治的統合および正統性を高めるためにナショナリズムを活用し、戦略的競争の再燃を促した。さらに、戦後国際秩序を主導した多くの政治指導者たちはもはや政権になく、彼らが戦後世界に築いた個人的な関係や信頼、共通目的は失われていた。戦後国際秩序はおもに政治の高次元で運営されていたため、グローバルな社会的統合は深く浸透していなかった。2014年までに、世界の大国は戦争状態に回帰した。戦場となったのは、クリミア半島であった。

重要なのは世代を経ることで『国民』――それは民主国家では必然的に『政治家』と同義でもある――がその重要性をもはや認識しなくなりつつある、という点なのだと思います。「戦争を知らない世代」というよりは「平和の作り方を知らない世代」な私たち。この辺の話題についてはもう少し書くことあるので次回。



あの19世紀前半に実現した「ヨーロッパの平和」が1854年には事実上崩壊した後、結局その後釜は第二次大戦後になるまで実効性のある国際協調体制を生み出すことはできなかったのでした。
およそ100年にわたる試行錯誤。まぁその間色々あったよね。


次はまた100年掛からないといいね。

*1:海上基地や南シナ海で島を建設する中国の「理屈」 WEDGE Infinity(ウェッジ)ADIZでの中国の『領土観』という点から

*2:下巻P166