ボストンにて- 開くこと

 今回のボストン遠征で、何が一番よかったかと、振り返ってみると、友人と共にした夕食だったのかな、と思う。
一つは夫の元ルームメイトのイタリア人で、もう一つは、ボストン大学に就職した日本人の同業者で、奥さんと子供も一緒のお食事。
 
 アメリカにいるほうが、日本に比べて、夫婦で過ごす時間が長いのは、とても嬉しいことだけど、あまり二人で長くいると、やはり閉塞感がでてくる。気づけば、同じ話をぐるぐると、繰り返していたり (その話は昨日もしたよ〜)。壁にあたったときに、煮詰まってしまいがち。二人よがりで、これこそが正しいのだと、盲目的に信じてしまったりする。
 今回、同年代の方と話していて、家庭はある程度開かれていたほうがよいのかな、とふと思った。彼らも多かれ少なかれ、同じような問題に直面した経験があったりするので、話しているうちに、思いがけず、より深く豊かな解決策に至ることがある。
 この人は、と思う人がいたら、臆せずに、回数を重ねて、時間を共有するとよいのかもしれない。
 ゆっくり時間をかけて、信頼関係を築いていく。まるでワインを熟成させるように。



ローテンベルク まるでおもちゃ箱のよう